群雄割拠

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    中国史

    997: 名無し 2017/08/10(木)20:15:13 ID:ri9
    ?龍元年、拜上大將軍、右都護。是?、權、東巡建業、留太子皇子及尚書九官。?遜、輔太子、並掌荊州及豫章三郡事、董督軍國。

    黄龍元年(229年)、上大将軍、右都護を拝命した。この年、孫権は東の建業に巡行し太子、皇子及び尚書九官を留めた。陸遜を召し出して太子を補佐させ、並んで荊州及び豫章三郡の事を掌握させ軍と国のことを取り締まらせた。

    【正史三国志「陸遜伝」の全文訳と解説をするで(晩年)】の続きを読む

    893: 名無し 2017/08/10(木)19:33:02 ID:ri9
    時、荊州士人新還、仕進、或未得所。遜上疏曰「昔、漢高受命、招延英異。光武中興、羣俊畢至、苟可以熙隆道教者、未必遠近。

    時に、荊州の士は新たに帰り、仕えたが(任を)得る所がない人が居た。陸遜は上表して言った「昔、漢の高祖が天命を受け、英才異才を招致しました。光武帝は漢を中興すると、多くの俊才が遂に到り、仮に道理と教義を興したので遠近より必ず来ぬものはおりませんでした。

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    632: 名無し 2017/08/09(水)19:37:29 ID:lXC
    是時、劉備令關羽鎭守、專有荊土。權命蒙、西、取長沙、零、桂三郡。

    この時劉備が関羽を鎮守させ荊州を専有させていた。孫権は呂蒙に命じ、西に行かせ、長沙、零陵、桂陽の三郡を取らせた。
    【正史三国志「呂蒙・曹昂伝」の全文訳と解説をするで 後半】の続きを読む

    112: 名無し 2017/08/07(月)20:35:48 ID:u7m
    八年太祖?彧前後功、表封彧爲萬?亭侯。太祖拔?、領冀州牧。

    建安八年(203年)、曹操は荀彧の前後の功績を記録し、上表して万歳亭侯に封じた。建安九年(204年)、?を抜き、冀州牧を領した。

    【正史三国志「荀彧伝」の全文訳と解説をするで(晩年)】の続きを読む

    956: 名無し 2017/08/07(月)19:37:45 ID:u7m
    建安元年太祖?破?巾。漢獻帝、自河東還洛陽。太祖議奉迎都許。

    建安元年(196年)、曹操は黄巾を撃破した。漢の献帝は河東から洛陽に帰った。曹操は迎え奉り許を都とすることを議論した。

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    860: 名無し 2017/12/06(水)21:06:35 ID:BcU
    姜維、字伯約、天水冀人也。少孤、與母居。好鄭氏學。仕郡上計掾、州辟爲從事。

    姜維は、字を伯約といい、天水郡冀県の人である。若くして父を亡くし、母と暮らした。鄭氏(鄭玄)の学問を好んだ。郡に仕えて上計掾となり、州に召されて従事となった。
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