7: 名無し 2010/11/02(火) 16:26:01 0.net
俺、小説を書こうと思ってる。
ただ、胸糞悪くなる筋立てになりそうなのが心配。


8名無し 2010/11/02(火) 16:28:37 0.net
陳舜臣先生が一度書こうとしたけど 
粛清のオンパレードになるので結局、諦めたと言う話がある。 
12名無し 2010/11/02(火) 19:27:48 0.net
坊主が乞食や山賊を経て皇帝になったサクセスストーリー
23名無し 2010/11/03(水) 18:01:48 0.net
人口5000万人程度の明で 
掛け値なしに10万人ほどを粛清したんだろ。 
凄まじすぎる。
25名無し 2010/11/03(水) 18:39:03 0.net
まさに「魔王」と呼ぶにふさわしい傑物。 
しかし自分の家族には甘いというただ一点の弱点が仇になったな
6名無し 2010/11/02(火) 16:23:35 0.net
湯和てすごく幸運だな。 
朱元璋と幼友達という微妙な関係なのに 
胡藍の獄を生き延びて天寿を全うしている。
31名無し 2010/11/04(木) 21:56:19 0.net
朱元璋のような人物の再来が期待されてるってことさ。
32名無し 2010/11/05(金) 00:03:03 0.net
誰だったかな、中凶のお偉いさんが地方の農民に今何が欲しいか? 
と尋ねたところ「陳勝、呉広」との返事が返ったときがあったな 

改革開放路線堅持の西側資本主義趣向の共産党青年団と太子党+毛沢東派の残党の中国の伝統堅持路線が権力抗争をしているみたいだが、これ、明王朝の時代の朱元璋の中華鎖国路線と永楽帝の開国路線のブレみたいだな 

おそらく中国のバブルもまもなく崩壊するだろうから、今度は毛沢東派が台頭して鎖国路線を志向するのだろうな。
33名無し 2010/11/05(金) 00:16:23 0.net
共青団は所得再分配をもくろんでいるようだ。 
黒龍江省では変な動きがある。
34名無し 2010/11/05(金) 03:07:39 0.net
上海や遼寧のデモは太子党が仕掛けたが 
内陸部のデモは共青団が仕掛けているらすぃ
35名無し 2010/11/05(金) 09:50:08 0.net
鎖国路線は現実問題として確率が低い。 
経済繁栄の再投資の場をグローバル・マネーゲームにするか 
国内回帰・内陸バラマキにするかの違い。
36名無し 2010/11/06(土) 07:24:18 0.net
中国は内陸部が砂漠化しているからヤバいだろうなあ 
温暖化になったらロシアが圧倒的な大国になりそうな悪寒
37名無し 2010/11/06(土) 16:34:32 0.net
劉邦、朱元璋、毛沢東は出自が低いから他人を信用できず 
王朝を作ってから粛清に明け暮れた 
その点唐・宋・元・清の建国者は出自が名家や軍事貴族だったから 
粛清は行わなかった
64名無し 2010/11/27(土) 16:23:23 0.net
明の時代の功績といえば 
茶の栽培が各地に広がり普及したことだろう

南宋の頃に沿海部でも栽培されるようになり 
武夷山、西湖龍井、安渓などの産地ができ 
煎茶の形式で全国普及が開始された

そして鄭成功の時代に
台湾へも烏龍茶用株の栽培が開始され 
清朝期には凍頂烏龍茶が現れるのだ
65名無し 2010/11/30(火) 12:24:02 0.net
茶と明朝といえば、初代洪武帝が贅沢だと言って 
地方からの献上品から抹茶を禁止して普通の茶葉だけにしたんだよな。 

宋代までは抹茶は贅沢品で皇帝でもめったに飲めない高級茶もあったそうだ。
80名無し 2010/12/07(火) 04:45:42 0.net
中国三大皇帝 

李世民☆洪武帝☆康煕帝
81名無し 2010/12/08(水) 17:43:51 0.net
清の順治帝は臣下と歴史談義して 
中国史上一番は誰かと言う話題になって 
居並ぶ群臣が唐の太宗と言ったのに反して 
洪武帝を挙げたそうだ。
82名無し 2010/12/08(水) 17:56:23 0.net
>>81 
貴族の生まれで最初から大軍と優秀な同僚や部下を持ってた太宗と 
素性も知れぬ貧民から身一つから成り上がって天下を取った洪武帝じゃ
洪武帝の方が上だわな。
83名無し 2010/12/08(水) 18:19:17 0.net
太宗が朱元璋の立場になったら乞食坊主時代に野垂れ死にするのがおちだ。
91名無し 2010/12/19(日) 10:50:23 0.net
>>83 
逆に朱元璋が太宗の立場なら兄を押しのけて即位しようとするかな? 
朱棣ならするだろうけど
92名無し 2010/12/19(日) 18:55:49 0.net
朱元璋は多分しないと思う。 
餓死した親兄弟に対して「自分だけ生きのびてしまった」という 
罪悪感は相当あっただろうな。
86名無し 2010/12/19(日) 05:17:29 0.net
貧民だから知識人からのカリスマが無いんだよな
87名無し 2010/12/19(日) 05:24:21 0.net
>>86 
カリスマという言葉の使い方が間違ってますよ。
88名無し 2010/12/19(日) 05:29:20 0.net
知識人こそカリスマが好きな権威主義者が多いからね 
田舎の大将と名高い士大夫 
どっちにつきたい?
89名無し 2010/12/19(日) 05:31:10 0.net
イケメンな方。
93名無し 2010/12/19(日) 19:32:31 0.net
>>89 
農民出身ということで
朱元璋は劉邦と並び称されることが多いけど 

農民と言っても劉邦の家は富農っぽいし
(不良だったといっても劉邦は文盲ではない、それなりの教育を受けている) 
男にも女にモテまくりのイケメンだった。 

朱元璋って貧乏の極みで、しかもブサイク。それで天下とったのだからな。
94名無し 2010/12/19(日) 19:57:38 0.net
朱元璋はルックス以外は全てにおいて劉邦の上位互換だしな
95名無し 2010/12/19(日) 20:19:44 0.net
しかし劉邦のイケメン度は常軌を逸している。 

男や女にモテまくるのはもちろんのこと、呂公みたいなジジイまで劉邦の顔を一目見て娘や財産を投げ打つという・・・。
96名無し 2010/12/19(日) 20:45:21 0.net
郭子興も朱元璋を見込んで養女を嫁がせてるが。 

それに家柄も財力も無く、ブサイクなわりには、評判が良かったし、郭子興の将軍として立身する前から従ってた徐達のような人物もいるし、その後も多種多様な人材が集まってきたから、カリスマもかなりのものだろう。
97名無し 2010/12/19(日) 21:01:39 0.net
地位も財産も無く、ブサイクであっても一定つきあってみてその人物の魅力にほれ込むことはままあるだろう。それが朱元璋クラスの人物ならなおさらのこと。 

しかし>>95が書いてるみたいに初対面で顔を一目見ていきなり娘や財産を投げ打つって 
劉邦っていったいどんな男前だったんだろう。
99名無し 2010/12/19(日) 21:27:00 0.net
>>97 
夢の無い言い方をすれば、呂公は名士とは言え亡命者だから、沛に地盤を作りたかった。 
だから、沛の有力な顔役の劉邦に娘と財産を渡して、取り込もうとしたのでは? 
何せ、沛県の有力官吏の簫何や曹参から、腕自慢の侠客連中にまで顔が利くからな。
108名無し 2010/12/21(火) 15:00:54 0.net
優しさなんて皇帝としては欠点でしかないぜ。 
ルイ16世とかニコライ2世とか
優しい良い男だったから家族皆殺しにされる羽目に。 

農民から天下人になりあがった豊臣秀吉も
臣下の大大名をちゃんと粛清しないゆとり体制だったから 
やっぱり子孫が皆殺しにされる羽目に。 

とりあえず有力者だから殺しまくった朱元璋は正しいのです。 
大明400年の栄光は粛清のおかげです。
111名無し 2010/12/24(金) 04:12:30 0.net
>>108 
ルイ16世もニコライ二世も身内に甘かっただけだろ。
112名無し 2010/12/25(土) 17:42:31 0.net
>>108 
朱元璋も朱棣をのさばらせたおかげで、直系が二代(三代)で途絶えました 
皇太孫を守るため、あれだけ粛清した意味ナッシング
113名無し 2010/12/29(水) 09:29:15 0.net
>>112 
逆に、むしろ粛正がアダになったような。 
つーか、後世ほとんどの明朝皇帝が暗愚なのを考えると靖難の変は失敗だったかも。 
114名無し 2010/12/29(水) 20:00:09 0.net
そもそも、地方に皇族を封じまくったのがいけなかった。 
粛清しても、皇族に力与えなければ、建文帝の代になって、引っ繰り返されることもなかった。
117名無し 2010/12/30(木) 11:46:13 0.net
明朝成立期は諸皇子に軍団指揮権与えて辺境を守備させる必要があったんだろ。 
辺境守備を臣下に任せて、皇族を宮廷で飼えるようになるのは国家がある程度安定してからでないと。 

王朝成立時に各地に封じた皇族を国家安定後にどう骨抜きにしていくかは歴代王朝の課題。失敗すれば八王の乱とか靖難の変とか大混乱に。放置すれば周朝みたいに国家分裂割拠。
118名無し 2010/12/30(木) 14:37:08 0.net
>>117 
軍権や実権与えずに飼い殺しにすると
曹魏みたいにあっさり重臣に簒奪されるしな
119名無し 2010/12/30(木) 14:46:13 0.net
>>118 
あっさり簒奪した司馬一族は前王朝の失敗を教訓に 
一族諸皇子に権力与えた結果が八王の乱という大混乱・・・。 

その辺のあんばいをどうすべきか試行錯誤の時代だったのかな。