1: 名無し 2007/06/07(木) 21:14:19
三国の興亡を語れ。

2: 名無し 2007/06/07(木) 21:30:24

西夏
南宋
という三国志もあるんだが。

3: 名無し 2007/06/08(金) 15:05:55
>>2
その時代になると、地理的な関係上、金と南宋の対決にばかり注目が集まって、どうしても西夏の影が薄くなる。
だから三国対決の印象は弱い。

4: 名無し 2007/06/08(金) 23:45:57
西夏ってあの微妙な位置によく独立を保てたね。
ちょっとでも均衡が崩れたら、宋か遼に併呑されそうだけど。

5: 名無し 2007/06/09(土) 14:13:19
西夏の場合、背後の敵対勢力がなかったのがよかった。
ウイグルが強大な帝国だったら、宋との戦争どころではなかっただろう。

6: 名無し 2007/06/10(日) 01:06:23
西夏は宋から技術を導入して陶器を作ってみたり、
灌漑を進めたり、
いろいろ産業を栄えさせる努力はしていたみたいだね。

7: 名無し 2007/06/10(日) 14:12:15
西夏の財源で一番大きかったのは何だったんだろう?
交易? 

8: 名無し 2007/06/10(日) 16:37:13
>>7
西夏の主な収入源はシルクロードの中継貿易だよな。
あと范中庵の戦略で交易つーか物資の流れ止められて
戦争どころじゃなくなってたしな。

9: 名無し 2007/06/10(日) 22:26:13
西夏は領内で取れる塩を宋に輸出したがっていたみたいだね。
でも宋としても塩は重要な財源なもんだから、
認めなかったみたいだけど。

密輸とかは結構あったのかも。

10: 名無し 2007/06/15(金) 11:58:20
青白塩か。

昔は、内陸の岩塩と沿岸の海塩だと、どちらが人気あったのかな?
岩塩の方が辛いけど。

11: 名無し 2007/06/15(金) 18:37:12
宋代は地方によって消費する塩の産地が決まってたから
どっちが人気というのはあんまり意味ないんじゃね

12: 名無し 2007/06/15(金) 22:35:57
そーかー。
国に半ば強制的に買わされるものだしね。

一般業者は原則塩を扱えないから、
ブランド塩の販売は無理かw

13: 名無し 2007/06/19(火) 15:41:20
西夏の官制ってやっぱり宋に準拠したような感じのものだったんだろうか?

15: 名無し 2007/06/19(火) 21:19:33
>>13
岡崎精郎の『タングート古代史研究』や、西田龍雄の「西夏王国の性格とその文化」
によれば、大まかには北宋の官制は模倣しているけど、西夏独自の官職もあった。
だけど、法令がある程度整ってきたのは李継遷・徳明・元昊くらいからみたい。
しかも、度々北宋とは国交断絶していたから、遼・金の制度や、隋・唐時代の律令も
組み込んでいる。

14: 名無し 2007/06/19(火) 16:25:25
西夏文字は美しいので有名だった。
現在でも中国の書道家の中には、西夏文字を使い作品を発表してる人もいる

114: 名無し 2018/09/12(水) 15:55:45.34
>>14
そういうの亡くなった西夏の人たちからしたら嬉しいだろうなあ

16: 名無し 2007/06/19(火) 23:33:56
基本的に資料が少ないしね。
だから謎の王国と呼ばれるんだろうけど。

首都の興慶は人口はどれぐらいだったんだろう?

17: 名無し 2007/06/20(水) 11:54:58
10万人を超えるのは難しかっただろう。

18: 名無し 2007/06/21(木) 10:15:27
人口は、寧夏のあたりでどれだけ灌漑が整備されて農業生産力が確保でき、どれだけ養えるかによる。

19: 名無し 2007/06/22(金) 23:58:51
陶器の生産にも力を入れていたみたいだよ。
宋から技術を導入して。

あの地域だといろいろ工夫しないと大変だろう。

20: 名無し 2007/07/04(水) 22:33:33
国都興慶府の人口は詳しくは分らないけど、兵士数だったら何十万単位で徴兵できていたみたいだから、それなりに人はいたんじゃない?

23: 名無し 2007/07/10(火) 06:50:52
この時代は、後のモンゴルの時代の影に隠れた感があるな。
契丹は、西方の一部地域では中国を意味する言葉になるほど、影響力があったけど。

24: 名無し 2007/07/17(火) 23:37:47
宋が弱かったからこそ面白くなった時代とも言える。

もし宋が軍事面でも強大なら、経済面文化面では既に超大国なんだから、遼や西夏は太刀打ちできなかっただろう。

25: 名無し 2007/07/23(月) 15:31:48
遼って塩は自国で産出していたのかな?

26: 名無し 2007/07/23(月) 17:11:41
海に面した地方の海塩と、内モンゴルの岩塩
高額な塩税がないから塩が安くて、宋の領域に遼のヤミ塩が流入することもあったみたい

28: 名無し 2007/08/22(水) 14:53:59
宋は四川が案外情勢不安定だったみたいだね。

30: 名無し 2007/08/25(土) 23:12:36
>>28
天下統一の過程で蜀を滅ぼして四川盆地を征服した時に、かなり掠奪とかをしちゃったから、住民に反宋感情が芽生えてしまった。

その反省で、江南の南唐を征服した時には気をつかったので、江南は終始安定し、靖康の変以降は首都を移した。

31: 名無し 2007/08/26(日) 09:33:43
>>30
それだけじゃないよ。
経済圏の独立感がなお残っていた、残さざるを得なかったというのが一番強い。
南宋が杭州を京師にした理由のうち、北宋の南人官僚閥があって、秦檜なんかも杭州の士人との密接なつながりを持ってて、その利権のうえに成り立っていた。

40: 名無し 2007/12/04(火) 23:50:59
>>31
銭は一般的に銅銭だけど、四川では鉄銭が使われていたんだよね。
信用力が低かったらしいけど。

32: 名無し 2007/08/26(日) 23:37:11
江南は人口が多い上に経済的にも豊かな地域だから、科挙合格者を多く輩出し、中央に強力な人脈を築くことができた。

それと比べると、四川閥はどうしても劣る感じかな。

33: 名無し 2007/09/23(日) 08:33:18
江南の方が人口多いしな。

37: 名無し 2007/10/17(水) 23:56:13
西夏には遼の公主が嫁いでいるけど、
実際どういう待遇だったんだろう。

38: 名無し 2007/10/18(木) 10:34:52
もろに政略結婚だから、基本的にはお客さん扱いだったんじゃないかな。
下手したら、言葉もあまり通じないだろうし。

41: 名無し 2007/12/08(土) 23:30:05
四川には鉄の産出地が多かったから、鉄銭にした方が政策として都合がよかったらしい。
ただ、支払いを受ける側は、鉄銭より銅銭を望んだために、公的には同じ価格と定められた銭も、銅銭一枚に対して、鉄銭数百枚で取引される状況になったらしい。

42: 名無し 2007/12/17(月) 23:54:29
銭って、金属だから重量あるし、考えたらかなり輸送に手間がかかるな。

43: 名無し 2007/12/20(木) 12:53:34
その銭をいっぱい買い入れていたのが日本

51: 名無し 2007/12/29(土) 21:41:20
西夏と日本の接点って何かある?

53: 名無し 2007/12/31(月) 23:20:17
宋と西夏の戦い、宝元戦争って、日本での、豊臣秀吉と徳川家康の戦い、小牧・長久手の戦いによく似ている。

西夏は緒戦で宋軍を次々と撃ち破ったものの、宋軍全体から見ればそれは致命傷とはなり得ず、戦線が膠着して持久戦になると、国力の差から苦しい状況に陥った。
一方の宋も、遼という宿敵を抱えていて、西夏との戦いを早期に終結させる必要に迫られていた。その結果、形式上西夏が宋に臣従する代わり、歳幣を得る形で講和が成立。

小牧・長久手の戦いも、徳川家康は豊臣軍の一軍を撃破したものの、豊臣軍全体を崩壊させるにはいたらなかった。
その後の持久戦では、国力の差が出てじわじわと追いつめらた結果、講和。
豊臣秀吉も、早期から海外への出兵構想を持っていたので、自身の年齢的にも、国内平定にあまり時間はかけられないという焦りがあった。

57: 名無し 2008/02/03(日) 19:47:32
>>53
西夏って、長安を獲るってどこまで本気だったんだろう?

59: 名無し 2008/02/05(火) 15:28:38
緒戦で宋軍が弱くて、連戦連勝だったので、この勢いだと、長安も獲れる、って考えたんだと思うよ。

宋軍が守りを固めると、途端に戦線が膠着しちゃったけどね。

60: 名無し 2008/02/05(火) 21:05:06
とる気はあるさ

61: 名無し 2008/02/06(水) 02:00:27
とる気はあったかもしれんし一瞬なら取れるかもしれんが維持できる
とは思えない。景気づけだろ。

62: 名無し 2008/02/06(水) 23:52:51
西域攻略は連戦連勝だったからね、李元昊。
いける、って思ったんだろう。

63: 名無し 2008/02/07(木) 03:15:50
取る気あるだろ
宋が安定したら攻めこまれるのだから

67: 名無し 2008/02/11(月) 22:40:44
>>63
周辺の西夏、大理にしたら、
宋と遼が対峙している状況の継続が一番望ましいわな。

68: 名無し 2008/02/13(水) 22:25:01
>>67
その間に領土広げたいだろうな

69: 名無し 2008/02/14(木) 23:43:24
宋は外敵に弱かったせいか、あまり周辺を征服して領土を広げるイメージはないけど、建国初期には、征服しまくっていた国だしな。

70: 名無し 2008/02/15(金) 23:59:24
遼と言う強敵さえいなければ、大理は征服しただろうし、定難軍なんて認めなかっただろうね。

71: 名無し 2008/02/18(月) 16:14:19
ただ西夏の軍事力の限界もはっきりしている感がある。
最大版図以上の拡大は無理なんじゃないかな。 
どこを攻めても取った取られたで終わると思う。

72: 名無し 2008/02/20(水) 23:53:12
西夏の統治能力の問題もあるだろうな。
仮に陝西一帯まで軍事的に征服できてたとしても、そこを治める行政機構の整備も大変だろう。

73: 名無し 2008/02/21(木) 01:28:33
仮に征服できたとしても行政機構に漢人を登用せざるをえないわけで・・・
結果として支配者階級が漢化していくという併呑の黄金パターンですな

74: 名無し 2008/03/02(日) 15:53:19
東方の征服地を陝西に限定し、かつウイグル方面まで制圧した場合、この西夏帝国における漢人の人口比率はどれぐらいになるかな。

西域の方に大きく進出した場合、モンゴル帝国のように、色目人が政権中枢を担う場合もあり得るのでは?

75: 名無し 2008/03/03(月) 18:45:17
本拠地をどこに置くかにもよるだろうね。
長安に遷都した場合は、当然“漢”の色合いが濃くなるだろうし。

76: 名無し 2008/03/09(日) 00:53:20
チベットの支配が難しそう。

77: 名無し 2008/03/18(火) 23:35:14
本当にチベットの支配は難しそうだw

78: 名無し 2008/04/24(木) 14:47:49
西夏は遼金元と違って、多民族国家志向がなかったと思う
機会がなかったのか、民族固有の性質なのかはわからんけど

82: 名無し 2009/02/08(日) 02:06:47
西夏はどう見ても宋に従属していただろう。
仏教を国教としていたそうだが、宗教的にもタングートはシャーマニズム信仰で行政、宗教を漢化する事により従属する姿勢を採ったのでは?
本当は戦争もしたくない弱小国。

83: 名無し 2009/02/08(日) 17:36:41
従属はしてなかったよ
戦争というか略奪で宋との国境を荒らした。そもそも仏教は純粋な漢文化じゃない
インドから西域を経由して中国に入った物 タングートが元々影響を受けていても不思議ではない
軍が弱体化してた宋は当初遼と西夏が共倒れになってくれる事を期待してたけど結局失敗 
どっちにも金や財物を送って周辺荒らさないでねって和議を結ばざるを得なかった
金が台頭すると 西夏はむしろ金に服属の姿勢を見せる。西夏の内乱に際して反乱軍を捕らえてくれた金とは
感謝の念もあったのか滅亡まで友好的な関係だったそうだ。

86: 名無し 2009/10/10(土) 04:35:09
李安全が長年の外交政策を転換し、金からモンゴルに乗り換えようとして金を攻撃。
しかしモンゴルは西夏なんぞ属国としか見ておらず、チンギス・ハンに西征の兵を出すように要求される。
しかし西夏は拒否。その結果、怒ったモンゴル軍に攻め込まれ、やがて滅亡…。

長らく同盟関係にあった金をあっさり捨てたからある意味仕方ないか。