1: 名無し 2013/11/19(火) 23:44:02.11 0.net
三國志の余談扱いされる西晋を主に語るスレです

6名無し 2013/11/20(水) 10:41:16.58 0.net
ようやく司馬一族の名前と系統を覚えてきた 
最初に八王の乱とか学んだときは辛かった
7名無し 2013/11/20(水) 19:21:46.01 0.net
西晋も東晋も劉姓の者に滅ぼされているのは因果だよな
14名無し 2013/11/28(木) 12:28:55.64 0.net
一応晋は魏の名前と政権担当一族が変わっただけと思うが
15名無し 2013/11/28(木) 12:38:04.32 0.net
王朝名が変わったというのが大きな意味を持つらしいぞ 
一応田斉と区別されるが 
姜氏から簒奪した田氏は名前を変えずにいたので 
斉は滅んだとはみなされていない 

前漢から新をはさんでできた後漢は 
前漢とは様変わりしているが王朝名が変わってないので
漢王朝は400年通続いたとみなされている
19名無し 2013/11/28(木) 23:30:36.73 0.net
今気付いたんだけどさ 
司馬懿って諸葛亮と対峙している間何人か子ども作ってるな 
孔明なめられ過ぎわらた
20名無し 2013/11/28(木) 23:39:03.14 0.net
そりゃ 
無理をして蜀の山道を通って来るんだから 
防戦側は楽だからな 
関羽と劉備が荊州を失って 
益州からだけの北伐しかできなくなった蜀が勝てる見込みはなくなった 

ただ滅亡しないですむ方法はある 
漢中の守備を強化して 
外征はしないでおけばいい
24名無し 2013/11/29(金) 11:52:18.45 0.net
北方異民族が力をつけて
魏との力関係が逆転するまで引きこもって待てば良かったのに。 

そうすれば挟撃の形になり
異民族に頼み込んで形だけでも漢を復興する事も可能だった。
36名無し 2013/11/30(土) 20:24:54.25 0.net
>>24 
金と遼と宋の関係 
蒙古と金と宋の関係 
がそれだよね。 
挟撃どころか、まるまる北方民族に取られたうえでさらに本領も削られるという。
25名無し 2013/11/29(金) 13:59:04.69 0.net
別に大して必要ないだろそういう努力は 
王朝の権威の弱さとかじゃなく西晋は単純に為政者の無能で滅んだ国だ
26名無し 2013/11/29(金) 21:28:21.93 0.net
八王の乱で異民族の傭兵を活用 
↓ 
五胡「実は俺たちすごいんじゃね?ヒャッハー」 
↓ 
リアル北斗の拳
27名無し 2013/11/29(金) 21:52:00.94 0.net
あんま関係無いと思う 
異民族を使うこと自体は遠い昔からやってること 
度々反乱はあっても中央がまともな内は普通に討伐ができた 

八王の乱においては匈奴だけじゃなく鮮卑も味方したけどこっちは永嘉の乱になっても西晋の味方をしている 

まず後漢から比較的従順で并州の民として200年以上内附していた南匈奴にいきなり劉淵という野心家が現れたことが大きい 

しかもそれに中原を荒らしていた石ロク王弥の二大勢力が合流してしまった 
西晋側は大乱の後で疲弊し総司令官の基盤も脆い状況で 

ローマと違って異民族の玉突き現象で倒しても倒してもキリが無いとかは無い 
数百年前から上手くやってきたことを西晋の代でしくじっただけ
28名無し 2013/11/29(金) 22:27:23.26 0.net
異民族の強さとか方針なんてトップ次第だからなぁ 
優秀なリーダーが現れれば一気に隆盛するしいなくなれば没落する 
五胡もそんな感じだし
30名無し 2013/11/30(土) 10:36:56.66 0.net
三国時代なんてリーダーがという問題じゃない 
普通に兵士個人の武勇でも漢族に負けている 
漢族側はいつも寡兵で異民族に勝っている 
はっきりいって三国時代の弱兵異民族だったら 
冒頓単于でもどうしようもないと思う
31名無し 2013/11/30(土) 12:13:27.69 0.net
兵士個人の武勇って何だよw 
一騎打ちとかそういうの? 
檀石槐とか見てるとそうとは思えんのだけどな 
まぁ鮮卑は途中まで味方だったけど
32名無し 2013/11/30(土) 13:03:49.27 0.net
田予に単身切り捨てられたり 
張遼に寡兵で敗れたり 

とにかく負けるにしても粘り強さがまるで感じられないんだよ 
この時代の異民族には 
例外はあるが勝った魏も大きな損害を被ったなんて話はめったに聞かない 
この時代の異民族は間違いなく兵も弱兵
33名無し 2013/11/30(土) 13:58:09.17 0.net
史書に散見する異民族に恩徳を施しむてなつけさせたって語り口 
うそくせーよな
34名無し 2013/11/30(土) 14:24:34.06 0.net
そういう上から目線慈愛が最もむかつく 
だったら同言語敵対勢力魏・呉・蜀同士徳をほどこしてなつけさせてみろよ
35名無し 2013/11/30(土) 15:11:03.90 0.net
もめてるところに仲介役やりに割って入ったりとか、 
どっちか一方を支援して勝たせたりとか 
そういうことなんでないですか、道義とか慈愛とかではなくて?
38名無し 2013/12/03(火) 02:53:12.94 0.net
匈奴と漢 
突厥と北周 
ウイグルと唐 
遼と後晋・後漢・北漢・北宋 
金と南宋 
蒙古と金 
北元と明
39名無し 2013/12/08(日) 14:38:51.10 0.net
ウイグルは概ね唐と友好状態にあった 
唐と戦ったのは吐蕃
40名無し 2013/12/08(日) 15:55:36.21 0.net
今は両方とも中国領にされてしまって悲しいね 
いつかチベットもウイグルも独立できるといいな
43名無し 2013/12/15(日) 16:11:45.62 0.net
魏・呉・蜀→晋が統一 
北周・北斉・陳→隋が統一 
宋・遼・西夏→元が統一 

なぜなのか?
44名無し 2013/12/15(日) 20:17:56.00 0.net
名前と政権が変わっただけで 
魏=晋 
北周=隋 
と言える
47名無し 2013/12/15(日) 20:37:55.81 0.net
曹ヒも漢という国名を変えずにいたら 
小説で悪く書かれる事はなかったんだろうか
48名無し 2013/12/15(日) 20:52:04.51 0.net
陳は名前と政権一族が変わった漢の最後の姿
49名無し 2013/12/15(日) 21:11:08.08 0.net
ところで
名前と政権が変わった「だけ」と「だけじゃない」の境界線は 
何をもって判断するのだ?
51名無し 2013/12/15(日) 21:40:10.69 0.net
>>49 
そういうのは、禅譲と放伐で区別すればいいんじゃん
52名無し 2013/12/15(日) 23:19:30.83 0.net
古代斉を乗っ取った田氏はなぜ斉の名前を変えなかったのかという謎が残るな
53名無し 2013/12/15(日) 23:57:11.60 0.net
田斉まで扱うなんて広く取り過ぎ 
ってか、どこまで扱うつもりなんです? 
禅譲が実現するのは戦国・燕王噲まで降るから、それ以前の田斉を扱うのは無理すぎる
56名無し 2013/12/26(木) 23:26:53.27 0.net
ネトウヨ「三国志は好きだが古代漢民族は滅んで今の中国人とは別モノ」

何でこういう嘘平気でつくの? 

57名無し 2013/12/26(木) 23:29:01.32 0.net
ウソとも言い切れんな
60名無し 2013/12/27(金) 00:13:13.92 0.net
そもそも陸続きであれば、まったく純血のまま変化なしというわけにもいかんわな 
北方異民族の度重なる支配もあったが、滅んだというよりは混合したという表現が妥当だろう 

そもそも、漢代のチャイナ・プロパーが現代にそのまま残ってたとしてもぶっちゃけ似たようなもんだと思うけど
62名無し 2013/12/27(金) 00:57:18.30 0.net
今の漢民族は遊牧民との混血児ばっかだよな。 
古代の漢民族は度重なる蛮族の蹂躙でほぼいなくなった。
64名無し 2013/12/27(金) 08:57:31.38 0.net
>>62 
支那の学校では、唐王朝の李淵一族は
鮮卑族の熟蕃であるって教えてたな1990年代かな 
天安門のあとだったかな、中国の国営放送の歴史教育授業の一幕で。
73名無し 2013/12/29(日) 14:31:55.57 0.net
>>64 
トウ小平が公の場に出なくなった1990年代後半から2002年頃ぐらいまで 
唐の李氏が胡族であることを否定されるようになった。
75名無し 2013/12/31(火) 09:19:40.37 0.net
>>73 
北魏という国家が道武帝の代からそれまでの異民族国家と違い部族制を脱却し、律令体制へ転換したため胡漢の区別より、氏姓の高低が基準になったという考え方が主流になったからだよ。
(中国共産党という政治の影響を排したのだだからから当然だが) 

李淵が漢族名門の朧西李氏であることを否定する材料もないからな。 
漢族か非漢族かわからない侯景がいいように辺境軍鎮には漢族兵士が相当いたのだから李淵や李世民の主張を覆すには説得力のある材料が必要だろう。
76名無し 2013/12/31(火) 12:10:11.97 0.net
>>73 
胡錦濤/温家宝の和諧時代になると、内陸部の格差是正を目的として「西部大開発」というのが、本格化する。プロパガンダ的なテレビ番組は、胡族とされた北方や西方の民族を主役にしたものが増える。 

『王昭君』は新解釈により、匈奴に嫁いで漢の因習にとらわれず、解放されたため漢地にもは戻らないと決意するシーンが入り、吐蕃国王の松賛干布(ソンツェン・ガンポ)や成吉思汗(チンギス・カン)のドラマが作られる。日中戦争や長征当時の恩施土家を現地語で収録したドラマも作られた。 

その時代になると、再び朧西のの武川鎮軍閥は胡族であり、李淵は胡族であるという意見も否定しない。「西部大開発」では胡族は中国の重要源流であると持ち上げて対応しようとしていた。 

しかし、現地の雇用には結びつかず、住む場所を追われたあげく訴訟で負け、内陸住民が北京まで直訴に大挙して来るといった事態になり、和諧路線は終焉を迎えた。
66名無し 2013/12/28(土) 21:49:29.86 0.net
今の漢民族は昔の漢民族と北方民族の混血。 
六朝の貴族は唐の末までには絶滅した。
67名無し 2013/12/29(日) 03:05:41.91 0.net
お前らに質問なんだが殷から周への転換も断絶なんだがこれは無視か? 
周から、秦にかけてもだ、断絶がある 

お前らは簡単に古代中国人言うが
古代中国人を足らしめてるものの定義を上げてみろよ
70名無し 2013/12/29(日) 09:18:03.75 0.net
>>67 
王朝の交代などは問題ではない 
中国の歴史の継続性は異常で
紀元前からある町にそのまま継続して住人が住み続けている 
当たり前のように当時の墓所が残っている 

日本なんてずっと歴史の浅い京都や奈良も実際は断絶を繰り返していて古い遺跡の多くは喪失したり 
地面の下に埋もれているのにな
71名無し 2013/12/29(日) 09:32:25.79 0.net
殷周革命を断絶と捉えるのも古い史観だよな 

最近は、部族そのものは殷→宋へと継承され 
殷の文化・経済上の中心地の河北は、衛へと受け継がれたって認識じゃね 
東方植民の拠点として洛陽、さらには第一線として魯、斉、奄(燕)を築いて 
殷の遺産をごっそり継承、という流れ
77名無し 2014/01/03(金) 21:34:31.40 0.net
>>71 
今の漢民族が北方民族との混血というのも古い史観だろ 
遺伝子的に見ても漢民族にはモンゴル族の影響は見られない 
モンゴル族にはB型が一番多いが中国はA型のほうが多い
72名無し 2013/12/29(日) 09:55:45.62 0.net
殷(正しくは商)は東方から起こった王朝で
その東方遠征の留守中に奇襲で滅びただけだしな 
そしてのちの中華の重心はむしろ当時の東方になっていくわけでね
79名無し 2014/01/04(土) 12:03:11.06 0.net
異民族云々の話をするなら夏→商の時点で既に民族交代が起こってるから 
断絶してるとも言えるな
80名無し 2014/01/04(土) 18:04:20.89 0.net
>>79 
商と周は風俗が違う(食生活とか土器様式とか)から別民族といってもいいかもしれないけど、 
商と夏は確かそんな大きな変化はなかった気がするけど。 
まあ、言っていること自体は同感ですね。秦や晋(趙)・燕・楚・呉・越とかの時点でかなりあちこちからまざっった結果が中原の漢民族の元になったんだろうし。
62名無し 2013/12/27(金) 00:57:18.30 0.net
今の漢民族は遊牧民との混血児ばっかだよな。 
古代の漢民族は度重なる蛮族の蹂躙でほぼいなくなった。
96名無し 2014/01/18(土) 21:00:38.52 0.net
>>62 
後漢末の騒乱で人口が10分の1になったというが 
あれは住民が逃散したり戸籍がなくなったことが大きく 
いくら乱世でもそこまで激減はしない
97名無し 2014/01/18(土) 21:02:46.14 0.net
>>96 
ドイツ30年戦争で住人の三分の一が死んでるから 
中国もそれくらいは死んでるだろw
98名無し 2014/01/18(土) 21:05:49.70 0.net
人類史上最大の戦争の独ソ戦でさえ 
ソ連の総人口のうち死んだのは20分の1なのに
100名無し 2014/01/18(土) 21:08:42.99 0.net
>>98 
WW2のソ連では戦闘機8万機失って優秀な奴が死にまくりで 
後々科学力に響いただろw
101名無し 2014/01/18(土) 21:12:52.35 0.net
そうか?ロケット技術や宇宙開発ではアメリカを圧倒していたし、 
兵器の性能も遜色ないレベルだったが。
103名無し 2014/01/18(土) 21:19:29.44 0.net
>>101 
共産革命前のロシアは航空大国で飛行機の発達が凄かった。 
革命後みんなアメリカに逃げたのも大きい。 

ラパロ条約の秘密協定でドイツから技術貰う立場になったくらい。 

ドイツの戦闘機とソ連の戦闘機が航続距離おなじくらいなのは 
一緒に研究してたからだよ。 

いつも得するアメリカ…
113名無し 2014/01/19(日) 08:23:47.79 0.net
昔からよく劉禅は叩かれるけど凡君の器はあったと思う。 
蜀は劉備のカリスマ性と孔明の辣腕でなんとか保ってた国で、これを魏相手に保持するのは二代目としたらあまりに条件が悪い。 
しかし、親らの遺産を食いつぶした形になったとはいえ、40年も国を保持し、しかも国を荒れさせることなく魏に降伏し、天寿を全うしたんだから、有能じゃないにしても無能でもない。君主として中の中を下回ることはないレベルだと思う。 

一方、呉の孫晧の暴君ぶりは凄まじかったし、暗君というなら西晋の恵帝の方が相応しいのになぜ劉禅だけがこんなに叩かれているのだろうか。 
劉禅が優秀だとは思わないが、歴代中国皇帝の大量の有害な君主どもを見ていても、諸葛亮存命中は特に問題起こらなかっただけでもマシな方。 
少なくとも霊廟を作るたびに人民にぶち壊されるほど酷かったとは思わん。
115名無し 2014/01/19(日) 09:04:28.85 0.net
>>113 
黒字倒産させた君主って珍しいからな
(相手方が寛容な人物じゃないと成り立たない) 
前燕の慕容暐とか人を使いこなせなくて劉禅以下だわ
116名無し 2014/01/19(日) 09:14:40.48 0.net
司馬昭「蜀を思い出されることでござろうな」 
劉禅「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」 
司馬昭「・・・」
117名無し 2014/01/19(日) 10:52:03.62 0.net
>>116 
蜀を懐かしんだら殺そうと司馬昭がカマかけたのに気付いて機転を利かせた劉禅の英明さを示すエピソードですね
118名無し 2014/01/19(日) 12:46:17.36 0.net
その小賢しさが中の中 
大人物なら自らおおいに懐かしんだ上で、相手の心をも動かす詩でも詠むさ
120名無し 2014/01/19(日) 16:27:40.31 0.net
>118 
その才能を疎んじやはり殺したろうな
123名無し 2014/01/21(火) 06:43:07.95 0.net
懐かしんだら殺そうとか意味不明 
無理矢理劉禅を英君に仕立てあげたいだけだろ
125名無し 2014/01/22(水) 16:41:00.15 0.net
劉禅を生かしておく理由なんて司馬昭には無いんだから、 
有能過ぎず無能過ぎず取るに足らない凡夫を装うのが一番だわな。
126名無し 2014/01/22(水) 18:31:21.22 0.net
司馬昭の最大の失敗は後継者選びだな 
もし司馬攸を選んでいたら
西晋もこれほど無様な最期を迎えることはなかった
128名無し 2014/01/22(水) 18:38:53.73 0.net
>>126 
いやいや、一族の藩壁が地方に有り、 
更に長城内側にいた異民族がお手軽な武力を提供している以上 
藩壁の王族が、帝室を守るとは思えない。 

遅かれ早かれ貴族化が更に進行して互後漢末の朝廷みたいになって 
八王の乱の別バージョンが勃発するだけかと。 
ただし、歴代統一王朝の最初の仕事が、北辺の異民族対策であることを 
朝廷がしっかり認識していれば……ちょっとは変わったかも
129名無し 2014/01/22(水) 18:50:54.39 0.net
劉禅の叩かれ具合は酷いけど
西晋の暗君連中に比べたらかなりマシなのにな 
暗君と言うなら南北朝の君主どもの方が遥かにやばい
130名無し 2014/01/22(水) 19:00:18.94 0.net
司馬炎も玄宗も治世の前半後半の落差が激しい皇帝やな
131名無し 2014/01/22(水) 19:03:31.46 0.net
西晋の皇室は官職を得ない限り武力からは遠かったけどな 
司馬炎が治世の末期に若い息子数人に高位を与えたのもけっこう際どかったけど 
それはかなり上手く機能した 
問題は賈后が権力基盤を得るために官職を乱発しまくったことから始まる
132名無し 2014/01/22(水) 19:09:15.48 0.net
賈南風はよく叩かれるけど、彼女の統治時代は安定してたんだよ 
最悪なのはその後の無能なくせに権力欲だけはやたら強いクズ連中
133名無し 2014/01/22(水) 19:19:53.13 0.net
いやどう考えても後の災いの種を撒いてる 
司馬炎が若い皇子に軍権を与えたのは
代替わりに備えて要地を抑えさせるような非常措置の面があったけど
賈后はもっと節度無く若い皇族を登用する 
そいつらが八王の乱を起こす 

皇太子を殺すのもやりすぎ 
そのせいで挙兵の口実を与えた 
司馬倫の野心を見抜けないのもな
137名無し 2014/01/23(木) 00:25:24.15 0.net
>>133 
結局そいつらのせいじゃん 
しかも見抜けなかった、って何その万引きする奴よりされる奴が悪いみたいな理論
138名無し 2014/01/23(木) 00:30:10.98 0.net
>>137 
おいおい、権力を委任する権限がある者にその責任が無いと本気で思ってるのか...? 
そいつらのせい、ってのが「そいつらだけのせい」という意味ならそれは違うな
134名無し 2014/01/22(水) 19:38:35.90 O.net
明のときもそうだが
地方に封建された王が役に立ったことってあるの?
136名無し 2014/01/22(水) 21:51:15.08 0.net
>>134 
朱棣は役にたってたよ、北元相手の会戦ではほとんど勝利してたし 
建文帝(というかその取り巻き)が疑心暗鬼にかられて刺激していなければ 
大人しく臣下の皇族としての役割を全うしていたかどうかは・・・神のみぞ知る
139名無し 2014/01/23(木) 01:15:47.31 0.net
司馬亮も官爵の乱発しとるので、 
そういう手段しかないという社会レベルの 
手詰まりなのかも
141名無し 2014/01/27(月) 11:02:56.78 0.net
>>133 >>139 
そもそも魏晉交代期から司馬一族は名家に官爵をばらまいている。 
この王朝の弊と言っていい。
143名無し 2014/05/02(金) 21:46:06.51 0.net
五胡時代の諸国はアホだったからなのか、そもそもどうにもならないものだったのか 
必ずしも簡単に決断下せないからなあ 
北魏が道武帝・太武帝の死後に崩壊しなかったのだって超奇跡だと思うし
144名無し 2014/06/01(日) 20:17:43.71 0.net
石勒曰く、 

朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。 
脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。 
大丈夫行事當礌礌落落、 
如日月皎然、終不能如曹孟?、司馬仲達父子、 
欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎


高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。 
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。 
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない
148名無し 2014/06/03(火) 19:21:36.12 0.net
異民族のくせに中国の歴史に詳しいんだな 
まあ漢人の史官がわざと書いているのかもしれんが
150名無し 2014/06/03(火) 20:59:12.33 0.net
>>148 
石勒は文盲だったが官吏に歴史書読ませてたらしい 

石勒の虐殺者と善政家、盗賊的な狡猾さと用兵家としての重厚さ 
こういう両面性が合わせ備わっている点は興味深い
147名無し 2014/06/03(火) 18:25:25.18 0.net
石勒の発言は、軍事能力云々じゃなくて 
天下を取る心意気を語ってるだけのような気がする
149名無し 2014/06/03(火) 20:08:17.15 0.net
>>147 
匈奴人や羯人の漢族の帝国観なのではないかなと俺は思った 
漢族の帝国といえば漢であって、魏とか晋とかって何それ、みたいな 

逆に次の世代というか段階の慕容鮮卑や拓跋鮮卑にしてみれば 
漢族の帝国といえば魏とか晋とかになるので、 
拓跋部の平文帝が司馬鄴が死んだって報を聞いて 
「中原から天子がいなくなっちまったぞ」と言ったような感じになるという 
専門家レベルではどんな認識なんでしょうね?
151名無し 2014/06/03(火) 22:05:54.31 0.net
>>149 
なるほど 
確かに匈奴系と鮮卑系の中華観の違いってあるかもね 
互いに結構異なる対応してるし
153名無し 2014/06/04(水) 08:27:57.35 0.net
袁紹を舐め過ぎだと思う、石ころのおっさんは。
154名無し 2014/06/04(水) 11:48:17.46 0.net
石勒は奴隷だったから、漢族を恨んでいたんだろう。
155名無し 2014/06/19(木) 00:05:05.36 0.net
司馬一族は呪われていたのだ
157名無し 2014/06/19(木) 01:54:47.72 0.net
曹丕・曹叡と夭折しなければ
司馬氏の出る幕は全くないとは断言できないけど 
相当難しかったんじゃないか 
所詮if論だけどさ
158名無し 2014/06/19(木) 02:07:46.18 0.net
曹叡(明帝)はともかく二代目の曹丕(文帝)がわずかに10年というのが致命傷だったのかもね。
159名無し 2014/06/20(金) 01:22:46.40 0.net
どちらかというと呪われてたのは曹氏だろう 
曹丕だけじゃなく、その腹心の曹真曹休まで早死にするから司馬懿が総司令官として活躍する場が生まれたし 

曹叡は早死にだけじゃなくて子宝にも恵まれず、どこの馬の骨か分からない幼児を引っ張ってきて即位させるはめになる 
一方司馬家は多産で長寿が多い
160名無し 2014/06/22(日) 14:02:14.73 0.net
曹爽「ワイは頑張ったで」
161名無し 2014/06/22(日) 14:10:25.78 0.net
>>160 
財産を没収し、曹一族を悉く処刑せよ 

司馬師・司馬昭「はっ!」
162名無し 2014/08/20(水) 17:44:04.45 0.net
>>161 
カン丘倹「ほげっ・・・皇帝廃位するし我慢できんわ、反乱起こすで!曹家を守るんや!」 

なお
172名無し 2014/10/31(金) 20:48:26.12 0.net
曹叡見てると長生きしようが 
結局司馬家依存になりそうだけどな
173名無し 2015/03/18(水) 17:09:47.47 0.net
曹叡が司馬昭より長生きしたら勝ち 
そこまでいかなくても、曹芳の成人まで生き抜けば勝ちだろうな
174名無し 2015/04/02(木) 10:51:21.71 0.net
>>173 
曹叡よりも初代皇帝の曹丕が早く死にすぎなんだよな。
177名無し 2015/11/23(月) 10:17:48.72 0.net
曹丕「もっと長生きしてスイーツ大辞典作りたかったわ」