68名無し 2009/07/15(水) 03:02:41 .net
関羽が三万程度で攻めたのがよくわからん

69名無し 2009/07/15(水) 06:03:37 .net
ちょうど宛で侯音と衛開の反乱があったのでわからんことではない
74名無し 2009/07/16(木) 09:37:44 .net
>>69 
候音の反乱は、速攻で鎮圧されてた気が・・・・ 

狼煙台で警戒はしてたみたいだが、関羽の呉に対する警戒は甘かったな。 
陸遜の策が効いたのか知らんが、実際に本拠地が奇襲された場合の作戦が狼煙で知らせる→自分が戻って鎮圧じゃ適当過ぎる。 
しかも、本拠の守将は関羽と確執のある連中・・・・・・人材不足って問題だけじゃない気がするよ。
79名無し 2009/07/16(木) 14:01:27 .net
>>74 
狼煙台云々は演義の話だぞ
70名無し 2009/07/15(水) 10:04:16 .net
初期は三万もなかったんじゃないかな。 
それで呂常、曹仁、満寵を囲み、于禁を捕らえて七軍を降し、龐徳を斬る。大戦果と言っていい。 

ここまでは実力に運に乗っただけで糜芳、士仁、劉封、孟達との連携は適当だし、呉の動向なんて狼煙台だけで何も考えていなかったと思う。
戦うだけなら凄いんだろうが継続性とか計画性では論外な感じだ。 

楽進との212年の青泥の戦いでは部将の蘇非が負けて撤退したし、徐晃に負けるのがもう少し早ければ、曹操が意図した通り呉蜀で全面戦争だったかもな
71名無し 2009/07/15(水) 10:08:33 .net
当時の関羽は劉備にとってNPC化している 
呉侵攻の上奏はあったのにシカトしてしまうのが不思議だ 

前線と後方で緻密に連携しあっていた呉に 
荊州を掻っ攫われるのも当然
72名無し 2009/07/16(木) 01:40:02 .net
そもそも呉と良好な関係を保ったまま、益州と荊州全てを手に入れるなんて事が出来る訳が無い。 
呉にも都合があるんだし、何もかも自分達の思い通り進めるのは不可能。 
諸葛亮は本気でこんな計画が最後まで上手くいくと思ってたのか?
73名無し 2009/07/16(木) 06:44:52 .net
1 曹操との戦いを極力回避 
2 同族から荊州、益州を奪い取る 
3 孫権と同盟して連携 
4 曹操が死んだら、荊州の別働隊、益州の劉備が二方面から北伐 

という段取りだしな。
76名無し 2009/07/16(木) 11:48:52 .net
>>73 
大半は実現してるから凄いけどなw
81名無し 2009/07/16(木) 18:17:05 .net
劉備も諸葛亮も漢中入りまでは何もかもが上手くいっていたので、舞い上がっていたのでは。 
だが実際は荊州と益州を強引に手に入れた事により、呉からの信用を失った。 
にも関わらず何のフォローもせず勢いで関羽に北上させ、結果関羽は敗死、領土をも失った。 
劉備陣営の慢心と適当さが招いた、当然の結果だと思う。
82名無し 2009/07/16(木) 18:54:24 .net
慢心かどうかは置いといて、戦略構想を練るのはこの時法正の役目だな 
諸葛亮は成都の守備。劉備は漢中にいたんだから。
83名無し 2009/07/16(木) 22:38:04 .net
そもそも法正にそこまでの権限はないだろう
85名無し 2009/07/16(木) 23:13:55 .net
北伐出来るくらい国も安定したのに何故荊州奪還より先に魏を攻めたのか? 
って事だろ
87名無し 2009/07/17(金) 00:54:17 .net
>>85 
呉と争わない為だろ。 
で、北伐は蜀内部のバラバラな意識を一つにして国を安定させる為に行ったんじゃないか?だから別に本当に最後まで成功させようとは思ってなかったんだろ。 
88名無し 2009/07/17(金) 11:06:25 .net
再び荊州を奪還し、今度は呉との関係にも気を遣い、また北伐が出来るくらいまで国力回復させる… 
国力に圧倒的な差がある以上こんな事してたら、時間も手間もかかりすぎて、結局やってる間にジリ貧になってしまう。 
だったらやられる前に先手必勝でやっちまえ、って事では。 
孔明自身も焦ってたんじゃないの?
89名無し 2009/07/17(金) 21:09:22 .net
単純に呉と良好な関係を築くためだろ。 
三国と言っても実質 
魏が7で呉が2蜀が1ぐらいの力関係だったらしいから 
呉とは争えないだろ。 
呉と同時に攻めた時も巍は2正面作戦が出来るほど 
国力が抜けてるからね。
90名無し 2009/07/17(金) 23:21:01 .net
国力ってか軍事力が凄いな。 
呉と蜀は国内財政は魏より潤ってたらしい。 
上手い具合に三国融合すりゃ良かったのにね。 
91名無し 2009/07/18(土) 04:05:26 .net
>>89 
魏7呉2蜀1 
だったら手っ取り早く、魏は蜀を潰せただろw 
7ぶんの1の力相手にいつまで時間使ってんだよ。
92名無し 2009/07/18(土) 04:11:29 .net
蜀は国力を補う地の利があり、攻めるとすると呉への警戒も必要になる。 
単純な数値比のタイマンじゃない所が、長引いた理由でもある。
93名無し 2009/07/18(土) 04:16:15 .net
魏の7を呉の2を相手に2・北方の広い境界線防備に4を配置し振り当てると、 
蜀に対する配置は残りの1だけになるって感じか。
96名無し 2009/07/18(土) 06:23:37 .net
たとえ軍事力で圧倒していたとしても、それだけで国一つ滅ぼすのは滅多な事じゃ出来ないよ。 
基本的に国が滅びるのは、内部に何らかの問題がある時。 
蜀も呉も、内部の腐敗によって衰退しなければ魏も滅ぼす事は出来なかったはず。 
蜀が持ちこたえる事が出来たのは、途中までは劉禅がまともだったからだろう。
97名無し 2009/07/18(土) 06:30:06 .net
>>96 
10年後に同じこと言ったら笑われるぞ。
98名無し 2009/07/18(土) 06:50:02 .net
劉禅は董允があぼーんして姜維が戦争しまくる頃にはだれてるよな 
やっぱ四十年は長すぎるんだろうな
103名無し 2009/07/18(土) 21:10:48 .net
人口比では約4:2:1
しかも魏の主要人口/生産地の一つは蜀呉から遙かに遠い冀州
104名無し 2009/07/18(土) 23:56:40 .net
>>103 
人口比にからは屯田民は除外されているから、実際はもうちょっと差がある。 
とはいえ、姜維の頃の絶望的な差とは違ってこの頃は軍屯が整備されていないから、軍略がある司令官だったら余裕で涼州切り取れていた。
105名無し 2009/07/19(日) 00:37:15 .net
んー…孔明は内政の人だからしょうがないんじゃないの? 
軍師もう一人ほしかったよねぇ。 

106名無し 2009/07/19(日) 00:44:17 .net
正史孔明は政治も戦争もいけるよ。 
ただ戦争の応用性が絶望的にセンスがない
107名無し 2009/07/19(日) 01:47:58 .net
蜀はどちらにとっても攻めにくい、孔明は道具を工夫して兵站を整えた 
対する司馬懿は曹叡に水路を作ってもらいそれを上回る 

>>106 
そういや呉で大将軍にまでなった諸葛瑾も 
計画は緻密だが準備に時間を使いすぎで孫権をいらつかせたらしい 

こういうタイプは勝算があって動くから正面からぶち当たるのは危険 
でも理にかなった戦略は読みやすい罠
111名無し 2009/07/19(日) 02:14:09 .net
よく言われるとこだけど逆に大敗した可能性もある。 
まあ、自分より強い相手に挑むのにリスクを犯さないっていうのは諸葛亮の限界とも言えるし、劉備に蜀を託されてしまったっていう性質上、道は無かったとも言えるから難しいね。 

諸葛亮はゲームでいうなら統率力100付近の才能はあったと思うよ。 
ただ、歴史的な軍事の天才みたいに、ルールを超越出来る強さみたいなのは無かった。
118名無し 2009/07/19(日) 09:29:31 .net
33歳で州牧になった劉備は異常と言っていい。 
ただ経験不足というか戦略性のなさを露呈してあんな目にあったが 
トップクラスの頴川名士の陳群が軍師のままならどんな展開になってたか
119名無し 2009/07/19(日) 09:58:36 .net
結局、大敵に負けて流浪だから変わらなくね?
120名無し 2009/07/19(日) 22:02:41 .net
その辺りが劉備の限界って感じもするんだよなー 
いい所までは行くんだが、結局こけて出遅れる 
曹操や孫権にも言える事だが、統一した様な連中と比べると詰めが甘い
123名無し 2009/07/20(月) 08:28:09 .net
というか荊州奪還も北伐も不必要だろ? 
成都から左に左に領土拡げていけば良い。 
結構左まで侵攻したら少し上に進んで涼州狙うもよし。なんなら下にだって。 
識者が考察するならば漢中や荊州からの領土拡張は無理と行き着く。 

益州は防御する分には最高の土地柄だから、左に遠征時の、魏呉からの侵攻を防ぐのは充分可能。 
三國鼎立は牽制し合い、動きづらいから諸葛が良いよって劉玄徳に説いた。 
なんで自らそれ止めるの? 
上か右にしか攻めないなんて情けない。左や下を攻めよう?
124名無し 2009/07/20(月) 08:51:35 .net
亶州狩りを試みた孫権と同じだね
125名無し 2009/07/20(月) 11:58:20 .net
結局、中華圏じゃない場所を統治するのも時間かかるし 
それで魏を圧倒出来るわけでもないからな 
魏蜀に言えるのは、やはり韓信のように別動隊を任せられる軍事の天才が不在なことだよな。 
夏侯淵もカンヌも力不足だった。
128名無し 2009/07/20(月) 19:35:04 .net
後漢末群雄達の他の時代に比べての不利な点は、皇帝などの権威によらず、自分自身の権威で複数の州に跨る支配領域を確保せねばならなかったことだと思える。 

例えば冀州牧袁紹が青州刺史を従属させる法的根拠は無い。 
だから、袁紹は裏切る可能性の低い親族達を各州の刺史に任じたし、曹操は曹夏侯家の者達を要所の都督諸軍事にして武官達を監督させた。 
そのような親族のいない劉備は関羽という古参武人を代替的に使った。 

曹操は魏王になり、于禁・楽進のような古株を直接の臣下にすることで、いくらか問題を解消したが、それでも州単位の軍事を任せるのは難しかったようだ。曹操の時代では、たとえ韓信がいたとしても遠征の全軍を任せるような危うい真似は出来なかっただろう。
129名無し 2009/07/20(月) 20:22:00 .net
その代替案が夏侯惇、夏侯淵、曹仁の起用か 
曹仁も防御だけなら神だけどな
130名無し 2009/07/20(月) 20:34:19 .net
だが、曹仁は基本的に守勢は嫌い
131名無し 2009/07/20(月) 20:42:33 .net
曹仁が得意なのは防御というより単純な籠城だけな気がする
133名無し 2009/07/20(月) 21:06:56 .net
凄いのは曹仁ではなく樊城
132名無し 2009/07/20(月) 21:04:04 .net
別に満寵でも守り倒せただろうな
134名無し 2009/07/20(月) 21:44:57 .net
>>132 
当時の満寵では格が足りないので、荊州方面の諸軍諸将を服従させる権威を打ち立てることが出来なかっただろう。 
それでは平時から問題があるし、樊城篭城のような窮地にあって、裏切りを出さずに統率しきれたかというと甚だ怪しい。 
曹操のエン州牧時代から従事を務めた満寵ほどの古参宿将が都督になれたのはやっと曹叡時代というのは象徴的だと思う。 
168名無し 2009/07/23(木) 13:27:50 .net
蜀漢の場合、呉と組む事は出来ても魏と組む事は出来ない。 
それをやると国の存在意義が無くなってしまう。 
この時点で不利すぎる。 
再び呉との関係を悪化させる訳には行かなかったんだろう。