1: 名無し 2009/10/06(火) 22:56:56 0
関羽以外めぼしいのが趙累 関平って・・・
麋芳・士仁裏切られるし

張飛と1人くらい軍師送ればよかったのに・・・
劉備陣営には諸葛亮 趙雲 黄忠 魏延 馬超 馬岱などこのときは人材豊富だったんだから

3: 名無し 2009/10/06(火) 23:07:07 0
このとき
関羽58歳 
張飛55歳 
趙雲50歳くらい 
馬超45歳くらい 
黄忠65歳くらい
このころは人生50年って言われてたのに
こんな爺がいくらいてもい勝てないだろ

11: 名無し 2009/10/07(水) 06:53:57 O
>>3
プロレスラーと戦うようなもんだよ。60歳のジャイアント馬場と戦うようなもんだ。
歩兵は当時背も低く栄養もしっかりしてないから腕力もそんなにないと思う。

42: 名無し 2009/10/12(月) 06:05:53 0
>>3
関羽58歳かよ
そりゃ死ぬわ

84: 名無し 2009/11/03(火) 02:30:06 O
>>3
日本の戦国と混同してないか(´・ω・`)
40~50代ごろって武将として脂がのってる感じがするがね

9: 名無し 2009/10/07(水) 02:00:07 0
実際のところ諸葛亮孔明ってそんなに戦略眼あったのかね?
天下三分の計とか言ってもほんの数十年で魏に征服されちゃうんだろ?
蜀よりはるかに小さい島国で徳川幕府が200年以上も政権を維持できたのに比べるとあまりにもお粗末すぎる

10: 名無し 2009/10/07(水) 06:48:19 O
てか孔明とホウトウのどっちかを得れば天下とれるんじゃなかったのかw
どっちも得たのにダメダメじゃん

16: 名無し 2009/10/07(水) 07:41:30 O
曹軍30万とかしょっちゅう出てくるが、南京虐殺の例を引くまでもなく、実際は数万数千単位なんだろうね。30万人ともなると交通インフラが整った現代でさえ補給が難しいから、昔だったら一瞬で兵糧不足になる気がするよ

太平記に出てくる北畠中納言顕家が奥州の軍勢10万を率いて将軍尊氏を追討した時は、東海道で略奪しまくったというから、曹軍も略奪専門だった可能性もあるけど

20: 名無し 2009/10/07(水) 10:50:58 O
>>16
中国には後方からの兵糧輸送という概念があった。
日本にはなかった。
「孫子」には「敵地で手に入れる食糧には後方から送る食糧の十倍の価値がある」とある。
中国でも軍隊は略奪をしたが、一応兵糧は「後方から送るもの」という認識だった。
「号して~」という場合、当然誇張が含まれるが、中国では軍隊の全員が戦闘員というわけではない。
日本でも小規模な兵糧輸送はあるにはあったが、兵ではなく農民にやらせていた。

21: 名無し 2009/10/07(水) 11:02:59 O
>>16
ちなみに文禄の役のときに日本から朝鮮へ兵糧を送ってると聞き、黒田官兵衛が
「なんと馬鹿なことをしているのだ。小西や加藤などという小僧に任せるからこんなことになる。家康か利家、または俺に任せればよかったものを!」
と秀吉に聞こえるように言ったという話がある。

17: 名無し 2009/10/07(水) 10:09:37 0
麋芳は義兄だし、古株だし、裏切るなんて予想できたわけがない

18: 名無し 2009/10/07(水) 10:33:16 O
あれは関羽がワルい
自分の主家に連なる人間を部下みたいに顎で使ったら誰でも怒るわ

19: 名無し 2009/10/07(水) 10:42:34 0
上に尊大で下に優しいが関羽
上に礼儀良く下に厳しいが張飛
だったかな

23: 名無し 2009/10/07(水) 12:15:42 0
>>1
関羽は無駄にプライドが高く、荊州のトップは俺ひとりで十分くらいにしか考えなかったのだろう。だから張飛など同格の将軍が来ることを拒んでいたように思う。 

君臨している時間が長くなると、更に偉そうに振る舞うようになって、孫権の使者を怒らせ、魏・呉による関羽挟撃の機会を与えてしまった。ホウ統か法正が生きていればなぁ。

25: 名無し 2009/10/07(水) 14:52:06 0
苦楽をともにしてきた良将・関羽が何故?って思うけど、現代でもじじいになって頑固になる奴とかいるしな。物語として本で簡潔に読んでいるから何か変貌ぶりに驚くけどよくあることなんだろう

26: 名無し 2009/10/07(水) 15:40:50 O
同位の武将が嫌ならあきらかに位の落ちる王平 李厳 張翼 馬岱あたりを動向させればよかったのに、イケイケの関親子に冷静な王平を副将でつけてれば何度救われたか
李厳は後方支援に優れてるし張翼 馬岱は優秀な武将だから戦術の幅が広がり関羽が出刃ってるときに城も守れたはず

27: 名無し 2009/10/07(水) 15:50:57 O
確かに副将的な形の周倉は演義の架空武将だからねえ
まともに意見が出来る参謀がいなかったのは惜しいね、曹仁に全力で当たってる間に後方は全滅してたんだよね
攻撃一辺倒で足下見顧みないとか迷将、牟田口閣下みたいだな

28: 名無し 2009/10/07(水) 15:52:52 O
とすると辻閣下は誰に相当するのだろうか

29: 名無し 2009/10/07(水) 15:58:14 O
(机上の)作戦の神様だから馬ショクでは?
街亭での「高きより低きを見るは勢い破竹の如し」は説得力があった。ボロ負けしたけどね
辻閣下は陸大卒のエリート風吹かさないから兵隊には人気があったらしいね

31: 名無し 2009/10/07(水) 17:12:13 0
ホウ統が戦死して諸葛亮が益州に赴く事になったのが遠因だろうね
諸葛亮は当初荊州で仕事してたし、ホウ統が生きてたら荊州行く必要なかっただろうから

89: 名無し 2009/11/07(土) 22:37:43 O
>>31
諸葛亮以下張飛や趙雲が益州に向かうのはホウ統が死ぬ前

33: 名無し 2009/10/07(水) 17:38:12 i
蜀における荊州の戦略的位置があいまいだったのではないか。
豊かな荊州を半独立の出城という位置づけにするなら、もっと人と戦力を荊州にさけたはず。または、荊州を捨ててもいいならもっとどうでもいい戦備にできただろう。または、荊州を本拠地にして逆に益州を属国じゃないけど、支配するみたいな形にもできたはず。

蜀にとっての荊州の立ち位置がどっちつかずだったから、関羽に丸投げしたように俺は見てる。劉備はおそらく、諸葛孔明の天下3分の計を立てたのではないか。だから、益州を本拠地とし、関羽は名代として配置させた。

35: 名無し 2009/10/10(土) 20:30:47 0
これは誰にも命令されてないのに勝手に関羽が樊城攻撃して失敗した挙句に、荊州まで獲られてしまったいうなんとも間抜けな話しだろ
今も昔も中国人はこんなのばっか

36: 名無し 2009/10/10(土) 20:36:12 0
関羽はともかく張飛の最期がしょぼすぎる

37: 名無し 2009/10/10(土) 20:44:03 0
麒麟も老いては駑馬にも劣る
昔の戦績を誇っていつまでも老害がトップに居続けるとどうなるか、といういい例だなw
若手の将軍にしてみれば頭の固くなった時代遅れの老将なんて最悪の司令官だろう

38: 名無し 2009/10/11(日) 12:04:48 0
三国志の時代ってそんなにハイスピードで戦術は進化していたのか?

46: 名無し 2009/10/12(月) 23:54:41 0
>>38
戦術や文化は何もないよ
ずっと戦争してた割には戦争の仕方は後漢のときから進歩してない

41: 名無し 2009/10/12(月) 01:14:56 O
関羽に意見できるやつなんて限られてるし、劉備以外の言うことなんか聞かないからね

だからそもそもケイシュウには関羽じゃなくて、もともと一国を納めてた馬超以下馬一族(馬岱、馬良ら)に任せればよかった
でもこの頃馬超は新参だから簡擁など古参を混ぜれば周囲も納得しただろう
それに近くを劉封や孟達なんていう雑魚に任せずここを信頼できる関羽に任せれば劉備とのつなぎも万全でよかった

劉備本体はこの頃戦略上で諸葛亮 法正は外せないから
でもこの二人に趙雲 張飛 黄忠 魏延などがいれば本体も完璧だし言うことなかったはず

まあホウ統が生きていたらそのままでも全てが丸く収まったわけだけど

43: 名無し 2009/10/12(月) 08:50:38 0
馬超に水軍扱わせるのか?
それこそ呉にフルボッコされるだろ

44: 名無し 2009/10/12(月) 09:08:41 O
というより涼州出身の馬超だと南方の兵と意志疎通出来ない気がする
劉備は洛陽に留学してたから標準語が話せたんだろうな

47: 名無し 2009/10/13(火) 00:43:32 O
大人の事情ともどもでやはり関羽に行かせるしかなかったんだろう
それにしてもお供がひどいね
周倉は架空の人だし、演技では豪傑扱いだけど関平なんて七光りだろうし、趙塁なんてなんの実績もない
やっぱ張飛か趙雲にいかせればなあ
関羽の後ろを安心して守らせられる人がいれば違っただろう
でもさすがに予想外のことが大杉たから無理か

士仁・縻芳の裏切り
新参陸孫の才能
劉封・孟達の援軍拒否

どれか一つでもなければ関羽なら切り抜けられたろうになあ

48: 名無し 2009/10/13(火) 01:18:57 O
孟達は援軍を出さなかっただけで救援依頼を蹴ったわけじゃない。
以前、関羽に援軍を出したところ関羽が突っぱねたという事情があった。
それで孟達は怒って「善意の救援」を行わなかっただけ。

60: 名無し 2009/10/13(火) 20:20:38 0
親の七光ってそもそも関平は養子だぞ

61: 名無し 2009/10/13(火) 21:22:35 O
正史では養子とは書かれていない。
「子の平(関平のこと)と共に斬られた」とあるだけで実子か養子かわからん。
多分実子だろうと思われている。

62: 名無し 2009/10/14(水) 06:28:56 0
関平は史書にもちょっとしか出てきてないから戦果は大して挙げてないだろう

79: 名無し 2009/11/01(日) 11:56:37 O
まあ苦労して手に入れた荊州は重要拠点だから優将関羽に任せた選択は良いが。関羽が退屈して魏に出撃するのを孔明は予測できなかったのか。今まで最先端だったのが留守番ではそりゃ。

84: 名無し 2009/11/03(火) 02:30:06 O
>>79
孔明、関羽に「北拒曹操、東和孫権」って強く念を押してたのにね
類友ってか曹操と同じく孫呉の将軍を全員ナメてるフシがあったんだろう
演義じゃ潘濬とか、正史の忠臣が悪かったみたいに描かれてるけど…

80: 名無し 2009/11/01(日) 11:59:26 O
どのみち誰が魏に攻めても負けてただろね呉が留守狙うし。

83: 名無し 2009/11/01(日) 22:34:57 0
>>80
確かに安易に魏を攻めると呉に留守を狙われて負けますね