1: 名無し 2006/12/05(火) 09:23:11
項梁が戦で死なずそのまま生きてる状態で劉邦軍団と戦ったらどっちが勝っていたか予想するスレです

2: 名無し 2006/12/05(火) 09:27:03
正直コウリョウが生きてたらかなりいい勝負になってたと思う

3: 名無し 2006/12/05(火) 11:26:17
項梁が生きてたら劉邦は天下獲りの大義名分が立たなかったのでは
楚王殺しも無かっただろうし

4: 名無し 2006/12/05(火) 12:02:48
項梁が生きていたら、項羽は皇帝になってたと思う。

5: 名無し 2006/12/05(火) 13:04:49
楚王は項羽ガ暴走してころしてしまったという設定です。

6: 名無し 2006/12/05(火) 13:15:29
勝負の分かれ目はコウリョウと項羽を離反できるか、できないかで決まるような気がする

7: 名無し 2006/12/05(火) 13:19:49
それは難しい、項梁は項羽を立てる人間だから。

10: 名無し 2006/12/05(火) 14:28:01
>>7
立てないだろ、項梁が立てたのは楚王。自ら王朝を創始する意図があったかすら疑問。宋義に諌められ云々とあるあたり意外と人望を失いつつあったのかもしれない。

むしろ楚王あたりが絡んで野心の塊である甥っ子に殺され、さらに甥っ子は懲りずに西楚の覇王を称し、項梁が定陶で戦死しなくても同じ結果になったりしてな。

だが劉邦が戦功を得たのは楚王のおかげな気もするし、そうなると項梁が生きてたら劉邦は未知数なわけで…わけわかんなくなってきた('A`)

9: 名無し 2006/12/05(火) 13:51:05
ていうか、項羽のえこひいきのすぎる人事がなくなるから、そもそも中華帝国は消えてなくなったんじゃないか?
項梁に始皇帝のような帝国を建設するつもりがあったかどうか分からないし

11: 名無し 2006/12/05(火) 16:45:42
項梁には実子がいたようには見えないので、項羽を後継者に考えてたのは確かだろね。

ただ、項梁が秦を滅ぼしたとして、懐王心に権力が集中しないような分権的制度になる可能性が高いと思う。

そうなると、懐王-旧楚遺臣の宮中ラインとの対立も表面化しそうだし、劉邦にも密勅がくるかも知れないが、劉邦が対秦戦でそれなりに活躍して封土を持ってないと出番がなくなるね。

12: 名無し 2006/12/05(火) 18:49:14
PHP文庫の「蕭何」では項梁の殺害には項羽の認可を得て笵増が実行に関わったとも言われてたぞ。
勿論、項羽が軍のナンバーワンになりたいとの野心からね。

14: 名無し 2006/12/05(火) 19:53:14
蕭何目線では、兵站を軽視する時点で笵増は三流軍師だと見切ってたそうな。
まあ、まさにその通りだったんだけどね。

53: 名無し 2009/06/14(日) 00:04:34
>>12,14
PHP文庫の歴史小説は同人誌程度に思っていた方がいい
どれも主人公が持ち上げられすぎ
地方豪族でも天下人クラスの大物扱い

17: 名無し 2006/12/06(水) 22:56:30
あんまり項梁の人格とかを詳しく知らないんだけど、いい人だったんだろうか?

18: 名無し 2006/12/07(木) 01:18:21
よくわからんね。
抗秦勢力をまとめあげ、死に様も陳勝呉広のように無様とは言えない。
実績だけみれば美化こそされ、悪く言われる所以は無いね。
しかし細かいこと言えば、失敗した部下を苛烈に処分したり、宋義みたく離れてくヤツがいたりと、人間性に関しては項羽と大して変わんないんじゃなかったかとも思える。

20: 名無し 2006/12/07(木) 09:35:52
>>18
項羽と違っていたのは建前上は義を重んじていたところか
ただ戦死していなければ当然権力はさらに大きくなっていただろうから
その時どうなっていたかは誰にも分からない

21: 名無し 2006/12/10(日) 06:49:17
統一しても楚の王族を立てて自分は皇帝にはならなかったんじゃないかな

22: 名無し 2006/12/10(日) 09:56:33
秦末の時代はまだ儒家が主流になってないので、後の王莽みたいな簒奪方法は難しいだろうね。

当時の前例には斉の田氏の例があるが、何代もかけて最終的に周王室のお墨付きで正当化されてるから同様には出来ないだろうしね。

案外、懐王心が東周の王のようになって、戦国時代に近い感じになる可能性もあったかもね。

23: 名無し 2006/12/10(日) 17:56:48
そもそも当時の情勢で皇帝になろうなんて考えては無かっただろう
項一族みたいな名門だと、主家乗っ取った上で覇者になるってのが妥当なラインでは?

24: 名無し 2006/12/10(日) 23:26:11
楚の復興をスローガンにしてたから、始皇帝が創った皇帝号を使うことはなさそうだね。
逆に、劉邦は項羽が名乗った覇王号は統一後に使えんやったろうしね。

25: 名無し 2006/12/18(月) 01:56:53
「覇王」って王号は劉邦側の人物(張良?)が項羽の名声を落とすために名乗ることを勧めたんだっけ?
それを見抜いた部下(范増?)が「覇とはあくまで王の臣下です。その字を王の上につけるのはおかしい」
と言って諫めたが、当の項羽がこの名を気に入ってしまい結局聞き入れられなかったと。

まあ現代では「覇王」はもう普通名詞になっちゃったけどな。

26: 名無し 2007/02/06(火) 13:09:31
まだ皇帝が定着していなかったんだね。

28: 名無し 2007/03/03(土) 03:25:42
項梁が生きてれば笵増の諌めも聞くし策略の天才陳平も離れなかったかもしれない

そもそも鴻門の会で劉邦は殺されただろう

32: 名無し 2007/03/05(月) 18:54:54
>>28
校門の会の原因になった 
劉邦と項羽のどっちが先に秦を滅ぼせるかレースも起こらなかったもしれないし

30: 名無し 2007/03/03(土) 12:03:56
項梁って立ち位置的には孫堅みたいなもん?

32: 名無し 2007/03/05(月) 18:54:54
>>30
近いね 戦死しちゃったし

33: 名無し 2007/03/08(木) 12:24:47
そもそも定陶であっさり嵌められて敗死した項梁が、その後死ななくてボスだったとしても、大軍残ってる秦に鉅鹿で勝てただろうか。

俺は無理だと思うね。項梁の考え方も先進的じゃなくて多分戦国のままだろうし。所詮器じゃない。 
封建は項羽よりうまくできたかもしれんが、そこまで行く前に負けて死ぬだろうな。

38: 名無し 2007/03/19(月) 05:14:32
>>33
同感。
あの時点で評価は決まってる。
生きてたらもっと大事な戦局で墓穴を掘ったかもしれないと思う。

35: 名無し 2007/03/15(木) 19:48:50
項梁が存命でも恐らく韓信は劉邦側にいくよな。
笵増が張良、韓信の二人を同時に押さえられるかにもよる?
でも、笵増は兵站を軽視する軍師でもあったらしいから
そこらへんでも蕭何のバックアップには及びそうにもないな。

36: 名無し 2007/03/15(木) 23:43:00
あれ? 劉邦は項梁の配下じゃなかったけ?

37: 名無し 2007/03/16(金) 00:37:07
項梁や懐王の配下に項羽と劉邦がいる

55: 名無し 2014/08/17(日) 22:07:50.66
項羽は項梁を慕っていただろうけど項梁は項羽を自分の後継者にするほど高く買っていたのかな
頼朝に対する義経みたいに統一したらポイしようとしてたんじゃないの

56: 名無し 2014/08/20(水) 21:59:24.99
項梁には子が無いから後継者と思っていた筈。
秀吉と秀次のように項梁に実子が出来たらポイされたかも。

57: 名無し 2014/08/21(木) 06:19:18.75
でも下手にポイしたら皆殺しにされそう

58: 名無し 2014/08/21(木) 10:41:47.44
ポイって追い出すんじゃないぞ
なんかの罪をでっち上げて死刑にするんだよ!

60: 名無し 2014/08/30(土) 16:51:21.92
>>58
大人しく死んでくれる項羽がどうしても想像できない
カンフーアクション映画ばりに1人で抵抗しそう

66: 名無し 2019/06/06(木) 23:32:05.45
項梁が生きてる場合楚軍が劉邦軍と項梁軍の二経路から攻め込むという事態にならない
総司令官は項梁なので劉邦が活躍したところで諸侯として封じられる程度だろう

67: 名無し 2019/06/19(水) 11:43:09.23
項梁があんな死に方してなければ秦はもっと早く滅んでただろうし 

楚の天下とは言え結局は項羽がやったように覇者は楚にいてそれぞれの国王と功臣に領土を与えて古い権威の継続になっただろうから 

始皇帝の始めた皇帝制度が広まらずに終わったかもね