1: 名無し 2005/10/02(日) 20:36:51 0
三皇
五帝


春秋戦国

前漢

後漢
三国
を語りましょう

24: 名無し 2005/11/02(水) 19:38:40 0
本来の漢民族はペルシャ系の民族であった、と「世界史は妄想を超えて」と言うサイトのある項目に書かれていたけど、あれマジなの?

25: 名無し 2005/11/02(水) 21:48:36 0
>>24
新説なら、古代山東人の遺伝子がコーカソイドに酷似してたってあたりからの附会でねえの?あるいは古色蒼然とした黄河文明西方起源説か(19世紀あたりなら珍しくない)。
もしくはどっかのオカルト電波を受信したか。
戦国七雄はユーラシア大陸だったなんて電波本が出てたこともあったからな。
始皇帝が青い眼だったなんて真顔で言うやつもたまにいるしな。

29: 名無し 2005/11/03(木) 13:33:59 0
>>25
古代山東人は北方モンゴロイドだろ。

漢代の山東省の遺跡からから日本の弥生人(北方モンゴロイド)とよく似た特徴をした人骨が発見されているのを考慮してみると、古代山東人=コーカソイドとする珍説はかなりの眉唾ものだね。

それに漢代や唐代に描かれたとされる漢人の自画像の絵を見てみると、どう見てものっぺりとしたモンゴロイド顔で、とてもコーカソイド顔には見えないからね。

古代中国についての専門書や資料集を使って調べてみたが、いくら探してもそれらしき記述は一切見つからなかったしな。

242: 名無し 2006/07/26(水) 16:36:53 0
>>29
間違う人がいるから言うとくけど、トルコ人は一応「コーカソイド」やで。
山東から遺伝子レベルでコーカソイドに近いんが出たっちゅうのは本当の話や。
見た目は、アジア人やけどな。見た目と遺伝子がつながらへん事もあるんやで。

26: 名無し 2005/11/03(木) 01:22:48 0
殷って中国では「商」っていうらしいね?
なぜ日本では殷っていってるの?

28: 名無し 2005/11/03(木) 03:17:07 0
>>26
周とか周辺諸国が商のことを殷と呼んでた。つまり他称。
商が自称とあるとされてたから今の中国では商と呼ぶ。
と聞いた。

27: 名無し 2005/11/03(木) 02:29:58 0
> 始皇帝が青い眼だった

これもよく聞く話だけど、大モトの出典は何なのかな?

29: 名無し 2005/11/03(木) 13:33:59 0
>>27
始皇帝の他に、孫権が碧眼だったと言うのもよく聞く話だが、よく調べてみると、これは三国志演義に出てくる孫権の話であって、孫権が青い目をしていたと言うのは全くの創作であって、輝いた目つきであった=青い目をしていた、との事だ。 

また、唐の皇帝が青い目をしていたと言う珍説もあるが、これも眉唾物で、唐の皇帝は北方民族の血を引く出身であって、その北方民族は鮮卑族と呼ばれるトルコ系民族の出身である。 

トルコ系はモンゴル人や日本人と同じ黒目黒髪のアジア系(モンゴロイド)の
民族であるから、碧眼だったわけが無い。なお、始皇帝が青い目をしていたと言う話を俺もよく聞くが、始皇帝について資料集を使って調べてみたが、それらしき記述は一切見つからなかった。 

俺はその始皇帝を輩出した秦族について詳しく調べてみたが、秦族は西方出身の民族だったとよく言われているが、当時の『西方』とは現在の中華人民共和国の山西省や陝西省、青海省付近の地方を指していると言われ、あくまで中原より西にある地方を一括りにして西方と呼んでいた訳であって、現在の西域や西アジアの世界を指していたのではない。秦族も陝西省付近にいたと言われている。 

この秦族はどの民族の出身であるかと言うと、チベット系、あるいは北のモンゴル・トルコ系の出身ではないか、と言われている。これらを考慮してみると、自分には始皇帝が青い目をしていたと言う話は単なる誇張か粉飾か作り話にしか思えない。やっぱり歴史学については慎重に調べて検証していかなければ、容易に捏造が起こり得る分野であると思う。南京大虐殺や従軍慰安婦や教科書の戦前・戦後の記述がまさにそうであったように。

31: 名無し 2005/11/07(月) 03:12:44 0
夏王朝は実在したか否か

33: 名無し 2005/11/07(月) 04:52:49 0
夏王朝の時期に相当しそうな物はあるみたいだけど
商と並行して存在してた可能性があると思う
そもそも王権があったかどうかも気になるが

34: 名無し 2005/11/07(月) 20:58:49 0
論文のタイトル見ると、ほとんどみんな夏王朝じゃなくて夏文化って書いてますね。
今の流れはそうなってるんですか?

35: 名無し 2005/11/08(火) 08:15:38 0
やっぱり王朝と言えるほどの規模じゃなかったんだろうか…

37: 名無し 2005/11/15(火) 14:51:12 0
王朝としての規模は秦が初めてかもな。

39: 名無し 2005/11/22(火) 09:45:24 0
王朝じゃなくても王らしき存在はきっといただろう。
宮殿跡だって発見されてるのだし。

40: 名無し 2005/11/27(日) 04:47:22 0
まぁ、たしかにどっちかっていうと王朝ってより都市の連合体って感じだよね。
それに紹興県の会稽山のふもとに「う陵」があるし。

41: 名無し 2005/11/27(日) 05:31:58 0
ギリシアの都市国家は民主制を生みましたけど中国の都市国家の
殆どが専制的な政治体制を取ったのは何故でしょうか?

43: 名無し 2005/11/27(日) 12:52:42 0
自然の差
ギリシアのような温暖で温和な自然は人の独立心を育てる
逆に厳しい中国の自然は人の集団を必要とする
集団ができればその指導者が必要になり結局専制政治の温床になる

44: 名無し 2005/11/27(日) 19:52:44 0
ギリシャだって禿山みたいなとこ多いぜ?
揚州あたりと比べたりしたらまさに逆だろ。
自然要因論っていうより交通の便とかのほうがはるかに大きいと思う

49: 名無し 2005/11/28(月) 08:06:45 O
>>44
古代ギリシアは禿山は少なかった。 俺は自然環境原因論じゃないがね。

45: 名無し 2005/11/27(日) 20:27:17 0
言葉足らずだったな
中国のように河の氾濫がヤバイ規模で起こる厳しい自然の地域は大規模なインフラ整備が必要。そのためには専制政治のように強権を持った政治体制が必要になるって寸法だ

46: 名無し 2005/11/27(日) 21:12:31 0
どっかから移住してきて、先住民ぶっ殺して、じゃあみんなで土地を平等に分けよう、とかなったら、力つけた連中が王を追放したかもしれないが

47: 名無し 2005/11/28(月) 07:24:27 0
水利専制論ですな。尭舜の伝説を見ても、治水がかなり古い時代から重要な要素を持っていた見たいのは確かみたいですが。

52: 名無し 2005/11/30(水) 21:26:42 O
確かに治水灌漑は昔の人にとって重要なことみたいだね。戦国時代の秦も、韓から招いた土木作業に精通した役人が、韓からの間者と判明しながらも登用してたみたいだしね。
春秋戦国の魏の信陵君は、晩年恵まれないものの四公子の中では一番かと。どうですか?

53: 名無し 2005/11/30(水) 22:50:38 O
自分的には孟嘗君かな 彼の場合、史記と戦国策ではずいぶん書かれ方が違う気がする

54: 名無し 2005/11/30(水) 23:03:41 0
その時代に及ぼした影響力では孟嘗君のほうが遥かに上だけど、
後世の人に慕われたという点では信陵君かな。

56: 名無し 2005/11/30(水) 23:23:32 0
それじゃあ孟嘗君≧信陵君>平原君>春申君となるのかな
春申君の晩年を考えると四公子に入っているということがかなり疑問だ

57: 名無し 2005/11/30(水) 23:39:10 0
多分若いときに秦をうまいこと手玉に取ったことが評価さっれてのエントリーじゃん?
死に際はイケてなかったけどあの時の秦相手によくやったっしょ
それか他にぱっとした公子がいなかったとか…

58: 名無し 2005/12/01(木) 05:00:54 0
平原君の方がダメダメじゃない?

59: 名無し 2005/12/01(木) 07:15:59 0
個人のキャラクターとして一番明るくて、影を感じさせないのは平原君だけどね。

60: 名無し 2005/12/01(木) 08:47:11 0
政治的には、だよ
他の3人は各国の宰相兼務とか軍事的成功とか外交成功とかあるが平原君はポカばっかりだ

62: 名無し 2005/12/01(木) 11:09:23 0
>>60
平原君は馬服君趙奢を推挙してるから、孔子流に言えば賢人だ。

孔子は弟子の子貢(端木賜)に、
「今の世の人臣で、たれが賢でしょうか」
と問われて

「今の世にそのような人はいない。昔は、斉に鮑叔(ほうしゅく)がいて、鄭に子皮がいた。すなわちその二人が賢であった」
と、いった。

意外な答えだったので子貢は、
「斉の管仲、鄭の子産ではないのですか」
と問いを重ねた。

「賜よ、なんじは一を知っているだけで、二を知らぬ。賢を薦めるのを賢というのだ。」
「賢者を推薦する人が賢者なのですか」
「そうだ。鮑叔は管仲を成功させ、子皮は子産を成功させた。ところが、管仲と子産が自分の才にまさる者を成功させたとは、聞かぬ」

63: 名無し 2005/12/01(木) 23:59:24 0
斉・趙・魏・楚にはそれぞれ有名な戦国4君がいたが、秦にはいなかったんだな。
武安君白起は食客を養わなかったのかな。

64: 名無し 2005/12/02(金) 00:13:08 0
呂不韋とか

65: 名無し 2005/12/02(金) 05:07:42 0
秦は商鞅の変法で、国王権力から半ば独立したようなそういう「君」が存在する余地はない。

66: 名無し 2005/12/02(金) 09:26:26 0
ある
ただ領土が功績なしに安泰ではないって事
そのために王センは何度も子孫に領地をお願いしますと言って秦王政の疑いを逸らせたりしてるだろ
商鞅自身が商を領土に貰ったから「商」鞅だろうが
それ以前は公孫鞅とか衛鞅とかだった訳で
上でも出てるが呂不韋は食客を大勢集めて呂氏春秋とか書かせてるじゃないか

70: 名無し 2005/12/02(金) 15:57:01 O
韓や燕には有名な公子はいないのかな

71: 名無し 2005/12/02(金) 16:06:42 0
>>70
国自体が小さいからな。

73: 名無し 2005/12/02(金) 16:37:48 0
秦の統一事業はいつごろから秦の国是となったんだろうか?
秦王政の治世以前からそういう意識はあったのかな?

82: 名無し 2005/12/03(土) 04:02:12 0
>>73
現実的な政治課題になったのは昭襄王からじゃない?

74: 名無し 2005/12/02(金) 17:21:13 0
穆公あたりからかな?

75: 名無し 2005/12/02(金) 18:09:49 0
覇者として会盟を主導するというのと、互いに攻伐して他国の土地の一部を領土として編入する、というのはあったと思うけど六国を殲滅して郡県制のもと秦国に完全に編入するというのは始皇帝以後の新しい動きじゃない?

76: 名無し 2005/12/02(金) 18:48:46 0
張儀が恵王にたらしこんだころから

77: 名無し 2005/12/02(金) 23:57:26 0
韓って秦や楚と国境を接しながらよく最後のほうまで生き残れたものだな。
戦国時代に一度も脚光を浴びることがなかった弱小国なのに。秦に韓非を派遣したり、鄭国を送り込んで国力の弱体化を図らせたり、涙ぐましい努力をしているのには泣ける。

78: 名無し 2005/12/03(土) 00:10:28 0
とは言っても、韓非の派遣も、鄭国の土木事業も逆に秦の国力を増大させただけのような

79: 名無し 2005/12/03(土) 00:26:48 O
申不害を忘れないで

80: 名無し 2005/12/03(土) 00:49:05 0
韓は中原の先進地域だけあって結構、人材を輩出してる?

81: 名無し 2005/12/03(土) 02:28:09 O
張良

84: 名無し 2005/12/03(土) 12:56:25 0
秦は商鞅の改革後、他国を明らかに圧倒するようになったからかね。
昭襄王の時代には白起という戦の天才が出てきて連戦連勝だったし。

89: 名無し 2005/12/04(日) 17:12:56 0
白起は無意味に戦争して殺しまくったようなところがなくもないがな。

90: 名無し 2005/12/04(日) 18:38:17 0
長平の40万だけじゃなく伊闕でも24万殺してるからな。
その他大小戦闘併せたら100万いくんじゃないかw

94: 名無し 2005/12/05(月) 01:41:36 0
秦は首の数が戦功の証だった希ガス

98: 名無し 2005/12/05(月) 20:59:20 O
この時代の人物なら重耳が好きだわ。晋の文公。次点は伍子しょ。皆さんはいますか?

99: 名無し 2005/12/05(月) 21:55:48 0
唐且
始皇帝との対決は侠気を感じさせずにはいられない

101: 名無し 2005/12/06(火) 10:19:10 0
范雎。
屈辱をバネに秦の宰相にのし上がり保身のために惜しげもなく地位を捨てた。
いい意味で俗っぽくて好き

102: 名無し 2005/12/06(火) 11:23:14 0
土曜日にテロ朝の始皇帝に関する番組があったけど、観た?

始皇帝暗殺説
(始皇帝は病死ではなく、趙高に毒殺された) 

趙高復讐説
(趙高は単なる強欲悪徳宦官ではなく、趙の王族の子孫で、秦への復讐を誓い、自ら男根を絶ち宮廷に入り込んで、意図的に秦王朝を内部から崩壊させた) 

を唱えていたけど。

103: 名無し 2005/12/06(火) 11:40:18 0
男根を絶つのはどう理屈をつけても孝道に悖りますね。
先祖のためというなら、そんなことはしないでしょう。

104: 名無し 2005/12/06(火) 13:10:50 0
儒教的な価値観が始皇帝当時、普遍的価値をもっていたかだが。
うぜーつって坑埋にされてたぐらいだし。

105: 名無し 2005/12/06(火) 13:15:41 0
戦国末期の儒教は諸子百家の一つに過ぎない
その儒教が国教となるのは漢代に入ってからで戦国~秦代の人間が儒教一辺倒の思考をするとは考えにくい

106: 名無し 2005/12/06(火) 13:23:07 0
先祖の祀りを絶やさないというのは、別に儒家に限らず昔からあったと思うが。

116: 名無し 2005/12/07(水) 06:52:10 0
殷の神権政治は萌える。何かあるごとに生贄をささげて穴埋め。禍々しい青銅器。現代人とは全く異なる世界観に生きていたのがよくわかる。 

あれが発展していくとどういう文化、文明が生まれたのか。周に取って代わられたのが残念。何で周は殷の神権政治を継承しなかったんだ。

119: 名無し 2005/12/07(水) 09:56:34 0
>>116
マヤ・アステカと同じような宗教感情でしょう。

117: 名無し 2005/12/07(水) 09:18:58 0
古代中国の女官(宮女)について質問させて下さい。
妃・賓・夫人などではなく、宮廷で仕事をしている女官達は結婚する事はできたのでしょうか?

韓国ドラマの「宮廷女官チャングムの誓い」を見たのですが、
女官は結婚することはおろか男性と関係を持つ事でも厳罰に処さるとありました。
それで、お隣の中国はどうだったのかな?と思いまして。

118: 名無し 2005/12/07(水) 09:44:06 0
韓国にとって中国はお隣じゃなくて宗主国様
文化でも政治でもな

120: 名無し 2005/12/07(水) 14:50:50 0
唐の場合はほとんどの皇帝が一回以上は宮女の開放を行い、その後の結婚は自由だったそうだ。もっとも開放されるのは年寄りが多く、実質的には姥捨てのリストラ解雇だし、お手つきは開放されなかったと思うが。 
日本の奈良時代は結構共働きが多かったりする。