12: 名無し 2006/01/17(火) 03:37:28 0
匈奴は康居を臣属させてたらしいな。 
奄蔡は康居に臣属していたらしいし。 
つまり匈奴の影響力は黒海沿岸まで及んでいたって事か。

13: 名無し 2006/01/17(火) 04:07:49 0
>>12
その話はもうずいぶんと昔に白鳥庫吉と榎一雄に批判されていて、今では「匈奴=フン」説の論拠としては使い物にならない。


18: 名無し 2006/01/18(水) 04:39:27 0
>>13 
シツシ単于は康居をアゴで使ってたし。 
西域における匈奴の威信は後漢時代まで 
それなりにあったんじゃないか? 
北単于が康居を頼って西へ移動してもおかしくない。

19: 名無し 2006/01/18(水) 04:57:26 0
匈奴が西へ移動しても大勢力だったという話はそれはソグディアナまでの話で、それはいいんだけど。

黒海まで進出してアランを征服した、という話は間違い、というのが白鳥説・榎説。

14: 名無し 2006/01/17(火) 09:21:51 0
奄蔡と康居ってどこの民族ですか? サルマタイ人とか?

16: 名無し 2006/01/17(火) 14:52:26 0
>>14
アラル海北方のアラン族とアラル海北東のカンクリ族

23: 名無し 2006/01/18(水) 21:47:39 0
とりあえず、フン族と匈奴は異なるという説では、フン族はどういう系統というか、出自だと考えられているのかね?
例えば、移動以前はどのあたりを居住地としていて、どの程度の規模の集団であったのかとか。

少なくともゲルマン人を圧迫して、アッティラという王をいただいていた以上は、それなりの規模のまとまった集団ではあったと思うのだけど。

24: 名無し 2006/01/18(水) 21:51:42 0
>>23
はっきり「フンと匈奴は全く関係ない」と断言できる根拠はないと思うよ。一般に学者が「フン=匈奴説」に反対してるのは、その主張を裏付ける証拠は不十分、ということで、可能性があることは認めてるでしょ。

ようするにわからないことだらけ、ってこと。

38: 名無し 2006/01/20(金) 00:39:53 0
>>24
なるほど、
いや、素人考えなんだけど、フン族は前述の通り、アッティラという王をいただき、ゲルマン人を圧迫していたのだから、その存在は、かなりの力を持ったある程度の規模のまとまった集団、つまり、遊牧民国家といって差し支えないものだったのではないかと。 

で、それが匈奴そのものではなかったとすると、当時の匈奴の領域とゲルマン人の居住地域の間に、今まで知られていたものの他に、そういった存在がいたことになって、ちょっと不自然かな?と思いまして。

まあ、その時期のその地域のことがほとんどわからないなら、そういうのがいてもいっこうにおかしくはないのだろうけど。

40: 名無し 2006/01/20(金) 22:25:26 0
>>38
以下は、内田吟風『北アジア史研究 匈奴篇』より。

170年頃書かれた「プトレマイオスの地理書」には、
「ドン川とヴォルガ川の間にRoxilaniの隣人としてΧουνοιが住む」
と書かれてるらしいよ。これが西側の史料にフンが現れる初出とされている。

また、200年頃に書かれた史料にも、
「Caspi国境の諸蛮族部落Scyths、Huns、Caspiani、Albali」
というのもあるそうな。

26: 名無し 2006/01/18(水) 22:39:12 0
ある時匈奴帝国に属した部族が別の時にフン帝国に属したということは当然あるだろう。
それはまあ確実にありえたのであって、問題となるのは、はたしてアッティラが冒頓の子孫かどうかってことですな。

こんなこと確認しようがありやせん。

27: 名無し 2006/01/18(水) 22:53:21 0
もし「匈奴=フン」だった場合、その移動距離ももの凄いが、ヴァンダルにくっついて中央アジアからアフリカまで行っちゃった(それも短期間に)アランも充分すごいと思うぞ。

28: 名無し 2006/01/18(水) 23:02:55 0
開封からエステルゴムまで移動してそのまま帰って来たスブタイが最強

31: 名無し 2006/01/19(木) 00:03:05 0
まあ、移動距離なら後にモンゴル軍が可能な事を証明してるからな。

32: 名無し 2006/01/19(木) 00:43:27 0
AD3~4世紀の中央アジア西部~黒海北岸の状況の、直接的な文献資料が無いのが痛い。

33: 名無し 2006/01/19(木) 01:00:34 0
突厥の中央アジア進出前に、南ロシアにうじゃうじゃ現れたテュルク系民族ブルガルとかハザールとかのこと考えると、やっぱり「フン=匈奴=テュルク系民族」と考えたくなるが、結局「証拠が少なすぎる」で止まっちゃうんだよな。

34: 名無し 2006/01/19(木) 01:50:41 0
なんでサルマタイやサカ、アランといったイラン系遊牧民はテュルク系遊牧民に駆逐されてしまったんだろう

35: 名無し 2006/01/19(木) 01:58:46 0
一見、人が駆逐されたように見えるが、実は殺されたり移動したんじゃなくて、大半はテュルク語話者に同化しただけだと思う。

36: 名無し 2006/01/19(木) 02:30:59 0
>>35
今のタタール人なんかもユーロポイド的外見の人が多いらしい。

41: 名無し 2006/01/20(金) 22:26:52 0
バラミール(バランベル)率いるフンが西洋史の表舞台に現れる4世紀後半より前に「フン」と称する人々は南ロシア平原にいたらしい。

これが後世のフンの先祖である可能性は高いだろうが、匈奴とどう繋がるかはわからない。

内田吟風は「北匈奴・呼衍王が蒲類・秦海の間を展転」という記事を根拠に、延光2年(123年)までに北匈奴が黒海=秦海まで進出していた、と主張しているが、その他の記事では当時北匈奴はジュンガール盆地辺りをウロウロしているだけ。

これは、158年頃に北匈奴が康居に移動する前の記事だから黒海まで進出という話は怪しい。秦海=黒海というのもどうなんだろ?
蒲類海(バルクル湖)みたいな小さい湖と黒海を並べてるのも不釣り合いだし・・・。

48: 名無し 2006/01/21(土) 18:31:28 0
匈奴とフン族の同一論拠

① 族名の類委

② 民族性の一致

③ 匈奴西遷の時期・経路とフン族欧州出現時期・地点の一致

④ 共にアルタイ語を使用したらしいこと

⑤ フン侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入されたこと

⑥ 考古学的に匈奴の欧州西移があとずけられたこと

⑦ 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記載されていること

「アッチラとフン族」4Pより

しかし、著書の中では同一説には否定的な見解が多い。しかし、フン族はバイカル湖周辺から移動してきた民族との見解。

49: 名無し 2006/01/21(土) 20:28:01 0
バイカル湖周辺も匈奴の領域だよ。

50: 名無し 2006/01/21(土) 20:48:48 0
モンゴル族もバイカル湖が発祥地…
綺麗なトコだから皆使おうとしているんかいな?

52: 名無し 2006/01/22(日) 11:54:05 0
バイカル湖って遊牧民の影響の強い狩猟民の土地って感じだが

53: 名無し 2006/01/22(日) 20:17:42 0
考古学的には、モンゴルは11世紀頃までバイカル湖側ではなくて東の興安嶺の奥地が原郷。
 
『元朝秘史』の冒頭でボルテ・チノとコアイ・マラルが「海」を渡ってやってきた、という件があって、この「海」をバイカル湖に比定する説は確かに有力視されている。

しかし、7世紀頃にあらわれる「蒙兀」「蒙瓦」にしろ興安嶺方面の域をでないのでバイカル湖方面に居たかはかなり怪しい。むしろ12世紀に興安嶺からバイカル南部のケンテイ山脈にキヤト氏族などのモンゴル諸部族が進出してきたため、当時バイカル湖畔の最大勢力であったメルキト族は、バイカルと華北との通商街道をモンゴル諸部族に塞がれたためにこれと抗争するようになったと見られている。

この「西方進出」の最前線にいたのがチンギス・ハンを出したキヤト氏族で、『元朝秘史』に、チンギスの父イェスゲイの時代からメルキト部族との戦争が折に触れてあらわれるのはその状況を反映したものだと現在は考えられている。 

ちなみに、ナイマン王クチュルクはモンゴルのチンギスを指して「森の王」と文字どおり「山出しの田舎者」的な言葉で侮蔑しており、あまり湖水との関係は述べていない。(実際に山林と草原の入り交じった地域からモンゴル諸部族が出現してきたことを端的に表したものと考えられている)『黒韃事略』などの南宗側の記録などではモンゴルは垢まみれで真っ黒に薄汚れて汚らしかったとあり、欧州からの修道士たちもモンゴル人は身体を洗う習慣が殆どなかったことを述べている。

54: 名無し 2006/01/23(月) 19:52:53 0
匈奴について知ってるヤツはフンについてよく知らないし、
フンについて知ってるヤツは匈奴についてよく知らないんじゃないの?

55: 名無し 2006/01/23(月) 21:13:28 0
そもそも「匈奴=フン」と言い出したヨーロッパ人学者が漢文史料をまともに読めなかったのが問題。

ちゃんと読めたら「粟特=クリミア半島のSughdag」なんて言わない。

58: 名無し 2006/01/25(水) 23:26:26 0
結局フン=匈奴を完全否定できる証拠はないんだろ?

78: 名無し 2006/02/18(土) 17:09:39 0
フン語と匈奴語の比較ができれば一発

79: 名無し 2006/02/18(土) 17:11:06 0
フン語も匈奴語も散発的にいくつか単語がわかってるだけなので無理

80: 名無し 2006/02/18(土) 20:13:00 0
その二つを同時に理解できる人がいないから無理なだけじゃないの?

81: 名無し 2006/02/19(日) 20:58:51 O
「二つを同時に理解」もなにも、片方だけ理解できる人も存在しない。
「散発的にいくつか単語がわかってるだけ」で、言語の全体像はわかってないから。

87: 名無し 2006/02/26(日) 16:13:11 0
オリンピックにファーストネームがアッチラっていうハンガリー選手が出てたな。

88: 名無し 2006/02/26(日) 17:33:29 0
ハンガリー人は、フンの子孫だと思ってるからねぇ。

89: 名無し 2006/02/26(日) 18:39:17 0
そもそも国名の由来がアレだからなぁ。

95: 名無し 2006/04/02(日) 10:19:09 0
>>89
ハンガリーは他称で、自称はマジャールだった気がするが。

102: 名無し 2006/04/08(土) 20:50:47 0
>>95
正式名称は「Magyar-Koztarsasag(マジャル・ケスタールシャシャーグ)」

94: 名無し 2006/03/32(土) 20:53:29 0
匈奴がトルコ系かモンゴル系かで話違ってこない?

96: 名無し 2006/04/02(日) 12:38:17 0
突厥がトルコになったんだから・・・
匈奴=フンでもよかんべ

97: 名無し 2006/04/02(日) 16:31:22 0
突厥は言語がちゃんとわかっていてトルコ語との関係も明白。
トルコ人の移動経緯もはっきりわかっている。

匈奴とフンは「集団名が似ている」以上にはなかなか先に進まない。
同様に扱うのはとても無理。

98: 名無し 2006/04/02(日) 20:12:13 0
> 突厥がトルコになったんだから・・・
厳密には違う。「突厥」が「テュルク」の集合名詞「テュルクト」の音写だろうというのは、ほぼ間違い無いことだろうが、突厥帝国西部(ホラズム~トランスオクシアナ方面)にいたオグズ集団の一部がセルジューク朝時代にアナトリアに入植して今のトルコに繋がる。

一応「テュルキエ」という名を新たに称しているが、「突厥」中核部族そのものの後裔というわけではなく、その辺縁にいた集団の子孫になる。ハザールの系統からするとタタルスタンやカザフのあたりとかがより後裔に近いと言えるだろうが、これらはモンゴル帝国の影響の方が圧倒的に強い。10、11世紀頃の段階ですでにオグズ・テュルクメンやカルルク、キルギズ、カンクリ、ウイグルなどの集団は「突厥」云々というよりは「テュルク系の人々」で一括りにされている。

105: 名無し 2006/04/15(土) 00:51:34 0
フンと同一視されてるのは北匈奴だろ?
前漢のチツシ単于もかなり西には行ってたけどな。

106: 名無し 2006/04/23(日) 12:31:18 0
>>105
問題は王族の血(ランデイ氏とかキョレンダイ氏)がアッティラにつながってるかどうかだろう。

王族以外は全部移動中にサルマートやらアランやらと混血しまくってるんじゃねーか?

逆に混血してないなら、匈奴から何百年もかけて西進したというのはすごく無理がある。

バトゥがワールシュタットに攻め込んだときだって、モンゴル統一からわずか40年。フンの歴史だってせいぜい4世紀後半からだと思うが。

遊牧民ってじわじわ膨張とか移動って基本的にないよね。
基本的に急速に強大化して、そして急速に衰退する。

116: 名無し 2006/09/02(土) 22:40:17 0
フン族ってトルコ系?モンゴル系?
アッティラってモンゴロイドっぽい顔だったの?

117: 名無し 2006/09/02(土) 23:23:44 0
>>116
今のところそれを確証するものは無いので不明

それとは別に今のトルコ&テュルク系の国々や民族では匈奴&フンは自分達の民族の歴史として教えている

118: 名無し 2006/09/03(日) 19:58:55 0
トルコ史で冒頓単于が出てくるってのも違和感ありまくりだな。

119: 名無し 2006/09/03(日) 21:10:25 0
>>118
まあ、俺らは「中国史」or「モンゴル史」として習ってるしな。

120: 名無し 2006/09/04(月) 06:03:51 0
歴史を「その土地の歴史」として学ぶか「その民族の歴史」として学ぶかその違いに拠るからだろうな 

日本の場合大体日本史は「その土地の歴史」として学ぶけど、トルコやテュルク系の民族は「その民族の歴史」として学ぶからだろうな

因みに冒頓単于はトルコでは大英雄として教えている

122: 名無し 2006/09/05(火) 01:03:20 0
因みに余談になるが、少数意見の一部のトルコの自国学者には 

スキタイの残党が中央アジアに移り住んだサカ族(塞族)や中国の西周の時代に出てくる犬戎までも「我が民族の先祖」と主張する人が居て「世界最古の遊牧民族はキンメリアでもスキタイでも無く我がテュルクこそ真の祖」と誇っている人も居るみたい 

そこまで行くとちょっとトンデモくさくなるんだが

142: 名無し 2006/11/21(火) 00:30:48 0
冒頓単于は生前は他の名で呼ばれてたんでしょ?

143: 名無し 2006/11/21(火) 19:16:33 0
>>142
トルコやテュルク系の国々ではMETE(メテ)って言う名前で教えてる

146: 名無し 2006/12/01(金) 20:48:09 0
トルコもアフガンもアーリア系じゃねえの?
色が黒いの?
フンはモンゴル系と思うが・・・

147: 名無し 2006/12/01(金) 21:06:00 0
>>146
アフガンはコーカソイドで、アーリア人説でもアーリア人に分類される。 

トルコはもともと中央アジアの突厥だから、モンゴロイド。 
だが、現在のトルコのトルコ人はコーカソイドとの混血が進み、身体的な外見形質はかなりコーカソイドに近い。

要するに、アフガンはコーカソイドがベースでモンゴロイドと混血しているが、言語や文化はアーリア系。
トルコはモンゴロイドがベースでコーカソイドと混血しているが、言語や文化はアジア系。

148: 名無し 2006/12/01(金) 21:18:32 O
>>147
確かにトルコ人の混血は進んでる感じだね。

すると、民族において混血による身体的特徴の変化に比べて言語は変化しにくく、民族の要素としても人種的特徴より言語のほうがより重要なのかな。

149: 名無し 2006/12/10(日) 16:29:28 0
分かり易いのは武器の構造の比較じゃね?
匈奴弓とフン弓の構造は比較できんのかな?

151: 名無し 2006/12/19(火) 23:06:03 0
・匈奴において、剣はとても神聖なものだった。平時に一尺以上抜いたら死刑。
・匈奴が使っていた剣は、フェンシングみたいな、突いて攻撃するタイプ。 

その柄には、鹿がグリフォンに追われる構図の動物文様が描かれている。

152: 名無し 2006/12/21(木) 01:10:58 0
あの時代は世界的に両刃剣ばかりだったと思うけど

153: 名無し 2007/01/04(木) 18:49:27 0
剣は基本的に突きが主流。
斬撃は刀の方だな。