2: 名無し 2006/11/26(日) 01:05:14
とりあえず田単を呪ってみましょう。

3: 名無し 2006/11/26(日) 02:10:57
何故だね
田単のおかげで後世に残る手紙が生まれたのだ
亡命してからも生活には苦労しなかっただろうし、呪う必要がない

4: 名無し 2006/11/26(日) 03:34:33
結局、楽毅って中山人なの?趙人なの?
小説では中山人だったけど、史記では趙人みたいだし、よくわからないよ!

5: 名無し 2006/11/26(日) 09:36:06
当時の世界に置いて国籍法なんてないから区分は難しいと思う。
趙で生まれたから趙人になると言うのは現在的感覚ですれば違うと思うし。

6: 名無し 2006/11/26(日) 12:22:35
一般的には諸葛亮が尊敬した人物の一人として有名だね

7: 名無し 2006/11/26(日) 19:57:18
そうだね。
ただ諸葛亮は、兵法よりも恵王に宛てた手紙の文面の方に、より尊敬の念
を置いていたのかも。

10: 名無し 2006/11/27(月) 17:24:47
先祖に魏の文に仕え中山を征服した名将楽羊
親戚に趙に仕え廉頗とともに長平の戦いで敗れた後に攻めてきた燕軍を破った
楽乗など楽毅の一族は優秀な人が多いな

12: 名無し 2006/11/27(月) 18:44:02
楽毅の子の楽間もそれなりに頭はいいみたいだな
燕王は2代続けて同じヘマw

13: 名無し 2006/11/27(月) 21:27:23
しかし平は、郭塊みたいな、いい臣に恵まれている。
斉の戦略も狡猾だったのでは?

14: 名無し 2006/11/27(月) 22:04:42
いい臣に恵まれてるけど
いい臣を上手く使ったよな、と思う>平
楽毅と同じ頃に燕に行った面々の濃ゆいこと濃ゆいこと

15: 名無し 2006/11/27(月) 23:01:07
郭隗、楽毅、蘇代、スウエン、劇辛、秦開などこの時の燕は名臣ぞろいだな

16: 名無し 2006/11/27(月) 23:27:09
その通りですよ。
騎キョウしか人はいなかったのでしょうか?

17: 名無し 2006/11/28(火) 22:19:10
中原の戦になれてなかったってのもあるかもね

18: 名無し 2006/11/29(水) 03:14:21
確かに。しかし、彼を指名したのは恵王だとか。
個人的には田単よりも、先ずは恵王を呪いたい。

19: 名無し 2006/11/29(水) 22:00:31
燕と斉、しかも城攻めで慣れ不慣れということもないような気がするが
やはり兵士の士気が最大の問題ではないのだろうか

田単はかなり粘っていたようだし、格が劣る騎キョウ(ごめんな、騎キョウファンの人)に指揮が変わって情勢がよくなるとは思えないからなぁ

20: 名無し 2006/11/29(水) 22:30:44
名臣揃いと言えば、恵文王の趙もそうだ。
あんがい君主運はいいというか、さすが見る目はあるというか。

22: 名無し 2006/12/04(月) 19:38:09
武霊王がやることなすこと派手すぎただけに、恵文王は見劣りして見えるけどな。
でも君主の質としては、天上天下唯我独尊で突っ走った武霊王よりも良い臣下に恵まれ、上手く使いこなした恵文王の方が上。

楽毅は2度趙に仕えるんだよな。2回目はちょっと違うけど。

23: 名無し 2006/12/06(水) 22:11:39
最初に燕に来たときは国賓の申し出を断ったらしいから、趙に戻った
時には家臣というよりも大事なお客様的という感じだったのかもね。

28: 名無し 2006/12/09(土) 17:56:48
楽毅といえば宮城谷氏の小説「楽毅」は名作だったな
ちょっとフィクション入れすぎな気もするけどww
あれを読んだら楽毅が中華最強の名将と錯覚してしまう

29: 名無し 2006/12/09(土) 19:42:39
この時代では最高級の名将じゃないの

指揮能力は斉の完全制圧が出来なかったから多少劣るとしても、外交能力は歴史上でもそうそう並ぶものはいないんじゃないのか

30: 名無し 2006/12/09(土) 22:39:19
>>29
ちょっと贔屓の引き倒しに感じる描写もあるよ

根回しと段取りが上手くいったから斉を滅亡寸前まで追い詰めたけど、
純粋に強い名将かと問われれば、白起や李牧よりは一段劣る

32: 名無し 2006/12/10(日) 10:49:14
>>30
いやいや、誰も純粋に強いなどとは言ってないし

5国連合軍を統率したその名声と手腕が素晴らしいと言っているのさ
もちろんこれには斉王の横暴な振る舞いがあるのも事実だがね

31: 名無し 2006/12/10(日) 00:00:08
戦国時代ベスト5には入ると思う

33: 名無し 2006/12/10(日) 23:38:52
あんま君主には恵まれなかった人だったのかも…。

34: 名無し 2006/12/11(月) 19:07:42
おいおい
燕の昭王なんて名君に拾われてそれはないだろw

35: 名無し 2006/12/12(火) 23:00:42
いや二代目がさ…。
なんか劉禅下における諸葛亮より恵まれていない気がしてね。

38: 名無し 2006/12/16(土) 21:11:21
信陵君と比較してどちらが名将だろう。

39: 名無し 2006/12/16(土) 23:27:07
失礼。五ヶ国連合と覚え違いをしていました。
しかし当時の斉と秦どちらが軍力があったのかにも拠るが楽毅がちょっと有利かな?
確か韓信と同じ上将軍として軍を指揮しその後追撃までして斉をあわやというところまで追い詰めていたと思う。対して信陵君は涵谷関も抜けなかったみたいたらね。

40: 名無し 2006/12/17(日) 02:26:04
涵谷関を抜けなかったんじゃなくて、落とさなかっただけじゃないっけ?

楽毅のほうも連合として斉を追い詰めたわけじゃないんだから。
元の斉の領土に入っても攻め続けたのは燕一国でしょ?
斉の横暴をとめるという連合国としての大義名分が斉の領土に入った時点でなくなったわけだし。

信陵君は魏を救うのが目的であって、秦を滅ぼすのが目的ではないので、涵谷関を落とすための犠牲を覚悟してまで秦に攻め入る必要がなかっただけじゃないのかな?
連合として他の国がついてきてくれるのも涵谷関までだったろうし。

41: 名無し 2006/12/28(木) 22:19:05
あと、郭隗って何した人なの?
いや、かいよりはじめよの故事しか知らないから。

42: 名無し 2006/12/29(金) 21:45:08
>>41
「かいよりはじめよ」をした。
以上。

43: 名無し 2006/12/30(土) 02:21:16
それって役立たずってことじゃぁ…

44: 名無し 2006/12/30(土) 08:18:55
結果として優秀な人を集めた。
んで、彼らが活躍した。

45: 名無し 2006/12/30(土) 12:52:03
いや、かいよりはじめよっていうのは郭隗を優遇することによって、郭隗ごときが優遇されるなら俺ならもっといい待遇を受けれると思って燕にくるってことでしょ。
ってことは、郭隗は当時の人にはそれほど評判が良くなかったってことだよね?
自分が読んだのは横山光輝の史記だけなので、実際史書ではどうかかれているか知りたい。

46: 名無し 2006/12/30(土) 23:22:50
だから、自分の評判を落としてでも
主君の人材集めに協力したんだろ。

47: 名無し 2006/12/31(日) 00:46:03
それは要するに、郭隗は優れた人物である程度知られていたところを、自分でダメダメな人物だといううわさを流したということ? 
そんでそんなダメダメな人物が優遇されるなら俺も俺もっ!!って人が集まるってこと? 

48: 名無し 2006/12/31(日) 00:59:01
>>47
どうしてそういう解釈になるのか

48: 名無し 2006/12/31(日) 00:59:01
>>46の言う事も変だけど、郭隗くらいの才能の人間は当時でも珍しくなく、その郭隗ですら王から下にも置かない待遇をうけるのであれば、更に有能であればそれ以上の待遇をうけるだろうと、才能ある人物が燕へ多く集まるようにということが、「先ず隗より始めよ」ってことでしょ 

べつに郭隗がわざわざ評判を落としたとか、そういったものではない

49: 名無し 2006/12/31(日) 05:16:29
孔子だったか誰かに、優れた後継者を推薦した者がいちばん偉いなんて話があったっけ。
楽毅の身を寄せたことが、郭隗のおかげかどうかは知らないが

50: 名無し 2006/12/31(日) 11:58:07
管仲を推薦した鮑叔、子産を推薦した子皮か。

昭王の要請に応えてしっかり人材引き寄せて自分もちゃっかり良い身分貰ってるし
それだけでも相当の切れ者だと思うなあ、郭隗。

51: 名無し 2007/01/01(月) 14:26:34
切れ者っていうか、したたか。

52: 名無し 2007/01/01(月) 15:16:55
そもそも「人材集めるのにどうしたらいい?」って相談受けてるし
信頼されてたんだろな、多分。

58: 名無し 2007/03/31(土) 23:41:39
田斉って、楽毅の攻撃がなかったとして、
あのまま国力を伸張させ続けることはできたんだろうか?

59: 名無し 2007/04/03(火) 12:02:19
ビン王が戦争ばっかやってるからそのうち5カ国連合軍とかすごい軍勢が迫ってくれば終わると思ふ

60: 名無し 2007/04/27(金) 06:13:28
>>59
単純に、斉が西進しても、同様に東進してきた秦とガチでぶつかって潰されるから無問題。

楽毅は局地の戦闘では白起や韓信に劣るかもしれないけど、政治的なセンスや大局眼は勝ると思う。白起・韓信のようなタイプはクラッシャーとしては優秀だけどいつまでたってもなんも平定できなさそう…古代ローマで言うとこの軍団長レベルだと思う。

61: 名無し 2007/04/27(金) 06:45:19
楽毅最大の影響(功罪の判断は各人のお好きに)は、「唯一秦に対抗し得るポテンシャルのあった斉を叩く→燕の恵王から逃亡→斉、弱体化して復活」というコンボで秦1強を確立したことだと思う。 

楽毅と恵王はある意味最強の連衡タッグ。特に恵王。こいつに秦は足向けて寝られないだろってくらい最強。

63: 名無し 2007/05/18(金) 09:20:38
この時代の斉ってどうしてあそこまで国力を伸張させることができたんだろう。
秦や楚は、背後に広大な未開発地があるから分かるけど。

65: 名無し 2007/05/23(水) 20:26:25
>>63
孫臏がいたからじゃね?

66: 名無し 2007/05/24(木) 10:37:55
>>63
秦の軍事的脅威に直接さらされなかった事と、秦に次ぐ脅威となりうる存在で国土を接している楚が猫の目外交で弱体化した事、いざ戦争となれば韓・魏を抱き込んで合従できる素地が魏の衰退以降にできあがっていた事、の三つが大きいかと。 

小説ほどの影響力はないにせよ靖郭君や孟嘗君による巧みな外交戦略が功を奏してもいたはず。

64: 名無し 2007/05/19(土) 04:29:56
斉の都臨シが当時の中国で最も人口が多い都市であったことを考えると領土は秦や楚に劣るが一番人口が多い国だったんじゃないだろうか
余談になるけど斉は遼東のほうにも海を越えた領土をもってたらしい

68: 名無し 2007/06/18(月) 17:31:45
ビン王になって孟嘗君を追放してから斉は外交に陰りを見せ始める
しかも燕のスパイである蘇代の言うことをホイホイと聞いてしまうという馬鹿の上塗り

69: 名無し 2007/06/18(月) 19:02:53
ビン王の失策は宋併合が原因かな?

確か宋滅亡で宋に隣接する諸国が大混乱を起こし
それが遠因で楽毅を上将軍とした五カ国連合が起きたとか起きないとか(うろ覚えで申し訳ない)

>>68
蘇代はしっかり縦横家やってるんだよなー
あの頃の合従家たちは、対斉・対秦を見込んだ合従論を説いていたんだよな

秦は函谷関以西に閉じ込めてたから大丈夫
あとは斉かって感じで、ビン王はある意味で袋叩きにあった可哀想な君主
もうちょっとうまく立ち回れなかったのかっていう批判はあるけどね

70: 名無し 2007/06/25(月) 05:59:09
まあビン王は諫臣たちを殺し、自分に媚びる奴しか近づけないような典型的な暴君だから
いずれ破滅してたろうね

76: 名無し 2007/08/14(火) 21:13:58
楽毅より名将と言える人って史記にいる?
個人的に無忌が同ランクのイメージ

77: 名無し 2007/08/15(水) 18:35:41
単純な戦果なら白起がダントツだろうけどなあ

78: 名無し 2007/08/16(木) 04:50:24
いや単純な戦果なら冒頓単于だろう
史記という括りなら

79: 名無し 2007/08/23(木) 02:24:13
王翦を忘れていないか。

80: 名無し 2007/09/28(金) 06:02:01
宮城谷氏作品の中では楽毅が最高。

81: 名無し 2007/09/28(金) 21:48:10
単独戦術戦闘なら白起はすごそうだな。終った後の事はなんもやらんけど・・

王翦は人格的には評価できない~みたいな事が史記かなんかに書いてた気がするけどどの部分がそうなの? 保身が行き過ぎたこととかかな・・ 

でも彼が死ぬと子孫の名臣が世に出ないし保身くらいいいじゃん・・

82: 名無し 2007/10/01(月) 09:59:58
つーか王翦の立場だと先人達の末路色々知ってるんだし
保身に気使わなかったら馬鹿だろ。

83: 名無し 2007/10/01(月) 21:31:22
まあお約束の判官贔屓というか悲劇的な末路を好む心情がある訳でそれから見ると保身保身で身を長らえた王翦はあまり頂けないということではないか。

宮城谷氏なら燕を去った後の楽毅の描写が好きだ。
秋風ぴゅーぴゅー吹きまくってる寂しい感じがタマラン。

84: 名無し 2007/10/02(火) 16:35:42
宮城谷氏作品の中では「沙中の回廊」(士会)が最高

85: 名無し 2007/10/02(火) 20:07:01
沙中はあんまり好きじゃなかったなあ

86: 名無し 2007/10/02(火) 21:34:13
沙中は俺も好き
孟夏の太陽を先に読んだ人は沙中嫌いって人多いね

87: 名無し 2007/10/03(水) 16:30:02
沙中は士会だけじゃなく先軫や郤缺他一族など色々な人物を通して成長していく過程がいい。俺が俺がみたいじゃなく逆に主人公っぽくない書き方をしてるとこが余計楽しめる。

89: 名無し 2007/10/03(水) 20:43:58
沙中は趙盾の扱いが悪いからなあ
こういう作品・主人公によって扱いが違うのが宮城谷さんの面白いところではある

是非斉側からの視点で楽毅がめちゃくちゃ悪役な小説も書いてもらいたいがもう中国史ものは書かないのかな・・・

90: 名無し 2007/10/13(土) 02:58:54
>>89
いやいや、三国志書いてるじゃないか。もっと春秋戦国で書いてほしいけどね。

楽毅の裏側の話という点では、縦横家書をベースにした蘇秦の話を読んでみたいな。

99: 名無し 2008/03/07(金) 23:06:54
>>89>>90
塚本靑史の「白起」を読もう 

趙に行ったが活躍できず、心労で胃潰瘍になった哀れな楽毅がそこに…

93: 名無し 2008/03/07(金) 05:33:20
中国史で初めて大国を攻略し、占領政策までやった将軍はもしかして楽毅が初めてなのか?

94: 名無し 2008/03/07(金) 08:22:44
伍子胥は失敗?

95: 名無し 2008/03/07(金) 14:20:08
伍員は失敗したし、君主つきだったしね

96: 名無し 2008/03/07(金) 14:46:55
楽毅も厳密には失敗だと思うが…

97: 名無し 2008/03/07(金) 16:03:06
いや、楽毅はちゃんと成功してるぞ。
その成功を全部覆したのが恵王。

98: 名無し 2008/03/07(金) 16:32:47
あれは敵である田単の離間でもあるし、一応2城残ってたし、それに恵王の所為だとしても中途で失敗したことには違いない 

まあ理解のない上司に代わるのは伍子胥にしても楽毅にしても不幸だって事ですかね。

116: 名無し 2008/12/09(火) 07:41:05
宮城谷氏の楽毅の文庫版、「がっき」ってふりがなふってあるけどおかしい。
「がっき」じゃなくて「がくき」だよな。
それじゃあ白起が「はっき」なっちゃう。

117: 名無し 2008/12/09(火) 18:08:15
「楽器」があるからな…

119: 名無し 2008/12/11(木) 17:22:23
姓はむろん「がく」氏だろうし、祖先の楽羊も「がくよう」だ。
しかし、楽毅は「がくき」と発音するより「がっき」のほうが自然となる。
これはカ行が連なるため、日本人の発音のしかたによるものと思われるが、どうだろうか。
日本では、「がっき」と発音・表記しても、問題ないと思うんだがな。
もっとも、こんな発音するのは世界広しといえど、日本だけだが。

120: 名無し 2008/12/11(木) 23:44:27
問題ねー事はねーだろ
話し言葉と書き言葉は別だ

121: 名無し 2008/12/12(金) 08:25:33
国家、国旗、国語、国体
さぁ、どう読みどう表記する?

124: 名無し 2008/12/12(金) 17:06:36
>>121
口語体では「がっき」になってもいいが正しい表記は「がくき」
希臘が「ギリシャ」と口語体で言っても文語体では「ギリシア」なのと一緒で
会話において音便化されてるだけ

122: 名無し 2008/12/12(金) 09:58:21
人名は話がちげーだろ

123: 名無し 2008/12/12(金) 12:27:53
ならどうする?
正しいのはむろん「がくき」だが、それで?
出版社にでも文句つけたらいいだろうが。
こんな辺鄙なところでのたまってて何か変わるのか?
柔軟に解釈することもできんようなガキは寝てろ。

126: 名無し 2008/12/12(金) 22:27:29
>>123
何が柔軟な発想だ
立田(たちた)って奴がいるとして、呼びやすいからという理由で「たった」とか表記されたらそりゃ怒るだろ
また、渋谷という地名を勝手に「しぶたに」と表記するのも問題だわな
こういう風に固有名詞というのは「柔軟な発想」とやらで勝手に読み方変えちゃいけねーんだよ

125: 名無し 2008/12/12(金) 22:07:29
んじゃ楽進は、ガッシンなの?なんかやだ

128: 名無し 2008/12/14(日) 12:36:02
そもそもふりがないらないんだよな。
「がっき」って書かれちゃうと、それを強要してるみたいだし。
新潮社がよけいなことをしたという。
ハードカバー版の、正字で大きく「樂毅」をそのまま持ってくればよかったのに。

129: 名無し 2008/12/14(日) 16:43:13
韓、魏、趙のことを晋(三晋)といったり、
魏を梁といったり、
韓を鄭といったりするくらいなのに、
楽毅の読みくらいどうでもいいじゃんか。

130: 名無し 2008/12/14(日) 23:43:14
>>129
>韓を鄭といったりするくらいなのに、
それは知らんぞ。

131: 名無し 2008/12/14(日) 23:50:36
>>130
昔どこかで「首都を新鄭にしてから、鄭とも言われた」って見たんだけど、見間違いかなあ?間違ってたらスマン。

133: 名無し 2009/07/19(日) 00:03:29
>>131
そのような記述、見覚えありです

132: 名無し 2008/12/18(木) 17:36:13
韓が鄭を滅ぼしたから白起は韓も怨んでる
ってあったな、青雲はるかにだったか

142: 名無し 2011/10/23(日) 23:32:03.04
楽毅の知識が乏しい俺に教えてくれ
楽毅って一般的に中山の臣か燕の臣どっちなの?
時間的には中山の方が多いの?
あと丹冬とかって実在すり人間?

143: 名無し 2011/10/24(月) 18:03:38.80
うーん、岩波文庫だけど楽毅列伝じゃ殆ど記されてない。 不親切なことに文章が「趙の武霊王の時に、また中山は滅ぼされた」の後に「楽氏の子孫に楽毅が出た」となってる。 この書き方だと滅亡後に生まれたみたいだよなあ。 

後のおおよその流れは小説通り。 孟嘗君のもの字も無いけどね。
あと楽毅周辺の配下も楽間と楽乗以外全然出てきません。 燕世家でも見れば違うのかな?

144: 名無し 2011/10/30(日) 01:59:46.49
祖先の楽羊が中山を貰ったんだから、候か公だったんじゃないか。

145: 名無し 2011/10/30(日) 15:17:51.64
>>144
 それはどうだろう。 王国を号したとはいえ、領土が狭い。 せいぜい「君」止まりでは。

146: 名無し 2011/10/30(日) 20:59:04.14
>>144
いや、たしかに中山を討伐したのは樂羊だけど、与えられたのは首都だった一邑
中山全土を治めたのは魏の太子の撃(武侯)でしょ
でもって樂氏は中山の王族じゃないんで、公・侯号は関係ないと思うけど

147: 名無し 2011/10/31(月) 02:24:10.56
宮城谷「楽毅」の楽毅配下で実際の人物は一族の楽乗のみ
楽毅とともに趙に亡命したらしく後に趙で武将として活躍してます
実力としては良将ぐらいのレベルかな

149: 名無し 2011/12/06(火) 23:34:45.92
>>147
息子の楽間がいたような。
趙と燕、両方の戦に将軍として出てたりして随分変わった立場だなと思った事がある。

155: 名無し 2013/10/21(月) 19:46:58.29
台湾海軍には火牛のシンボルマークをつけた軍艦「田単」があるが楽毅は無いな。
台湾でもやはり評価は田単>楽毅なんだろうか。ほかに岳飛や子儀の名も軍艦の名になってるが。

159: 名無し 2014/01/03(金) 07:41:27.85
>>155
2城まで追い込まれて取り返したのを台湾に当てはめてるだけでしょ
あくまで台湾は中華民国だからな

161: 名無し 2015/04/29(水) 05:51:54.14
諸葛が自分を楽毅になぞらえて他人も認めてたのが不思議。
何か武功でも立てない限りただの机上の戦略家でしかあり得ないと思うのだが・・・
実際孔明の軍才も軍功も楽毅には及ばないでしょ。

162: 名無し 2015/04/29(水) 17:44:53.68
管仲・楽毅のように、卑賎の身だが明君に遭えば二人のように政戦両面で活躍してやる、っていうことじゃね
管仲も楽毅も、君主に絶大な信任を受けて初めて活躍できた人だし

あと、管仲楽毅に比すという評を他人が認めていた、という記述は
史書にはなかったような気がするけど、どこかにそういう記述あるの?

163: 名無し 2015/04/29(水) 21:05:35.15
自比於管仲、樂毅,時人莫之許也。
惟博陵崔州平、潁川徐庶元直與亮友善,謂為信然。

って書いてるから少なくとも二人は認めてたんじゃないの。

164: 名無し 2015/04/29(水) 22:42:24.29
他人=世間(諸葛孔明が所属する荊州の知識人層)と誤認してたわ
友人3人に認められれば、他人に認められた、と言ってもいいね

ところで、諸葛孔明の軍才に疑問符をつけてるようだけど
孔明の北伐が楽毅の斉征服に比肩するほどの功績ではないのは、同意するが
孔明の戦法を唐の李靖が高く評価してるから、軍才が楽毅に及ばない、というのはちょっと同意しかねる

そもそも楽毅の軍才がどれほどのものなのかは、史書に記述が少ないから正確に測るのは難しいしね