130: 名無し 2017/07/26(水) 07:40:27.11
悼公のころに周の霊王と斉の霊公が接近したりしてるし、元々周と晋は相性が悪かったのかな。

131: 名無し 2017/07/26(水) 12:34:34.16
曲沃の頃は敵だったし、その名残かな

132: 名無し 2017/07/26(水) 16:12:37.84
晋悼公には、自らの権威を高め、諸侯の宗主たる天子を蔑ろにしたのではないか? 
と推測できる記述が散見する。斉に接近したくなるかもしれませんね。

133: 名無し 2017/07/26(水) 20:47:03.16
悼公はあと十年長生きしていたら先代と同じく有力者の排除粛清に動いた気がする 

隣接する晋と周は東周王権が分権的で足元の畿内でさえ諸侯が常時割拠する状態でなかったら 
優れた周王と強大な晋公が激突する歴史が展開されたやろな衰えたりとはいえ中堅国クラスの領域を保持する周は侮りがたい

142: 名無し 2017/07/27(木) 22:03:03.95
>>133 
確かに長生きが欲しいところだったな。 
人事が上手かったみたいだから先代のような半端な粛清もしないだろうし、 
跡継ぎももっとうまく教育できたかも・・

135: 名無し 2017/07/27(木) 17:21:27.80
なんだかんだ前の暗君が楚のヘゲモニー&お上に僭越を働く有力臣下を潰してから逝ったので、ある意味やり易い環境で即位することになった悼公

143: 名無し 2017/07/28(金) 00:36:20.99
>>135
晋のレイ公はエン陵の勝利の後すぐに死んでたら名君と呼ばれてたかもな 
本格的に暴君となったのもエン陵の後だし 
エン陵の勝利も苗賁皇や郤至の献言をレイ公が聴きいれた事によるものだし

144: 名無し 2017/07/28(金) 19:15:19.76
悼公の覇権とバランス(妥協)人事は、楚を破り国際環境を好転させたものの世族弾圧を果たせず死んだ急進的先君の発展的継続と修正、先送りした臣下との対決はいずれ再燃する。

146: 名無し 2017/07/29(土) 07:36:52.75
粛清をせぬまま30前後で死んだ悼公は、 
臣下にとっては都合がよかったので後世名君扱いされた・・というのは 
さすがに空想が過ぎるな

148: 名無し 2017/07/29(土) 19:22:13.13
要素の一つではあるかと 
後に内乱を度々起こし最終的に公室を抑え覇権国家晋を解体に導く諸氏は悼公治世下で勢力を蓄えましたし 
この頃矛盾が表面化せず彼が覇者&最後の名君とされるのは丁度実力者の交代期にあたり君権が安定したからでしょう

150: 名無し 2017/07/31(月) 16:27:42.26
唐突だが、ラン書(とその子孫)って地味に晋滅亡A級戦犯クラスの畜生だと思う 
暗君乱臣に満ちた資料上の逸話の中ではそこそこ格好良くそれなりに徳のある名臣みたいな顔してるけど

151: 名無し 2017/08/02(水) 11:51:26.16
あの君主は殺す必要はなかっただろうな。

152: 名無し 2017/08/02(水) 14:38:16.24
趙氏「許された!」

154: 名無し 2017/08/03(木) 09:36:48.32
>>152 
一族のDQNが勝手にやったのと、総領が他家も巻き込んでやったのとでは大差だしな。 
史官がどう書くかは別として。

155: 名無し 2017/08/03(木) 20:17:46.56
欒書「腹黒士氏の讒言でうちが族滅するとは参ったね」

156: 名無し 2017/08/04(金) 15:42:32.47
欒書は君主を弑逆したけど、子の欒黶は父の傲慢な部分ばかりをより肥大させて 
受け継いだ様な格好だな 
的外れな恨み方で士氏と軋轢を深めるし、こいつが欒氏滅亡の引き金を引いてる感じ 
せめて欒盈が欒書の孫でなくて子だったらまだ違ったのかもしれん

171: 名無し 2017/08/09(水) 21:16:09.26
楚国って横死、反乱多すぎない?名君でも余裕で晩年悲惨だし

173: 名無し 2017/08/10(木) 17:04:47.57
>>171 
周~春秋を勝ち抜け戦国列強に名を連ねた強国楚は最もマシな部類だぞ

174: 名無し 2017/08/10(木) 20:30:26.46
当たり前のことだが 
国家政権が担当する面積や人口が大きければ大きいほど乱は数多く発生する 
楚国にその手の事件が多いのは事実でしょう 
だからと言って楚が他国に比べて不穏という訳ではないけど

189: 名無し 2018/05/31(木) 22:42:23.14
楚って元々殷のことなんだっけ

190: 名無し 2018/05/31(木) 23:03:08.29
元が殷(商)は宋

191: 名無し 2018/05/31(木) 23:05:49.47
楚は南方の異民族で野蛮人だから周王の権威とか知らんと言って王号を称した。

200: 名無し 2018/06/08(金) 22:49:45.26
片山晋呉ってすごい名前だよな 
この時代を意識して付けられたんだろうか?

201: 名無し 2018/06/09(土) 03:20:39.60
三国時代末「破竹の勢い」の故事からかもしれん

202: 名無し 2018/06/10(日) 02:28:34.91
晋と呉ならそこもか 
五代十国の後晋と呉はほとんど交わりないか

203: 名無し 2018/06/16(土) 07:58:52.42
資治通鑑読んでるんだが戦国四君はけっこう辛辣な評価されてんだな。 
とくに孟嘗君は斉ビン王と同じ評価って

213: 名無し 2018/08/27(月) 18:44:19.13
>>203 
司馬光の戦国期人物評は司馬は司馬でも司馬遷とかなりノリが違ってて面白いね、俺は結構好き。 
一番好きなのは春秋戦国の著名人を軒並み無能&ゴミカス認定する韓非史観だがw

204: 名無し 2018/06/18(月) 11:21:56.36
平原君とか人間味があって好きだけどなあ

211: 名無し 2018/08/26(日) 01:12:55.12
西周と東周に分裂した頃について知りたい 

212: 名無し 2018/08/26(日) 02:32:29.12
紀元前441年 
31代 考王が弟の姫掲を河南に封じ西周の桓公とした。(西周公) 

紀元前368年
趙の成侯は韓とともに周を攻めて周を分割した。 
この時西周公の末弟 公子班を東周公として封じて周の領土を削ったらしい。 
この時の西周公が恵公で東周公も恵公なんでややこしい。 
3分された周はますます弱体化した。最後の周王 赧王は自立を諦めて西周の武公を頼って西周に遷都した。王都だった成周は東周のものになった。

216: 名無し 2018/09/07(金) 03:55:16.87
東周は春秋時代の初期に 
放棄した首都を取り返そうとかしなかったんだろうか

220: 名無し 2018/09/09(日) 15:50:28.91
>>216 
宗周近辺が遊牧民の手に落ちていて、放棄せざるをえなかった 
秦への切り取り次第委任という形にしたのは現実的な判断 

周六師を支えた内諸侯も徐々に姿を消し、殷八師はそれよりも前に実体を無くしていただろう 
晋/鄭の助力なくしては最早成り立たず、鄭の勢力削減にも失敗したから 
もうお手上げ状態で、むしろ戦国末期までよく生き延びたものだ

222: 名無し 2018/09/10(月) 00:28:59.08
東周初期は平王派と携王派に別れて20年近く争い、諸侯の加勢でやっと平王が王朝を再統一できたという有様 

王朝内部の混乱による人材の喪失と組織の崩壊、諸侯への褒賞や、敵味方による収奪が多数あったことは想像に難くない 

それらの負債を払い終えた頃には、鄭のような大諸侯とはいえない国にすら敗北を喫している 

東周初期の王朝の実力は既に並の諸侯程度、宣王期ですら敗北続きの異民族に勝っての関中回復など夢物語だったろう

224: 名無し 2018/09/10(月) 05:48:24.50
20年もやっていたのか 
伯服に長男という意味の名前をつけているから他の子に愛情ないんだろうな

228: 名無し 2018/09/12(水) 23:21:15.54
諸侯の力を借りたとはいえ東周王朝を建ててある程度まで勢力は維持できた平王はなかなか凄いのではと思えてきた

229: 名無し 2018/09/13(木) 03:40:49.57
父祖が励んでいたであろう王朝の中原支配が思わぬ形で功を奏したと言えるかも 
なんとか王権が安定し得る空間が存在した?のはデカい 

君主に気概があっても応仁の乱後の足利将軍みたく王城の地にヤバい奴しかいない状況ではどうにもならん

230: 名無し 2018/09/13(木) 23:18:46.64
確かに凄いですよね 

でもそのおかげで楚に呉とその呉を滅ぼした越を認識させ、後に越を攻め滅ぼして楚の領土が広がる事に… 
その領土が広がり国力を増した楚の首都を陥落し二度も遷都させ、領土国力を半減させた白起もとんでもない 
秦の統一って陶侯白起の頃に他国を削りまくったおかげなんですよね 

始皇帝・王翦が美味しいとこをいただいただけな感じが…楚はすでに国力半減、韓魏は度々連合ごと白起に滅殺され韓は三晋時の領土を失い旧鄭のみ、魏も領土を削られ続け国力低下
趙は長平の大敗で兵力激減、斉は合従軍に滅亡寸前まで追い込まれた後遺症で弱体化、燕は楽毅を追い出し趙に負け続け 

合従は陶侯時代の事で、実質燕以外の五国は陶侯白起に弱体化されていた 
強国秦の基は商鞅の改革だけど、陶侯白起が五国を弱体化させてなければ後の王翦の活躍も始皇帝の統一もあり得なかったように思う

231: 名無し 2018/09/13(木) 23:54:56.24
派手に勘違いしてんぞ 
楚の平王ではなく周の平王の話ですよ

232: 名無し 2018/09/17(月) 19:08:09.94
周の平王はいまいちどういう人格か見えてこないから語りづらいんだよな 
鄭の荘公とのエピソードを見てると諸侯に気をつかってる苦労人なイメージがあるけど

233: 名無し 2018/09/19(水) 00:42:42.73
そりゃ諸侯のおかげで王朝存続できたんだから

234: 名無し 2018/11/05(月) 20:00:10.40
晋が分裂せずにそのまま大国として残ってたらどうなっていたんだろうか

236: 名無し 2018/11/07(水) 19:14:53.53
結果的に晋は楚と休戦した事は失敗だったように思う 
そのせいで覇者としてのアイデンティティを失ってしまった

237: 名無し 2018/11/07(水) 20:53:23.84
よくある話で、外敵がいなくなったことで国内の権力闘争に専念してしまう 

ただ楚としても呉の台頭でもはや晋と戦争している余裕がなくなったから休戦は時代の流れだと思う

245: 名無し 2018/11/11(日) 21:50:24.12
>>237
弭兵の会盟により諸侯が和平を結んで対外戦争の回数は減少していくけど 
代わりに各国で内乱が勃発するようになるからなぁ

238: 名無し 2018/11/07(水) 21:51:10.44
そこだけ見れば、和平を必要とするのは楚なので 
名高い晋の卿大夫連中よりも、評判のよろしくない康王霊王平王期あたりの楚外交の方が仕事したことになるな

239: 名無し 2018/11/07(水) 22:13:05.94
康王はそこまで評判悪くないんじゃない?

240: 名無し 2018/11/07(水) 23:55:55.75
そこまで悪くないけど 
最も有名なエピソードが評判最悪の二王と大差ない人物扱いのアレですので…

241: 名無し 2018/11/08(木) 01:45:02.02
共王の方が仁徳者だけど 
晋に敗れて覇権を失った共王よりも 
晋と和平して南北覇者体制を作った康王の方が君主としては上かなと思う

242: 名無し 2018/11/08(木) 05:43:43.93
いくつかの逸話から思い浮かぶ共王のイメージは弱い君主像だなぁ 
君主らしい指導力を発揮しないまま退場した印象 

情報欠乏ゆえ実際の優劣は皆目見当がつかないけれど

243: 名無し 2018/11/10(土) 19:03:40.92
鄭の荘公って春秋期でも五指に入る戦上手?

244: 名無し 2018/11/10(土) 22:32:28.10
戦績いいから戦上手、とは限らないし 
タイムマシンで軍事活動全般をじっくり観察、比較検討してみないとわからんゾ 
観察してもわからんかもしれんが

246: 名無し 2018/11/12(月) 11:56:30.90
その頃になると叔向と晏嬰が憂いてた様に、どの国も大臣が力持っちゃて内輪もめに忙しくなってくんだもの 
その叔向の羊舌氏だって後に祁氏共々臣下共に潰されて領地も勝手に山分けなんて結末

247: 名無し 2018/11/12(月) 17:08:21.56
晏氏も瞬殺されたゾ 
晏嬰の人徳が足りなんだか…

248: 名無し 2018/11/12(月) 17:44:58.64
晋も斉も失望しました、七穆のファンになります

249: 名無し 2018/11/12(月) 19:40:01.35
七穆となって鄭を専制支配するゲームやりたい

250: 名無し 2018/11/13(火) 01:15:00.05
七穆が似たような名前ばっかで分けわからんようになったりする 
宮城谷先生の「子産」もそこんとこ苦労した

251: 名無し 2018/11/13(火) 04:35:36.38
似てるのは名前だけじゃないからな 
世代は変わっても鄭の国内外の情勢はそこまで大きく変わらないから活動も似る

252: 名無し 2018/11/14(水) 22:11:22.92
鄭は春秋時代後期から戦国時代初期にかけてどのように衰退して滅んで行ったのか良く分からんのだよな 
韓に滅ぼされたのは分かるが

253: 名無し 2018/11/15(木) 00:50:57.82
末期になっても韓に反攻する力はあったっぽいのでそこまで衰退していなかった可能性も考えられる 
鄭地に居座ろうと押しかけてくる強敵がいたら春秋中頃の鄭でも防ぐのは難しいだろうし

254: 名無し 2018/11/15(木) 01:21:37.74
春秋時代と違って助けてくれる晋もいないからなぁ

255: 名無し 2018/11/15(木) 01:23:50.45
20年くらい前に、駟子陽の圧政とそれに続く駟氏の鄭君弑殺が起きたけど、それも一因なのかな

256: 名無し 2018/11/15(木) 02:33:32.57
時期的に因果関係ゼロはないだろうけど 
みんな大好き駟氏(子陽)と鄭君の実力や立ち位置が分からんのでなんとも言えないね

259: 名無し 2018/11/16(金) 01:28:53.99
子産の改革のおかげで鄭は寿命が延びたのだろうか

260: 名無し 2018/11/16(金) 07:28:08.34
延びたかもしれん縮んだかもしれん大差なしかもしれん 
鄭と改革の実態がわからない、検証不能ですわ

264: 名無し 2018/11/23(金) 21:43:07.70
戦国時代初期は史料が少ないのが残念だ

265: 名無し 2018/11/24(土) 00:28:24.86
>>264 
秦以外「気にするな、初期も中期も後期も晩期も壊滅的だ」

266: 名無し 2018/11/25(日) 21:07:01.22
戦国時代の史料を見てると春秋時代は左伝があって本当に良かったなって思う

267: 名無し 2018/11/30(金) 08:25:58.40
燕なんて何代か君主さえ不明って

268: 名無し 2018/12/17(月) 00:48:55.02
魏とか趙とかはまだマシじゃないか。田斉や燕はひどいな。

269: 名無し 2018/12/17(月) 01:10:54.16
そりゃ燕よりはマシだが五十歩百歩 
魏も趙も偏りが激しく、盛られてる一時期以外はスカスカ

270: 名無し 2018/12/24(月) 22:03:46.85
呉越の地ってもうほぼ楚?

271: 名無し 2018/12/24(月) 22:53:51.24
戦国時代はほぼ楚に占領されてるんじゃない? 
越は楚に滅ぼされたし

272: 名無し 2019/01/18(金) 00:47:12.82
越は勾践の死後どう衰退していったのかイマイチ分からんのだよな

273: 名無し 2019/01/19(土) 00:44:49.82
勾践生前すらよく分からんので・・・ 
つかホントに衰退したのか? これさえ定かではない

274: 名無し 2019/01/24(木) 16:53:38.24
越は史料が少なすぎる

275: 名無し 2019/01/25(金) 05:53:45.96
春秋の覇者に数えられる国だが 
史料的には邪馬台国レベルやな

276: 名無し 2019/01/25(金) 18:23:11.32
この時代 記録残す文化持ってたの魯とか一部の国だけで 
それに関わってこない限り何も記録されないんやろな 
邪馬台国もそんな感じだし

277: 名無し 2019/01/25(金) 19:22:32.00
説話はそこそこあってもリアルタイムの実録っぽいのはごく僅か 
まあ中華の宗家たる周王朝史がこのザマなんで仕方ないけれど 

記録少なくとも中南米の文明や古墳時代の大和くらい重厚な遺跡が残存してたらまだマシなんだが 
越王墓クラスの遺跡ですらそこまで資料出ないし厳しいな

278: 名無し 2019/01/25(金) 21:57:07.15
軽く見積もって2200年以上前なんだから残存状況はまあなあ 
それでも燕召王の槍が出てきて、召王の即位事情がようやく判明したりしてるしね

279: 名無し 2019/01/25(金) 22:31:35.40
あれでかの戦国屈指の知名度を誇る故事は大きく崩壊してしまったが 
即位事情判明ってのはちと気が早いような

280: 名無し 2019/01/27(日) 00:59:49.45
ポンペイのように保存状態完璧な春秋戦国中原諸侯の都市遺構が丸ごと出てきたらどんなもんだろうな? 
越じゃあまり期待できないかもしれないけど

281: 名無し 2019/01/27(日) 19:45:09.61
基本、土城やからなぁ…