1: 名無し 2015/02/01(日) 19:35:10.98
殷末期の忠臣とか熱すぎるわ

4: 名無し 2015/02/03(火) 19:48:23.57
この時代を扱ってる小説で宮城谷氏以外のを読んでみたい

通史じゃなく

5: 名無し 2015/02/05(木) 23:07:18.74
>>4
酒見賢一の『周公旦』は面白かった

6: 名無し 2015/02/14(土) 21:45:05.88
>>4
封神演義

7: 名無し 2015/02/16(月) 13:07:24.18
>>4
狩野あざみの『天邑の燎煙』とか?

8: 名無し 2015/02/28(土) 21:57:10.79
諸星大二郎の「太公望伝」でしょ

13: 名無し 2015/06/19(金) 05:15:35.57
中国文字史としてもこの時代は重要。
商金文から西周金文へ、そして春秋になって各地の書体が創成されていく。
特に商金文の形が愛嬌且つ不気味で良い。

15: 名無し 2015/10/25(日) 02:14:54.89
商と周は文王の前から婚姻でいとこの関係らしかったが
なんか周の男系に祖丁の血が入ってるみたいだけどどういうこと?
さすがに武丁の血は入りはしないけど
いまいち十支族が見えてこないが詳しい資料とかないかな?
文王の嫁が紂王の妹で武王の叔父が紂王なんだからただの御家騒動で兵隊挙げるとか異民族の政略結婚だとしても最初から狂っている

18: 名無し 2016/02/13(土) 02:57:09.94
>>15
族をまたいだ婚姻は実質的に人質の要素もあったんじゃないかな?
二つの集族が有効的だから婚姻を結んだんじゃなくて、対立要素満載だからこそお互いに人質を交換してお互いに手を出しにくくして共存を図るという。
武王、呂尚、周公旦が殷を討つのに以上に慎重だったのも記録には残っていなくても婚姻による人質となっていた人が多数いた可能性を想像させる。

資料じゃなくて、あくまで想像の話になってしまうけども。

21: 名無し 2016/04/03(日) 06:59:19.27
典韋がたとえられてた悪来が大した猛将じゃなかったような・・・

22: 名無し 2016/04/03(日) 11:04:45.65
猛将じゃなくて剛力。腕力が強かったんだろう。

23: 名無し 2016/04/11(月) 06:12:27.09
殷は東に出兵繰り返してる間に国が疲弊したところを周に討たれた訳だが
周のやったことってただの裏切りだよね

26: 名無し 2016/04/13(水) 19:18:05.84
>>23
殷は殷で周がまわりの異民族を攻撃して勢力拡張してて
なんか怪しいことを崇侯虎が忠告してるのに無視してるし

24: 名無し 2016/04/11(月) 18:33:09.46
イングランドもデーン人とかと戦って疲弊した隙にノルマン人に征服された。
よくあること。

29: 名無し 2016/05/26(木) 00:37:59.47
>>24
ウェセックス朝、デーン朝、ノルマン朝、プランタジネット朝

中世イングランド王国は複雑怪奇で面白いね

27: 名無し 2016/05/11(水) 03:44:34.43
周も季歴が殺されたりしてるからな
殷と周は単純な上下関係以上の軋轢があっただろ

28: 名無し 2016/05/23(月) 14:14:09.54
文王も生きてたら「ばーっかじゃねーの」とか言って帝辛にゲロ浴びせてたかな

30: 名無し 2016/05/26(木) 01:03:09.53
無思慮王とか無策王とか酷い言われようのイングランド王エゼルなんとかさん不憫

殷周革命は近世中華帝国の明→清の交代と似たようなものを感じる 
王朝がドタバタしている間にかつて臣従してた勢力が辺境で巨大化 
ドサクサに紛れて中央進出→天下王朝の椅子にいつの間にか座っていた 


31: 名無し 2016/05/26(木) 23:47:03.16
天朝となって暫くすると大規模な反動が発生するとこまで同じwww

32: 名無し 2016/05/27(金) 07:08:05.90
司馬遷とかいう偏執歴史家の西周無視っぷりは許し難し。

33: 名無し 2016/05/27(金) 10:59:53.17
たぶん史料が司馬遷の時代にすらそんなに残ってなかったんだろうなあ…

34: 名無し 2016/05/27(金) 14:32:19.49
申侯 犬戎 無能

36: 名無し 2016/05/28(土) 00:34:39.09
西周の滅亡は謎だよね
少なくとも幼稚な史記の狼煙エピソードが原因で滅んだわけじゃない

39: 名無し 2016/05/30(月) 06:13:19.39
1700年以上前に襄王墓から出土→整理→散佚→(不完全な復元)、古本・今本

先秦の出土文献は浪漫がある

53: 名無し 2016/06/14(火) 01:51:45.31
史記は個人の事業だから無責任なこと書くし雑なところも当然多い。
しかし西周抹殺論は思いつきをテキトーに主張しちゃった程度の物だから……


最近、繋年読んで改めて思ったが褒姒の子ってなんで“伯”盤なんだろうな?
まるで何の問題もない正統な後継者みたいじゃん。

54: 名無し 2016/06/14(火) 07:05:47.98
>まるで何の問題もない正統な後継者みたいじゃん。

平王&有力諸侯「貴様、世界を敵に回したいようだな、、、」

55: 名無し 2016/06/14(火) 17:17:27.50
中原の諸侯に加えてあの秦も平王派だから怖いなww

63: 名無し 2016/10/05(水) 01:02:33.49
周の末期に興味がある
西周と東周に分裂していた時代に

65: 名無し 2016/10/20(木) 19:18:02.56
>>63
戦国期の楚と周、秦と周の関係に興味がある
前者は周に相当浸透しているし後者は意外にも尊王的

67: 名無し 2016/10/20(木) 23:46:36.24
>>65
なんか秦は戦国でもまだ覇者認定もらってるよね

66: 名無し 2016/10/20(木) 23:09:28.96
>>63
つうかあの時期に弱小がよく分裂出来たもんだ、と
もう周王朝でもないただの国なのに

64: 名無し 2016/10/14(金) 01:32:42.65
しかし七大国ですら質の高い史料が全然足りない戦国期の周には語るべきことが・・・(学者レベルでも多分無理)

68: 名無し 2016/10/22(土) 21:02:06.48
戦国周王室はかつての天皇家みたくそれなりの金をくれてやれば認定くれそう。

戦国中期の秦は穆公への回帰を掲げて富国強兵を進めた政権、保守的な姿勢は理解できる。

69: 名無し 2016/10/23(日) 04:25:40.87
>>68
大概の富国強兵改革はイコール既得権益持ってる臣民の反発→弾圧を伴うので大義名分が必要、いつの時代も改革者が通る道は変わらんな

70: 名無し 2016/10/23(日) 23:59:55.43
商鞅「……」

71: 名無し 2016/10/24(月) 00:37:28.69
正しいことをやってる(or孝公にやらされてる)けど人気皆無の商鞅たん
絶対君主制と功臣の軋轢は続く

72: 名無し 2016/10/24(月) 18:43:01.44
政権を象徴するワードを首邑に冠する宗周、成周のカッコよさは異常
○陽とか○安とかいうどこにでもある凡ネームに甘んじる秦漢晋唐宋なんていらんかったんや!

73: 名無し 2016/11/14(月) 20:50:08.54
周原とか周公(家)もいいよね…

74: 名無し 2016/11/15(火) 21:43:16.46
・岐阜の由来(信長が命名※諸説あり)
・王岐山(現中国最高指導部)

周ほどではないが《岐山》もなかなかのパワーワード

75: 名無し 2016/11/16(水) 00:00:12.13
こんなところで王岐山さんの名を見るとは

後世姫姓があんまいなくて寂しい…

79: 名無し 2016/11/18(金) 19:55:25.40
殷も西周も君主の徳に問題があったせいで滅んだように司馬遷は描いてるけれどなんかしっくりこない

80: 名無し 2016/12/03(土) 19:26:22.24
知識人層「だってその方が都合いいし」

81: 名無し 2017/01/12(木) 20:32:21.11
昭王「問題があったとすれば武徳だな」

82: 名無し 2017/01/18(水) 17:36:26.68
周の武力拡大は長江流域でストップした
古代中国文化圏の限界も大体長江流域
やっぱ武力がすべてやで

83: 名無し 2017/01/23(月) 07:43:32.25
周昭王率いる王軍(西之六師?)は漢水に沈む,関中政権の江漢併合は秦昭王期を待たねばならない

84: 名無し 2017/01/23(月) 16:22:59.88
無念の敗死から700年後の偉業達成か…
そういや秦ってネオ周王朝だな

85: 名無し 2017/01/23(月) 20:12:40.14
楚都陥落で完全にパワーバランスが崩壊し秦一強時代に入る
事実上の天下王朝だな

西六師とか殷八師っていいよね・・

86: 名無し 2017/01/24(火) 23:40:14.92
天子六軍という発想は、元を辿れば西六師に行き着くのかな?

110: 名無し 2017/05/05(金) 17:27:46.68
>>86
六師は最古に属する伝世文献である詩経にも謳われ金文に初見する時期も早い
西周の頃から王軍を象徴する存在になっていたのではないかと

112: 名無し 2017/05/08(月) 21:40:33.63
>>110
国語の最初のほうにもいましたね。

122: 名無し 2017/05/15(月) 19:05:25.25
>>112
《周語上》「穆王将征犬戎」
最初も最初ですね 笑

127: 名無し 2017/05/17(水) 16:28:19.51
>>122
主力軍は中原に駐屯してたのか?
じゃあ王都の安保を担ってた軍事力はなんなんだ?

128: 名無し 2017/05/17(水) 22:33:34.51
>>127
・王朝中央直轄の親衛軍、いわゆる虎賁(左右虎臣)
・関中王畿(畿内,陝西省)に点在する王朝直轄軍事拠点に駐屯する兵
・内諸侯(関中王畿の諸侯)の軍事力

正直言ってよくわかりません

99: 名無し 2017/02/06(月) 20:13:23.74
西周中期以降における晋と周王室の親しさを知れば春秋期の作品をより楽しめる。

100: 名無し 2017/02/07(火) 08:35:02.00
西周中期の世の中ってどうなっていたんだろう?
そんなに晋と親しかったのか

101: 名無し 2017/02/07(火) 21:53:10.83
>>100
その頃から、王朝にとって北方の安全保障が喫緊の課題となり、北国の重要性が増す
在地の周族系諸侯晋は北防の要といえる位置にあり、協力援助を通して王と晋の関係強化が進んだ。

恐らく晋侯は、クーデターで宗周を逐われた周厲王を支え、共和政権に対抗した勢力の有力者(妄想)

102: 名無し 2017/02/09(木) 17:33:56.02
そこで中央に影響力を持ち始めた感じだな

103: 名無し 2017/02/09(木) 22:15:51.56
なるほど文候以前から結構存在感があったのね

105: 名無し 2017/02/11(土) 18:21:36.46
成立と滅亡の経緯はやたら扱いデカいのに早くも最盛期の康王あたりから存在感のなくなる空白時代
ここらに古代中国人の世界観/歴史観の限界がありますな

106: 名無し 2017/02/11(土) 18:53:55.11
>>105
穆王の時が領土的には最盛期って気がする
ただ無茶やったせいで綻びが出るっていう漢の武帝みたいな感じだな

107: 名無し 2017/02/12(日) 01:16:20.07
そこで漢武を例に挙げるのはちょいと違和感
漢は武帝死後、滅亡の瞬間までアジア大陸に君臨した無敵の帝国だし

108: 名無し 2017/02/12(日) 11:49:24.67
内部でゴタゴタしていることと、対外的に劣勢かどうかは別物だもんな。
まったく関係がないわけではないけど

113: 名無し 2017/05/12(金) 23:39:47.50
周はなんか唐突に事故死したイメージ。
関中って中原には強くて東に伸びるけど逆に蛮族の侵入には弱い印象。

114: 名無し 2017/05/13(土) 01:50:07.90
>>113
厲王の追放、宣王の治世の失速
西周が崩壊するフラグはそれまでに立っていたし唐突って感じはしないな

115: 名無し 2017/05/13(土) 20:40:04.26
安史の乱くらい唐突かな
いきなりマッハで首都がアボーンするところが

116: 名無し 2017/05/13(土) 21:26:05.58
西周諸侯が次々没落してからの滅亡じゃないもんなー
むしろ周王室だけが唐突に滅亡した後、有力諸侯が跡継ぎ盛り立てて殴り合えてるくらいだし

120: 名無し 2017/05/15(月) 09:27:23.16
>>116
元正后の実家が滅亡を主導してるんだから唐突に見えるのかもね。申侯にしてみたら、幽王はゆるせないけれど、完全に周を滅ぼす気はなかったのかも。孫が正嗣なんだし。

117: 名無し 2017/05/13(土) 21:44:21.63
諸侯が力つけたから相対的に王室が没落するんだろ。

118: 名無し 2017/05/13(土) 22:33:25.43
共和以前の史料が少ないから唐突に死んでるように見えるけど昭王が溺死したあとからいろいろと不穏だったんだと思うよ
イメージ的には安史の乱以降振るわなかった唐とかぶるね

119: 名無し 2017/05/15(月) 07:47:36.86
事前に衰退していたことが史料にもあるわけだから、
突然死みたいな扱いはないでしょ。

121: 名無し 2017/05/15(月) 16:25:41.19
共和のあとを受けて立ち国人に配慮しつつ、円滑に王権の統一を成し遂げた長い宣王中興時代の直後に軍事的に滅亡
一応唐突でしょ
実質的に武王以前の状態まで縮小した国土の修復に成功し勢力圏は再び山東や南陽盆地まで拡大されてた

だからこそ珍妙な笑わない王妃の狼煙エピソードで無理やり説明してるわけで

123: 名無し 2017/05/15(月) 19:07:02.88
宣王は墨子明鬼編にある、処刑した杜伯の幽鬼に射られて死んだエピソードを見ると治世後半が専横化して周囲の恨みを買っていたようだ。墨子の記述の信憑性も検討が必要だが。

124: 名無し 2017/05/15(月) 22:18:27.23
治世後半に失速する君主って多いよねw

125: 名無し 2017/05/15(月) 22:37:48.96
堂々たる天下王朝ともなれば各方面に強力な軍を置いて二正面三正面作戦は義務みたいなもんだが(現中国が沿岸部を守るべく第一第二列島線を目指しながら内陸のシルクロードを固めるように)
西周にその力は残念ながらなさそうだな。

126: 名無し 2017/05/16(火) 07:21:39.61
少なくとも幽王のころにはそんな力はなかっただろうな。

127: 名無し 2017/05/17(水) 16:28:19.51
>>126
つか古代の四方辺境に進出して諸侯守っても直接的な国益に繋がらんしな大赤字の王朝中枢が疲弊するだけ
近現代なら地方住民を雇用したりインフラ整えて物流を増やせば内陸地域発展の起爆剤になるしインフラ建設担当する国営企業や軍需産業からの莫大な税金という形で金も回収できる

129: 名無し 2017/05/17(水) 23:51:08.63
あーなるほど王都の守備すら諸侯の軍事力を頼らなければいかんシステムなのね
遠隔地なら兎も角近畿もそのザマではちと危ういな

138: 名無し 2017/05/23(火) 00:24:48.28
時代の下るうえに焚書という言い訳のきかない秦代の記述すら貧困ですし
殷周の資料製作力や史料保存意識を過大評価しないほうがいいと思われ

社会の生産力技術力は青銅器文化(クソデカ銅鐸等)が栄えた日本の弥生時代後半期と大差ないし多くは望めない

196: 名無し 2019/05/09(木) 17:29:09.14
>>138
金文や遺構もそれなりに発見されてると言えるのでは
史記程まとまった文書はたしかにないけど
そういうのがあの当時でも豊富にあるのはエジプト、メソポタミア位じゃない?

139: 名無し 2017/05/23(火) 21:31:17.81
六師壊滅と昭王敗死で関中引きこもり化

周王の威信が低下して徐々に諸侯への抑えが効かなくなる

祭祀・礼制を強化して威信アップを狙う
儒教的な諸礼の基礎が表れ始める

周軍弱体化が進み、諸侯の軍事力に頼るようになる

それではいかんと厲王頃から東方南方経略を本格化
山林沼沢にもバシバシ進出して軍事費を補う

周王と国人の諸権益が対立し、ついに国人暴動
厲王が追放されて宣王が擁立される

宣王も厲王路線を踏襲しはじめる
関中内外の諸侯にも見放される

幽王死亡、携王擁立
幽王死後に平王がすぐ即位してたかは怪しい

140: 名無し 2017/05/24(水) 01:41:03.46
>>139
昭王の死後、穆王が外征しまくって領土的には西周の最盛期になったんじゃなかったっけ?

142: 名無し 2017/05/24(水) 21:28:01.01
穆王の事績は扱いが難しい
一応史実だけど歴史学的には・・・・・

143: 名無し 2017/05/24(水) 21:50:01.54
活発に軍事を行うことの功罪は、
しばしば論争の的になってきたよね。

144: 名無し 2017/05/24(水) 22:22:40.86
殷の最盛期も周に滅ぼされる直前の紂王の時だもんなぁ。
滅ぼした側の周からはひどい言われようだけど。

145: 名無し 2017/05/25(木) 11:45:23.27
領土拡大する為には戦争しか無い訳で、攻められる側からしたら、ひどい王ってことになるわなぁ。 

特に太公望は羌族で、羌の人は牧畜を生業にしているから、あまり大集団にならず捕まえやすかったらしい。 

卜文なんかにも、「羌を得るか?」なんてのが多いとか。
祭祀の犠牲や生産奴隷にされてた訳で。
ヤラレる方(太公望)にとっちゃ、たまったもんじゃないわな。
恨み骨髄でもしょうがないじゃね?

147: 名無し 2017/05/25(木) 23:20:36.85
太公望の素性は不明だけど、姜姓だから羌族じゃないか、という説はあるね。
羌族は姜の別種とも言われてるから。

羌は二本足の羊の象形とも言われて、羊のようにお供えにされていた。

でもwikipediaによると紂王こと帝辛は羌族をお供えにするのをやめたらしい。

「3. ^ 陳舜臣『中国五千年』(上) 講談社<講談社文庫> 1998年 57頁。 陳舜臣によると、生産が増えたために、殺害するよりも働かせた方がよいという判断したのか、羌族が昔に比べて容易に捕獲出来なくなったとの説を述べている。」

148: 名無し 2017/05/26(金) 01:45:19.18
>>147
完全に止めちゃいないよ。数減らしたけど。
陳さんの「中国の歴史」なんかだと、農業奴隷とか兵隊奴隷とか、酷使したみたいなこと書いてる。
後、すごいことも書いてたな。
殷の人に、人間を犠牲にしたらひどいと質問したとして、
「え?!あれ(犠牲にする他の部族)は人間ですか?」
と答えるだろうって。
こんなのりで犠牲にしていたようだし。

149: 名無し 2017/05/26(金) 01:54:24.99
陳さんが、奴隷が多かった証拠として上げてるのに、殷墟の遺跡で、農具が大量に納められた倉庫の後が出土したことを上げていたな。

そんなものがあるってことは、仕事が終わった後に農具を回収していた訳で、完全に奴隷たちは今の刑務所並みに管理されていたんだろうな。

軍隊の兵士もそうで、だから周との戦争も闘う気ゼロだったと。殷が負けて解放されるのを待っていたと訳だ。

150: 名無し 2017/05/26(金) 06:01:09.83
まあ自分たちとは違う民族や種族は人間扱いしていないのは今でもそうだし

151: 名無し 2017/05/27(土) 22:51:44.26
そりゃあ周に負けるわなって感じだな
よく殷は何百年も中原を支配できてたなって思う

154: 名無し 2017/05/28(日) 00:42:14.63
>>151
殷は衰退と中興を繰り返してたみたいだよ。
衰えると遷都するを繰り返していたのは明かのようだし。

あと、殷の滅んだのは「酒の飲み過ぎ」も一因ってあった。
陳さんの中国の歴史には。
まぁ、それが正しいかどうかは不明だけれど、酒を主に、贅沢になり過ぎて、その贅沢を続けるために、他を侵略して、人や財物を略奪する必要があったと。

周公丹は首都で成王に付いていたから、領国は息子に治めさせていたんだけれど、その息子に政に付いて色々と指示しているが、役人が酒を飲んだら処罰するとしておきながら、殷人は酒を飲むのはしょうがないから、最初は意見しろってあるってさ。
周公ですら、殷人は酒飲みだから徐々に禁酒に持っていけと考えていた訳だなw

155: 名無し 2017/05/28(日) 21:18:36.77
>>154
確かに史記を読むだけでも殷王朝は何回か衰えてるし
殷王朝を再興した君主なんてのが何人か出てくるな

157: 名無し 2017/05/29(月) 09:29:41.82
1つの王朝が何度も衰退と中興を繰り返すなど、他に例がない
実態は別王朝なんだろう

159: 名無し 2017/05/30(火) 00:31:51.86
>>157
確か、殷の王って十干を称した10の王族の持ち回りって説あったよね。
十干を氏族名?にしてるから、紂王は帝辛と称したと。
部族内部の抗争を続けていたのかもね。
遷都したのも、自分の力が一番強い領地に移していたのかも。

177: 名無し 2018/01/23(火) 19:56:35.48
殷って実際何年続いたの?

178: 名無し 2018/06/25(月) 11:58:41.26
800年だっけ

179: 名無し 2018/07/30(月) 01:14:30.13
西周時代の金石文がもっと見つかって、
各諸侯の歴史が明かされるといいんだけどな

180: 名無し 2018/07/30(月) 04:17:16.17
最近では邑姜の墓とされるものが発見されたみたいだが
続報がないんだよなぁ
まだ調べているんだろうけど

181: 名無し 2018/08/09(木) 20:32:26.53
春秋の起年B.C.722からは、歴史と認めていいだろう
あんな資料を創作するのは難しいと思われる

182: 名無し 2018/08/11(土) 23:36:38.92
問題は同時代資料が見つけっても書いてあることが事実かは分からない

183: 名無し 2018/08/21(火) 15:56:33.86
金石文って滅多に書かないものだったよね
他の記録はないのかしら

184: 名無し 2018/08/21(火) 18:21:38.61
あるとしたら木簡とか竹簡だけど甲骨や金石と違って状況によっては腐るから難しい。
今の所出土してるのは戦国時代くらいまでかな。

185: 名無し 2018/08/25(土) 00:28:48.67
ああ、石とかに残したのしか後世に残らないのは悲しい
実は当時も紙が流通していたなんてないよね

186: 名無し 2018/08/25(土) 01:09:43.88
紙は漢の時代に発明されたからそれ以前には無い。紙が無いから竹簡なんだから。
それに紙だって腐る。紙が残る状況なら竹簡のほうが残りやすい。
後世に残すことを期待するときは石に刻むんだよ。石碑とか。
甲骨は後世の誰かに読んでもらうためじゃなくて占いの記録だからコピーとかしてないのに、ピンポイントで埋めた場所が掘り返せたから大量に発見されたけどそうじゃなかったら未だに何も見つかってなかったかもしれない。

あと春秋戦国から漢くらいまでは絹布に書いたりもした。帛書と呼ぶ。馬王堆帛書とかが有名。絹は高価だし傷みやすいから数は少ない。

187: 名無し 2018/08/26(日) 17:58:36.76
石は最強ですね、さすがの古代中華もエジプトやローマ遺跡の圧倒的威容を前にすると色褪せてしまう。

しかし金石文や簡牘が残ってるだけでも有難いと思わねば。