2500_year_celebration_(5) 

2: 名無し 2008/09/13(土) 16:37:59 0
パルティアは貴族連合というか、幕藩体制みたいなイメージ。

3: 名無し 2008/09/13(土) 16:41:55 O
中世ヨーロッパの封建制度にも似てると思います

4: 名無し 2008/09/13(土) 17:02:04 0
鐙を発明したのはパルティア。
ところで同時代的には西はローマ帝国が、東には漢があるんだけど、パルティアって世界史における重要性って薄いよね。

83: 名無し 2009/06/05(金) 15:05:54 0
>>4
初めて佛典を漢訳したのは安 世高(清)です。 

『東アジア佛教とは何か』 編:高崎 直道/木村 清孝 に拠れば、彼は説一切有部の盛んだった安息国の太子として生まれ、後漢の桓帝の建和2(148)年に洛陽に来て、20数年に亘り訳経、35部41巻ほどにのぼるかと見られます。霊帝の建寧年間(168から172)迄活動しました。 

アビダルマ/禅観/阿含経等の上座部のものが中心でしたが、釈道安が彼に注目して継承者の様な役割を果した事もあり、天台の止観や禅宗の源流とも言えます。 

そして慧遠は道安を継承したから浄土教の源流でもある。『義決律』を訳したとされますが現存しません。安姓であっても、自身や祖がブハラ出身なだけの場合も在ります。

しかし彼の場合は、「安息国の太子」とされています。ということはパルティアのアルシャク家の一員だったという事でしょう。但し、「説一切有部が盛んだった」というのは気に成りますが。パルティアで佛教が盛んだったとは聞かない。一応現トルクメニスタンのメルブには僧院遺跡が在ります。そもそもブハラというのは「ヴィハーラ」から来ると言われる。 

ともあれ時代は合っている。安 世高という名もアルシャク(安息)と音が似る。安清でも良い。何で読んだか忘れましたが、国が荒れてるので継承権を叔父に譲って佛門に入ったとか。 

しかしシナで大きな仕事をしたものの建寧期に成ると戦乱に巻込まれ、江南に逃れるも死んでしまったらしい。
と言う訳で、パルティア人が東アジア佛教に大きな影響を与えました

5: 名無し 2008/09/13(土) 17:12:02 O
パルティアが鐙を発明したんですか!
初耳です。出来れは情報源を教えてください(フン人発明説を信じているので)

パルティアが世界史で重視されないのは、史料が乏しいから、あるいは研究が不十分だからでは。

10: 名無し 2008/09/13(土) 18:20:12 0
>>5
ウィキペディアに書いてあったよ。
間違いかもしれないけどね。
もし明らかな誤記であったら、君が
訂正するといい。

6: 名無し 2008/09/13(土) 17:44:34 0
退却時(あるいは偽装退却時)のパルティア騎兵の射撃は
「パルティアン・ショット」という議論の後の捨て台詞を意味する言葉になったって本当?

7: 名無し 2008/09/13(土) 17:51:20 0
転じて捨て台詞の意味になったのは本当らしい。

11: 名無し 2008/09/13(土) 18:23:14 0
明らかに偽とは言えませんが、
それなら何故同時代かつ隣国のローマに鐙が伝播しなかったのですか

12: 名無し 2008/09/13(土) 18:36:03 0
戦争には地形というものが大事で、当然地形にはそれに合った兵科が必要になる。 
ローマは大体侵略されるとサザエみたいに都市に閉じこもって動かなくなるでしょ?それと歩兵で対応するのが多い。 

騎馬重視のパルティアとはぜんぜん違う装備になっていても不思議ではない。

13: 名無し 2008/09/13(土) 18:41:57 0
ローマとパルティアは紀元前53年以来、メソポタミアおよびアルメニアの領有を巡って恒常的戦闘状態にあった。あとローマは、四隅に突起のついた鞍を使っていた。
・・・ローマは騎兵を重視していたと思います。

14: 名無し 2008/09/13(土) 19:03:35 0
そうなの?でも兵器といえば
支那の弩が広まらなかったのも不思議だ。
現代でいえば狙撃銃(ライフル)に
相当するのに西方にまったく広まっていない。

18: 名無し 2008/09/13(土) 19:12:52 0
>>14
使いにくいんだよアレ。しかも壊れやすいし。

20: 名無し 2008/09/13(土) 22:05:34 0
>>14
中国から西方への道→数の少ない遊牧民・山岳地帯
海周り→日本のような山や森の多い島

これでは弩が役に立たない、むしろ邪魔。

16: 名無し 2008/09/13(土) 19:07:57 0
弩はたった1回打つのにも相当時間がかかった。
鐙とは有用性の次元が違うと思います。

21: 名無し 2008/09/13(土) 22:47:36 0
先日何気なく本を手に取ったら、アルサケスがアルケサスになってた・・・

コスプレパレード? アケメネス朝とパルティア?
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22: 名無し 2008/09/14(日) 20:03:59 0
>>21
ハーレヴィー王朝の絶頂期に行われたイラン建国2500年祭の時の
歴代王朝の軍事パレードですね。

23: 名無し 2008/09/14(日) 21:43:42 0
パフラヴィー朝主催ですか
パフラヴィー朝の Pahlavi って、ペルシアの勇者(英雄?)っていう意味でしたっけ?
さらに同王朝の国旗をみたのですが、中央のライオンのデザイン、パルティア時代の貴族の紋章に似てるって言うレベルじゃなく似てました。

70: 名無し 2009/02/20(金) 21:57:14 0
>>23
「パフラヴィー」というのはペルシア語で「勇者」とかの意味で使われる場合が多いけど、元々は「パルティア」そのものの事を指していて、パルティアを指す古代ペルシア語の「パルタワ(parθava)」の -rθ- が -θr- という音転換(メタセシス)と、 θ~h というを音韻変化を起こして -hr- となった上、サーサーン朝の中期ペルシア語(いわゆるパフラヴィー)の書式では r音 も l音 もl の文字で統一して書くと言う習慣の影響で、pahlav-という読みになったらしい。

24: 名無し 2008/09/15(月) 01:42:13 0
ローマの騎兵はケルト人の発明した四方に突起のついた鞍を使っていたので
鐙がなくてもバランスを取れたとか・・・

25: 名無し 2008/09/15(月) 09:13:23 O
でも鐙の方が遥かに使い勝手がいいような
(現在まで生き残った)

26: 名無し 2008/09/15(月) 09:22:58 0
ローマ軍はカルラエの戦いで負けた後どういう戦術でパルティア人と戦ってたのやら。
結構勝ってたらしいけど。

27: 名無し 2008/09/15(月) 09:34:41 O
ローマ対パルティアの戦いを長いスパンで見ると、ローマのあまりのしつこさにパルティアが疲弊しただけに見える

28: 名無し 2008/09/15(月) 11:04:04 0
あと後期にはササン朝の勃興によパルティアる弱体化に、ローマが乗じただけの争いも多い。

29: 名無し 2008/09/15(月) 11:31:55 O
パルティアは始めから地方分権的な性格が強かったけれど、後期になるにつれてそれらがより顕著になってくるんですよね
さらに滅亡直前には、ファールス地方はいわずもがな2百なんぼの領邦的なものに分裂していたそうです。
ウェストファリア条約後の神聖ローマ帝国みたい。
でもその状態で最後にローマ撃破したパルティアは凄いと思いました。

37: 名無し 2009/01/15(木) 23:40:57 0
弩について、史実ではなく物語の映画化だけど、「赤壁」では、曹操軍が、織田信長が銃兵を3層にして、順番に射撃したのと同じように、時間短縮を図っていた。史実はどうだったんでしょうね。 
この方式なら弩も十分戦力になるかと。

38: 名無し 2009/01/16(金) 14:07:37 O
弩を使わなくても、複合弓があれば十分だと思います。37 さんの上げている戦法では、弩よりも射程距離の長い弓を採用した方が、機動力・効率ともにupして、更なる時間短縮になるのではないでしょうか

40: 名無し 2009/01/16(金) 18:52:54 0
ところでこのササン朝騎兵が使ってる5発斉射の弩みたいのはいったい・・・
Sassanian Elite Cavalry AD 224–642 (English Edition)
Farrokh, Kaveh
Osprey Publishing
2012-12-20



43: 名無し 2009/01/19(月) 20:03:06 O
>>40
おまけですが

そのイラストの右側の人物はBanu(=lady) Paygospanan(=provincial military commander)と呼ばれる地方部隊の女性指揮官で
主に中央アジア出身のイラン系ないしはトルコ系の女性がなり管理業務に携わっていたそうです
中央の騎士もそうですが、騎兵がしているベルトが階級章、部隊章代わりで
そのイラストの女性指揮官はエリート部隊の指揮官です

ササン朝初期には直接戦闘に携わる女性のSardar(騎士)がいたようで
ローマ側にも記述があり、対ヴァレリアヌス帝戦にも従軍していたようです

42: 名無し 2009/01/19(月) 19:44:33 O
>>40
その本持ってます

要約しますと
その五連装弩は“Panjagan”という名の武器で
ササン朝後期に対フン族、対トルコ人(突厥?)等の中央アジアからの遊牧民の騎乗弓兵対策用兵器として開発されたものだそうです
敵の騎乗弓兵はアウトレンジでこまめに機動しながら集中的な弓射してくるのに対し
その機動を止めるために“Panjagan”で集中射するという戦法を取り
Bahram Chobinが588年のBalkhの戦い、589年のHeratの戦いに
アルメニア人の将軍Smbat BagratuniがTusの戦いにそれぞれ勝利しました

ササン朝の騎兵Savaranは槍だけでなく弩の扱いにも熟練していたそうです

70: 名無し 2009/02/20(金) 21:57:14 0
>>42
気になってタバリーの『諸使徒と諸王の歴史』(英訳)を調べたら、イェメンのヒムヤル王国がエチオピアのアクスム王国に滅ぼされた後、ホスロー1世がアクスム朝と東ローマ帝国のアラビアへの勢力浸透を警戒してこれを牽制するためアラビア半島へ軍を派遣しているんだけど、この時派遣されたワフリズ Wahriz という将軍の軍隊がパンジャガーン(原文ではバンジャカーン banjakan )という矢を発射する兵器を使用したことが書かれてあった。

イエメンの人々はこんな兵器は見たことが無かったらしく、駐留していたアクスム王国の将軍、マスルーク(Masruq)の軍はつぎつぎに射殺され撃退されたんだとか。

44: 名無し 2009/01/19(月) 20:24:43 0
>Panjagan

しかしイラスト見てもどういう仕組みで発射してるのかさっぱりだな

45: 名無し 2009/01/19(月) 21:46:07 O
>>44
これはあくまで想像図です

46: 名無し 2009/01/20(火) 16:24:00 O
45さん、詳しい解説ありがとうございます!ササン朝も新兵器開発したり必死ですね。
それからあの本の表紙、かっこいいですよね。同じ出版社で、パルティアも入ってる本があると思うんですけど、KKK団みたいなカタフラクトが載ってました。

47: 名無し 2009/01/20(火) 20:11:01 O
>>46
あると思いますが、まだ私は入手してません
スキタイなら持ってますが

OSPREYはなかなかマイナーものも充実しているのですが
マイナーテーマは洋書屋さんで見つけたら即買わないとなくなっても直ぐには入荷してくれないのが玉にキズ

パルティアもゆくゆくは入手したいのですが
パルティア本国まで攻め入り、あと一歩でパルティアを滅亡寸前に追いやった
アンティオコス7世のセレウコス朝シリアも私にとっては興味深いテーマの一つですね

48: 名無し 2009/01/20(火) 21:06:32 O
パルティア内のギリシア集団は、一貫して癌細胞の様。それを発症させようとするセレウコス朝パルティアは嫌いです、(というより興味がありません。
セレウコス朝は、結局短命・単純な征服国家にしか見えませんでした。それに比べて独立以来数多の逆境・障壁がありながらも、500年存続したパルティアは面白いです。
と、両国について未曾有の主観的、総論的な駄文をよこしてしまいましたが、ご気分害されたのならすみません…

49: 名無し 2009/01/20(火) 21:21:45 O
まあ人それぞれですから気にしていませんよ
私はただ単にマイナー好きな人間ですから、ササン朝には興味あるけどメジャーなアケメネス朝にはあんまり。。
中国史も五胡十六国だけ好きだし

50: 名無し 2009/01/20(火) 22:10:55 O
良かったです~ホッとしました、ちなみに私がパルティアに興味を持った元凶は、パルチアという発音を聞いたことです。変ですよね。(汗

51: 名無し 2009/01/20(火) 23:53:05 O
自分的はササン朝においてイラン人農耕民の民族国家が成立したと思えるから好きなんですよ
ゾロアスター教もこの時代にイラン人の民族宗教として確立した時代ですし
アケメネス朝はあくまで世界帝国で非アーリア系のセム系に妥協した部分が多いように見える
パルティアというかパルチアの場合は初期とか遺物をみるとヘレニズム後継国という感じがしてしまう
その当時の彫像や建造物の柱なんか見ると特に

これも個人的な思い込みが大きいのでまた何か影響されたら考えが変わってしまう可能性が大ですがね

52: 名無し 2009/01/21(水) 14:09:06 O
確かにパルティアの文化はヘレニズムの影響下にありますね。特にコインではそれが顕著だと思います(セレウコス朝のそれより、何故か出来が悪い、というのが気になります)
次第に現地文化が復活した、というような記述がよくありますが、その現地文化がどんなものか、私は分かりません、
特に東部では早くから現地文化が… という記述もあって、東部もウェブで調べたんですが、西部よりヘレニズム色が強い感じ…ガンダーラ美術とか、(これもパクトリアのしわざだと思いますけれども)
結局、純パルティア的文化は、生まれえなかったという感じです。

55: 名無し 2009/01/21(水) 22:28:13 0
パルティアでも変なところでヘレニズムが生きていたな
カルラエの戦いの後殺されたクラッススの首が
宮廷で上演されてた「バッコスの信女」の小道具に使われたりとかw

53: 名無し 2009/01/21(水) 18:59:02 O
ゾロアスター教徒は今も弾圧されてるんですか?イラン革命って革命って言うよりイスラム基地外保守派の回帰運動だったから異教徒には阨災だと思う

54: 名無し 2009/01/21(水) 19:37:38 O
ゾロ教徒が近現代でも弾圧されてるかどうかは知らないんですけど、イスラーム教徒のふりをしたゾロ教徒とかいそうな感がします(爆)
というよりこれから増えそうな気がします。特にインターネットの効用で。
イラン革命は異教迫害ではなく、石油資源の国有化などを目指したものには違いないんですが、ゾロ教徒は大変だったでしょうね。 アメリカ・イギリスの影響下から脱却するためには、民族意識の触発としてのイスラーム原理主義の利用が手っ取り早かったんでしょうけど!
あと、ゾロ教徒はパフレヴィー朝時代では、かなり元気だったと思います、パフレヴィー時代の国旗、政党名を見る限り。
(パフレヴィー朝、死んで欲しくなかった……