1: 名無し 2007/04/13(金) 18:12:23
司馬遼太郎「国盗り物語」をはじめ、
戦国時代の「策士策に溺れる典型の貴族趣味の暗君」として、
評価される事が圧倒的に多い足利義昭

対信長戦争の結果は最悪なものとして終わったが、
しかし、室町幕府の将軍としての権威を背景に、
諸大名に号令を発し信長包囲網を作り上げ、
信長に対抗しようとしたことは狡猾で愚かなことだったのか

結果が伴なわなかった為、
最悪の評価を受けやすい足利義昭について、
結果論、先入観を抜きにして考察するスレ

2: 名無し 2007/04/13(金) 18:16:20
負ければ何言われても仕方ない
詰めが甘かった。
ただ暗君ではなかろうな
利用されるだけ殺される可能性もあったし
いや書状も含め総て偽装工作と

4: 名無し 2007/04/13(金) 18:26:45
槙島城の挙兵のエピソードなどから判断して
基本的には気の強いただの馬鹿だったと思うが
結果しだいによっては名君に仕立て上げられてた可能性もあったとも思う

6: 名無し 2007/04/13(金) 19:48:14
将軍としての自分の利用価値に気付いていた点は、
先代の将軍たちより優れている
義輝の死によって地に堕ちた将軍家の権威を、
信長包囲網成立に寄与するまでに復活させた力量も凡人では敵うまい
しかし『御輿』に甘んじることができない将来の気位が
結果的に身を滅ぼしてしまった
将軍家ではなく一大名として生まれていたなら、
乱世をどのように処していったのかな

5: 名無し 2007/04/13(金) 18:29:53
じゃあ冷静に検討をしていくとしようか

まず一番有名な信長包囲網
信長ファンたちからは、
「信長を敵に回して勝てるわけないだろ、馬鹿」
という意見が多いようだが、
この信長包囲網を作ったことはそこまでおろかな事だったのか?
ここに勝機はなかったのか?

7: 名無し 2007/04/13(金) 20:21:06
包囲網など築かずに信長と仲良くやってたら、評価されてたかもね

524: 名無し 2011/04/27(水) 10:47:08.31
>>7
仲良くって・・
信長からすればただの権威としての御輿にすぎないから
利用価値が無くなれば・・

歴史に名を残す事はほとんど無くなるだろうね。
信長に利用されて捨てられた最後の将軍・・ん?名前なんだっけ?
ってな感じに。

8: 名無し 2007/04/13(金) 20:23:27
>>1
なんでそんな両極端なんだ・・
そりゃ足利将軍15人の中では5位以内には入れるだろうけども、稀代の謀将とまでは

9: 名無し 2007/04/13(金) 20:53:55
>>8
上位5人を順位と一緒に発表せよ

10: 名無し 2007/04/13(金) 21:09:07
足利将軍の順位はこんな感じでは?
1位: 義満(南北朝合一、日明貿易開始、北山文化)
2位: 尊氏(執権北条氏打倒に勲功、征夷大将軍就任)
3位: 義教(日明貿易再開、比叡山討伐、鎌倉公方討伐)
4位: 義昭(実力者を次々と味方につけて倒幕勢力に対抗)
5位: 義輝(戦国大名同士の死闘をしばしば仲裁、剣豪)

11: 名無し 2007/04/13(金) 21:20:20
>>10
そこの4位には義詮が入って義輝が抜けるのが俺的評価。
尊氏と共に苦労してる幕府開府の功労者だし

525: 名無し 2011/04/27(水) 11:12:44.93
>>11
徳川家でも家康が関ヶ原戦のちすぐに没していたら・・
本多、大久保抗争や兄・秀康の去就(父・家康の存在なければ・・)など
もし豊臣秀頼と淀君存命で大変だったろうね。

義詮もカリスマ父・尊氏が没した為に内部の抗争
(京極道誉、斯波高経、細川清氏、仁木義長)激化
南朝や鎌倉府の存在などもあってよく崩壊しなかったね・・

秀忠の為に将軍の権威を地ならししてくれたカリスマ家康の長命っぷりもすごいがw

12: 名無し 2007/04/13(金) 21:25:54
>>11
義詮は江戸幕府で言うと
秀忠的功績があるの?

13: 名無し 2007/04/13(金) 21:36:15
>>12
そこまで大きな功績ではないけど
弱体な幕府を滅ぼさずに義満に繋げられたのは上出来だと思う。

12: 名無し 2007/04/13(金) 21:25:54
>>10
義教が幕府の中央集権化を進めようとして失敗したんだっけか?
将軍の中では超強硬派だよね

395: 名無し 2009/11/06(金) 12:12:55
>>10
義持が入っていないのはおかしい。
父親と比べれば陰が薄いとか
信仰狂いとか後継者問題でやらかしてるとか色々あるが、
「長年にわたり安定した時代を築いた」と評価されてるのに。
少なくとも義輝やら義昭よりは上だろう。

623: 名無し 2017/09/13(水) 01:32:59.14
>>10
尊氏が一位

14: 名無し 2007/04/13(金) 21:38:00
4~7代目が早世しすぎ

16: 名無し 2007/04/13(金) 21:49:44
幕府を潰した義昭よりは誰だって上になるんじゃないのw

20: 名無し 2007/04/13(金) 22:22:12
>>16
それは結果論だw

17: 名無し 2007/04/13(金) 21:52:50
松永弾正を兄の仇と信長に処分を求めながら
信長と対立するとその松永と手を結ぶ。
無節操な・・・

20: 名無し 2007/04/13(金) 22:22:12
>>17
なりふり構わずって感じだわな

26: 名無し 2007/04/14(土) 14:31:58
>>17
名を捨てて実を取ったと見るか、ただの無節操と見るか・・・
多分後者だな。

21: 名無し 2007/04/13(金) 23:34:22
包囲網が成功して信長を打倒したとして、義昭が
権力を保持し続けるシナリオって有るのかね。

22: 名無し 2007/04/13(金) 23:40:11
>>21
問題はそこだ
義昭の直轄軍が存在せず、権力基盤がない状況
誰か大名を「管領」とかいう形で直臣とし、
この勢力を直轄化することで勢力を拡大するしかないね

23: 名無し 2007/04/13(金) 23:41:38
本能寺黒幕説を採用すれば最終的には信長に勝ったことになるぞ

25: 名無し 2007/04/13(金) 23:50:45
>>23
そんなものはありえない。

24: 名無し 2007/04/13(金) 23:42:58
まあ謀将なんて評価は過大ですね。

義昭を謀将とする理由の第一として包囲網があげられますが、正直、そんなもん存在してませんでしたから。義昭がやったことは、信長と敵対する理由のある連中に名分を与えただけで、信長の味方をその手練手管で敵に回したなんて業績はありません。

そして、朝倉にせよ三好にせよ彼らは勝手めいめいに信長と戦っていただけで、当人たちに同胞・味方なんて意識はなかったし、そして重要なことは義昭には彼らに対する命令権もない。

ただ、一本化された指揮権がなくバラバラに戦いを挑まれるというのが、結果的に信長にとっては対処困難にさせた。そしてそんな状況を少しでも自分の利益に還元しようと工作したのが信玄だったり本願寺だったり。しかしこの二人にしても、他勢力に対する命令権なんてないのだから当然思うようには状況を動かせなかった。

義昭がやったことは、構想も戦略もなにもなく、ただ手紙をばらまいただけ。

25: 名無し 2007/04/13(金) 23:50:45
>>24
日独伊三国同盟みたいにバラバラに戦ってたら、勝てないわなw

27: 名無し 2007/04/14(土) 15:35:50
利に敏い細川藤孝や明智光秀が早々と義昭に見切りをつけ、
織田に走ったことで結論は出ている。

信長にしても義昭との初対面で、その人間的軽さや軽挙妄動ぶりに興ざめしている。

28: 名無し 2007/04/14(土) 17:14:24
まあ、義昭が暗君と称される所以としては、
本人の資質もそうだが、
あの時期に幕府を背負わねばならなかった時勢的な要因も大きいだろうな。

29: 名無し 2007/04/14(土) 21:16:24
義輝死なずに逃亡→信長が担いで上洛

だったとしても、たいして変わらなかったような

31: 名無し 2007/05/06(日) 16:02:43
お手紙作戦は古来より武力を持たない者がよく行い
尚且つ成功したためしがない
結局自分が武力を有していなければ
追い払っても次々取って代わられるだけで
全くもって意味がない
武家の棟梁たる将軍である義昭が
そこのところを理解できない時点で終わっている

32: 名無し 2007/05/17(木) 18:37:08
>>31
武力を持たない者が、それしか無いからその方法を取るんだろうが。
結果どうなるかを予想するとか、理解するという問題では無いだろう。
まずは、当時の足利義昭置かれた状況と、
その状況下で取れる最善の策について考えねば、
一般論を語った所で意味が無いと思うんだがな。

33: 名無し 2007/06/03(日) 01:50:57
信長包囲網は机上の空論に過ぎなかった
こいつ自信は何もしてないしホント口だけ番長だろ

34: 名無し 2007/06/03(日) 18:36:10
その机上の空論で一時は確実に信長を追い詰めてたんだぜ
朝倉撤退や信玄急死がなければ、と考えると単なる口だけ番長とは違うと思う

39: 名無し 2007/06/23(土) 19:06:24
義昭と義輝が公方としてどちらが有能かは微妙なところ。
義輝は「自分で何かをしようとする公方」、
義昭はそれに対して「他人に何かをさせようとする公方」。
京や日本の政情が違うから比較できないがどちらも御輿にはなりにくい
癖のある公方。
いずれも文弱に溺れた印象が強い足利公方にしては
最後を飾るにふさわしい人物だったのは間違いないだろう。
いや、御輿になり得なかったからこそ滅びたのか。

40: 名無し 2007/06/24(日) 05:40:32
義輝は有終の美を飾れたので得してるな
仮にあそこで生き残っても結局食い潰されて終わっただろうし

いや、剣豪将軍大好きですけどね

41: 名無し 2007/06/30(土) 14:19:07
自分も剣豪将軍好きだが何かをしたいのなら
義昭のように自分を押し売りするくらいの方が身の丈にあっているだろ。

まあ義昭は最後は帰洛できて准三后。目的の京都復帰はできたわけで
あそこまですれば執念だな。信長が死んだのが一番大きいが。

42: 名無し 2007/08/07(火) 01:58:03
この人のやった事って自分の権威を盾に手紙を送りまくっただけでしょ

43: 名無し 2007/08/07(火) 19:58:46
自分の利用価値が分かってたからだろ
周り中を混乱に巻き込むあたりはさすがに足利らしい

44: 名無し 2007/08/07(火) 23:06:04
足利義昭て信長への憎しみだけが生き甲斐だったんだろうな。
信長が死ぬと権力への執着まったく無くなっている。

本当に野心家なら、秀吉が養子縁組を申し込んできたときに、もっと巧く立ち回って征夷大将軍と交換に関白職を貰うとか足利幕府を復興させたりしそうなのに、京にすら戻らなかったんだから。

案外将軍職には執着がなく、仮に信玄とか謙信が上洛してきたら、あっさり将軍職を譲てたかも。

45: 名無し 2007/08/08(水) 05:15:06
信じてただけに蔑ろにされたのがショックだったんだよきっと

50: 名無し 2007/08/09(木) 18:56:49
今川義元と同じくイメージが悪い。

51: 名無し 2007/08/09(木) 23:34:33
義元は最近再評価が著しいからこいつもそのうち再評価されるかも試練

52: 名無し 2007/08/10(金) 03:11:07
いまどのような評価がスタンダードなのかは知らんが
義輝、義昭はあの時代の将軍としては及第点だろう。
その目標に対する結果が全てだからそれ以上の評価はできないが
将軍職として自己の権威を最大限に利用しているのは単なる傀儡将軍とは違うわな。

まあ義輝は少し「剣豪」のイメージのせいで調停工作なんかが薄れているが
どちらかといえば復古主義的な(幕府復興)人物だったのだろう。
義昭は「お手紙」のイメージが強いが行動力は兄貴よりも優れているよなあ。
ただどうも義輝旧臣との関係が微妙なあたり時代の急激な変化もあるだろうけど
人徳という点ではイマイチだったのかもねえ。

62: 名無し 2007/11/12(月) 15:55:19
才能と行動力はあったけど性格面で活かせなかった感じがする。
秀吉が天下人には勇気と大気と智恵が必要だが惜しいのがいると言ったような。
追い詰められて結果的に真価を発揮したけど優勢になると元に戻る。

まあ自分でも買い被ってると思うけど。

64: 名無し 2007/11/21(水) 02:47:27
信長にとっては道具でも足利義昭にとっては身分が上であり、幕府も存続していて軍がないのだから御輿に乗るのは当然であり、義昭にとっては信長は裏切り者でもあり、現政権を軽んじた人間と見るのは筋が通っている。力の世界じゃなけりゃな。

ただ彼がとった包囲網なんてもんは軍がなく権威と発言権が高い物なら容易に考え付くものだろう。しかもばら撒いて、信長を潰す大義名分を与えたにすぎず、彼が積極的にまとめたわけではないと思う。正直足並みが揃っていたとは思えないし、包囲網。

謀将とはとてもいえない。歴代続いてきたわけだから、自分が呼べば周りは呼応すると安易に考えてたような気もする。

65: 名無し 2007/11/21(水) 05:11:04
>>64
僧侶上がりで、よく実情が把握できてなかったのかな?
側近も耳の良いことしか入れず、裸の王様状態で。

66: 名無し 2007/12/02(日) 10:22:53
でも信長を追い詰めたのはスゴイと思うがな。

68: 名無し 2007/12/11(火) 21:32:14
>>66
義昭の手腕で追い詰めたってわけではないのでねえ

67: 名無し 2007/12/11(火) 20:18:17
信長を追い詰めたランク

S 今川義元 石山本願寺 足利義昭
A 斉藤義龍 浅井・朝倉連合
B 毛利輝元 武田信玄 上杉謙信
C 織田信友 武田勝頼 松永久秀
D 六角義賢 北畠具教

625: 名無し 2017/09/15(金) 14:34:32.68
>>67 
明智光秀が入ってないぞ!

69: 名無し 2007/12/24(月) 17:43:39
稀代の謀将だと思う
豊臣時代でも将軍に任命され続け
秀吉の朝鮮攻めの九州動座にも武将として兵を引き連れ従軍している
兄の義輝とは違い
公家的しぶとさを持った武将だと思う
さすが足利家
政略上領地などを与えることは出来なかったが
秀吉も義昭を嫌いではなかったのだと思う
近衛家のような摂家に産まれておれば
もう少しは幸せな人生を送れたと思う

73: 名無し 2007/12/29(土) 10:04:04
まあ、長生きしたよな。

74: 名無し 2008/01/08(火) 23:49:51
足利義昭に軍がなかったというのは俗説。
奉公衆を持っていたし、佐々木(六角)の旧臣も指揮出来た。
戦力だったからこそ秀吉も朝鮮出兵に従軍(渡海はしてないけど)させたんだよ?。

75: 名無し 2008/01/09(水) 01:20:15
明智が本当に直臣だったのかは分からんが、少なくとも間違いなく直臣で幕府有数の名門、細川のオヤジにあっさりと見限られたあたりに、彼の人間的限界を感じるなあ。

尼子の旧臣、山中鹿之助が節義を通した例とかあるし、浅井朝倉にしても主家の滅亡に殉じて死んだ家臣はたくさんいる。

義昭は、将軍であるのに、有能な家臣たちには愛想つかされて、忠臣の一人も得ることも出来ず、自滅同然に滅んでいった・・・・

この辺からも、大した人物ではなかったようにしか思えんな。

77: 名無し 2008/01/09(水) 12:12:43
>>75
一応、一色藤長や槙島昭光などは幕府滅亡後も従っているけどな。

81: 名無し 2008/01/19(土) 23:18:36
>>75
君の知識は根本から間違っている。
長岡藤孝は、ただの裏切りものだが、その他の、まともな旧室町幕臣は義昭に従い鞆の浦まで下向し、かの地、および全国を飛び回り、幕府再興のため尽力している。

細川京兆の一族、斯波の一族、一色の一族、上野の一族、六角の一族、京極の一族、大館の一族などなどキラ星のごとく名門の子弟一門が従軍している。

義昭に軍隊があったからこそ、秀吉も朝鮮出兵に名護屋まで従軍させたんだよ。
内容の薄い、簡単な歴史ものばかり読んでいては、真実など教えてもらえないよ。
たいがいの歴史ものは信長ファン、信長オタクが書いたものだからね。

83: 名無し 2008/01/20(日) 14:09:52
>>81
ほほーう、貴殿は御詳しい。
信長の姑息な手段により、担ぎ上げられ、また都を追われた将軍ですよね。
最近の研究では。

だいたい信長は上洛するのに、六角氏の宗家と戦ってもいないらしい。
だから観音寺城も、無傷で残ったらしい。
信長が戦ったのは六角氏の一門の、箕作六角家だったらしいよ。
六角の宗家は、京極氏や足利将軍と同じように公家化してたみたいで、京極の浅井氏みたいに執事で庶家の箕作六角が施政してたらしいけど。

義昭上洛、将軍職就任以後も六角宗家と織田は同盟してるらしい。
だから南近江で六角殲滅の大戦はなくて当たり前らしい。
上洛軍に成敗されたのは執政の箕作六角だけだったらしい。
信長は細川京兆とも畠山とも義兄弟だし、実は室町幕府の権威をフルに取り入れているんだよね。

当時の政府である室町幕府からすれば、信長は大裏切り者、反乱軍でしかない。
基本的には斯波氏の軍事力(織田氏)でしかないんだから、三好と同じくらいでしゃばり過ぎなんだよ。

ただの家臣として、身を粉にして働いて、斯波氏や将軍家を支えるのが正しい道。
前時代には、実力があっても慢心せずに、分をわきまえた武士も
たくさんいたわけだから。
憐れだね義昭は、信長みたいな家臣が出て。


76: 名無し 2008/01/09(水) 03:57:53
豊臣政権下でも官位は持ってたんですか?

77: 名無し 2008/01/09(水) 12:12:43
>>76
准后になってたはず

82: 名無し 2008/01/20(日) 01:01:59
腐っても鯛ってところですか。
経済力も軍事力も人間的大きさも信長に及ばなかったけど
噛み付いたってのがいかにも小物らしくていいじゃない

85: 名無し 2008/01/20(日) 18:05:03
足利氏は持明院流の室町時代以降の天皇家にとって超忠臣。
鎌倉武士が関東に移してしまった政権を再び京都に戻した
京都中興の家柄。当時の天皇家が認めた武家の中の武家。

86: 名無し 2008/01/20(日) 19:57:33
戦国時代にしてしまったのに忠臣も糞もないだろ。
足利家は為政者として完全に失敗。

87: 名無し 2008/01/20(日) 23:39:17
戦国時代ではなく大謀反時代。
悪いのは家臣達のほうだ。
将軍や管領がやさしくなりすぎたのが悪いといえば、悪いが。
足利義満や義教みたいに、早い目に織田を潰すべきだったと思う。
上杉謙信とともに上洛すれば、あんな目に遭わくてすんだかも。

信長が薄情すぎるんだ。足利将軍は六角氏などを頼り、よく地方に下っていたが、あんな酷い目に遭わせたのは三好一味くらいじゃないか?。

90: 名無し 2008/01/21(月) 01:36:14
>>87
室町幕府自体草創期から有力者連合政権だったから、
野心のある者が出てくれば持たなくなって終わりなの当たり前。
そもそも戦国以前に何度も内乱、内戦だったし、没落の決め手になったのも足利一族の争い。
これほどダメな政権も珍しい。

89: 名無し 2008/01/21(月) 01:25:44
なんつうか足利とかゆう武家がヤンチャをしたからこそ
おれらの好きな戦国時代があったと感謝しようぜ

95: 名無し 2008/01/24(木) 00:27:48
>>89
そういう意味でも足利ってやっぱ武家の名門だよなw
武士が一番輝いた戦国時代を招いたんだからな

96: 名無し 2008/01/24(木) 20:44:30
将軍・足利義昭さまは、織田信長どののお力にて将軍になられましたが、信長どのの思うがままにされるには、少しょう若かったのかもしれませぬ

97: 名無し 2008/02/13(水) 14:12:23
>>96
坊主だった期間が長かったから、世間知らずだったんだろう。
将軍家の威光など、随分昔に落ちていたことにも気づかなかったわけだし。

99: 名無し 2008/02/16(土) 12:56:40
>>97
お前のは20年前くらいの史観だなw
義昭の時期も足利将軍が一定以上の権威を保っていたのはあきらか。
でないと信長だって利用しない。

だいたい将軍家の威光が地に落ちているのなら、
何故に2次にわたり信長包囲網を構築できたんだよw

義昭の失敗は自前の強力な軍事力構築に失敗した
(信長がそれをさせなかった)事に尽きる。

101: 名無し 2008/02/16(土) 16:20:12
>>99
もとから信長と敵対している、利害がぶつかる大名に手紙おくっただけ。
義昭が反信長包囲網をつくったなんて妄想もいいとこ。

100: 名無し 2008/02/16(土) 14:29:37
一定の権威っても、かなり不自由な権威だけどなw
義満の頃のような絶対君主になれると義昭は思ってそうだが。

>だいたい将軍家の威光が地に落ちているのなら、
>何故に2次にわたり信長包囲網を構築できたんだよw 
信長が勢力を伸ばすのが嫌な勢力が個々に戦ってただけでは?
朝倉とか空気読んでないしw
共同戦線とか全然張れてないから、脅威は本願寺、遠国の毛利と武田ぐらいっしょ。

102: 名無し 2008/02/16(土) 16:36:17
「将軍」と言う地位にある程度の権威と求心力があったからこそ「包囲網」と呼べるような政治的状況を作り出せたのだろうが。

「信長に敵対している者同士なら誰でも簡単に連係させられる」
って思うのは、例えば今の日本で
「反自民の野党なら、オレが手紙出しただけで連係させられるよ」
って言っているのと同じだということを
何故に理解出来ない?
呼びかけ人には呼びかけるなりの物が無いと、人を動かす事は出来ないんだぜ。

103: 名無し 2008/02/16(土) 17:28:53
>>102
>信長に敵対している者同士なら誰でも簡単に連係させられる

この認識がそもそも間違い。連中は手前勝手に信長と戦っただけで、連携なんてない。
せいぜい朝倉と浅井くらいか。あとは、状況に応じて戦っただけで、例えば信長が浅井を攻めている間に六角が蜂起したとしても、それは信長の留守中に自分の失った権益を取り戻そうとしているだけで、「信長の背後をついて浅井を救援しよう」なんて意識はカケラもない。

そういった連中を自分の利益のためにとりあえず纏めようとしたのが信玄であり顕如。
義昭の手腕なんかどこにもない。

104: 名無し 2008/02/16(土) 19:26:37
>>103
じゃあ何で信長はその、何の影響力も無い義昭を頂いて、
そして信長包囲網には何一つ関係の無い
義昭を追放するはめになったんだ?

105: 名無し 2008/02/16(土) 20:56:55
>>104
実際に信長追討の手紙を出して、反信長の起兵をおこなっている義昭を放置なんてできるわけないだろう。
それから影響力の有無と強弱は別だ。信長は上洛して京を支配する大義名分として足利将軍の影響力を利用したが、それが通じるのは当時はもう精々京と畿内周辺で、とても全国に通じるもんではない。

義昭は信長を倒すために手紙を出して見方を誘ったが、手紙に応じたのは義昭とは関係なしに信長と敵対していたか、する動悸がある連中だけ。上杉は徳川は義昭の手紙を無視して信長と同盟。畿内の諸豪族にも筒井や荒木など義昭を見捨てるものがでているありさま。

そして義昭には命令権もなければ指示を出した痕跡もない。彼がやったことはただ信長を倒せと目標だけが書かれた手紙をだしただけ。
これで、義昭が包囲網を作ったなんて妄想もいいところ。

108: 名無し 2008/04/17(木) 20:43:01
晩年について詳しい人いる?

111: 名無し 2008/04/19(土) 08:10:27
>>108
亡くなった時は息子達も既に家を離れており家系は断絶。
葬儀をしてくれる者もいなかったので哀れに思った
細川藤孝が名乗り出て執り行ったと以前何かで読んだ。

119: 名無し 2008/04/20(日) 22:17:27
>>111
前の征夷大将軍がそんな晩年とは・・・。

120: 名無し 2008/04/20(日) 22:24:16
>>111
うむー
戦国の世の無常観だな

114: 名無し 2008/04/20(日) 09:40:52
>断絶
そこで足利藤孝に戻ってやれば良かったものを

藤孝は足利将軍家での結城秀康だな

203: 名無し 2008/06/11(水) 00:35:15
>>114
長岡藤孝と結城秀康は、ぜんぜん違うでしょW
秀康は幕府が正式に認める将軍家の庶兄。
長岡の場合は、足利義晴の子との噂がある程度でしょう?。
足利家の系図にも藤孝の名が書き込まれることはないし、足利義輝も足利義昭も長岡が兄弟なんていう認識は全くなかっでしょう。

島津や大友の始祖が頼朝将軍の庶子と同類の作り話じゃない?。
藤孝が義晴将軍の庶子って言ってみたかっただけだと思うよ。
はるか格下の三淵家から細川家を継いだんで出自を装飾したかったんだと思うよ。
代々の細川家の家臣に軽くみられないように。

205: 名無し 2008/06/12(木) 00:03:00
>>203
藤孝の父・三淵晴員は細川家からの養子で、藤孝は本家へ戻った形になります

115: 名無し 2008/04/20(日) 11:38:52
義栄が宇喜多秀家並みにしぶとく生きてたら

116: 名無し 2008/04/20(日) 11:41:10
>>115
あのタイミングで死ぬなんて。
三好家には不運であり、織田家には幸運だった。



117: 名無し 2008/04/20(日) 11:48:53
>>116
道三から始まり、信長にとって目障りな人物はなぜかタイミング良く死んでいく
まさに魔王・・・

121: 名無し 2008/04/20(日) 22:57:12
>>117
それらの人間が死んだとき、その機会を巧みに活用しただけだ。
タイミングを良くする為には
そのチャンスを物にするだけの努力が無いと何にもならない。

122: 名無し 2008/04/20(日) 23:23:52
義昭も義栄も傀儡に過ぎないっしょ。日本の歴史に何か残した?

123: 名無し 2008/04/21(月) 09:46:25
>>122
将軍になるために信長を頼った時点で日本史にとって大変な影響だわな。

139: 名無し 2008/05/25(日) 17:36:02
足利義昭と織田信長、どちらが正義か?
当然、足利義昭でしょう

織田なんか尾張守護の斯波武衛家の家来でしかないんだから、まず斯波武衛家を盛り立て、斯波家の有力な家臣として足利将軍家を下から支えるのが正しい行いというものだろうに戦国だか下克上だか何だか知らないけど、反逆者じゃないの?

家来の家来の・・・暴挙だね
軍才があるからといっても、やってはいけないことだ
才能は正しく使うべき
残念だよっ

147: 名無し 2008/05/29(木) 19:20:08
>>139
君の視点は正しい
ただし幕府側からのみの意見として
でもほんと、そう思っていたかもね
本気で

148: 名無し 2008/05/30(金) 08:04:10
>>139
斯波武衛家の家来筋織田
ごときに倒される足利さん
は信長が本能寺で明智に打たれたことを笑えるのかな
家臣の家臣に倒される足利幕府はあの時代においてもはや機能不全だったんだよ

149: 名無し 2008/05/30(金) 08:31:33
>>139
斯波武衛家は足利氏の分家
織田氏とどのような関係があるか分からんが
尾張斯波武衛家は織田氏とある程度婚姻関係を
結んでいたと思われる

つまり多分足利の血は多少信長も授かっていると考えるのが普通だ
源義国の末裔である新田や足利が義国の縁組で主人筋である
頼朝幕府を滅ぼしたことは信長や家康が行なった事と
大差はないと思う

家康だって本当かどうかわからんが新田氏の末裔らしいし
新田の末裔=足利の縁戚ってことだよ

140: 名無し 2008/05/25(日) 17:52:29
義昭のやったことというのは「征夷大将軍」という権威を担保にして
信長と対立する大名の武力を借りたことなんだよな
だから、仮に信長が倒れたとしても、誰かが征夷大将軍の権威など
担保にも何にもならんと気づいてしまったらおしまいなわけであって
そういう意味ではかなり危ない橋を渡る行為なんだけどな

162: 名無し 2008/06/02(月) 15:05:52
とりあえず信長はダメでしょう。
義昭公が管領または副将軍とまで言ってくれているんだから有難く拝命すべき。
織田なんぞ朝倉と同レベルなんだから
朝倉が斯波の家来の分際から越前守護になったみたく尾張守護任命でも褒美をあげすぎくらいだよ。
斯波の家来の家来の分際なんだから命がけで主筋のために働いて当たり前!。

163: 名無し 2008/06/02(月) 15:30:59
>>162
信長>>>>>>>義昭
だから義昭は信長を「頼った」

信長>>>>>>>義昭
だから義昭は信長に殺された

信長>>>>>>>義昭
それを受け入れられなかった義昭は暗愚

164: 名無し 2008/06/02(月) 20:51:28
信長って、義昭の家来の斯波の家来の織田の家来の織田じゃん。
義昭>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>信長
の間違いじゃない?。
信長は義昭を助けて、あたりまえ!
上の上の上の義昭に弓を引くなんて反逆者裏切者もイイとこ!。
斯波を利用し義昭まで利用した信長は、卑怯者で姑息。
斯波や義昭を利用せず、あの地位まで到達できたとは、とても思えませんけどねぇ(笑)。

168: 名無し 2008/06/02(月) 23:28:23
家柄でも能力でもなく
室町将軍の陪臣(家来)としての正しい行いの話がしたいの。
三好も織田もダメでしょ。
家来失格!。
主筋を陰ながら支えるのが家来の役目。
細川京兆家や斯波武衛家を盛り立て、管領の名で天下を平定するのが筋。
陪臣自体が目立っちゃうようじゃ陪臣失格!。
ましてや信長の家は将軍家の家来の斯波家の家来の織田家の家来の織田家なんだから。

169: 名無し 2008/06/03(火) 01:07:59
>>168
美しい流れ…とかナントカ前の大河でGackt謙信が言ってましたが
まぁあの時代にそれを押し付けるのは難しい、非常な難しい。

大なり小なり下克上が各地で横行していた時代だけに…
赤松氏を追い落とした浦上・別所、
また浦上を潰した宇喜多、主家を見捨てた細川幽斎
数えるのも面倒な位いますから。

下克上って本来の美しさ、無いですよね
でも現代風に見れば実力次第でどのような職業・地位にも就ける訳で
木下藤吉郎が豊臣秀吉になれたのもそういった風潮の結果だし。
また足利幕府の元を辿れば鎌倉幕府を倒した上に朝廷を裏切った。

172: 名無し 2008/06/03(火) 18:09:13
>>169
足利尊氏公は大覚寺統支持から持明院統支持に転じただけで
天皇家全部を裏切ったわけではない。

自論は持明院統のほうが
大覚寺統よりも嫡流であるといえると考えている。

後醍醐天皇の子孫だけが皇統を継承するのが
正しいありかたであったとはどうも思えない。

176: 名無し 2008/06/04(水) 12:22:00
天皇家の抗争に武士が従う、或いは武士が天皇家の抗争を利用する。
まあ捉え方はどっちもアリで実際にも両面があったとは思いますが戦国期の武将は大抵は朝廷の臣下として行動してますよ、形の上では。

天皇制に実質的に対抗しようとしたのは信長くらいじゃ無いかな?
信長にしても朝廷に敵対しようとした形跡はあってもその前に殺されてしまってるから確証は無いし。

木曽義仲の場合は短い期間しか在京できなかったし実質としては朝廷の臣下として行動してたと考えられますね、ただ源頼朝は将軍(幕府)を軍事政権として国内の行政権を天皇家から剥奪したとも考えられる訳で、国司から守護・地頭に地方行政を移管した点で後の戦国大名を生み出す素地をつくりましたね。

個人的には源頼朝は朝廷からの影響をダイレクトにしない為に鎌倉に幕府を開いたと言われてますしかなり慧眼ではあったと思います、そういった面から見て室町幕府は京都に置かれたので室町期の文化としては芳醇ながら幕府としての押しの強さは欠けていたようにも。

実際、倒幕されたのは鎌倉と江戸ですよね、室町幕府は自然崩壊。

186: 名無し 2008/06/07(土) 10:45:22
>>176
天皇とかくだらないよな本当に。
今の天皇は模範のような出来た人間だから天皇という立場を別にして尊敬に値はする。
でも昔のはひどいよな。
よく秀吉とかは廃さなかったな天皇。
俺だったら独断ではやらないけど権力者の多数決とかが取れるんであれば天皇を廃してるな。

189: 名無し 2008/06/07(土) 12:58:45
>>186
維新後は臣民の模範たるよう養育されていますが、一方で戦前の立憲君主制にしても戦後の象徴天皇制にしても、陛下自身の情報が結果的であるにせよ統制されてしまって…

また天皇制を排するには合議よりも独裁の方がより可能性があったでしょうね。
秀吉は信長が身分制を崩した結果、実力によって立身したにもかかわらず関白になってからは刀狩りなどで身分制を復活させています。
また関白太政大臣という天皇制の下での身分で政権を持った人で、天皇制を廃するのは不可能でしょう。

実力者の合議といっても互いに天下を狙う者同士の合議はあり得ないでしょう。

177: 名無し 2008/06/04(水) 18:06:03
わたしも自然崩壊賛成なのですが・・・違う意味かも

室町幕府は信長が京都から足利義昭を追った時点で終わったとは思っていません。
豊臣政権下で自然崩壊したのかなあ・・・と
秀吉も自身関白太政大臣なので、あえて格下の将軍を消すまでもなく
足利将軍家は嗣子にめぐまれず自然崩壊したのだと思っています。
嗣子がいれば高家のような存在か羽林として朝廷に残っていたのではないかと思います。

178: 名無し 2008/06/04(水) 21:42:41
>>177
豊臣政権下で自然崩壊というのは、より正確な表現だと思います。
義昭は天正16年に将軍を辞めてますね。その後、准三宮の称号を朝廷から受けてます、これは臣下でありながら皇族のあつかいを受けるという事です。
もちろん、形式的なものだったようですが・・・

それから山城填島において1万石の領地を秀吉から与えられてます、息子もいたようで薩摩で島津家に仕えたようです。また別の息子(?)は出家して大乗院門跡を継いだとも。


個人的には徳川幕府の喜連川氏のように残ってほしかったんですけどね。ただ、元将軍って位置の人は扱い難かったとも思いますね。
それと朝廷に貴族としての復帰はまづ無かったと思いますよ。

源氏といえば清和源氏、ですよね?中でも河内源氏が。でも貴族の源氏としては村上源氏が上位だったようです。またその村上源氏のながれを汲む北畠氏は公家社会に復帰しようとした時は二度(江戸時代・明治維新後)も阻まれています。

もちろん前将軍、という時期なら不可能ではないでしょうね、でもある程度の力を残した状態で無いと・・・と思いますね。


179: 名無し 2008/06/05(木) 15:00:48
>>178
お褒めいただき有難うございます

たしかに息子は多くいたようですが足利家を継承できるほどの格式の生母を持った継嗣がいなかったのが断絶の理由だと思います。
秀吉は信長と違い義昭に好意的だったので、もし相応しい後嗣がいれば関白太政大臣の力により、堂上に残れたのではないかと思います。
天皇を崇拝する秀吉が天皇家の大恩人である足利家を粗末に扱うはずはないと思うので。

北畠氏は江戸初期に中院家からの養子により既に復活しているので、いつでも家名の復活は出来たと思います。ただ堂上の久我家や中院家から相続者が出ないと難しいと思います。
地方武士と婚姻を重ね、叙爵も絶えて久しい北畠家の家系の流れを汲む者程度では、元々殆んど不可能に近い可能性だったんじゃないでしょうか?

血筋と家は別だと思います。堂上が断絶しそうになると同じ家格で同流の家から養子をとるのが理想的で一般的だと思うので、血の繫がりがあるだけの地下がいきなり堂上になることは考えられません。

180: 名無し 2008/06/05(木) 18:20:49
話長いとこ申し訳ないが、足利尊氏は天皇を利用するだの、まして臣下だののレベルの人物じゃねーぞ。
そんな小さいところは新田・楠木程度に任せとけばいい。

後醍醐天皇の息子は二人も殺すわ、本人騙しておびき出した上に監禁し、神器強請るわ。
持明院統にも「俺が立ててやったのに、生意気な」と怒りを発する。
少し苦境になると「皇統なんてどうでもいいから」と梯子外すような和平も辞さない。

尊氏は尊氏の論理と力で終始行動し、天皇はその途上にあっただけ、と印象が強いな。

181: 名無し 2008/06/05(木) 18:40:54
いや・・・公平に見て尊氏公は忠臣です。
尊氏公がいなかったら持明院統は正史にも記されず歴史の片隅で消えて行ったと思います。光厳天皇も光明天皇も崇光天皇も正統な天皇なのに。現実に持明院統は栄えていますから。

182: 名無し 2008/06/05(木) 19:25:58
ん…なんと言えば良いのか。
持明院派さんと暫く会話してた者なんですがね。

人それぞれモノの見方に偏りがあるのは否めないと思うんです。

だから私も極力自身の嗜好とかを排除して話してるつもりで

だから上の方で出てた話に近いんですけどね、血統と家は違うんですよね。
皇統は護持されるべきだけど持明院にせよ大覚寺にせよ天皇となる地位にあった訳で。

ただ何と言うか南朝大好きな私には…難しいですね。

195: 名無し 2008/06/08(日) 15:49:17
形式的にであれ秩序を重んじる戦国大名にとって
公方の大義名分は有り難いものだったんだろうな。
ところで義昭(義秋でもいいけど)の偏諱を受けた
武将ってどの程度いるんだろう。
義晴、義輝のそれは全国に有り余る程いるのだが。

196: 名無し 2008/06/08(日) 18:27:52
>>195
・二条昭実(公卿)
・細川昭元
・畠山昭高
・三淵秋豪(藤英の嫡子)

197: 名無し 2008/06/09(月) 01:09:41
>>195
島津義弘・一色昭国・葛西義重・石川昭光・宗昭景

198: 名無し 2008/06/09(月) 14:40:57
かなりいるんだな、ありがとう。
だいたいが追放以前だろうかな。

199: 名無し 2008/06/09(月) 15:26:45
へぇー三淵秋豪は初耳です。みなさん良く知ってらっしゃいますね。
島津義弘も義昭の義とは知りませんでした。
三管領家や四職家も名をつらねてますね、立派な「大」将軍ですね。(ここだけ見ると)

213: 名無し 2008/06/14(土) 11:15:13
足利義昭は将軍家の人間として当然の行動をし、
将軍になってからも最後まで諦めず頑張ったと思う。
信長は将軍家の家臣の斯波氏の守護代の、さらに家臣の身でありながら
分をわきまえず、あまりにも自分勝手に行動した謀反人。
それなりに治まっていた地方の大名に、むやみに戦をしかけ世を乱した犯罪者。
同じ斯波氏家臣の朝倉程度の尾張守護職拝命でも過分の恩賞であった
のに、それ以上を望むとは増長するにもほどがある。

216: 名無し 2008/06/15(日) 22:35:02
信長は実際のところ、義昭を追放した後人質に取ってた子の義尋を「大樹若君」と呼んで16代将軍にすえようとしていた節がある。

217: 名無し 2008/06/16(月) 22:21:35
それで自分に臣従させられれば万々歳だからな。
おそらく、それが信長にとっての理想だったんだろう。
信長にとっては、義昭が自主的に自分に服従してくれれば、将軍が家来になったという威、将軍と幕府に残っている権威や権限もそのまま吸収して天下統一はもっとスムーズに進んだだろうから。もちろん義昭の側にも言い分はあるから、それをもって義昭をどうこう評価する気はない。

しかし、義昭がもう少し愚かで元亀大乱を引き起こしたりしないか、もう少し賢明で諦めがよい性格なら、信長も義昭をもっと厚遇したんじゃないかね。ちょうど豊臣政権における義昭が、権力はまったくないがお飾りとしてもそれなりに重く遇されたように。

218: 名無し 2008/06/16(月) 22:33:32
>>217
個人云々以前に、信長の上洛により室町幕府の機構は(信長の権威によってとはいえ)復活し機能し始めたんだから、どうしたって信長権力と幕府権力はどっかで対立せざるを得ない。

219: 名無し 2008/06/17(火) 11:18:33
それもそうですが信長は斯波氏の家来=将軍の家来だから
信長のほうが、ひかえなくてはならない。
秀吉は、足利幕府と関係ない出自なのに足利義昭に丁重で、優しい。
織田は、足利の代々の陪臣なのに、信長の行動は謀反いがい何ものでもない。
尾張では斯波氏を追放し、京都では足利将軍家を追放するとは最低の家臣だ。
織田の先祖は泣いていると思う。
織田の謀反と、明智の謀反では、信長の方が悪質だと思います。
三好は傀儡とはいえ、別の将軍を立て、将軍家内部の戦いにしているから
罪は遙かに軽い。


224: 名無し 2008/06/18(水) 03:50:03
>>219
秀吉も所詮は百姓、将軍の陪臣の陪臣どころか
その陪臣に服属しなきゃならない領民な訳で
厚く遇しても、天下人となる事自体がダメなんじゃ無いですか?

あなたの考えに則れば…

220: 名無し 2008/06/17(火) 14:39:59
三好も同じと思うが
主家の細川氏を下克上。さらに将軍義輝追放。次の将軍置かずに政治を裁断。

222: 名無し 2008/06/17(火) 19:53:08
>>220
足利義維と足利義栄のことじゃない?。

223: 名無し 2008/06/17(火) 20:22:47
>>222
じゃ、信長だって同じだな。
信長は天皇から、「天下静謐の儀」を任されている。これは本来将軍に求められることで、つまり信長は天皇から将軍義昭に代わってお前が天下をどうにかしろと委ねられたわけだ。

すでに天皇によって「天下静謐の儀」を剥奪された将軍は、新たな天下人の邪魔者と看做されて追放されたと。

足利将軍の大義名分を天皇によって確保するのなら、同じく天皇から大儀を確保した信長の行為は全く問題がないね。天皇からしたら、新たに任命した天下人信長に敵対する将軍義昭の方が朝敵だ。

221: 名無し 2008/06/17(火) 14:47:30
足利尊氏は鎌倉幕府を裏切ったのみならず天皇にまで弓引いてるけどねw

222: 名無し 2008/06/17(火) 19:53:08
>>221
天皇の命で倒幕し、別の天皇に将軍に任命されたからいいんじゃない?。
別の天皇からすれば、楠木新田の方が朝敵ともいえる。

236: 名無し 2008/07/05(土) 01:21:58
小説の『流れ公方記』じゃないが
義昭擁立のために頑張った義輝側近たちは
義昭が将軍になったときになんというか満足というか
目的を見失うかしてしまったような。
真木島氏は義昭流浪には付き合ってたっけかな?

その後の身の処し方は兄弟説云々とは別の問題かと。

237: 名無し 2008/07/06(日) 15:23:45
>>236小説はよく知りませんが
そうだったとして
将軍になっただけで目的を見失うとは情けない
幕府の再興が真の目的のはず
長岡は途中から自分の利益に走っただけだと思う
明智の行動は
本来長岡の仕事のはず

238: 名無し 2008/07/07(月) 01:00:33
>幕府の再興
これは義輝の思想と違うけれども
義昭の将軍補任で達成されたともできる。
三好一党は京周辺から退けられているし。
義昭・信長政権は幕府再興と当世では考えられなくもない。

むしろ信長に敵対した義昭の時代認識(このスレのテーマである
暴挙か、あるいは勝算ある博打か)に義輝旧臣はついてこれなかったんだろ。
今日の我々から見れば分かるが信長上洛から時代は変わっている。
義輝時代のそれではない、天文・永禄年間の凶作を通じて地域のブロック化も進んでいるし。

240: 名無し 2008/07/09(水) 02:49:36
義昭に付いて鞆に下向したのは、槙島・柳沢・上野ぐらいか?

241: 名無し 2008/07/09(水) 03:24:46
日本史上に名を残す名門の最後の連れが槙島・柳沢・上野ってところに哀愁を感じる