463: 名無し 04/12/10 20:48:46
おいら、川中島の戦いの生き残りだよ。何でも聞いてよ。


464: 名無し 04/12/10 23:30:31
武田の別働隊12000が合流してからを詳しく教えてくれ 
よく謙信助かったなと思ふ 

465: 名無し 04/12/11 00:53:00
啄木鳥戦法自体、創作だと思われ 

466: 名無し 04/12/11 08:36:03
そうだよな

467: 名無し 04/12/11 09:22:00
創作だと立証する術もないね。そもそもこの川中島の合戦というものは 
ほとんどがなぞに包まれたものであるから、よほど強力な物的証拠でも 
ない限り創作とか捏造とかもしくはこれで間違いないとか決め付けることは 
できない。

468: 名無し 04/12/11 09:44:36
>>467 
物証というなら、たしか、妻女山には陣を構築した跡がみられない、とかなかったかな? 

どのみち、啄木鳥戦法だのが甲陽軍鑑に依拠する以上、疑問視されるのは当然の話だが。

469: 名無し 04/12/11 10:23:52
>>468 
三池純正説ね? そもそも陣の跡って? 
山頂が掘削されて、平らになってるのはどう説明するんだ? 
甲陽軍鑑を疑問視すれば、信長公記とかも全部疑問視されるだろな。 
手紙や日記と比較してどうなのか考えると、軍鑑いがいの軍記もの 
よりも信頼できるだろ。成立年代も古いし 

470: 名無し 04/12/11 10:56:50
手紙や日記などの一次資料その他、いくつもの資料と照らし合わせ、何人もの学者たちの 
資料批判の結果、甲陽軍鑑の信憑性の低さと、信長公記の信頼性の高さが現在言われている
のだが。

471: 名無し 04/12/11 11:15:35
だからどうしてこっちは信憑性低くて、あっちは高い、っていう 
詳しい根拠がよくわからないんだよ。

472: 名無し 04/12/11 11:26:42
だから!小幡景憲みたいな武田びいきのうさんくさい男がからんだ史書なんて信憑性低いんだよ!

473: 名無し 04/12/11 11:34:35
>>472 
いえいえ、甲陽軍鑑の著者は、小幡景憲ではなくて高坂昌信だそうですよ表向きは。 

…この時点でうさんくさいよなあ。最近では、昌信は最後まで春日姓を続け、高坂姓 
を名乗ったことはないのだとか(高坂姓の文書がまったくみられない)。

476: 名無し 04/12/11 14:39:55
>…この時点でうさんくさいよなあ。最近では、昌信は最後まで春日姓を続け、高坂姓 
>を名乗ったことはないのだとか(高坂姓の文書がまったくみられない)。 

俺は最後まで春日姓だと思ってたけど…… 

477: 名無し 04/12/11 17:58:59
海津城主(郡代)になった段階で香(高)坂虎綱を名乗ってるぞ 
香坂氏を継ぐという名目で。 
高坂昌信は軍鑑のみ記述。 

478: 名無し 04/12/12 00:50:03
香坂氏が信玄に成敗されたあと、春日虎綱が名跡をついで香坂を名乗ったというのが 
これまでの通説ですが、春日姓の文書はあっても香坂姓の文書が全くない、またその 
後継者も春日姓を名乗っていることなどから、春日虎綱の香坂氏継承自体がなかった 
ことだと今ではされています。 

さらに、香坂氏が成敗された後もその存在は確認できるので、香坂氏は春日虎綱の配下 
だった、とも。 

もう一つ上げると、「高坂弾正忠」の名は偽文書にはあっても、確実な文書には見られ 
ず、甲陽軍鑑の創出であるとも。

483: 名無し 04/12/13 17:36:35
いやそもそも言われてるような派手な戦術機動ができるものなのかな? 
味方の隊をぐるぐる回して順繰りに突撃って。 
てか後ろ半分を休ませて遊軍にしとくってどうなの? 
いつ武田の別働隊がケツ突っつきに来るかわからないのにそんな無駄なことするほど謙信ってアホだったの?

485: 名無し 04/12/13 19:35:20
>後ろ半分を休ませて遊軍にしとくってどうなの? 

むしろ軍事ではセオリーですが?

486: 名無し 04/12/14 09:21:56
うみゅ。セオリーはしらんが、武田一部隊に上杉多部隊が連続攻撃する。 
当然武田の他部隊が横槍入れようとするわけだが、その動きを見せた 
途端、上杉後方に控えていた部隊が動き出し、横槍のさらに横槍を入れよう 
とする動きを見せる。こうすると武田はうかつに動けなくなる。そうこう 
しているうちに初めに攻撃された武田部隊がドンドンやられていって壊滅的 
打撃を受け、結果大将首をいくつも取られることになった。これが世に言う 
「車懸りの陣」ではないかとオレは考えているのだが。

487: 名無し 04/12/14 10:38:58
>>486 
車懸りの見方は同意。 
485がセオリーというのは、後詰決戦の意味。 

489: 名無し 04/12/15 09:53:36
ナゾの最強陣形車懸り。そもそもそんなものはなかった、という 
意見が多いのだがいかに?? 
孫子の兵法に曰く、「真の兵法とは“水”のように兵を用いる事・・云々」 
というようにある。>>486にあるような変幻自在、臨機応変の用兵を 
いうのではないか、と思うのだが。

488: 名無し 04/12/14 16:17:35
ものの本によれば、 
車懸かりの陣は本来防御陣形である 
円陣から反撃に移る戦法のことだという。 
川中島合戦においては、上杉軍は 
武田軍の動きを察知して陣払いをし、 
善光寺方面に退却中であった。 
千曲川を渡り、霧が晴れると思わぬことに 
側面に武田軍本隊が進出してきていた。 
行軍中で長く伸びた隊列を突かれては 
一溜まりもなく、上杉軍は止むを得ず先制攻撃を仕掛け 
る。行軍の先頭から急反転して武田軍 
に襲い掛かかる。武田軍に反撃の暇を与えない 
ために、絶え間なく攻撃を仕掛けたことが車懸かりの陣の真相ではないか、 
みたいなことが書いてあった。さもあらん。

490: 名無し 04/12/15 17:05:54
戦国時代の軍制度(豪族・国人たちの寄せ集め)で、そこまで高度な集団行動が 
とれたのだろうか? 
普段から訓練しているわけでもないのに。

491: 名無し 04/12/16 10:36:16
当時の越後って相当荒れていたって言うしね。農民も戦慣れ 
していたんでないの?なんつうか、武将が「こっちに動け」とか 
「あっちに突撃」とか集団行動ってなかなか難しいけど、慣れに 
よっていくらかはすんなり動けるようになってたとか。

492: 名無し 04/12/16 17:36:09
個人としての慣れと、集団として統一された行動がとれるかどうかは別

493: 名無し 04/12/16 23:37:12
言うこと聞かなかったら殺されるんだから従うだろ

494: 名無し 04/12/17 01:04:13
そんな単純なものじゃない

495: 名無し 04/12/17 10:42:27
慣れようが慣れまいが戦の場面で全体が良く動けるようにしてやるのが大将の 
役目でしょ。上杉謙信が無類の戦上手ってのは疑いないのだから、当時の事情を 
反映したより良いやりかたを熟知していたと考えるのが妥当だ。

496: 名無し 04/12/17 17:03:49
>>495 
>当時の事情を反映したより良いやりかた 
これのレベルが、講談で言われるような「車懸りの陣」を行うには不可能だ、 
と言っているのでは。 

上杉だから、織田だから武田だから可能不可能なのではなく、16世紀の日本 
の社会体制(軍制度はその社会による)では不可能だと。

497: 名無し 04/12/17 23:37:34
適当なこと言うな 
半農半武だろうと訓練くらいできるわ。孫武の時代からやってるっつの。

498: 名無し 04/12/18 00:24:31
>>497 
時代や場所によって異なる、と言っているのに、違う事例を挙げても説明にはならない。 
紀元前の中国で出来ること出来ないことは、戦国時代の日本と完全に一致するわけではない
のだから。同じ中国ですら、春秋と戦国では社会の変化によって軍制、兵法は変わっている。 
ヨーロッパでは、ローマの共和制と帝政、さらにローマ滅亡後の中世ヨーロッパの封建諸侯の 
軍隊は全く異なる。当然、出来ること出来ないことも。 

反論するのなら、16世紀の日本での事例を挙げてくれ。講談の類は除いてね。

499: 名無し 04/12/18 00:35:50
説明するのもかったるいので自分で調べてください

500: 名無し 04/12/18 13:34:59
陣太鼓や法螺貝など、将兵への合図をする道具がある以上、 
何らかの訓練はあったと見ることは出来る。 

501: 名無し 04/12/18 16:11:20
訓練がなかった、とは言っていないのでは?

502: 名無し 04/12/19 10:39:10
召集してから出陣までの極短期間で訓練してみせたんじゃないの? 
いずれにしてもやたら強いし統制が取れていたのは事実だし。

503: 名無し 04/12/19 13:01:35
上杉が統率とれてたんじゃなくて、 
他がへなちょこだった予感 

504: 名無し 04/12/19 13:30:52
兵になる民そのものの強さに地域差があったのじゃないかな? 
越後のような雪国だと冬に雪を掻き分けて歩かなきゃいけないので 
足腰が自然に鍛えられて、それが戦場での強さにつながったとか

505: 名無し 04/12/20 01:12:02
>>504 
そういった地域差というのもあっただろう。しかしそれは頑健さとか機敏さとか、個人 
の強弱でしかない。軍としての熟練度はまた別。この集団行動は専門に訓練されなければ 
不可能。 

好例なのが古代のローマとゲルマン。個人のちからでは体格や膂力でゲルマン人が上だが、
軍としては圧倒的にローマ軍が優れていた。

507: 名無し 04/12/20 01:52:14
年数回の出陣で、嫌でも身についたんじゃ……

508: 名無し 04/12/20 10:30:25
しかし越後って食料が乏しかったんでしょ。ひょろひょろで何で強かったのか 
と不思議に思うんだが・・・。甲斐もそうだね。土地が痩せていたそうな。

509: 名無し 04/12/20 10:39:01
戦場は食糧調達(乱捕り)の場 
飢えた兵ほど略奪に活躍するんでは?

510: 名無し 04/12/20 19:08:41
>>509 
軍としての統制は崩壊しているな。 
それが常態だと言うなら、ますます当時の軍隊に「車懸かりの陣」なんて不可能

511: 名無し 04/12/20 20:34:01
昔の農業というのは多くの人手を必要とする共同作業だったから 
農業地帯の農民は軍の統制行動にも慣れるのが早いのではないか? 

512: 名無し 04/12/21 05:41:09
戦は主に飛び道具で戦っていたそうだね。この時点で戦が終了するケースも 
多かったとか。そして敵軍との間が詰まったところで白兵戦に突入、って順番。 
そうすると、「構えー! 放てー!」の号令のもと一斉に射撃したり、指揮官 
がタイミングを見て「突撃ー!」と一気に襲い掛かったりする。 
ならば統制は取れていなければできないな。

529: 名無し 04/12/27 20:17:23
世界まる見えでドイツの武田信玄を崇拝する団体が紹介されてた。
甲冑や刀まで手作りですごかった。

530: 名無し 04/12/27 20:22:06
ちんけなブリキ甲冑だったが熱意には感動した。

531: 名無し 04/12/27 21:02:34
なぜドイツで武田信玄がそんなに有名なんだ? 
黒澤明の「影武者」か?

532: 名無し 04/12/27 21:04:39
>>531 
そうらしい

533: 名無し 04/12/27 21:15:37
ずっと昔にも紹介されてたぞ、ドイツの信玄崇拝団体 
日本(甲府)に来るのが念願だったみたいだけど、 
まだ来てないのかな。

538: 名無し 04/12/28 15:58:48
信玄餅なら食べたことあるよ。

539: 名無し 04/12/28 16:14:52
あれ蜜が全然きなこ、と交ざらない!欠陥商品だよ! 
そしてゆきだるまは関東から以北に生息していることが発覚。で、どこの県?

540: 名無し 04/12/28 21:46:28
信玄餅って、本物の信玄は食ったことあるのか? 

541: 名無し 04/12/28 21:56:59
くってねえよ。あの手の生菓子はどこにでもある。 
ちなみに信玄の隠れ湯は山梨県内に複数あるw

564: 名無し 05/01/08 11:30:21
川中島の合戦は事実が明確でなく諸説紛々あるのでどうも議論が 
紛糾しますな。参考になるのはまず甲陽軍鑑だけど、それも創作ではないか 
といわれてるし。他の重要資料ってどれくらいあるんだろ?いままでの 
ログを見たが、当時の手紙などは少なくとも“当時のもの”として 
重要である、って意見もあったが。

565: 名無し 05/01/08 17:16:50
>>564 
戦前からずっと紛糾してるよ、いや江戸時代から、 
上杉家は軍鑑がデタラメだって。 
けど、上杉文書は軍鑑をもとに書かれたんだけどね。 

566: 名無し 05/01/09 10:41:04
当事者である武田と上杉にまともな資料がないという点で、 
非常な疑わしさを感じてしまうよな。 
後世に書かれた軍談くらいを参考にするしか手段がない、というのは 
赤壁の戦いと似ている。

567: 名無し 05/01/09 20:00:11
「まともな資料がない」とか言い出したら 
戦国時代の史料はほとんどそうだぞ。 
信長公記でも都合よく家臣が書いたものだし。 
いちおう、軍鑑を書いた小幡は父親が川中島に出陣してるしな。

568: 名無し 05/01/10 09:20:47
謙信が出した感状は本物なので戦はあった 
ただしその日一日で決着した戦ではない。 
双方損害を出しながらも長いこと粘った。 
それは信玄が書いた手紙にまだ上杉軍が 
残っているとある事でも分かる。

569: 名無し 05/01/10 10:41:27
>それは信玄が書いた手紙にまだ上杉軍が 
>残っているとある事でも分かる。 
飯山城とか国境の城砦のことだろ? それなら川中島合戦の前から 
終わっても常駐してたってわけで、永禄4年9月10日の戦は、 
1日で終わってる。史料の読み方間違えんな! 

572: 名無し 05/01/10 18:13:18
>>569 
長沼の浄興寺の記録には18日に戦に巻き込まれて 
堂宇が焼けたともある。 
信越国境際まで上杉軍が後退してしまっていたら、 
これはおかしいわけでねえ。 
何の史料を以って一日で終わったと断言しているのかな?

576: 名無し 05/01/12 03:28:21
10日の一日で終了、とみて間違いないようだ。>>572ではその後も戦いが 
続いていたということだが、上杉軍が撤退したのは国境付近まで遠く、 
ではなく葛尾城など最寄の上杉傘下の城などであって、しばらくは付近に 
駐屯しており、10日以降も小競り合いが起こったということではないだろうか。

573: 名無し 05/01/10 20:49:05
569ではないが、北信濃には上杉方の信濃国人衆がいるわけだから、 
日常的に衝突はあったんでは? 長沼といえば飯山城よりはるか南で 
犀川以北だが、高梨勢の南の前線と考えればうなずける。 
上杉家御年譜には、その日のうちに髻山で首実検をしてるとあるし、 
武田方も八幡原で首実検をしてるわけで、合戦はこの段階でピリオドだろうな。 
5次にわたる川中島合戦いがいにも、北信濃をめぐる越甲の衝突は何度も 
あるけど、謙信と信玄が直接対峙したものだけを川中島とすれば、第4次川中島 
の戦闘は1日だけで終わったとみるのが無難。ただし、在陣を入れると8月中旬 
からだから、約1ヶ月? 


574: 名無し 05/01/10 21:17:56
他の川中島合戦から考えたら対陣期間中は 
合戦期間に含めてもよさそうだけどな。 
実際問題として、10日の戦闘の後にすぐ撤退というのは 
まず無いだろうし。

575: 名無し 05/01/10 22:11:38
ちなみに、謙信の感状は9月13日に5通、22日に1通 
信玄は9月10日に2通、9月26日と10月11日に各1通ですね

576: 名無し 05/01/12 03:28:21
やはり当時の手紙というものは重要な価値があるようだな。>>575でいうと、 
信玄は10日のうちに既に送っているのだな。

580: 名無し 05/01/15 13:36:13
問題は別働隊到着後にどうやって越軍は引き上げたのかという事だ。 
普通に考えてぜってー壊滅するwww

581: 名無し 05/01/15 18:13:15
7時に開戦、10時に別働隊到着、夕方まで激戦 
甘粕を残して丹波島から撤退

582: 名無し 05/01/15 21:12:30
残して、ってか殿やったのも甘粕隊だったような。すごい働きなんだが 
あんま目立たないんだよねこの人。ナゾの猛将甘糟景持・・・まあ 
かっくいいんだが。

583: 名無し 05/01/16 03:52:56
別働隊が来た時点で武田の挟撃の形になるよな。 
信玄を討ち取れていたらまだしも、未だ健在で上杉方絶体絶命だったと思うんだが。 
よくわからん

584: 名無し 05/01/16 21:11:18
挟み撃ちにされてたなら、島津義弘に先駆けて前進撤退をやったってこと 
になるのか。まあ、前半戦でいくつもの大将首を取られるほど信玄本隊は 
叩かれていたから別働隊をほとんど無視して本隊の残りを強引に押し切れば 
考えられなくもないが。

585: 名無し 05/01/16 23:02:54
馬鹿だなあ 
円形に陣を組む車懸の陣に死角は無いよ。 
従って挟撃だろうが何だろうが問題無い。 
兵力差で押される事はあっても 
背後を衝かれて壊乱なんて事は有り得ない。 
そこんとこわかってる?

586: 名無し 05/01/16 23:54:49
よく考えてみろ。 
挟撃って事はお前の言う死角が無い状態でも、戦力を2分する事になるんだぞ? 
しかも退路を塞がれたらどんな強兵でも動揺するって何かに書いてあった。

587: 名無し 05/01/17 01:19:21
車懸に特定の正面は無く故に退路に不自由はせぬ。 
また点で敵と接し戦うが故に挟撃とてその利点は生かせぬ。 
元より外周をゆったりと循環しながら次の出番を待つ兵なれば 
疲労度の増加ペースが多少増すだけのこと。 
鶴翼の陣などという古典的陣形によって全員を常に緊張状態に置く 
武田軍にくらべればそれでも余裕がある。

588: 名無し 05/01/17 01:42:55
陣形だけでそんだけ何でも出来たらすごいな。 
挟撃されても退路を絶たれても、敵より余裕になれるなんて。 
しかも兵数の差は約2倍なのに。

590: 名無し 05/01/17 01:58:35
敵軍の半分しか自軍がいなくても挟撃されてても 
兵士の半分は外周をグルグル。それが上杉クオリティー。

591: 名無し 05/01/17 02:10:38
戦場において兵を隊列を組んで統率せんとするが故に、 
凡将は回転する上杉軍の曲線的陣形を線で捉える事が出来ず、 
点で捉える事しか出来ないためにこれは兵の無駄使いである。 
相手に兵の無駄遣いを強いつつも一点に力を集中し打ち破るのが 
神将上杉謙信である。

592: 名無し 05/01/17 02:14:22
つか、車懸かりって単に陣形(備)を組む暇が無くて、行軍隊形から敵に掛かって行った結果が波状攻撃になったのを大袈裟に言い立ててるだけじゃないのか?

596: 名無し 05/01/17 15:07:42
>>592 
違う。意図的にやったのである。 

598: 名無し 05/01/17 15:16:28
>>596 
ソースは?

599: 名無し 05/01/17 15:55:46
>>598 
謙信公の強さは伝説的である。 
故にその戦術も伝説的である。

593: 名無し 05/01/17 02:23:41
ぐるぐる回りながらって7時に開戦して3時間以上もか?

596: 名無し 05/01/17 15:07:42
>>593 
休まずひたすら回るのではない。 
戦には駆け引きがあり、押す時間帯も引く時間帯もある。 
故に円陣を基調とし一点から押し込み 
そして引きながら全体を回転させて戦闘正面を変えるのである。 
魚鱗だ鶴翼だと言っても単なる方陣の並べ方に過ぎず 
それしか智慧の回らない凡将は 
神将謙信の戦闘正面を変えながら戦うという発想の前に 
ただ無為に前列の兵を疲れさせそこから崩れて負けるのである。 
円陣を基調とし全方位が戦闘正面を務められるようにする事で 
四方八方への前進後退自由自在の移動が可能であり 
尚且つ側背への攻撃を弱点としない。 
一部の兵しか事実上戦闘に参加できないような隊列を組む 
凡将どもが相手なら、謙信公であれば三倍四倍を相手することも 
可能である。

602: 名無し 05/01/17 17:21:02
>戦には駆け引きがあり、押す時間帯も引く時間帯もある。 
>故に円陣を基調とし一点から押し込み 
>そして引きながら全体を回転させて戦闘正面を変えるのである。 
押すときも退く時も全体が動くなら、兵士全員に休む時間がない 
これじゃ自壊するね 

594: 名無し 05/01/17 08:11:39
車懸かりなんてまだ信じているヤツいるのか

595: 名無し 05/01/17 12:39:49
1人もいないから安心しろ

607: 名無し 05/01/17 21:32:25
車懸かりなんて後世の作り物に過ぎない。 
後半の記述が少ないのはそれだけ激戦で陣もへったくれも無かったのだろう。 
と俺は解釈。

606: 名無し 05/01/17 21:14:17
上杉本隊6000が3縦隊となって八幡原へ進軍。丹波島には直江の荷駄隊1000、千曲川峰に甘粕隊1000を配置。 
午前六時、濃い霧が晴れて隊の右手前方に武田本隊の鶴翼8000を確認。 
先鋒の柿崎隊から右向きに順次突撃を開始。信玄自身が傷つくほどに武田軍は壊滅寸前にまで追いやられる。 

午後十時、別働隊が千曲川を渡って、迂回に備えていた甘糟隊1000を軽く駆逐。 
上杉本隊の背後に迫り、挟撃を開始。 
上杉軍は堪え切れず壊走。犀川を渡り、善光寺方面へ退却。 

午後四時、信玄は八幡原で勝鬨を上げた。その後、会津城へ入り、甲府へ凱旋帰国。 
謙信は善光寺で残兵4000を掌握、春日山へ退却した。 
上杉軍の死傷率72%、武田軍の死傷率88%。川中島は武田のものに。 

610: 名無し 05/01/19 23:35:01
上杉家って江戸時代まで生き残ったから、 
文献資料がありそうなのに、 
なぜ川中島のことがよく分からないの・・・。

611: 名無し 05/01/19 23:42:34
御館の乱で資料とかも滅茶苦茶になったんじゃねえの 
特に景虎についた奴ら

639: 名無し 05/01/20 23:21:02
甲陽軍鑑では山本勘介と馬場信房が相談の上で作戦を立て 
それによれば1万2000が西条山に向かって戦をして 
勝っても負けても謙信は引き上げるだろうから 
それを8000の兵で討ち取るという作戦。 
迂回だ何だとは書いていない。(重要かも!) 
1万2000の方が別働隊だと思われがちだが 
どちらかと言うと8000の方が別働隊。いわば伏兵。 

で早朝濃霧になるのだが、 
八幡原で待ち構えていた信玄は 
霧が晴れたら無傷の上杉軍が目の前にいてビックリと。 
数で勝る上杉軍が入れ替わり立ち代わり攻めかかる「車懸」で 
来たのでさすがの信玄も押されまくりになると。

640: 名無し 05/01/20 23:43:01
上杉軍が入れ替わり立ち代わり攻めかかるっつーのはありそうだよな。 
ただその際にグルグルをやったかと言うと今一度うだかなあと言う感じですが。 
はたして当時そういうことができたのかどうか。なにせ命令伝えるのも人力ですから。 
前へ出ろとか後ろへ下がれ程度なら合図決めて出来るかも知れんけど 
敵とぶつかり合ってる連中に戦場横切って味方の陣の方へグルっとまわってけとかどうなの?

641: 名無し 05/01/21 00:02:37
甲陽軍鑑の記述によれば、 
信玄が出した物見は上杉軍は退いていると応えた。 
武田軍の部隊を迂回しては前を塞ぐようにして。 
そして信玄はそれは車懸である、という。 
車懸とは何順目かに自分の旗本と相手の旗本をぶつけるものだと。 
これらから推測するに、車懸として想定されている戦術は、 
相手の前線を務める各部隊に対してそれぞれに部隊をぶつけ、 
そして退きながら戦わせて釣り出し、敵の本陣の周囲を手薄にさせて 
自分の本隊でそこを叩くというもののようだ。 

やはり 
妻女山にしちゃったり 
迂回奇襲作戦にしちゃったり 
ぐるぐる回したりしちゃったり 
したのは全て江戸の講談師かとw

690: 名無し 05/02/06 09:15:09
川中島って、結局へんぴな僻地で武田家に消耗を強いた長尾の戦略的勝利なわけでしょ? 
一番恩恵を被ったのは後北条だけど。

698: 名無し 05/02/06 22:53:39
>>690 
川中島は平安時代からいくつもの荘園が開かれていた 
信濃で一番の穀倉地ですが? 
だいたいその「辺鄙な場所」に拘泥して謙信の関東進出は 
遅れに遅れたんでしょうがw 

691: 名無し 05/02/06 10:12:04
戦略的には双方敗者。 

武田は多大な出血と時間を費やして、猫の額ほどの土地を得た。 
戦略目標の立て方の失敗による敗北。 
直江津を始めとする日本海側の津を握れば大きな飛躍が出来て、戦略的大勝利だろうが、 
現在の目から見れば、若く英邁な君主を擁する越後を制するというのは無謀だ。 

長尾は武田と恒常的な敵対関係に陥り、最優先目標であった関東制覇に多大な支障が出た。
これも戦略目標の立て方の誤りだが、善光寺から春日山までの距離を考えると 
現在の目から見ても、戦わない選択枝があった、とは思えない。 
その前に、織田の徳川の扱いみたいに、北信の領主たちをバッファゾーンとして取り込んで置くべきだった。 
長期的な視野がなかったかも知れない。

692: 名無し 05/02/06 10:17:22
>>691 
その緩衝地帯になるはずの村上氏とかが追い出されて、影虎に泣きついたのがそもそもの・・・

698: 名無し 05/02/06 22:53:39
>>691 
甲斐一国の大名が信濃以外に進みようがあったなら教えてよw

722: 名無し 05/02/24 03:32:21
>>691 
むしろ越後を本拠とする謙信が関東制覇を最優先目標にした事自体が 
重大な戦略ミスだと思うが。 
万単位の軍を率いて三国峠を越える無駄を考えたら、関東なんか 
北条にくれてやって、対武田・一向一揆に専念するべきだった。 
ただ、そうすると目の上のたんこぶが消えた北条が巨大勢力化するな。

693: 名無し 05/02/06 10:31:01
色々言っても、善光寺平は広いからね。 
後世真田が領したときは、名目10万石だったはず。 
戦火が落ち着けば、善光寺参りの人から銭も落ちる。 
戸隠山の修験者ネットワークにもアクセス可能になる。 
比叡山延暦寺を見延山に誘致しようとした信玄の目から見れば、 
悪くないと考えていたかもしれない。 

他に攻めるところといったら、美濃くらいだから、 
これでもいいや、と思ったんじゃないだろうか。

694: 名無し 05/02/06 10:40:59
>>693 
とか言うより「信濃一国」が欲しかったんじゃないかと。 

712: 名無し 05/02/19 04:56:37
映画の天と地と見たけどもうちょっと何とかならんかったのかね 
最後の方景虎が信玄隊に1人で突っ込んでるしアリエネー

715: 名無し 05/02/22 11:49:42
>>712 
まあ、確かにアリエネーなんだけど、何年か前に発見された川中島合戦図屏風、 
だったか何だかでは謙信vs信玄で川で馬に乗りながら一騎討ちしている絵が 
描かれているんだよな。

723: 名無し 05/02/24 05:51:27
>>715 
まあ信玄が斬り付けられて怪我しているという話があるから 
短い時間でも信玄vsの一騎打ちはあったんじゃないのかね。 

相手が謎だけど、こういうのが事実ならかなりの手柄と思うが 
討ち取らねば評価されないんだろか?それともやっぱ謙信自ら?

720: 名無し 05/02/23 00:04:22
>>712 
鉄砲なんて連射してるしな。最後の謙信先頭に越軍撤退の時に高坂、馬場隊があっさり見過ごすのはもっと解せない。 
だけど勝ちが決まった戦で兵を失うのを嫌う云々もあるからあるいは? 
そういう事なら袋の鼠状態の越軍が助かったのも分かる。が・・

727: 名無し 05/02/25 13:39:28
上杉家に伝わる資料では謙信と信玄の一騎打ちがあったのは第二回の川中島合戦といわれている 
川の中で小競り合いをしている時に謙信が信玄を見つけて切りかかり信玄は太刀で応戦 
この時は双方怪我もなく引き上げる 
第四回での一騎打ちは上杉家家臣荒川伊豆守が信玄に切りかかり信玄は軍配で応戦するも腕や肩を負傷する 
あわやというところで武田家家臣が駆けつけ荒川伊豆守を追い払う 
その後、荒川伊豆守は討ち取られる 
信玄は甲斐に戻ると下部温泉に向かい傷の治療をしたというもの

728: 名無し 05/02/25 21:10:48
何を根拠にそういう発言しているんだ?また知ったかか?

729: 名無し 05/02/25 21:42:05
>>728 
山形県米沢市の米沢図書館に行ってみ。 
話はそれからだ。

732: 名無し 05/02/26 01:56:29
>>729 
鹿児島在住のウチにゃ到底無理www

733: 名無し 05/02/26 03:57:19
>>729 
何?ここにレスしている椰子は皆そこに行ってるの?

738: 名無し 05/02/26 09:28:18
>>733 
米沢は上杉家の城下町なんだが上杉厨だけでなく武田厨も多く訪れてるぞ 
景勝の正室は信玄の娘であり勝頼の妹の菊姫で、また信玄の息子で唯一生き残った信清も身を寄せている 
墓は林泉寺にあって菊姫の墓前には常に花が添えられている 


730: 名無し 05/02/25 23:33:28
>山形県米沢市の米沢図書館に行ってみ。 
けっこう無茶言ってんな。住んでる場所に寄っちゃあ気軽に行けるところじゃないぞ。

731: 名無し 05/02/26 01:01:37
○○家に伝わる史料と言ってもなあ・・・・

738: 名無し 05/02/26 09:28:18
>>731
それをいいはじめると当時の資料全てが信憑性に欠けるぞ 
良く取り上げられる甲陽軍監は武田家に都合よく書かれているわけだから 
武田や上杉に限らず自分のところで書かせる資料は己が優位にたった描かせ方をするのは当たり前 
武田家寄りに描かれた甲陽軍監で第4次川中島合戦が引き分けとなってるって事は実際の戦闘はかなり上杉方優勢で終わった気ガス 

740: 名無し 05/02/26 15:56:59
>>738 
「気がする」は?憶測はやめれ! 
上杉・武田双方の史書を照らし合わせた方が「気がする」より「推測」的になるわなw

744: 名無し 05/02/27 08:53:24
>>738 
> 優勢で終わった気ガス 
気がするも何も、第4次川中島合戦以降善光寺平は武田の領地となったのだが。 
犠牲がどれだけ出たかはともかく、領地を取ったという意味では武田の一応の勝ち。 
戦争の目的という点から考えて、達成したのは武田。 

兵の犠牲については、その後すぐ双方活発な軍事行動に出ているところから、 
犠牲はそれほど大きくなかったのではないかとの説もある。 
兵数に劣るはずの長尾側も可能だったことから、数千の死傷者を出したという史書の記述は
いまいち疑問の余地もあると言える。 
従って、長尾優勢で終わったという考え方も、ありうる事はありうるが、 
そいうのは勝ったとは言えないし、意味のある考え方とは思えない。

735: 名無し 05/02/26 04:28:11
史書ひとつで事実と勘違いする厨の巣窟なのかこのスレはw

736: 名無し 05/02/26 09:14:17
史書一つもなく断定する厨よかマシだろ 
あと上杉家御年譜とか

742: 名無し 05/02/27 01:37:43
>>736 
御年譜の編纂は17世紀末からだったと思うわけで。 
川中島に関して良質とは言えないのでは。

739: 名無し 05/02/26 12:50:49
仲良くやれよ。

746: 名無し 05/02/27 10:13:43
そもそも今回の議論の発端は上杉側の川中島合戦の資料から始まったわけで。 
今、世間一般に知られている川中島合戦は甲陽軍艦を元にしたモノ。上杉側の資料はほとんど無視されている。 
甲陽軍艦の方が信憑性が高いとの事から甲陽軍艦説を重視しているようだが甲陽軍艦は当然武田贔屓に書かれていて信憑性が高いかは疑問。 

748: 名無し 05/02/27 10:54:15
成立年や著者がはっきりしない資料を2次資料扱いするのは止むを得ない。 
甲陽軍鑑は小幡景恵の著とされるが、 
戦国末期に生きてた人で、実際の経験者から話を聞くチャンスがあっただろう。 
絶対ではないが、高い信頼性を持つとされたのは当然。 
信頼性に疑問が持たれるようになったのは最近のこと。

749: 名無し 05/02/27 13:35:23
>>748 
つい最近というより、糞味噌に叩いたのが明治時代で 
他史料との比較からやっぱり使える部分もあるという事になったのが 
最近だと思うが。 

上杉家の史料だとほとんどが甲陽軍鑑よりずっと後に書かれていて 
その影響と思われる部分がかなりあるもんねえ・・・・

756: 名無し 05/02/28 07:25:46
信憑性が云々は兎も角両軍衝突の末、信繁、勘介その他が戦死、川中島一帯は武田の領地に。 
こういう結果が残っているから、軍鑑の記載内容と大差ない動きはあったはず。 
上杉死傷率72%、武田死傷率88%この辺も信玄が斬り付けられたのを信じるなら大差ない死傷率だったはず。 
総大将が討ち取られるそうになるなんて、前線は崩壊してるって事だからね。

757: 名無し 05/02/28 07:48:40
信玄が斬り付けられたと言えば、土屋昌次と武藤喜兵衛は危機が迫っても持ち場を離れなかったらしいけどさ 
それ以外の旗本は何をしてたんだろう?? 
旗本の分際で信玄を目の前にまさか逃げるわけにもいかんし、勝手に戦いにいったって事かな。 


758: 名無し 05/02/28 16:35:51
>>757 
撤退の指示が無い以上、持ち場を死守するのが当然だと心得る。 
前線で戦ってる場合、例え大将が危険に晒されていたとしてる 
勝手に持ち場は離れられない。 
離れた場合はそこに穴があき総崩れとなるは必定…

765: 名無し 05/03/01 04:40:02
>>757 
建前はともかく、前半の劣勢では逃げ腰になる奴が出てもしょうがないだろ。全員が全員百戦練磨の将じゃないからな。 
結果的に高坂・馬場隊が間に合ったから良かったものを、後数時間遅かったら・・ 所謂無駄死に。 

というか信玄自身は逃げたくても逃げれなかったらしいがな。総大将が逃げれば即壊走につながるから。

780: 名無し 05/03/04 00:46:56
とりあえず言えることは、
武田方において信繁の死は一番大きな痛手で 
あったということは確かだな。 

信繁が生きていたら勝頼と家臣団との対立も緩和されていたんじゃないかと 
思うんだが。

782: 名無し 05/03/04 01:21:36
信繁が生きてれば、太郎義信の今川侵略問題もどうなってたかね。 
こればかりは変わらねえかw

788: 名無し 05/03/04 15:35:20
>>782 
今川義元が死んだ時点で今川攻めは避けられなかっただろうな。 
1561、1564年と川中島で対陣して、その4年後の1568年には今川領へ攻め込んでるし。 

783: 名無し 05/03/04 01:27:09
信繁が生きてても長篠の戦いでの織田軍のスコアが一つ増えるだけだろう

784: 名無し 05/03/04 04:54:07
信繁存命なら信玄と義信の対立も何とか収めたんじゃないかい。 
少なくとも義信が謀反起こそうとして自殺に追い込まれるとこまではいかなかったと思われ。 

そういや信繁って真田幸村の本名と同じだな。 
昌幸が信繁にあやかって命名したんだろうか。

791: 名無し 05/03/05 00:31:07
元服して信繁と名乗った頃には、元祖の方はもう川中島で討ち死にしてたんだろうか。 
だとしたら名乗った方も凄い。討ち死にした人の名だからねえ。

795: 名無し 05/03/05 15:43:53
>>791 
典厩信繁が戦死した頃はまだ昌幸の名前も真田じゃなくて武藤喜兵衛で信玄の近臣旗本の1人。 
長篠で兄貴達が死ななかったら真田の家も継いで無かった

796: 名無し 05/03/05 19:17:37
>>791 
となるともしも・・・の話になるが、真田の家を継いでいなかったらまた 
違う人生を歩んでいたってことか。 

でも、やっぱり信繁みたいなタイプの人間がいないとどこも大変だと思った。

794: 名無し 05/03/05 04:38:54
真田関係の文献はやたらと多くてむしろ困るよなw 
しかしまあ、幸綱(幸隆と言われるが唯一の自筆署名からすると多分幸綱)の 
嫡男は信綱で「綱」を継いでるし 
次男は昌輝でなんも継いで無いし(「昌」は武田家臣の間でよく使われた字だな) 
三男は昌幸で「幸」を継いでいて 
その息子で唐突に「信繁」が出て来るのはその由来を外部に求めるべきじゃないかな・・・・

827: 名無し 2005/03/23(水) 15:42:42
言葉遊びになるが 戦略的にも武田は勝ってないだろう 川中島での損害が少なかったら もっと早く上洛に向け動き出せていたじゃん 長い目で見ても川中島の戦いは武田家にとってはマイナスでしかない

832: 名無し 2005/03/26(土) 05:26:56
>>827 
その年のうちには元気に関東で戦ってるんだから 
戦力の問題ではないだろ。

828: 名無し 2005/03/24(木) 02:00:23
水は低きに流れる、というからね。上杉難しとみた武田は義元亡き後の 
今川攻略に方向転換したんでしょ。上杉が激流を制する“信玄堤”に 
なってしまったというこの皮肉・・・。

837: 名無し 2005/03/27(日) 03:40:42
>>828 
矛先を今川に向けてからは対上杉の大規模な軍事行動は起こしてないもんな。 
衝突当初は越後を取るつもりだったんだろうな。 
まあ東は北条、南は今川が押さえてるから、海に出たけりゃ北に向かうしかない。 
義元が桶狭間であぼーんされるなんて神のみぞ知るだしな。 

で、結局は薮蛇になっちまったわけだ。

830: 名無し 2005/03/25(金) 14:24:08
確かに謙信と敵対していなければ国内で兵力、経済力を養ったりして 
機会をうかがうこともできたかもね。信玄っていざ上洛へ・・・って 
絶妙なタイミングで亡くなっているだけに、謙信と戦っていた時の 
タイムラグが後の運命を分けたように思えてならない・・・。

831: 名無し 2005/03/25(金) 14:58:51
いや謙信と争ってでも北信をとっとかなきゃ上洛を考える国力もつかんて。

833: 名無し 2005/03/26(土) 06:17:15
北信を甲越の緩衝地帯にするって知恵はなかったのか? 

834: 名無し 2005/03/26(土) 23:38:22
緩衝どころか第二回の後の盟約(今川義元が仲介に入ったやつ)を結んだにも 
かかわらず簡単に破ってくる武田のやり口が余計謙信を怒らせたわけだね。

835: 名無し 2005/03/27(日) 00:30:25
武田が破らなきゃ上杉から破ってただけと言う気もするがな。 
謙信ってば結構好き放題やっちゃう人だから。

836: 名無し 2005/03/27(日) 02:18:15
謙信にとっても信玄と衝突したのは痛いことだろうな。 
何も無けりゃ関東に専念できたし。将軍が殺される前に松永弾正も討ち取れてたかもしれん。 
ただ天下を取る気があったのかどうかが。まだ武田幕府の方が現実味あるか。

838: 名無し 2005/03/27(日) 05:22:40
北条と武田が示し合わせて、双方MAXの兵力で 
せーの!で同時に越後攻めたら謙信たおせた?

839: 名無し 2005/03/27(日) 10:22:03
絶対武田か北条のどっちかが空になった相手の国に攻め込むって。 
謙信と戦うよりずっと楽ちん。 
と武田も北条も考えるだろうからそんな案は成立せんて。 
武田と北条がとても誠実で相手のことを信頼してたって他の連中が攻めて来るかもしれんから 
兵力全部連れてくなんてありえんて。

840: 名無し 2005/03/27(日) 14:07:41
うむ。もしかしたら謙信倒せたかもね。しかし、北条は関東諸勢力から 
恨みを買っているから、留守にした途端小田原を席巻されるだろね。 
武田は今川あたりに甲斐を取られてる。どちらも帰る所をなくすでせう。

841: 名無し 2005/03/28(月) 03:02:21
北条は越後に攻め込むには三国峠を越えなきゃならんから、そんな骨折り損のくたびれもうけを 
するよりは信玄が謙信を引き付けてる間に関東の反北条諸勢力を潰そうとするだろうな。 
一方、武田は武田で北条が三国峠を越えたら留守中の小田原に手を伸ばそうと虎視眈々。 
結局うまくいきそうもないな。(w

843: 名無し 2005/03/29(火) 13:40:22
謙信が関東に出てきた時に、 
北条は兵力だけはたくさんいるから 
一部で謙信を南に誘導して 
一部で北への帰途を塞ぐ。 
その間に信玄が越後あぼーん。 

こんなのどう?

844: 名無し 2005/03/29(火) 17:47:22
永禄3~4年の最初の関東遠征のときにやってるよ。 
信玄は二度も越後侵攻を試みたが、信越国境の割ケ嶽城を 
落としただけでシパーい。謙信は関東越山するときは 
芦名勢に留守居を頼んでいたらしい。

848: 名無し 2005/03/30(水) 01:49:59
>>844 
信玄も芦名とは連絡取ってるし 
1568年には芦名との同時侵攻を狙ってるね。

845: 名無し 2005/03/29(火) 23:46:03
謙信は大軍の指揮を任せられる部下は1人も居なかったのか?

846: 名無し 2005/03/30(水) 00:01:30
直江や河田がそれに近いんじゃないかと 

越後侵攻は、とにかく雪がネックだな。 
北条絶頂期も冬になって諦めてる。 
逆に、守る方も冬まで持ちこたえれば良いわけだから、 
頑張り甲斐があって、固い 

847: 名無し 2005/03/30(水) 01:06:15
北条が三国峠を越えた場合、もし越後で謙信に大敗したら撤退するのが困難でしょ。最低限、上野の支配を磐石なものにしてからじゃないと無理だろうなあ。

849: 名無し 2005/03/30(水) 18:01:06
>>847 
上野の安定も必要だし、佐竹と里見が脅威でしょう。

864: 名無し 2005/04/16(土) 08:52:30
思ったんだが北条六万で春日山攻めたらおとせるかなあ? 
越後兵力は2万と想定 
巨城春日山といえど防衛実績がないから知りたい! 
みんな鋭い予想頼むど

865: 名無し 2005/04/16(土) 17:48:02
>>864 
国境で撃退される。

866: 名無し 2005/04/16(土) 18:12:25
>>864>>865 
その後、西上野に敗走させられ、佐竹勢に迎え討たれる。 
その間、里見勢が海路相模に侵攻、小田原城を占拠。 
その結果、北条氏は武蔵で滅亡。チャンチャン♪

867: 名無し 2005/04/16(土) 23:30:16
なるほど春日山攻め以前に野戦で北条やられる…と 
では次のチェックです 
皆さん越後にもたくさん城ありますがここで皆さんに越後の堅城ランクベスト10を格付けしてもらいたいと思います 
まあ1位2位はだいたいわかりますがよろしく 


868: 名無し 2005/04/16(土) 23:56:35
>>867 

①春日山城 
②村上城 
③坂戸城 
④栃尾城 
⑤直峰城 
⑥犬伏城 
⑦平林城 
⑧猿毛城 
⑨勝山城 
⑩不動山城 

875: 名無し 2005/04/26(火) 13:02:20
新発田城や北条城、枇杷島城、上条城もなかなかのものかと

878: 名無し 2005/04/26(火) 22:05:10
>>875 
新発田城は景勝を苦しめた実績はあるが、しょせん平城。

876: 名無し 2005/04/26(火) 13:05:14
それと9位の勝山城て越後のどこらの城なんすか? 
まさか現刈羽村の勝山城とか?

878: 名無し 2005/04/26(火) 22:05:10
>>876 
親不知子不知(西頚城郡青梅町)の勝山城です。 
春日山城の西の備え。 

877: 名無し 2005/04/26(火) 13:09:12
あ、最後に与板城もわすれないでね