そろそろ始めるで
今日は第六回や
今日は第六回や
◆
第六回 金闕を焼きて董卓は禍を行い 玉璽を隠して孫堅は誓いに背く
さて張飛は馬を叩いて関の下まで追いかけましたが、関の上から矢と石が雨のように降ってきたため、進めずに戻りました。
八路の諸侯は、玄徳、関、張を呼んで功を慶賀し、人を袁紹の陣中に行かせて勝利を報せました。
第六回 金闕を焼きて董卓は禍を行い 玉璽を隠して孫堅は誓いに背く
さて張飛は馬を叩いて関の下まで追いかけましたが、関の上から矢と石が雨のように降ってきたため、進めずに戻りました。
八路の諸侯は、玄徳、関、張を呼んで功を慶賀し、人を袁紹の陣中に行かせて勝利を報せました。
◆
袁紹は孫堅に檄を送り、兵を進ませようとしました。孫堅は程普、?蓋を引き連れ、袁術の陣中に行って相見えました。
孫堅は杖で地面に画を描きながら「董卓と私は、本来仇ではございません。
今私が奮起して身を顧みず、自ら矢や石の中を冒し、決死の戦いをするのは、上は国家のために賊を討ち、下は将軍の家門の利のためです。
将軍はかえって讒言を聞き、兵糧と馬草を送らず、堅を敗績させたのに、どうして平然としておられるのですか!」と言ったので、
袁術は恐れて無言になり、讒言をした人を斬らせ、孫堅に謝罪しました。
袁紹は孫堅に檄を送り、兵を進ませようとしました。孫堅は程普、?蓋を引き連れ、袁術の陣中に行って相見えました。
孫堅は杖で地面に画を描きながら「董卓と私は、本来仇ではございません。
今私が奮起して身を顧みず、自ら矢や石の中を冒し、決死の戦いをするのは、上は国家のために賊を討ち、下は将軍の家門の利のためです。
将軍はかえって讒言を聞き、兵糧と馬草を送らず、堅を敗績させたのに、どうして平然としておられるのですか!」と言ったので、
袁術は恐れて無言になり、讒言をした人を斬らせ、孫堅に謝罪しました。
◆
突然ある人が孫堅に
「関の中の一将が、馬に乗り陣中に来て、将軍に会おうとしております。」
と報せました。
孫堅が袁術に別れを告げ、本陣に帰り、来た者を呼んで用件を問うと、彼こそ董卓が寵愛する将の李?でした。
孫堅が「お前はどうして来たのだ?」と問うたので、
李?は「丞相が敬愛するのは、将軍だけです。今特に?を遣わして婚姻を結びに来させました。
丞相には娘がいるので、将軍の子と配偶させたく存じます。」と言うと、
孫堅は大いに怒って「董卓は天に逆らう無道であり、王室を覆したので、私は奴の九族を滅ぼし、天下に謝ろうとしているのに、どうして逆賊と婚姻を結ぶというのだ!
私はお前を斬らぬ!お前が速やかに去り、早く関を献上すれば、お前の命は残しておいてやる!もし遅れれば、骨を粉にし身を砕くぞ!」と叱りました。
突然ある人が孫堅に
「関の中の一将が、馬に乗り陣中に来て、将軍に会おうとしております。」
と報せました。
孫堅が袁術に別れを告げ、本陣に帰り、来た者を呼んで用件を問うと、彼こそ董卓が寵愛する将の李?でした。
孫堅が「お前はどうして来たのだ?」と問うたので、
李?は「丞相が敬愛するのは、将軍だけです。今特に?を遣わして婚姻を結びに来させました。
丞相には娘がいるので、将軍の子と配偶させたく存じます。」と言うと、
孫堅は大いに怒って「董卓は天に逆らう無道であり、王室を覆したので、私は奴の九族を滅ぼし、天下に謝ろうとしているのに、どうして逆賊と婚姻を結ぶというのだ!
私はお前を斬らぬ!お前が速やかに去り、早く関を献上すれば、お前の命は残しておいてやる!もし遅れれば、骨を粉にし身を砕くぞ!」と叱りました。
◆
李?は頭を抱えて鼠のように逃げ出し、帰って董卓に会い、孫堅がこのように無礼であると話しました。
董卓は怒り、李儒にどうすればよいかと問いました。
李儒は「温侯が新たに敗れ、兵には戦う心がなくなりました。兵を引き連れて洛陽に帰り、帝を長安に移すのがよろしく、それは童謡に応じております。
近日街市の童謡で『西に一つの漢、東に一つの漢。鹿が長安に入って、ようやくこの難がなくなろう。』と歌われております。
臣がこの言葉を考えますに、『西に一つの漢』は、高祖が西都長安で栄え、十二帝に伝えたことに応じ、『東に一つの漢』は、光武が東都洛陽で栄え、今また十二帝に伝えたことに応じております。
天運は回帰するので、丞相が長安に遷都して帰れば、ようやく懸念はなくなりましょう。」と言ったので、
董卓は大いに喜んで「お前の言葉がなければ、私はそれをわからなかった。」と言い、
呂布を引き連れてその夜のうちに洛陽に帰り、遷都を相談しました。
李?は頭を抱えて鼠のように逃げ出し、帰って董卓に会い、孫堅がこのように無礼であると話しました。
董卓は怒り、李儒にどうすればよいかと問いました。
李儒は「温侯が新たに敗れ、兵には戦う心がなくなりました。兵を引き連れて洛陽に帰り、帝を長安に移すのがよろしく、それは童謡に応じております。
近日街市の童謡で『西に一つの漢、東に一つの漢。鹿が長安に入って、ようやくこの難がなくなろう。』と歌われております。
臣がこの言葉を考えますに、『西に一つの漢』は、高祖が西都長安で栄え、十二帝に伝えたことに応じ、『東に一つの漢』は、光武が東都洛陽で栄え、今また十二帝に伝えたことに応じております。
天運は回帰するので、丞相が長安に遷都して帰れば、ようやく懸念はなくなりましょう。」と言ったので、
董卓は大いに喜んで「お前の言葉がなければ、私はそれをわからなかった。」と言い、
呂布を引き連れてその夜のうちに洛陽に帰り、遷都を相談しました。
◆
司徒の楊彪は「関中は壊れて零落しております。今わけなく宗廟を捨て、皇陵を棄てれば、恐らく百姓は驚いて動揺いたします。
天下の人は容易に動揺しますが、安心させるのは至難なので、丞相はその事をご明察ください。」と言ったので、
董卓は怒って「お前は国家の大計を阻もうというのか?」と言いました。
太尉の黄?も「楊司徒の言葉はもっともで、昔王莽が簒奪し、更始、赤眉の乱が起こった時、長安は焼かれ、全て瓦礫の地となり、
さらに人民は流れ、百のうち一、二もいないというのに、今宮室を棄てて荒地に行くのは、よろしいことではありません。」と言うと、
董卓は「関東で賊が起こり、天下は動乱したが、長安には?、函の険があり、さらに隴右に近く、木や石や煉瓦は、日を決めて調達出来るので、宮室の建造は、一月余りもかからない。
お前たちはふたたび乱り言を出すのを止めよ。」と言いました。
司徒の荀爽が「丞相がもし遷都しようとすれざ、百姓は騷動を起こして安寧にならなくなります。」と諌めると、
董卓は大いに怒って「私が天下の計のために、どうして民などを惜しもうか!」と言いました。即日楊彪、黄?、荀爽は罷免されて庶民となりました。
司徒の楊彪は「関中は壊れて零落しております。今わけなく宗廟を捨て、皇陵を棄てれば、恐らく百姓は驚いて動揺いたします。
天下の人は容易に動揺しますが、安心させるのは至難なので、丞相はその事をご明察ください。」と言ったので、
董卓は怒って「お前は国家の大計を阻もうというのか?」と言いました。
太尉の黄?も「楊司徒の言葉はもっともで、昔王莽が簒奪し、更始、赤眉の乱が起こった時、長安は焼かれ、全て瓦礫の地となり、
さらに人民は流れ、百のうち一、二もいないというのに、今宮室を棄てて荒地に行くのは、よろしいことではありません。」と言うと、
董卓は「関東で賊が起こり、天下は動乱したが、長安には?、函の険があり、さらに隴右に近く、木や石や煉瓦は、日を決めて調達出来るので、宮室の建造は、一月余りもかからない。
お前たちはふたたび乱り言を出すのを止めよ。」と言いました。
司徒の荀爽が「丞相がもし遷都しようとすれざ、百姓は騷動を起こして安寧にならなくなります。」と諌めると、
董卓は大いに怒って「私が天下の計のために、どうして民などを惜しもうか!」と言いました。即日楊彪、黄?、荀爽は罷免されて庶民となりました。
◆
董卓が出て車に乗ると、ある二人が車に向かって礼をしたので、その人たちを見てみると、彼らこそ尚書の周毖、城門校尉の伍瓊でした。
董卓が何事かと問うと、周毖は「今丞相が長安に遷都しようとしていると聞き、諌めに参りました。」と言ったので、
董卓は大いに怒って「私は初めお前ら二人の意見を聞き、袁紹を用いたのに、今紹は背いた。お前らも同罪だ!」と言い、兵士を叱って引き立たせて都の門で斬首させました。
董卓が出て車に乗ると、ある二人が車に向かって礼をしたので、その人たちを見てみると、彼らこそ尚書の周毖、城門校尉の伍瓊でした。
董卓が何事かと問うと、周毖は「今丞相が長安に遷都しようとしていると聞き、諌めに参りました。」と言ったので、
董卓は大いに怒って「私は初めお前ら二人の意見を聞き、袁紹を用いたのに、今紹は背いた。お前らも同罪だ!」と言い、兵士を叱って引き立たせて都の門で斬首させました。
◆
遂に遷都を伝令し、明日ただちに出発することに決めました。
李儒が「今金銭と兵糧が欠けて少なくなっておりますが、洛陽の富豪は極めて多いので、没収して官府に入れましょう。
袁紹らの門下を、宗族ごと殺して家財を奪えば、必ず巨万の富を得られます。」と言ったので、
董卓は即座に鉄騎五千を差し向けて、あまねく洛陽の富豪を捕らえに行かせると、合わせて数千家となり、
旗を頭上に挿し、大きく「反臣逆党」と書き、城外でことごとく斬り、彼らの財産を奪いました。
遂に遷都を伝令し、明日ただちに出発することに決めました。
李儒が「今金銭と兵糧が欠けて少なくなっておりますが、洛陽の富豪は極めて多いので、没収して官府に入れましょう。
袁紹らの門下を、宗族ごと殺して家財を奪えば、必ず巨万の富を得られます。」と言ったので、
董卓は即座に鉄騎五千を差し向けて、あまねく洛陽の富豪を捕らえに行かせると、合わせて数千家となり、
旗を頭上に挿し、大きく「反臣逆党」と書き、城外でことごとく斬り、彼らの財産を奪いました。
◆
李?、郭汜は、洛陽の民数百万人をことごとく駆り立て、前進し長安に赴きました。
百姓一隊につき、軍一隊を挟んだため、互いに押し合い、谷間に落ちて死んだ者は、数えきれませんでした。
また兵士がほしいままに人妻や娘を淫姦し、糧食を奪ったので、慟哭の声が、天地を震わせました。
行軍で遅れた者には、背後から三千の軍が催促し、兵士は手に白刃を取り、路で人を殺しました。
李?、郭汜は、洛陽の民数百万人をことごとく駆り立て、前進し長安に赴きました。
百姓一隊につき、軍一隊を挟んだため、互いに押し合い、谷間に落ちて死んだ者は、数えきれませんでした。
また兵士がほしいままに人妻や娘を淫姦し、糧食を奪ったので、慟哭の声が、天地を震わせました。
行軍で遅れた者には、背後から三千の軍が催促し、兵士は手に白刃を取り、路で人を殺しました。
◆
董卓は行くに臨み、諸所の門に火を放たせ、民家を焼き、宗廟や宮殿も焼きました。
南北の両宮は、火焔が連なり、洛陽の宮殿も、ことごとく焦土と化しました。
また呂布を差し向けて先帝及び皇后や妃の陵墓を発掘させ、宝物を奪わせました。
兵士たちは勢いに乗じて官民の墳墓もほとんど掘り尽くしてしまいました。
董卓は金や珠玉絹など良い物を数千台余りの車に載せ、天子及び皇后や妃らを連れ、遂に長安に向かって進発しました。
董卓は行くに臨み、諸所の門に火を放たせ、民家を焼き、宗廟や宮殿も焼きました。
南北の両宮は、火焔が連なり、洛陽の宮殿も、ことごとく焦土と化しました。
また呂布を差し向けて先帝及び皇后や妃の陵墓を発掘させ、宝物を奪わせました。
兵士たちは勢いに乗じて官民の墳墓もほとんど掘り尽くしてしまいました。
董卓は金や珠玉絹など良い物を数千台余りの車に載せ、天子及び皇后や妃らを連れ、遂に長安に向かって進発しました。
◆
曹操は袁紹に会いに行って「今董賊は西に去ったので、まさに勢いに乗じて追撃すべきなのに、本初殿が兵を押さえて動かないのは、どうしてですか?」と言うと、
袁紹は「兵たちは疲れており、進軍しても無益だろう。」と言ったので、
曹操は「董賊は宮室を焼き、天子を奪い去ったため、海内が震撼し、帰る所もわからなくなっており、これは天が奴を滅ぼそうとしている時なので、一戦すれば天下は定められます。
諸侯たちは何を疑って進軍しないのですか?」と言いましたが、
諸侯たちは皆軽々しく動くべきではないと言いました。
曹操は大いに怒って「豎子とは共に謀るに足りん!」と言い、
遂に自ら兵一万余りを引き連れ、夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪、李典、楽進を率い、その夜のうちに董卓を追いました。
曹操は袁紹に会いに行って「今董賊は西に去ったので、まさに勢いに乗じて追撃すべきなのに、本初殿が兵を押さえて動かないのは、どうしてですか?」と言うと、
袁紹は「兵たちは疲れており、進軍しても無益だろう。」と言ったので、
曹操は「董賊は宮室を焼き、天子を奪い去ったため、海内が震撼し、帰る所もわからなくなっており、これは天が奴を滅ぼそうとしている時なので、一戦すれば天下は定められます。
諸侯たちは何を疑って進軍しないのですか?」と言いましたが、
諸侯たちは皆軽々しく動くべきではないと言いました。
曹操は大いに怒って「豎子とは共に謀るに足りん!」と言い、
遂に自ら兵一万余りを引き連れ、夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪、李典、楽進を率い、その夜のうちに董卓を追いました。
◆
さて董卓が?陽の地方に到ると、太守の徐栄が出迎えました。
李儒が「丞相は洛陽を棄てられたばかりなので、追手を防がねばなりません。
徐栄を?陽城外の山砦の側に伏せさせ、もし兵が追って来たら、通過させ、我らが敵を破った後に、退路を断たせて急襲させましょう。
後から来た者も敢えてふたたび追わなくなります。」と言うと、
董卓はその計に従い、また呂布に精鋭を引き連れさせて後続を断たせました。
さて董卓が?陽の地方に到ると、太守の徐栄が出迎えました。
李儒が「丞相は洛陽を棄てられたばかりなので、追手を防がねばなりません。
徐栄を?陽城外の山砦の側に伏せさせ、もし兵が追って来たら、通過させ、我らが敵を破った後に、退路を断たせて急襲させましょう。
後から来た者も敢えてふたたび追わなくなります。」と言うと、
董卓はその計に従い、また呂布に精鋭を引き連れさせて後続を断たせました。
◆
呂布がまさに行軍していると、曹操の一軍が追って来ました。呂布は大いに笑って「李儒の考えを越えられなかったな!」と言い、兵馬を展開させました。
曹操が馬を出し、大声で「逆賊め!天子を奪い去り、百姓を移し、どこに行くのだ?」と叫ぶと、
呂布は「主に背く懦夫が、どうして妄言をするのだ!」と罵りました。
呂布がまさに行軍していると、曹操の一軍が追って来ました。呂布は大いに笑って「李儒の考えを越えられなかったな!」と言い、兵馬を展開させました。
曹操が馬を出し、大声で「逆賊め!天子を奪い去り、百姓を移し、どこに行くのだ?」と叫ぶと、
呂布は「主に背く懦夫が、どうして妄言をするのだ!」と罵りました。
◆
夏侯惇が槍を立て馬を躍らせ、真っ直ぐと呂布に取って掛かりました。
数合も戦わぬうちに、李?が一軍を引き連れ、左から殺到したので、曹操は急いで夏侯淵に敵を迎え撃たせました。
右からもまた喚声が起こり、郭汜が軍を引き連れて殺到して来たので、曹操は急いで曹仁に敵を迎え撃たせました。
三路の兵馬は、当たるべからざる勢いがありました。
夏侯惇は呂布に敵わず、馬を飛ばして陣に戻りました。
呂布が鉄騎を引き連れて急襲すると、曹操軍は大敗し、?陽に向かって逃げ出しました。
一座の荒れた山の麓に逃げた時には、約二更となっており、月明りは昼のようでした。ようやく敗残兵を集められました。
夏侯惇が槍を立て馬を躍らせ、真っ直ぐと呂布に取って掛かりました。
数合も戦わぬうちに、李?が一軍を引き連れ、左から殺到したので、曹操は急いで夏侯淵に敵を迎え撃たせました。
右からもまた喚声が起こり、郭汜が軍を引き連れて殺到して来たので、曹操は急いで曹仁に敵を迎え撃たせました。
三路の兵馬は、当たるべからざる勢いがありました。
夏侯惇は呂布に敵わず、馬を飛ばして陣に戻りました。
呂布が鉄騎を引き連れて急襲すると、曹操軍は大敗し、?陽に向かって逃げ出しました。
一座の荒れた山の麓に逃げた時には、約二更となっており、月明りは昼のようでした。ようやく敗残兵を集められました。
◆
まさに鍋を埋めて飯を作っていると、四方から喚声が起こるのが聞こえ、徐栄の伏兵がことごとく出てきました。
曹操が慌てて馬に鞭うち、路を開いて逃げ出すと、正面から徐栄に遭遇したので、身を転じてただちに逃げ出しました。
徐栄が矢を載せ、射ると曹操の肩に当たりました。
曹操は矢を帯びたまま命からがら逃げ出し、山腹を曲がりました。
まさに鍋を埋めて飯を作っていると、四方から喚声が起こるのが聞こえ、徐栄の伏兵がことごとく出てきました。
曹操が慌てて馬に鞭うち、路を開いて逃げ出すと、正面から徐栄に遭遇したので、身を転じてただちに逃げ出しました。
徐栄が矢を載せ、射ると曹操の肩に当たりました。
曹操は矢を帯びたまま命からがら逃げ出し、山腹を曲がりました。
◆
二人の兵士が草むらに伏せていると、曹操の馬が来るのが見えたので、二本の槍を一斉に突き刺すと、曹操の馬に当り倒れました。
曹操は身を翻して馬から落ち、二人の兵卒に捕らえられました。
一将が馬を飛ばしてやって来て、刀を振るって二人の歩兵を斬り殺し、馬を下り曹操を救い起こしました。
曹操がその人を見てみると、彼こそ曹洪でした。
曹操が「私はここで死ぬが、賢弟は速やかに去れ!」と言うと、
曹洪は「公は急いで馬に乗ってくだされ!洪は歩いて行きます。」と言ったので、
曹操は「賊兵が追ってきているのに、お前はどうするのだ?」と言うと、
曹洪は「天下には洪がいなくともよいですが、公がいなくてはなりません。」と言ったので、
曹操は「私がもし生き残れたら、それはお前の力だ。」と言いました。
二人の兵士が草むらに伏せていると、曹操の馬が来るのが見えたので、二本の槍を一斉に突き刺すと、曹操の馬に当り倒れました。
曹操は身を翻して馬から落ち、二人の兵卒に捕らえられました。
一将が馬を飛ばしてやって来て、刀を振るって二人の歩兵を斬り殺し、馬を下り曹操を救い起こしました。
曹操がその人を見てみると、彼こそ曹洪でした。
曹操が「私はここで死ぬが、賢弟は速やかに去れ!」と言うと、
曹洪は「公は急いで馬に乗ってくだされ!洪は歩いて行きます。」と言ったので、
曹操は「賊兵が追ってきているのに、お前はどうするのだ?」と言うと、
曹洪は「天下には洪がいなくともよいですが、公がいなくてはなりません。」と言ったので、
曹操は「私がもし生き残れたら、それはお前の力だ。」と言いました。
◆
曹操は馬に乗り、曹洪は衣服と甲冑を脱ぎ、刀を引き摺って馬と共に逃げました。
約四更過ぎまで逃げると、前方に一条の大河があり、進路を阻まれ、後方では喚声がだんだんと近づいてきました。
曹操は「命はここで終わり、生き残れない!」と言いましたが、
曹洪は急いで曹操を馬から下ろし、袍と鎧を脱がせ、曹操を背負って河を渡りました。
彼岸に着いた時には、追手がすでに来ており、河を隔てて矢を放ちました。
曹操は水に濡れたまま逃げ出しました。
夜明け頃、また三十里余り逃げると、岡の麓で少し休みました。突然喚声が起こり、一隊の人馬が追って来ましたが、徐栄が上流から渡河して追って来ていたのでした。
曹操は馬に乗り、曹洪は衣服と甲冑を脱ぎ、刀を引き摺って馬と共に逃げました。
約四更過ぎまで逃げると、前方に一条の大河があり、進路を阻まれ、後方では喚声がだんだんと近づいてきました。
曹操は「命はここで終わり、生き残れない!」と言いましたが、
曹洪は急いで曹操を馬から下ろし、袍と鎧を脱がせ、曹操を背負って河を渡りました。
彼岸に着いた時には、追手がすでに来ており、河を隔てて矢を放ちました。
曹操は水に濡れたまま逃げ出しました。
夜明け頃、また三十里余り逃げると、岡の麓で少し休みました。突然喚声が起こり、一隊の人馬が追って来ましたが、徐栄が上流から渡河して追って来ていたのでした。
◆
曹操がまさに慌てていると、夏侯惇、夏侯淵が十数騎を引き連れて飛んで来て、
「徐栄は我が主を傷つけるな!」と大喝しました。
徐栄が夏侯惇に向かうと、夏侯惇は槍を立てて迎え撃ちました。
馬を交えて数合すると、夏侯惇は徐栄を刺して馬から落とし、残された兵を蹴散らしました。
後から曹仁、李典、楽進が、各々兵を引き連れて探しており、曹操を見つけると、憂いと喜びを共に感じ、敗残兵五百人余りを集め、共に河内に戻りました。
董卓の兵は長安に行きました。
曹操がまさに慌てていると、夏侯惇、夏侯淵が十数騎を引き連れて飛んで来て、
「徐栄は我が主を傷つけるな!」と大喝しました。
徐栄が夏侯惇に向かうと、夏侯惇は槍を立てて迎え撃ちました。
馬を交えて数合すると、夏侯惇は徐栄を刺して馬から落とし、残された兵を蹴散らしました。
後から曹仁、李典、楽進が、各々兵を引き連れて探しており、曹操を見つけると、憂いと喜びを共に感じ、敗残兵五百人余りを集め、共に河内に戻りました。
董卓の兵は長安に行きました。
◆
さて諸侯たちは分かれて洛陽に駐屯しました。
孫堅は宮中の残り火を消させ、城内に駐屯し、帳を建章殿の基礎の上に設けました。
孫堅は兵士に命じて宮殿の瓦礫を掃除させました。
おおよそ董卓が掘り返した陵墓は、ことごとく閉じました。
太廟の基礎の上には、殿を三間仮に建て、諸侯たちを呼んで歴代の天子の位牌を並べ、太牢を供えて祭りました。
祭り終えると、皆解散しました。
さて諸侯たちは分かれて洛陽に駐屯しました。
孫堅は宮中の残り火を消させ、城内に駐屯し、帳を建章殿の基礎の上に設けました。
孫堅は兵士に命じて宮殿の瓦礫を掃除させました。
おおよそ董卓が掘り返した陵墓は、ことごとく閉じました。
太廟の基礎の上には、殿を三間仮に建て、諸侯たちを呼んで歴代の天子の位牌を並べ、太牢を供えて祭りました。
祭り終えると、皆解散しました。
◆
孫堅も陣中に帰りましたが、この夜は星と月が交互に輝いていたので、こうして剣を押さえて地に座り、天文を仰ぎ見ました。
紫微垣の中から白い気が立ち込めているのが見えたため、孫堅は「帝星が不明で、賊臣が国を乱し、万民は塗炭の苦しみに遭い、都城は空虚だ!」と嘆きました。
言い終えると、不覚にも涙を流しました。
孫堅も陣中に帰りましたが、この夜は星と月が交互に輝いていたので、こうして剣を押さえて地に座り、天文を仰ぎ見ました。
紫微垣の中から白い気が立ち込めているのが見えたため、孫堅は「帝星が不明で、賊臣が国を乱し、万民は塗炭の苦しみに遭い、都城は空虚だ!」と嘆きました。
言い終えると、不覚にも涙を流しました。
◆
側にいた兵士が指差して「殿の南の井戸の中から五色の眩い光が起こっております。」と言ったので、孫堅は兵士を呼んで松明を付けさせ、井戸に入らせて探させました。
ひとりの婦人の屍が引き上げられ、日が経っているのに、その屍は爛れておらず、宮女の装束で、首に一つの錦の袋を提げておりました。
取って開いて見てみると、中には朱色の小箱があり、金の鎖がかかっておりました。
開いて見てみると、一つの玉璽があり、周囲は四寸でした。上に五匹の龍の紋様が彫られ、傍らの欠けた一角に、黄金が嵌め込まれており、
上の篆書の八字には「受命於天、既壽永昌(命を天に受け、既に寿く永えに昌えん)」とありました。
側にいた兵士が指差して「殿の南の井戸の中から五色の眩い光が起こっております。」と言ったので、孫堅は兵士を呼んで松明を付けさせ、井戸に入らせて探させました。
ひとりの婦人の屍が引き上げられ、日が経っているのに、その屍は爛れておらず、宮女の装束で、首に一つの錦の袋を提げておりました。
取って開いて見てみると、中には朱色の小箱があり、金の鎖がかかっておりました。
開いて見てみると、一つの玉璽があり、周囲は四寸でした。上に五匹の龍の紋様が彫られ、傍らの欠けた一角に、黄金が嵌め込まれており、
上の篆書の八字には「受命於天、既壽永昌(命を天に受け、既に寿く永えに昌えん)」とありました。
◆
孫堅は玉璽を得ると、程普に問いました。
程普は「これは伝国璽です。この玉は昔日卞和が荊山の麓で、鳳凰が石の上に棲んでいるのを見て、石を載せて楚の文王に進呈しました。石を砕くと、果たして玉を得ました。
秦の二十六年に、玉造に磨かせて璽を造り、李斯が篆書でこの八字を上に書きました。
二十八年に、始皇が巡幸して洞庭湖に到ると、風浪が大いに起こり、舟が転覆しそうになったので、急いで玉璽を湖面に投げると風浪は止みました。
三十六年になり、始皇が巡幸して華陰に到ると、ある人が玉璽を持って道を遮り、従者に渡して『これを祖龍に返すのだ。』と言い、言い終えると見えなくなりました。
こうして玉璽はまた秦に戻りました。翌年、始皇は崩御しました。
孫堅は玉璽を得ると、程普に問いました。
程普は「これは伝国璽です。この玉は昔日卞和が荊山の麓で、鳳凰が石の上に棲んでいるのを見て、石を載せて楚の文王に進呈しました。石を砕くと、果たして玉を得ました。
秦の二十六年に、玉造に磨かせて璽を造り、李斯が篆書でこの八字を上に書きました。
二十八年に、始皇が巡幸して洞庭湖に到ると、風浪が大いに起こり、舟が転覆しそうになったので、急いで玉璽を湖面に投げると風浪は止みました。
三十六年になり、始皇が巡幸して華陰に到ると、ある人が玉璽を持って道を遮り、従者に渡して『これを祖龍に返すのだ。』と言い、言い終えると見えなくなりました。
こうして玉璽はまた秦に戻りました。翌年、始皇は崩御しました。
◆
後に子嬰が玉璽を漢の高祖に献上しました。
さらにその後王莽が簒奪をすると、孝元皇太后は玉璽を王尋、蘇献に投げつけ、その一角が崩れたので、金を嵌め込みました。
光武がこの宝を宜陽で得、代々伝えて今に至ります。
近頃十常侍が乱を起こし、少帝をさらって北?に逃げ出し、帝が宮中に帰るとこの宝は失われていたと聞いております。
今天が主公に授けられたので、必ず九五の位に登りましょう。
ここに久しく留まるべきではなく、速やかに江東に帰り、別に大事を図った方がよろしいでしょう。」と言ったので、
孫堅は「お前の言葉はまさに我が意に合致している。明日ただちに病を口実に帰ろう。」と言いました。
相談が定まると、兵士にこの事を漏らさぬようにと密かに伝えました。
後に子嬰が玉璽を漢の高祖に献上しました。
さらにその後王莽が簒奪をすると、孝元皇太后は玉璽を王尋、蘇献に投げつけ、その一角が崩れたので、金を嵌め込みました。
光武がこの宝を宜陽で得、代々伝えて今に至ります。
近頃十常侍が乱を起こし、少帝をさらって北?に逃げ出し、帝が宮中に帰るとこの宝は失われていたと聞いております。
今天が主公に授けられたので、必ず九五の位に登りましょう。
ここに久しく留まるべきではなく、速やかに江東に帰り、別に大事を図った方がよろしいでしょう。」と言ったので、
孫堅は「お前の言葉はまさに我が意に合致している。明日ただちに病を口実に帰ろう。」と言いました。
相談が定まると、兵士にこの事を漏らさぬようにと密かに伝えました。
◆
誰が想像出来たでしょうかその中の一人の兵士が、袁紹と同郷の人で、これで出世を図ろうとし、その夜のうちに密かに陣営を抜け出し、袁紹に報せに行きました。
袁紹はその人に恩賞を賜り、密かに軍中に留めました。
次の日、孫堅が袁紹に別れを告げに来て「堅には小さな病があるので、長沙に帰ろうと思い、特に公に別れを告げに来ました。」と言うと、
袁紹は笑って「私は公の病は伝国璽が害していると知っている。」と言ったので、
袁堅は色を失って「そのような言葉をどうして出すのですか?」と言うと、
袁紹は「今は兵を起こし賊を討ち、国のために害を除こうとしている。玉璽こそ朝廷の宝で、公が得たのなら、人々にも言って盟主の所に留め、董卓を誅してから、朝廷に返すべきだ。
今玉璽を隠して去ろうとしているが、どうしたいのだ?」と言いました。
誰が想像出来たでしょうかその中の一人の兵士が、袁紹と同郷の人で、これで出世を図ろうとし、その夜のうちに密かに陣営を抜け出し、袁紹に報せに行きました。
袁紹はその人に恩賞を賜り、密かに軍中に留めました。
次の日、孫堅が袁紹に別れを告げに来て「堅には小さな病があるので、長沙に帰ろうと思い、特に公に別れを告げに来ました。」と言うと、
袁紹は笑って「私は公の病は伝国璽が害していると知っている。」と言ったので、
袁堅は色を失って「そのような言葉をどうして出すのですか?」と言うと、
袁紹は「今は兵を起こし賊を討ち、国のために害を除こうとしている。玉璽こそ朝廷の宝で、公が得たのなら、人々にも言って盟主の所に留め、董卓を誅してから、朝廷に返すべきだ。
今玉璽を隠して去ろうとしているが、どうしたいのだ?」と言いました。
◆
孫堅が「玉璽がどうして私の所にあるというのですか?」と言うと、
袁紹は「建章殿の井戸の中の物はどこだ?」と言い、
孫堅が「私は元より持っていないのに、どうして迫るのですか?」と言うと、
袁紹は「速やかに取り出せば、禍を生むのを免れよう。」と言いました。
孫堅は天を指差して「私が果たしてその宝を得ており、密かに隠していたのなら、後日良い終わり方が出来ず、刀箭の下で死にましょう!」と誓ったので、
諸侯たちは「文台殿がこのように誓われるのなら、必ず持っていないと思われます。」と言いました。
孫堅が「玉璽がどうして私の所にあるというのですか?」と言うと、
袁紹は「建章殿の井戸の中の物はどこだ?」と言い、
孫堅が「私は元より持っていないのに、どうして迫るのですか?」と言うと、
袁紹は「速やかに取り出せば、禍を生むのを免れよう。」と言いました。
孫堅は天を指差して「私が果たしてその宝を得ており、密かに隠していたのなら、後日良い終わり方が出来ず、刀箭の下で死にましょう!」と誓ったので、
諸侯たちは「文台殿がこのように誓われるのなら、必ず持っていないと思われます。」と言いました。
◆
袁紹はかの兵士を呼び出して「引き上げた時に、この人はおったか?」と言ったので、孫堅は大いに怒り、帯びていた剣を抜き、その兵士を斬ろうとしました。
袁紹もまた剣を抜いて「お前がこの兵士を斬るということは、私を侮るということだ。」と言いました。
袁紹の背後にいた顔良、文醜も共に剣を抜いて鞘から出しました。
孫堅の背後の程普、黄蓋、韓当もまた、刀を手に取りました。
諸侯たちは皆止めるように勧めました。
孫堅はすぐさま馬に乗り、陣を引き払って洛陽から離れていきました。
袁紹は大いに怒り、書を一封書き、腹心の人を差し向けてその夜のうちに荊州に行かせ、刺史の劉表に送り、道中で遮らせて玉璽を奪わせようとしました。
袁紹はかの兵士を呼び出して「引き上げた時に、この人はおったか?」と言ったので、孫堅は大いに怒り、帯びていた剣を抜き、その兵士を斬ろうとしました。
袁紹もまた剣を抜いて「お前がこの兵士を斬るということは、私を侮るということだ。」と言いました。
袁紹の背後にいた顔良、文醜も共に剣を抜いて鞘から出しました。
孫堅の背後の程普、黄蓋、韓当もまた、刀を手に取りました。
諸侯たちは皆止めるように勧めました。
孫堅はすぐさま馬に乗り、陣を引き払って洛陽から離れていきました。
袁紹は大いに怒り、書を一封書き、腹心の人を差し向けてその夜のうちに荊州に行かせ、刺史の劉表に送り、道中で遮らせて玉璽を奪わせようとしました。
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次の日、ある人が曹操は董卓を追い、?陽で戦い、大敗して帰って来たと報せました。
袁紹は人に迎えさせて陣中に入れ、人を集めて酒を用意し、曹操の憂悶を解こうとしました。
酒宴の間に、曹操が「私は初め大義を興し、国のために賊を除こうとした。義によって諸公に来ていただけたので、操は初め、本初殿には河内の兵を引き連れて、孟津に臨んでいただき、
酸棗の諸将には成皋を固守し、?倉に拠り、?轅、大谷を塞ぎ、それらの険要を制していただき、
公路殿には南陽の軍を率いて、丹、析に駐屯し、武関に入り、三輔を震わせていただきたかった。
皆溝を深くし塁を高くし、戦わず、疑兵を盛んにし、天下の形勢を示し、順をもって逆を誅せば、ただちに平定出来た。
今遅疑して進まず、天下の望みを大きく失おうとは。操は恥じるばかりだ!」と嘆くと、
袁紹らは無言になって何も答えられませんでした。
宴席が解散すると、曹操は袁紹らが各々異心を抱いていると見て、事が成らないと測り、軍を引き連れて揚州に去っていきました。
次の日、ある人が曹操は董卓を追い、?陽で戦い、大敗して帰って来たと報せました。
袁紹は人に迎えさせて陣中に入れ、人を集めて酒を用意し、曹操の憂悶を解こうとしました。
酒宴の間に、曹操が「私は初め大義を興し、国のために賊を除こうとした。義によって諸公に来ていただけたので、操は初め、本初殿には河内の兵を引き連れて、孟津に臨んでいただき、
酸棗の諸将には成皋を固守し、?倉に拠り、?轅、大谷を塞ぎ、それらの険要を制していただき、
公路殿には南陽の軍を率いて、丹、析に駐屯し、武関に入り、三輔を震わせていただきたかった。
皆溝を深くし塁を高くし、戦わず、疑兵を盛んにし、天下の形勢を示し、順をもって逆を誅せば、ただちに平定出来た。
今遅疑して進まず、天下の望みを大きく失おうとは。操は恥じるばかりだ!」と嘆くと、
袁紹らは無言になって何も答えられませんでした。
宴席が解散すると、曹操は袁紹らが各々異心を抱いていると見て、事が成らないと測り、軍を引き連れて揚州に去っていきました。
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公孫?は玄徳、関、張に「袁紹は無能で、久しくすれば必ず変が起こる。我らもとりあえず帰ろう。」と言い、遂に陣を引き払って北に向かいました。
平原に到ると、玄徳を平原の相とし、自らは領地に行って軍を養いました。
?州太守の劉岱は、東郡太守の喬瑁に兵糧を借りようとしましたが、喬瑁が断って与えなかったため、軍を引き連れて喬瑁の陣営に突入し、喬瑁を殺すと、彼の兵はことごとく降伏しました。
袁紹は人々が各自解散するのを見ると、兵を率い陣を引き払い、洛陽を離れて、関東へ去っていきました。
公孫?は玄徳、関、張に「袁紹は無能で、久しくすれば必ず変が起こる。我らもとりあえず帰ろう。」と言い、遂に陣を引き払って北に向かいました。
平原に到ると、玄徳を平原の相とし、自らは領地に行って軍を養いました。
?州太守の劉岱は、東郡太守の喬瑁に兵糧を借りようとしましたが、喬瑁が断って与えなかったため、軍を引き連れて喬瑁の陣営に突入し、喬瑁を殺すと、彼の兵はことごとく降伏しました。
袁紹は人々が各自解散するのを見ると、兵を率い陣を引き払い、洛陽を離れて、関東へ去っていきました。
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さて荊州刺史の劉表は、字を景升といい、山陽郡高平県の人で、漢室の宗族であり、幼い時から誼を結ぶのを好み、名士七人と友となり、時の人は「江夏八俊」と号しました。
その七人とは、汝南郡の陳翔、字を仲麟、同郡の范滂、字を孟博、魯国の孔昱、字を世元、渤海郡の范康、字を仲真、山陽郡の檀敷、字を文友、同郡の張倹、字を元節、南陽郡の岑?、字を公孝です。
劉表はこの七人と友となり、延平郡の人?良、?越、襄陽郡の人蔡瑁が輔佐となりました。
さて荊州刺史の劉表は、字を景升といい、山陽郡高平県の人で、漢室の宗族であり、幼い時から誼を結ぶのを好み、名士七人と友となり、時の人は「江夏八俊」と号しました。
その七人とは、汝南郡の陳翔、字を仲麟、同郡の范滂、字を孟博、魯国の孔昱、字を世元、渤海郡の范康、字を仲真、山陽郡の檀敷、字を文友、同郡の張倹、字を元節、南陽郡の岑?、字を公孝です。
劉表はこの七人と友となり、延平郡の人?良、?越、襄陽郡の人蔡瑁が輔佐となりました。
◆
この時袁紹の書を見ると、ただちに?越、蔡瑁に兵一万を引き連れさせ孫堅の帰路を断たせました。
孫堅軍が到着すると、?越は陣を展開し、先頭となり馬を出しました。
孫堅が「?異度は何故兵を引き連れて帰路を断つのだ?」と問うと、
?越は「お前は漢臣なのに、どうして伝国の宝を隠すのだ?速やかに置いていけば、お前を解放して帰らせよう!」と言ったので、
孫堅は大いに怒り、黄蓋を戦いに出しました。
この時袁紹の書を見ると、ただちに?越、蔡瑁に兵一万を引き連れさせ孫堅の帰路を断たせました。
孫堅軍が到着すると、?越は陣を展開し、先頭となり馬を出しました。
孫堅が「?異度は何故兵を引き連れて帰路を断つのだ?」と問うと、
?越は「お前は漢臣なのに、どうして伝国の宝を隠すのだ?速やかに置いていけば、お前を解放して帰らせよう!」と言ったので、
孫堅は大いに怒り、黄蓋を戦いに出しました。
◆
蔡瑁が刀を舞わせて迎え撃ちました。数合戦い、黄蓋が鞭を振るって蔡瑁を打つと、胸当てに命中しました。
蔡瑁が馬を叩いて逃げ戻ると、孫堅は勢いに乗じて国境を通過しました。
山の背後から鉦と太鼓が一斉に鳴り、劉表が自ら軍を引き連れて到来しました。
孫堅が馬上で礼を施して「景升殿は何故袁紹の書を信じ、隣の郡まで迫るのだ!」と言うと、
劉表は「お前は伝国璽を隠し、謀反をしようというのか?」と言ったので、
孫堅は「私がもしそれを持っていたら、刀箭の下で死ぬであろう!」と言いました。
蔡瑁が刀を舞わせて迎え撃ちました。数合戦い、黄蓋が鞭を振るって蔡瑁を打つと、胸当てに命中しました。
蔡瑁が馬を叩いて逃げ戻ると、孫堅は勢いに乗じて国境を通過しました。
山の背後から鉦と太鼓が一斉に鳴り、劉表が自ら軍を引き連れて到来しました。
孫堅が馬上で礼を施して「景升殿は何故袁紹の書を信じ、隣の郡まで迫るのだ!」と言うと、
劉表は「お前は伝国璽を隠し、謀反をしようというのか?」と言ったので、
孫堅は「私がもしそれを持っていたら、刀箭の下で死ぬであろう!」と言いました。
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劉表は「お前がもし私に信じてもらいたいのなら、軍が運ぶ荷物を、私に捜索させろ。」と言ったので、
孫堅は怒って「お前にどのような力があって、敢えて私を侮るのか!」と言い、
兵を交えようとすると、劉表はただちに撤退しました。
孫堅が馬を走らせて追いかけると、両側の山の後ろから伏兵が一斉に起こり、背後から?越、蔡瑁が追いかけ、孫堅を中心に包囲しました。
劉表は「お前がもし私に信じてもらいたいのなら、軍が運ぶ荷物を、私に捜索させろ。」と言ったので、
孫堅は怒って「お前にどのような力があって、敢えて私を侮るのか!」と言い、
兵を交えようとすると、劉表はただちに撤退しました。
孫堅が馬を走らせて追いかけると、両側の山の後ろから伏兵が一斉に起こり、背後から?越、蔡瑁が追いかけ、孫堅を中心に包囲しました。
>>272
決断が出来ないだけで穏健派とは違うと思う
じゃあこれで第六回は終わりや
見てくれたひとサンガツ
明日は第七回を20:30からやるんで良かったら見てクレメンス
ほな、また
時間は毎日20:30を予定
12/16(土) 三国志演義第七回
12/17(日) 三国志演義第八回
12/18(月) 三国志演義第九回
決断が出来ないだけで穏健派とは違うと思う
じゃあこれで第六回は終わりや
見てくれたひとサンガツ
明日は第七回を20:30からやるんで良かったら見てクレメンス
ほな、また
時間は毎日20:30を予定
12/16(土) 三国志演義第七回
12/17(日) 三国志演義第八回
12/18(月) 三国志演義第九回
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