553: 名無し 2017/12/18(月)21:00:18 ID: ID:VMx
じゃあ今から第九回をやっていくで

第九回 凶暴を除き呂布は司徒を助け 長安を侵して李カクは賈クに聞く

さてその董卓を倒した人は、まさに李儒でした。
すぐさま李儒は董卓を助け起こし、書院の中に入って座を定めました。
董卓が「おまえはどうしてここに来たのだ?」と言うと、
李儒は「儒はたまたま府門に行くと、太師が怒って後園に入られ、呂布を探していると知りました。
急いで行こうとすると、呂布と正面から出くわし、『太師が私を殺そうとしている!』と言っていたので、
儒は慌てて園の中に入り怒りを解くよう勧めにまいりましたが、思わぬことに恩相にぶつかってしまいました。死罪を!死罪を!」と言いました。
>>554
董卓「わかった、死罪!」

fin
560名無し 2017/12/18(月)21:01:51 ID: ID:rGe
李儒も太ってたんかな?
>>560
勢いでぶつかればデブでも吹っ飛ぶんやない?
>>560
高速で移動してたのかもしれん

董卓が
「逆賊は許せん!我が寵姫に戯れたからには、誓って殺してやろう!」
と言うと、
李儒は
「恩相は間違っております。昔楚の荘王は『?纓』の会の時、寵姫と戯れた蒋雄を追究しなかったため、後に秦兵に囲まれると、彼に死力を尽くして救われました。
貂蝉は一人の女子に過ぎませんが、呂布こそ太師の腹心の猛将です。
太師がもしこの機械に、蝉を布に賜れば、布は大恩を感じ、必ず死をもって太師に報いましょう。太師はよくお考えください。」と言いました。

董卓は久しく考え込んでから
「お前の言葉はもっともで、私もそう思う。」と言いました。
>>559
ここでこの故事もってくるか
>>559
こいつらよく故事がポンポン出てくるよな

李儒は感謝して出ていきました。董卓が後堂に入り、貂蝉を呼んで「お前はどうして呂布と密通していたのだ?」と問うと、
貂蝉は泣きながら「妾が後園で花を見ていると、呂布が突然来ました。妾が驚いて避けようとすると、
布は『私は太師の子なのに、どうして避けるのだ?』と言い、戟を提げ妾を追って鳳儀亭に来ました。
妾は彼が悪い事を考えていると思い、迫られるのを恐れ、蓮の池に身を投げて自害しようとしましたが、あいつに抱き止められてしまいました。
まさに生死の境にいると、太師が来たので、生命を救われました。」と言いました。

董卓が「私は今お前を呂布に賜りたいが、いかがだ?」と言うと、
貂蝉は大いに驚いて、慟哭しながら「妾の身はすでに貴人にお仕えしているのに、今突然下男に下賜されるとは、妾は死んでも嫌です!」と言い、
壁にあった宝剣を手に取って自刎しようとしました。
董卓は慌てて剣を奪って抱きしめながら「私はお前と戯れただけだ!」と言いました。
貂蝉は董卓の懐に倒れ、顔を覆い慟哭しながら「これは絶対に李儒の計略ですね!儒と布は親交が厚いから、このような計を設け、太師の体面も卑しき妾の生命も顧みないのです。
妾は生きたまま奴の肉を食らいたいくらいです!」と言ったので、
董卓は「私がどうしてお前を捨てるのを忍べようか?」と言うと、
貂蝉は「太師に憐れんでいただけても、恐らくここに久しくいれば、必ず呂布に害されます。」と言ったので、
董卓は「私は明日お前と?塢に帰り、共に楽しもうと思う。憂い疑うな。」と言うと、
貂蝉はようやく涙を止めて拝みながら感謝しました。
董卓と呂布って話し合ったりすることなかったんかな?
>>568
この連環の計って話し合われたら一発でばれるよね
小説やからある意味ご都合主義的な所もあるけど
そこらへんはスルーで
>>571
とはいえこの段になられたら
お互い疑心暗鬼だからもう無理じゃない?
>>573
確かにこの段階まで来たら互いが嘘ついてるって疑うわな
唯一の証人である王允は上手く言いくるめるだろうし
俯瞰してみてるならともかく各自自分の周りだけだしね
この時代実の親子ですら
差し向って話し合うこととかなさそうやしなあ
>>581
劉備「ふんっ」
あとちゃん「(ビターン)」
>>583
横山趙雲は抱きとめるのであった

次の日、李儒が会いに来て「今日は吉日なので、貂蝉を呂布に送りましょう。」と言うと、
董卓は「布と私は父子の関係なので、賜るのは良いことではない。罪は追究しないでおこう。お前は我が意を伝え、良い言葉で奴を慰めてくれ。」と言いました。
李儒が「太師は婦人に惑わされてはなりません。」と言うと、
董卓は顔色を変えて「お前は妻を呂布に送れるのか?貂蝉の事は、ふたたび多言するな。言えば必ず斬るぞ!」と言いました。
李儒は退出すると、天を仰いで「我らは皆婦人の手にかかって死ぬのか!」と嘆きました。
後世の人が書を読んでこのくだりまで来た時、詩でこの事を嘆いていいますには、 

司徒の妙算は美人に託され、干戈を用いず兵を用いず。 
三たり虎牢に戦うもいたずらに力を費やし、凱歌はかえって鳳儀亭で奏す。
どうなるかわかってんのに面白い

董卓が即日伝令を下して?塢に帰ろうとすると、百官は皆拝んで見送りました。
貂蝉は車上で、呂布が人だかりの中、車中を遥かに望んでいるのを見ました。
貂蝉は顔を覆い、慟哭しているふりをしました。
車が遠くに去ると、呂布は岡の上で轡を緩め、車塵を望み、嘆き悲しみ恨みました。
突然背後からある人が「温侯はどうして太師に従って去らず、こうしてここで遠くを望んで嘆いているのですか?」と問うたのが聞こえたので、
呂布がその人を見てみると、彼こそ司徒の王允でした。

礼を終えると、王允は「老夫は近日小さな病に罹り、門を閉ざし外出しなかったので、久しく将軍に会えませんでした。
今日太師の車駕が?塢に帰られたので、やむを得ず病を押して見送りに出ましたが、喜ばしいことに将軍に会えました。
将軍に問いますが、どうしてここで長嘆しておられたのですか?」と言ったので、
呂布は「まさに公の娘のことだ。」と言うと、
王允は驚いたふりをして「長い時間が経ったのにまだ将軍に与えられていないのですか?」と言ったので、
呂布は「老賊が自分で寵愛して久しい!」と言いました。
王允が大いに驚いたふりをして「そのような事は信じられません!」と言ったので、
呂布はそれまでの事を一つ一つ王允に告げました。
王允は顔を仰向けて足踏みして、しばらく語らず、久しくしてから、
こうして「思わぬことに太師がそのような禽獣の行いをするとは!」と言い、
呂布の手を引いて「とりあえず拙家で相談しましょう。」と言いました。
>>576
王允もなかなかの演技派だよなあ

呂布は王允に従って帰りました。王允は密室に入れると、酒を用意して歓待しました。
呂布はまた鳳儀亭起こった事を、一通り子細に話しました。
王允が「太師は私の女を淫姦し、将軍の妻を奪い、誠に天下の笑いものです。ですが笑われるのは太師ではなく、允と将軍です!
允は老いて無能な輩なので、それでもよいのですが、惜しむべきは将軍こそ蓋世の英雄なのに、この辱しめを受けることです!」と言うと、
呂布は怒気が天を突き、机を叩いて大声で叫びました。
王允が急いで「老夫が失言をしましたが、将軍は怒りを抑えてください。」と言うと、
呂布は「誓ってあの老賊を殺し、私の恥を雪ごう!」と言ったので、
王允は急いで彼の口を覆って「将軍はそれを言わないでください。老夫にも累が及びます。」と言うと、
呂布は「大丈夫が天地の間に生まれながら、どうして鬱々と久しく人の下にいられようか!」と言ったので、
王允は「将軍の才をもってすれば、誠に董太師には制されないでしょう。」と言いました。

呂布が「私はあの老賊を殺したいが、いかんせん父子の関係があるので、後世の人の議論を引き起こすことになりましょう。」と言うと、
王允はかすかに笑って「将軍の姓は呂で、太師の姓は董です。戟を投げられたのに、どうして父子の情などありましょうか?」と言ったので、
呂布は奮然として「司徒の言葉があらねば、布は間違うところでした!」と言いました。

王允は意を決したのを見ると、ただちに「将軍がもし漢室を助ければ、忠臣となり、青史に名を伝え、百世に芳しき名を流せましょうが、
将軍もし董卓を助ければ、逆臣となり、史書に載り、悪名を万年に残します。」と説いたので、
呂布は席を離れて拝みながら「布の意は決したので、司徒は疑わないでくだされ。」と言いました。
王允は「ただ事が成らねば、かえって大禍を招きます。」と言うと、呂布は帯びていた刀を抜き、肘を剌し血を流して誓いました。
王允が跪いて「漢の祭祀が絶えぬのは、皆将軍のおかげです。一切漏らしてはなりません!
期に臨んで計を行う時は、報告いたします。」と感謝すると、呂布は快諾してから去りました。
王允(こいつチョロ過ぎィ!)
>>586
ばれたら一族もろとも市場で斬られる羽目になるから
むしろ内心ドキドキやろ

王允はすぐさま僕射の士孫瑞、司隸校尉の黄?を呼んで相談しました。
士孫瑞が「ちょうど今主上の病が癒えたばかりなので、一人の能弁な者を遣わし、?塢に行かせて卓を議事に呼び、
一方で天子の密詔を呂布に渡し、武装兵を朝門の内側に伏せ、卓を引き入れて誅すのが、上策です。」と言ったので、
黄?が「誰を行かせればよろしいでしょうか?」と言うと、
士孫瑞は「呂布と同郡で騎都尉の李粛は、董卓が官職を昇進させなかったので、はなはだ恨んでおります。もしこの人が行けば、卓は必ず疑いますまい。」と言ったので、
王允は「よかろう。」と言いました。

呂布を呼んで協議しました。
呂布は「昔日私に丁建陽を殺すよう勧めたのも、あいつです。今もし来なければ、私が先に斬ります。」と言い、
人を遣わして密かに李粛を呼びました。
呂布が「昔日公は布を説き、丁建陽を殺させて董卓の元に投降させましたが、今卓は上は天子を侮り、下は生ける人々を虐げ、罪悪は満ちており、人も神も共に憤っております。
公は天子の詔を?塢に伝えに行き、卓を入朝させてください。
伏兵で奴を誅し、漢室を助ければ、共に忠臣となれます。ご尊意はいかがですか?」と言うと、
李粛は「私もまたあの賊を除こうとして久しかったが、恨めしくも同じ心を持った者がいなかった。
今将軍がそのようにするというのは、これこそ天の賜り物で、粛がどうして二心を抱こうか?」と言い、矢を折って誓いました。
王允は「公がもし事を成せれば、どうして高官になれないのを憂うことになりましょうか?」と言いました。

次の日、李粛は十数騎を引き連れ、?塢に行きました。
ある人が天子の詔が来たと報せたので、董卓は呼び入れました。
李粛は入って拝みました。
董卓が「天子はどのような詔を出したのだ?」と言うと、
李粛は「天子は病体が癒えたばかりで、未央殿に文武百官を会させ、議論して太師に位を譲ろうとしておられるので、ここに詔があるのです。」と言いました。
董卓が「王允の意見はいかがだ?」と言うと、
李粛は「王司徒はすでに人に命じて『受禅台』を築かせ、主公を待っております。」と言ったので、
董卓は大いに喜んで「私は夜夢で一匹の龍が身に被さるのを見たが、今果たしてこの喜ばしい報せを得た。時期を失ってはならぬ!」と言い、
ただちに腹心の将の李?、郭汜、張済、樊稠の、四人に飛熊軍三千を率いさせて?塢を守らせ、自らは即日車駕を用意して都に帰ろうとしました。
李粛を顧みて「私が帝となったら、お前は執金吾だ。」と言ったので、
李粛は拝んで感謝し臣を称しました。
>>592
この時李儒何も言わなかったのかな
>>594
ちゃんと李儒がここで何もできない理由ってあるんやで

董卓は奥に入って母に別れを告げました。
彼の母はこの時年が九十余りで、「我が子はどこに行くのだ?」と問うと、
董卓は「子は漢の禅譲を受けに行くので、母上は早?太后になれます!」と言いました。
母が「私は近日身体が震え心臓が脈打っていて、恐らく吉兆ではないだろう。」と言うと、
董卓は「国母になれるというのに、どうしてあらかじめ驚かぬことがありましょうか!」と言い、
遂に母に別れを告げて行こうとしました。
行くに臨んで貂蝉に「私が天子になれば、お前を貴妃に立てよう。」と言いました。
貂蝉は裏の事を知っておりましたが、歓喜したふりをし拝んで感謝しました。

董卓は塢を出て車に乗り、前後を囲まれながら、長安に向かいました。
三十里も行かぬうちに、乗っていた車が、突然車輪を折ったので、董卓は車を下りて馬に乗りました。
また十里も行かぬうちに、その馬が咆哮を上げていななき、轡の結び目を断ち切ってしまいました。
董卓が李粛に「車輪が折れ、馬が轡を断ち切ったが、その予兆はどうなのだ?」と問うと、
李粛は「これこそ太師が漢の禅譲を受け、古きを棄て新しきに代わるのに応じており、玉の輦金の鞍に乗る予兆です。」と言ったので、
董卓は喜んでその言葉を信じました。
>>603>>604
今まで大切にしてきた腹心が言ったら信じてもしゃーない

次の日、まさに移動していると、突然狂風が吹き起り、暗い霧が天を覆いました。
董卓が李粛に「これは何の予兆だ?」と問うと、
李粛は「主公が帝位に登られるので、紅い光と紫の霧が、天威を勇壮にしているのでしょう。」と言ったので、
董卓はまた喜んで疑いませんでした。
城外に到ると、百官皆が出迎えました。
ただ李儒だけは病を抱えて家におり、出迎えることが出来ませんでした。


ここで初めて李儒が今まで何も出来なかった理由が出て来る

ちなみに昔の演義やとこの理由付けはなかったらしい

董卓が相府まで進むと、呂布が慶賀に来ました。
董卓は「私が九五の位に登ったならば、お前に天下の兵馬を総督させよう。」と言ったので、
呂布は拝んで感謝し、帳の前で宿直しました。
この夜十数の小児が郊外で歌をうたい、風に吹かれて歌声が帳に入ってきました。
歌には「千里の草、何ぞ青々たる!十日の卜、生くるを得ず!」とあり、歌声は悲痛でした。
董卓が李粛に「童謡にはどのような吉凶があるのだ?」と問うと、
李粛は「これもまた劉氏が滅び、董氏が興るという意味です。」 と言いました。
>>608
流石にこれだけあったら信じんやろ


「千里の草、何ぞ青々たる!十日の卜、生くるを得ず!」

千+里+草かんむりで董
十+日+卜で卓
すなわち董卓が死ぬ予言

次の日の早朝、董卓が儀仗兵を並べて入朝しようとすると、突然ひとりの道人が現れ、
青い袍に白い頭巾で、手に長い竿を取り、上に一丈の布を縛り、両端に各々一つの「口」の字が書かれておりました。
董卓が李粛に「あの道人にはどのような意味があるのだ?」と問うと、
李粛は「あれは心を病んでいる人です。」と言い、兵士を呼んで去らせました。
>>616
これもなんかの凶兆なん?

董卓が朝廷に進むと、群臣は各々朝服を着て、道で迎えました。
李粛は手に執宝剣を持ち車を守って進みました。
北掖門に到ると、兵士はことごとく門外に留められ、御車の二十人余りだけが共に入りました。
董卓は遥に王允らが各々宝剣を持って殿門に立っているのを見たので、
驚いて李粛に「剣を持っているのはどういう意味だ?」と問いましたが、
李粛は答えず、車を押して真っ直ぐと入りました。
王允が大声で「逆賊がここに来たというのに、兵士たちはどこにいるというのだ?」と叫ぶと、
両側から百人余りが出てきて、戟を持ち槊を立てて刺しに行きました。
>>620
李粛「いい加減察しろや」

董卓の甲冑は貫けませんでしたが、肘を傷つけられて車から落ちたので、
大声で「我が子奉先はどこだ?」と呼びかけると、
呂布は車の後ろから出て来て声を張り上げて「詔により賊を討つ!」と言い、
戟の一突きで真っ直ぐと喉を刺すと、李粛が早くも首を切って手に持ちました。
呂布は左手に戟を持ち、右手で懐から詔を取り出し、大声で「詔を報じて賊臣董卓を討ったが、その他は不問とする!」と呼びかけると、
将吏は皆万歳と叫びました。
後世の人が董卓を詩で嘆いていいますには、 

覇業成りし時は帝王となり、成らざるもしばらく富家の郎とならんと。 
誰か知らん天意に私心無く、?塢が初めて成りしときにすでに滅亡せんとは。

さてすぐさま呂布が大声で「卓を助け人を虐げた者は、皆李儒だ!誰が奴を捕らえに行くか?」と呼びかけると、
李粛が声に応じて行くと願い出ました。
突然朝門の外から喚声が上がるのが聞こえ、ある人が李儒の家の下男がすでに李儒を縛って献上しに来たと報せられました。
王允は縛ったまた市に行かせて彼を斬らせ、また董卓の屍を、道路で晒させました。
董卓の屍は肥満なため、屍を監視する兵士が灯火を臍に置くと、油が地を満たしました。
側を通り過ぎた百姓の中で、手でその頭を殴り、足でその屍を踏まぬ者はおりませんでした。
王允はまた呂布に命じて皇甫嵩、李粛と共に兵五万を率いさせ、?塢に行かせて董卓の家財を没収させ一族を捕らえさせました。

さて李?、郭汜、張済、樊稠は董卓が死に、呂布が来ていると聞くと、すぐさま飛熊軍を引き連れてその夜のうちに涼州に逃げました。
呂布は?塢に行くと、先に貂蝉を手に入れました。
皇甫嵩は塢の中にいた良家の子女を、ことごとく開放させました。
ただし董卓に連なる親族は、老幼を問わず、皆誅殺させました。
董卓の母もまた殺されました。
董卓の弟の董旻、甥の董?は共に首を斬られて晒されました。
塢の中に蓄えられていた黄金数十万、綾錦、珠宝、食器、糧食を没収するとその数は計りきれず、帰って王允に知らせました。
王允はこうして大いに兵士を労い、宴を都の堂で設け、百官を招集し、酒を酌んで慶賀しました。

まさに酒宴をしていると、突然ある人が「董卓の晒された屍は市にありますが、突然ある人がその屍に伏して慟哭しました。」と報せたので、
王允は怒って「董卓は誅され、士民で慶賀しない者はいないというのに、そいつはどのような人物で、敢えて慟哭しているのだ?」と言い、
兵士を呼んで「私のために捕らえに行くのだ!」と言いました 。


董白はここで死んだんやろなあ
董白 (2) 
董白
>>638
演義やと登場しない人物やけど
恐らく皆殺しからは逃れられなかったと思われる
>>641
貴重なロリが…なんてことだ…

しばらくすると捕らえて来ました。百官がその人を見ると、驚かぬ者はおらず、
元よりその人は他でもなく、彼こそ侍中の蔡?でした。
王允が「董卓の逆賊は、今日誅され、国にとっては大きな幸いだ。お前も漢臣なのに、こうして国を慶賀せず、
かえって賊のために慟哭するのは、どうしてなのだ?」と叱ると、
蔡?は罪に服して「?は不才ですが、大義を知っており、どうして国に背き卓に順じましょうか?
ただ一時の知遇に感じ入り、不覚にも慟哭しましたが、自らの罪が大きいことは知っております。
公に許され、もし入れ墨か足斬りをされても、漢史を編纂させていただき、罪を贖えれば、?にとって幸いです。」と言いました。
百官は蔡?の才を惜しんで、皆彼を救おうと努めました。

太傅の馬日?もまた密かに王允に「伯?は天下の逸材で、もし漢史を編纂させれば、誠に盛大な事となります。
しかも彼の孝行は元より顕著で、もし殺せば、人望を失います。」と言いましたが、
王允は「昔孝武は司馬遷を殺さず、後に史を作られ、誹謗の書を後世に流すこととなった。
ちょうど今は国運が衰え、朝政が乱れているというのに、佞臣に幼主の周りで執筆させ、我らを誹謗させてはならぬ。」と言ったので、
馬日?は無言で退出し、ひそかに百官に「王允は後裔が絶えるであろう!
善人は、国の紀で、制作は、国の典だ。紀を滅ぼし典を廃せば、どうして長続き出来ようか?」と言いました。
この時王允は馬日?の言葉を聞かず、蔡?を獄中で縊死させました。
当時の士大夫はその事を聞くと、皆涙を流しました。
後世の人は蔡?が董卓のために慟哭したことは、元よりよくありませんが、王允が蔡?を殺したことは、さらに悪いと論じました。
この事を詩で嘆いていいますには、 

董卓は権を専らにし不仁をほしいままにし、侍中は何ぞ自ら身を滅ぼすにいたるや? 
当時諸葛は隆中に臥し、いずくんぞ敢えて身を軽んじ逆臣に仕えんや?
>>648
この当時やっぱり諸葛は人気キャラやから
ここで出して観客沸かせようとしてるのかもしれん

さて李?、郭汜、張済、樊稠は陝西に逃げており、人を長安に行かせ上表して赦免を求めました。
王允は「卓の跋扈は、皆この四人の助けがあったからで、今天下を大赦したといえども、この四人だけは赦しておかぬ。」と言いました。
使者は帰って李?に報せました。
李?が「赦免を求めても得られなかったので、各自逃げて生き延びよう。」と言うと、
謀士の賈?は「諸君がもし軍を棄てて単独で行けば、一亭長でも君らを縛れます。
陝人を誘い集め、手勢の兵馬と合わせ、長安に突入し、董卓の仇に報いた方がよろしいでしょう。
事が成れば、朝廷を奉じて天下を正し、もし勝てねば、逃げても遅くはありません。」と言いました。
>>652
せやで
ここで唐突に出て来る

李カクらはその話の通りだと思い、西涼州に「王允はこの地方の人を掃討しようとしている。」と流言したので、人々は皆驚き恐れました。
また、「いたずらに死ぬのは無益だから、我らに従って背かぬか?」と揚言すると、人々は皆従うと願い出ました。
こうして兵十万余りが集まり、四路に分かれ、長安に殺到しました。
路で董卓の娘婿で中郎将の牛輔が、軍五千人を引き連れ、舅の仇に報いようとしているところに出会ったので、
李?はただちに兵を合わせ、彼を先鋒とし、四人も陸続きに進発しました。

王允は西涼の兵が来ていると聞き知ると、呂布と相談しました。
呂布は「司徒は安心してください。考えるに鼠のような輩が、どうして数えるに足りましょうか!」と言い、
李粛と将兵を引き連れて迎え撃ちに行きました。
李粛が先頭になって迎え撃つと、牛輔と正面から出くわし、大いに一戦交えました。
牛輔は敵わず、敗戦して逃げ出しました。
思わぬことにこの夜の二更、牛輔は李粛が備えていないのに乗じ、終には陣を奪ってしまいました。
李粛軍は鼠のように乱れ、三十里余り敗走し、軍の大半を失い、呂布に会いに行きました。
呂布は大いに怒って「お前はどうして我らの鋭気を挫いたのだ!」と言い、遂に李粛を斬り、頭を軍門に掛けました。
>>658
ええ…こんなことで李粛死ぬのか

次の日、呂布は兵を進めて牛輔と敵対しました。牛輔がどうして呂布に敵うのでしょうか、また大敗して逃げ出しました。
この夜牛輔は腹心の胡赤児を呼んで「呂布は驍勇で、万が一にも敵わないので、李?ら四人を騙し、密かに金や珠玉を隠し、
親しく従う三から五人と軍を棄てて去った方がよかろう。」と相談すると、胡赤児はそれに応じました。
この夜金や珠玉を集め、陣営を棄てて逃げ、随行する者は三、四人でした。
ある河を渡ろうとすると、胡赤児は金や珠玉を手に入れようと思い、遂には牛輔を殺し、頭を呂布に献上しに行きました。
呂布がわけを問うと、従者は首を差し出して「胡赤児は牛輔を謀殺し、金や宝を奪いました。」と言ったので、
呂布は怒り、即座に胡赤児を誅殺しました。
>>662
腹心(裏切らないとは言ってない)

軍を率いて前進すると、李?の兵馬が正面から迎え撃ちました。
呂布は陣形を作らず、ただちに戟を立て馬を躍らせ、軍を指揮して真っ直ぐと突撃しました。
李?は当たることかなわず、五十里余り撤退し、山に拠って陣を敷き、
郭汜、張済、樊稠を呼び協議して「呂布は勇猛だが、無謀なので、憂慮するに足りない。
私は軍を引き連れて谷の入り口を守り、毎日奴を誘って戦う。
郭将軍は軍を率いて奴の後ろを攻撃し、彭越が楚を疲れさせた法に倣い、鉦を鳴らせば兵を進ませ、太鼓を叩けば兵を収めてくれ。
張、樊の二公は、兵を両路に分け、真っ直ぐと長安を取りに行ってくれ。
彼らは首尾を救い合えず、必ず大敗する。」と言うと、
彼らはその計を用いることにしました。

さて呂布が兵を率いて山の麓に行くと、李?が軍を引き連れて挑戦してきました。
呂布が怒って突撃すると、李?は撤退して山に上りました。
山の上から矢や石が雨のごとく降ってきたので、呂布軍は進めませんでした。
突然郭汜が陣の後ろを襲ったと報せられたので、呂布は急いで引き返して戦いました。
ただ太鼓の音が大いに震わせるだけで、郭汜軍はすでに撤退しておりました。
呂布が軍を収めようとすると、銅鑼の音が響き、李?軍がまたやって来ました。
敵対せぬうちに、背後から郭汜がまた軍を率いて殺到しました。
呂布が向かった時には、太鼓を叩き軍を収めて去っていたので、呂布は怒気で胸をいっぱいにしました。
このようなことが続けて数日もあり、戦おうとしても戦えず、戦いを止めようとしても出来ませんでした。

まさに悩み怒っていると、突然早馬が飛んで報告に来て、張済、樊稠の両路の兵馬が、長安に侵攻し、都城は危急だと話しました。
呂布は急いで軍を率いて戻ろうとしましたが、背後から李?、郭汜が殺到してきました。
呂布は戦う心をなくし、ひたすら逃げたため、多くの人馬を失いました。
長安の城下に到ると、賊兵は雲や雨のように集まって、城を囲んでおり、呂布は戦っても利がありませんでした。
兵士は呂布の暴虐さを恐れており、多くの者が賊に降伏したので、呂布ははなはだ憂いました。

数日の後、董卓の残党の李蒙、王方が城内で賊に内応し、密かに城門を開いたので、四路の賊軍は一斉に突入しました。
呂布は左へ右へと突撃しましたが、遮りきれず、数百騎を引き連れて青瑣門の外に行き、
王允に「情勢は急です!司徒は馬に乗り、共に関を出て、別に良策を図ってください。」と呼びかけましたが、
王允は「社稷の霊のおかげで、国家が安んじられるのが、私の願いで、
もしそれを得られなければ、允は身を捧げて死のう。
難に臨んでいやしくも生きることは、私はしない。
私のために関東の諸公に謝り、国家のために努めることを考えてくれ!」と言いました。
呂布が再三勧めても、王允は行こうとしませんでした。
時を移さずして、各門から火焔が天まで上がったので、呂布はやむを得ず家族を棄て、
百騎余りを引き連れて飛んで関から出て、袁術の元に行こうとしました。

李?、郭汜が兵にほしいままに略奪させたため、
太常卿の?拂、太僕の魯馗、大鴻臚の周奐、城門校尉の崔烈、越騎校尉の王?らは皆国難に殉じて死にました。
賊兵が宮中を包囲して緊急となったため、侍臣は天子を宣平門に上がらせて乱を止めるよう要請しました。
李?らは黄色い傘を望み見ると、兵士を止め、口で万?を叫びました。
献帝が楼にもたれながら「卿らは上奏もせず、勝手に長安に入り、何がしたいのだ?」と問うと、
李?、郭汜は顔を仰向けて「董太師こそ陛下の社稷の臣なのに、理由なく王允に謀殺されたので、臣らは特に仇に報いに来たのです。
敢えて造反などいたしません。王允に会えたのなら、臣らはただちに兵を撤退させます。」と上奏しました。
王允はこの時献帝の側におりましたが、この言葉を聞き知ると、「臣は元々社稷のために計を行いました。
事すでにここに至れば、陛下は臣を惜しみ、国家を誤らせないでください。臣は二人の賊に会いに行きます。」と上奏しましたが、
献帝は逡巡してそれを忍べませんでした。

王允は自ら宣平門の楼の上から飛び降り、大声で「王允これにあり!」と叫びました。
李?、郭汜が剣を抜いて「董太師に何の罪があって殺したのだ?」と叱ると、
王允は「董賊の罪は、天地に行き渡り、言うに堪えない。
誅を受けた日には、長安の士民は、皆慶賀し合ったが、お前たちだけは聞こえなかったのか?」と言いました。
李?、郭汜が「太師には罪があったが、我らに何の罪があって、赦免されなかったのだ?」と言うと、
王允は「逆賊がどうして多言する必要がある!我王允は今日死して已もう!」と大いに罵りました。
二賊は手を起こし、王允を楼の下で殺しました。
史官が詩で称賛していいますには、 

王允が機謀を巡らして、奸臣董卓は休す。 
心に抱く国家の恨み、眉は閉ざす廟堂の憂い。 
英気は天ノ川に連なり、忠心は斗牛を貫く。 
今に至るも魂と魄とは、なお鳳凰の楼を巡る。

賊たちは王允を殺すと、一方で人に王允の宗族を老幼問わず、ことごとく殺害させました。
士民で涙を流さぬ者はおりませんでした。
すぐさま李カク、郭汜は「すでにここまで来たというのに、天子を殺し大事を謀らねば、さらにいつまで待つことになろうか?」と思い巡らし、
ただちに剣を持ち大声で叫びながら、宮中に突入しました。

まさにこれは、 

巨魁が罪に伏して災は初めて止み、従属する賊が縦横して禍がまた来たる。 

献帝の生命がどうなるかはまだわからないので、まずは次回の説き明かしをお聞きください。
701名無し 2017/12/18(月)21:57:00 ID: ID:GeH
終わってしまったわ
明日から何を楽しみに生きていけばええんや
702名無し 2017/12/18(月)21:58:59 ID: ID:VMx
これで第九回は終わりや
今までお付き合いしてくれてサンガツ
演義訳すスレはどうやら需要あるらしいから
ちゃんとシリーズとしてやることにするわ
全部訳し終えるのがおそらく一年から一年半くらいになるから
またその機会が来たときに見てくれたら嬉しいで

イッチ乙やで
来年また会えるのを楽しみにしてるで


また会える日を待っとるで
イッチありがとう
楽しみにまってる