661: 名無し 2015/04/06(月) 01:53:33.54 0
ソクラテスの弟子であるギリシアの哲学者アリスティッポスは、
ある時、コリントスへ向かって船旅をしていた。
この時に嵐に襲われた彼はとても狼狽したので、客の1人が 
「私たち凡人でも平気なのに、あなた方哲学者がビクビクなさるとはね。」
と、言った。 
これに彼は、
「君と私とでは、助かろうとしている命が同じではないのさ。」
と、言った。 

ある人が海に潜れることを自慢していると、
アリスティッポスは、
「恥ずかしくないのか。イルカのすることを勿体つけたりして。」
と、言った。 

また、彼は、
「賢者と賢者ではない人はどこが違うのか?」と問われ、
「2人とも裸にして、見知らぬ人たちのところに連れて行ってみなよ。
 そうすればわかるだろうさ。」と、言った。 

ある人が深酒をしても酔わないことを自慢すると、
彼は「そんなことはラバにもできるさ。」 
と、言い返した。 

ある人が、
「食料品に金をかけすぎている。」と彼を非難すると、
彼は、
「しかし、君は3オボロスでこれらが買えたとしたら、買わなかっただろうか?」
と、尋ねた。その人が同意すると、
彼は、
「それならば、もはや、私が快楽好きなのではない。
 君がお金好きなのだよ。」と、言った。 

また、「ソクラテスはどんな死に方をしたのか?」と尋ねられると、
彼は、「私だってあのようでありたいと願うようにだ。」と、答えた。

670: 名無し 2015/04/12(日) 14:52:53.53 0
>>661
哲学者列伝かね? 
ある日ソクラテスの弟子がわざと服のほころんだ所を 
目立つようにして町を練り歩いていた。そのとき
「君のそのほころびに隠れた虚栄心が見えるね」とソクラテスが指摘した。 
この発言が頭に残ってる。
それと「自然学はエジプト人が起源である」との言葉も。

662: 名無し 2015/04/07(火) 18:40:42.03 0
李世民は王羲之の書を愛しており、
天下から蒐集すると自身の陵に納めてしまった。 
後に武則天が王羲之の係累(十代を経た親類の子孫)に
書の所蔵を尋ねたところ、
李世民に献上せず手元に残した王羲之の書は一軸のみであった。 

回答と共に武則天には王氏歴代の書が献上されたが、
武則天は家宝を献上させるには忍びないと考え、
序を付けて表装させると本物を返し、自身は写しだけを所有して済ませた。 

なお、武則天自身の書も高く評価されています。 
我が国では光明皇后が武則天を意識したとされますが、
彼女の書も相当なレベルです。

671: 名無し 2015/04/12(日) 15:13:35.43 0
神風攻撃にかんする報道禁止の解除は、
4月12日、ジョージア州ウォーム・スプリングでの
ルーズヴェルト大統領の突然の死と偶然にも一致した。 
連合国の新聞はアメリカ大統領の死で一面を埋めた。

また、ある米艦の乗組員の語る所によると、 
東京ラジオもルーズヴェルトの死を
「礼儀正しく、かつ簡単に」放送したという。 
ルーズヴェルトは
「偉人の一人―――最も偉大な政治家の一人」として評価された。 
鈴木首相は
「アメリカを今日の優越した地位」
に導く責任を負っていた人物を失ったことに対して、 
米国民に哀悼の辞を送った。

だが、鈴木首相の哀悼の辞は、日本の新聞では報道されず、 
毎日新聞は社説の中で
ルーズヴェルトの死を〝天罰”であると述べていた。

674: 名無し 2015/04/12(日) 23:30:28.44 0
>>671 
この哀悼の辞に対するアメリカのマスメディアの反応が知りたい 
もしかしてスルー? 
それとも、国際儀礼的には特に目立ったことではないとか?

675: 名無し 2015/04/14(火) 01:10:20.68 0
東条英機は戦争間近の際、アメリカの日系の学校に手紙をだし 
「あなた方はアメリカが祖国なのだから日本あいてに堂々戦いなさい」

676: 名無し 2015/04/16(木) 02:02:04.93 0
武田勝頼が殺され甲斐源氏滅亡の折り、
織田方で勝頼の首実検が行われた。 
信長は親子二代に渡って自分を苦しめた武田が許せず、
勝頼の首を台から落として何と足蹴にした。 

これを哀れんだ家康が信長がいなくなった後、勝頼の首を台の上に戻し、
首に向かって念仏を唱え、礼節を持って故勝頼を扱った。 
これを見ていた家来衆は、徳川方はもとより、
織田方の家来衆まで最後は家康が勝利するのではないか、
と感じた者も多かったという。

677: 名無し 2015/04/18(土) 06:54:40.26 0
こういう話って創作っぽいよなぁ 
武田遺臣を取り込んだ徳川家のそういう逸話を作る需要も考えると

678: 名無し 2015/04/18(土) 20:31:40.35 0
本当にそんなことをやったら信長の逆燐にふれる罠 
家康がそんな間抜けには思えん

686: 名無し 2015/04/30(木) 00:56:21.41 0
>>678 
そもそも信長って裏切り者には厳しい当たり方するけど 
かつて強敵だったものに対してはそこまで苛烈じゃないんだよなぁ

680: 名無し 2015/04/26(日) 17:37:58.16 0
作家モーパッサンは、大のエッフェル塔嫌いだった 
他の知識人や芸術家たちとともに、
建設中止を求める陳情書を提出したほどであるが 
彼らの反対もむなしくエッフェル塔は完成してしまった 
するとモーパッサンは、
エッフェル塔の下のカフェに毎日のように通うようになった 
なぜかは、言うまでもないだろう 
そこならエッフェル塔を見なくてすむからである

682: 名無し 2015/04/27(月) 04:09:16.62 0
>>680 
ツンデレじゃないの?

684: 名無し 2015/04/27(月) 05:59:38.02 0
ここに居ればエッフェル塔を見なくて済むからここに居るだけなんだから 
変な勘違いしないでよね

691: 名無し 2015/05/07(木) 22:12:39.74 0
本朝のとある平安貴族。 
「庭石を高く買い取るから持参せよ」
と命令したところ、多くが門前に集まった。 
それを見て「やっぱり止めた」と言い出したので、
各自持ち寄っていた石を持ち帰るのも面倒だと門前に放棄。 
しかる後、主が門から出て来て石を選別し、
気に入った石を予定通りただで庭石にした。 

これにより、当時専門の庭石業者がおらず、
また即座に売りさばける市場がなかったことも分かる。




燕の楽毅により滅ぼされたかけた際、斉では王が殺され、
その子である法章は身分を隠し、太史の家に雇用された。 
しかし、太史の娘は法章を只者ではないと思い、
情を通じると法章即位後に后に立てられた。 
后の父は野合した娘を勘当したが、彼女は賢婦人であった。 

夫の死後、秦が玉で出来た知恵の輪を送り、
「これが解けますか」と言って来た。 
息子の王も群臣も悩んでいたところ、
太后が出て来て槌で叩き割り、こう言った。 
「謹んでお解き致しました」と。 
アレクサンドロス大王の死より、半世紀ほど後の話である。 

また臨終の際、彼女が「用いるべき臣は」と言いかけたところ、
王が筆記用具を持ってこさせたので、
「もう忘れてしまいました」と言った
(悪い意味で金科玉条とされることを憚ったため、でしょう)という。 

693: 名無し 2015/05/07(木) 23:20:26.57 0
>>691 
これが「チャイニーズリング(カルダノの輪)」なんだろうか。 
出典は戦国策でしょうか?

694: 名無し 2015/05/07(木) 23:40:34.92 0
>出典は戦国策でしょうか? 
ご名答。

695: 名無し 2015/05/07(木) 23:50:46.78 0
ありがとうございました 
なるほど、こんな話だったのかww 

てっきり解くために知恵者をうんたらかんたら 
みたいなのだと思ってたのにww

692: 名無し 2015/05/07(木) 22:23:39.55 0
ああ、そういえば直江山城守兼続にも似た逸話がありましたね。 
「茶碗を木箱に入れてみよ」
と言われたが、どうしても茶碗が入らない。 

そこで茶碗を切断して箱に入れ
「切るのが駄目なら最初からそう仰って下さい」と。 
閻魔への手紙の話といい、
どうも知恵者というよりは力技の印象が残るのですが。 
秀吉いわく
「天下を獲るには、
 小早川筑前には勇が足りず、直江山城には智が足りない。」 
いずれも後世出来た話だとは思いますが。

696: 名無し 2015/05/13(水) 00:24:12.87 0
稀代の天才カール・フリードリヒ・ガウスは
信心深く、保守的な人であった。 
彼は君主制を支持し、フランス革命の際にはナポレオンと対立した。 


時は1807年、 
フランスのナポレオン軍がプロイセンを攻め、 
ゲッティンゲンの都市あたりまで侵攻した。 

そのとき、
ナポレオンはこの都市を攻撃対象から外すように命令したという。 
その理由を次のように部下に伝えて言った。 
「ここには人類史上最も偉大な数学者が住んでいる」 

ところがガウスさんナポレオン戦争のことも知らずに天文台に篭り、 
戦後は「ナポレオンは私がいたのでゲッティンゲンを砲撃しなかった」 
と言い続けたとのエピソードもあるという。 


一方ローマは鉛筆を使った

698: 名無し 2015/05/13(水) 14:56:50.25 0
>>696 
それ、ソフィー・ジェルマンが働きかけたからだって説もあるよね。 
彼女はアルキメデスの最後に心打たれて数学者を志したというし。

737: 名無し 2015/05/25(月) 23:43:14.29 0
ローマ皇帝ウェスパシアヌスは侮辱や怨恨などすぐに忘れ、
復讐を考える人間ではなかった。 
彼は政敵のウィテッリウスの娘のために素晴らしい良縁を世話し、
持参金や花嫁道具さえ持たせた。 

皇帝ネロの時代、彼は宮殿への出入りを禁じられて愕然とし、
「どうしたらいい、どこへ行こう」 
と尋ねた。すると、宮殿の受付係が彼をいきなり外へ追い出し、
「病魔の国へ立ち去れ!」 
と命じた。後に、この者が赦しを乞いに来た。
この時、ウェスパシアヌスは言葉の上では激情にかられたものの、
かつて受付係があびせたのと同じ程度、同じ意義の言葉を吐いただけで、 
それ以上のことはしなかった。 

ウェスパシアヌスは僅かな猜疑心や恐怖心によって
誰彼かまわず破滅させるような人では無かった。 
友人たちが、
「メッティウス・ポンプシアヌスに気をつけろ。世間は彼が生まれた時の星位が 
最高司令官を予告していると信じているぞ」
と、忠告した。

しかし、ウェスパシアヌスは、 
「いつかその時に、彼がこの恩恵を思い出してくれることだろう」と言って、
彼を執政官にした。

738: 名無し 2015/05/27(水) 20:58:13.93 0
>世間は彼が生まれた時の星位が最高司令官を予告していると信じているぞ 
>彼を執政官にした。 
方向性の違ういい話。 

・功なき賞は……① 
 青砥左衛門尉は公明正大、世のため人のために己が損をし
 労をとることを厭わず、評判であった。 
 ある日、執権は「青砥左衛門尉に恩賞を与えよ」という夢告を受け、
 与えようとしたが、左衛門尉は受け取らなかった。 
 いわく「夢告で故なくして恩賞を賜るという仰せですが、もし罰を与えよ 
 という夢告が出たら、やはり故なくしてお与えになりますか」と。 

・功なき賞は……② 
 晋の智伯から、衛国に名馬四頭と白壁が贈られて来たので、喜んだ衛では 
 祝杯が挙げられたが、一人南文子だけはうかぬ顔であった。 

 「何もせずに賞を賜り、何もせずに礼を受けるというのは、その背後にあ 
 るものを考えてみないといけません。小国である我が国が大国の晋に贈る 
 のなら分かりますが、晋が我が国に贈って来たのです。君にはよくお考え 
 下さい。」 
  
 衛は国境の警備を厳重にさせたので、智伯は国境まで軍を率いて来て引き 
 返すと「衛には賢人がいるものだ。我が謀を見破るとは。」と言った。 
 弛緩したところを、一気に占領するつもりだったのである。

743: 名無し 2015/06/12(金) 22:19:57.06 0
乾隆帝が巡狩の際に孔子の廟に詣で、孔子の子孫某と面会したことがあったが、 
年若いが立ち居振る舞いの堂々とした様を気に入り、流石は聖人の子孫である 
と賞賛、皇女を娶わせようとしたが、拒否されたので訳を訊ねると 
『清朝は夷狄の子孫。通婚などしては先祖に申し訳が立ちませぬ。』 
これを聞いた乾隆帝、怒るどころかその志を褒め、
漢人のしかるべき娘との婚姻を取り計らってやったということである。 

またある時漢人某が謀反の罪で捕らえられた際、 
『夷狄の王朝を廃し、中華正統を復興せんとしたまでだ。』 
と言ったのに対し、乾隆帝は反論して言った。 
『人から見ればあるいは漢人、あるいは夷狄であろう。しかし、天からすれば 
 華夷の区別があろうか。たとえ尭舜の末裔であっても、桀紂のようであれば、 
 なんで天下が治まろう。夷狄であっても、善政であれば天も認めよう。』 

以上は
乾隆帝(1711~1799)と同時代人の南町奉行根岸肥前守鎮衛(1737~1815) 
の記録している話ですが、中国側に類似の記録があればご教示下さいますよう
お願い申し上げます。

746: 名無し 2015/06/23(火) 07:09:41.44 0
>>743 
でも、乾隆帝は大義覚迷録を発禁にしたり、 
雍正帝が許した曾静を処刑したりとかしてません?

752: 名無し 2015/07/05(日) 23:00:07.12 0
>>746 
私も、ある意味意外でした。
反抗心・社会的影響の有無で判断していたと言えなくもないですが。


754: 名無し 2015/07/17(金) 23:35:08.92 0
ダレイオス1世が側近のギリシア人をよんで、 
どれほどの金を貰ったら死んだ父親の肉を食う気になるか、
と訊ねたことがあった。 
ギリシア人は、どれほど金を貰ってもそのようなことはしないと言った。 

するとダレイオスは、
今度はカッラティアイ人と呼ばれ
両親の肉を食う習慣をもつインドの部族を呼び、 
先のギリシア人を立ち会わせ、
通訳を通じて彼にも対話の内容が理解できるようにしておいてから、 
そのインド人に、
どれほどの金を貰えば死んだ父親を火葬にすることを承知するかと訊ねた。 
するとカッラティアイ人たちは大声をあげて
王に口を謹んで貰いたいと言った。 

・・・ヘロドトス「歴史」の一コマながら、
ボアズの文化相対主義を思わせる内容。 
また真実性はさておき、かくも価値観が相違する世界を平然と両脇に抱えている、 
ダレイオス1世のスケールの大きさを自然と読む者に感じさせる記述でもある。

755: 名無し 2015/07/19(日) 01:19:20.75 0
なるほど 
このエピソードを残したヘロ翁もなかなかやりますな

756: 名無し 2015/08/04(火) 06:27:27.91 0
『荘子』を思い出しました。それはさておき。 

『ワインズバーグ・オハイオ』の作者である
アメリカ人作家、シャーウッド・アンダーソンと日本の出版業者のお話。 

日本
「貴方の作品を翻訳してもよいか。」 
アンダーソン
「構わない。他の国からは謝礼を貰っているが、
 日本にそういう習慣がなければ、
 自分は貧しいのであると助かるが、なくてもしょうがない。」 

日本側
結局謝礼を出さず。 
アンダーソン
「構わない。今後は好きな作品を翻訳してくれていい。」 

日本
「貴方に執筆を依頼したい。」 
アンダーソン
承諾してすぐに原稿を送る。 

日本
「申し訳ない。貴方への謝礼を宴会費に使い込み、送金が遅れてしまった。」 
アンダーソン
「構わない。自分もその席に居たかったよ。」 

日本人の美徳のうち、正直については戦国時代以来
主に欧州からの定評がありますが、几帳面さについては、
少なくとも庶民に定着したのは時代が下る気がします。 
元士族あたりはさておき、昭和までの庶民は、かなり乱雑。 
野口英世の散財は有名ですが、
あそこまででないにせよ、似たような話は散見。

757: 名無し 2015/08/04(火) 09:21:48.35 0
昔からあって今も評価され
複数の国の人間が語ってる美徳は住居の清潔さかね

758: 名無し 2015/08/05(水) 01:29:53.10 0
>>757 
>美徳は住居の清潔さかね 

「清潔」とはちょっとちがうけど、
江戸の下町裏長屋の住人が、植木鉢で朝顔そだててるところとか

759: 名無し 2015/08/06(木) 19:27:14.59 0
美徳はあっさり命を捨てるところでしょ 
美徳じゃないか

760: 名無し 2015/08/06(木) 21:25:01.60 0
>>759 
その美徳は戦争になると粘り強さに欠けて
追い詰められる前に玉砕するから 
あまり戦争向きじゃない 
硫黄島みたいな徹底的に地下陣地を構築して粘ったほうが
相手の戦闘意欲は削がれる 

あと自分の命もあっさり捨てるが
他人の命も軽んずるようになる欠点もある

766: 名無し 2015/09/15(火) 00:32:13.07 0
南極点初到達でのライバルだったアムンゼンとスコットの間には
極点目指す前からの紳士的なやりとりとか何気に美談がある 

先に極点に到達したのはご存知の通りアムンゼンだが、
そこでも彼はスコットのために正しい極点の位置を図ってそこに旗を立て、
また近くにテントを設置し
スコットにいくらかの食料とメッセージを残していった。 

メッセージはアムンゼンが帰路で遭難する心配から、
ノルウェーの国王に自分が極点に一番乗りした事を伝えるもので、
スコットに携帯するよう依頼したものだった。 

律義者のスコットはそのメッセージを持ち帰った事で、
アムンゼンの極点初到達は嘘ではない事が証明されたのだった。

767: 名無し 2015/09/15(火) 19:27:36.75 0
>>766 
なにこれ怖い、、、

769: 名無し 2015/09/16(水) 01:40:29.54 0
>>766>>768 
北極が大好きでしょうがなかったアムンゼンさん 
とりあえず南極点に到達した後、実は北極で死亡していた、、、 

本人大歓喜!?

770: 名無し 2015/09/16(水) 11:43:56.54 0
>>769 
北極は海洋性気候ゆえ、南極よりずっと「温暖」なのにね 
南極点の年平均気温は-50℃、北極点は-15℃ほどと約35℃も高いぞ

768: 名無し 2015/09/16(水) 01:14:55.01 0
スコットの帰路はスコットの出発と道中の行程の遅れ
(頼りにしていた馬や雪上車が使えず人力でソリを引いて行った)から
夏が終わってブリザードが襲って来るようになった。 
隊員の中でも屈強なエバンズがまず凍傷に罹り、
手足は膿だらけとなり動けず、錯乱の果てに絶命する。 

次いでオーツが凍傷になるが、
ここでオーツは自らを犠牲にする言動をしている。 
「自分はもう駄目だから寝袋に入れたまま捨てていって欲しい」
しかしスコットはそれを許すことが出来なかった。 

オーツの最後は連日のブリザードで
テントに閉じ込められたまま全く進めない時に訪れる。 
「ちょっと外へ行ってくる」
…こんなブリザードの中外に出る理由は一つしかなかった。 
しかしスコット他の隊員は前日まで必死にオーツを励ましていたが、
この時はオーツの気持ちを汲んで何も言えなくなっていた。 

尊い自己犠牲の話…になるかな!?

772: 名無し 2015/09/17(木) 00:54:04.30 0
>>768 
スコットはもはや遭難死は不可避と悟ると
私はもうだめだから
妻よいい男がいたら再婚してくれって遺言残してたんだよね 
泣けた