1: 名無し 2016/11/30(水)23:58:54 ID:Of4
1中 加藤友三郎(海軍)
2遊 山本権兵衛(海軍)
3一 加藤高明(憲政会※のちの立憲民政党)
4三 原敬(立憲政友会)
5右 浜口雄幸(立憲民政党)
6二 若槻礼次郎(立憲民政党)
7左 田中義一(立憲政友会)
8捕 高橋是清(立憲政友会)
9投 犬養毅(立憲政友会)

さて、大正から昭和初期までの総理打線やで。
具体的には第一次山本(第16代:1913年)から犬養(第29代:1932年)までや。
なんでこんな中途半端な時期なのかというと、
この時期がちょうど民主主義憲政で纏めることができるからなンゴ。
この時期をざっくり解説するとこんな感じ。

第一次世界大戦の漁夫の利おいしいですww
→藩閥も元老も古いンゴww。民主主義運動やるンゴww。
→軍縮するンゴww
→恐慌やべぇww助けてww
→なんとか経済建て直せたと思ったらアメリカの経済がヤバいww


2: 名無し 2016/11/30(水)23:59:33 ID:Of4
1中 加藤友三郎(海軍)

さて、海軍の漫画好き変態おじさんである。
このおじさんは、日本海海戦時の連合艦隊参謀長をやっていて、
癖の強すぎる参謀連中をうまく纏めていた出来る人。
この人の最大の功績は、
1921年(大正10年)のワシントン会議に出席して軍縮の約束をしてきたこと。
軍人でありながらも協調外交を大切にしており、
そして海軍内の調整が抜群に巧かった。
東郷に次ぐ日本海海戦の英雄であったため、
早世してしまったのは本当に痛かった。

日露戦争時の連合艦隊関係者はなぜか老害東郷を除いて
ほぼ全員が早世してしまったため、
海軍には小狡い連中が跋扈することになってしまった。
そしてこの人はなくなったタイミングもマズかった。
八月の終わりに亡くなったんだけど、
後継も決まらないわずか一週間後に関東大震災が発生してしまう。
ちな、この人の内閣は「逆転内閣」もしくは「変態内閣」と呼ばれている。

3: 名無し 2016/12/01(木)00:00:09 ID:3Uu
2遊 山本権兵衛(海軍)

日露戦争の時の海軍大臣である。ごんべーって呼んであげてください。
このおじさんは、大正期に二回、総理大臣になっている。

一度目は、第一次護憲運動によって瓦解した桂内閣の後継である。
政友会のバックアップを得て順調にスタートしたはずのこの内閣だが、
シーメンス事件という海軍のスキャンダル発覚によって
いとも簡単に終了してしまった。
もちろんシーメンス社から賄賂を受け取った連中は悪いが、
別に山本に責任があったわけではなかったので
運がなかったと言わざるを得ない。

二度目は、先述の加藤友三郎が亡くなり、関東大震災が起きた直後である。
日本の政治史上、病死による政権交代は初であったため、当初は混乱を極めた。
しかし震災の対応のために一刻も早い組閣が必要だったため、
当人の前任者の出身母体から選ぶべしという意見によって誕生した内閣である。
こちらも不運なことに、虎ノ門事件(皇太子が狙撃された事件)という
テロの責任を取って辞任した形である。

いずれも不運に見舞われての退陣であったが、いただけないのは退陣後である。
虎の門事件の全責任を負って海軍からも政治の世界からも身を引いたわけだが、
その後の海軍の暴走を止められたのはこの人物のみであったと>>1は考える。
誰か……誰か東郷と伏見宮を止めてくれ……って時に
隠居を決め込んでたのは責任放棄ととらえられてもしゃーない。

10: 名無し 2016/12/01(木)00:10:08
ワイも日本史好きやが
ここまで詳しいことは知らんみたいなことがあって楽しいからぜひ続けてや

11: 名無し 2016/12/01(木)00:13:25 ID:3Uu
3一 加藤高明(憲政会※のちの立憲民政党)

初の明治生まれの総理、かつ外交官出身のエリート総理。
とにかく自信家で、自分の決めたことをワンマンで通すタイプ。
なんで政党というグループでそんなことができるのかというと、
こいつの嫁が三菱のご令嬢だったから。
莫大な集金力を持ち、ほかの政党員に対して強い態度に出ることができた。
ちなみにこの嫁の妹の旦那が、弱腰外交で有名な幣原喜重郎である。

功績としては、第二次護憲運動の旗手となったことがあげられるけど、
これは>>1は微妙だと思ってる。
第二次護憲運動というのは、
加藤友三郎→山本→清浦、という非政党内閣が三代も続いたことに
民衆が腹をたててちゃんと政党内閣にしろ!
と言い出したことが原因なんだけど、
これは政党の自業自得という面が大きい。

まず加藤友三郎が総理になった経緯だが、これは当時の政友会が
「憲政会に渡すぐらいなら海軍のほうがマシだ」
といって選んだに過ぎないし、山本は加藤の代理みたいなものである。

そして肝心の清浦だが、
この男は単なる「選挙管理内閣」として選ばれたに過ぎない。
当時の選挙制度では、
内務省(警視庁)さえ握っていれば簡単に選挙妨害が出来たし、
それを諫める法律もなかったからだ。

だから次の選挙までのつなぎとして非政党である清浦を置いて、
選挙が終わったらその第一党党首に政権を譲渡させるつもりだった。
だから第二次護憲運動はなくても
半年後には選挙が始まるので目的は達成されたはずなので、
なんか民衆へのパフォーマンスに使われた臭いように思える。

とはいえっても、やはり加藤高明のリーダーシップはすごい。
加藤高明は一度辞任しているのだけれど、
ほかの連中に任せるよりもう一度加藤高明にやらせた方がよいという
元老の判断で、2度連続の内閣を続けた。

集金できることは、やはり今も昔もとても大事なんだなぁと思う>>1であった

12: 名無し 2016/12/01(木)00:22:56 ID:3Uu
4三 原敬(立憲政友会)

平民宰相おじさん。ここでいう平民とは「貴族ではない」ということ。
ただし実際には盛岡の家老の血筋で
世が世ならかなりの爵位をもらっていたはずである。
貴族であれば選挙を経る事無く貴族院議員として
政治にコミットすることができるのだが、
原はあえて衆議院議員としての道を選んだ。

さて、この原の功績についてだが、
もう功績だけで打線が組めてしまうほどの逸材である。
ここに代表的なものだけ紹介しようと思う。
・全国に大学と鉄道を作り、
 第一次大戦バブルで余り気味だった民間の金を回収した。
・陸海官宮財貴衆老枢皇の全てから支持を受けており、
 政治的に無双状態であったこと。
・西園寺をうまく操縦し、日露戦争でもうまく立ち回ることで
 立憲政友会の立場を不動のものとした。
・ワシントン軍縮会議中という期間限定とはいえ、
 加藤友三郎と協議してなんと自ら海軍大臣代行を行う
 シビリアンコントロールと改憲を
 視野に入れていたのではないかと>>1は考える

とかく、調整能力に長けており、暗札さえされなければ
長期に政権を担うことができたであろう。
また仮に政権が瓦解したとしても、功績からして元老入りは間違いなく、
その後の政治を正しい方向に導いてくれたことは想像に難くない。
世界的に見ても稀なレベルの調整型リーダーであるが、
であるからこそ、急進的な政治転換ができないという欠点もあった。
普通選挙はまさにそれであり、政友会内部での反対が強かったために
どうしても慎重にならざるを得なかった。

受験日本史においては
「平民宰相原敬が普通選挙を実現した」という
ひっかけ問題が数多く出るので受験生は注意してね。

ちな、この人が暗札されたのは東京駅であり、今でも暗札現場には解説がある。
>>1は東京駅に行くたびにこの現場で手を合わせている。
次に東京駅行くときは手合わせてやってください。

13: 名無し 2016/12/01(木)00:34:11 ID:3Uu
5右 浜口雄幸(立憲民政党)

ライオン宰相おじさん。聖域なき構造改革とか、根回しゼロの独断政治とか、
当時の新メディアで国民に語りかけることとか、
ドクターマシリト宰相と共通点が多い。

さて、この浜口だが、かなりの官僚エリートであるにも関わらず
非常に苦労人であり、加藤高明に惚れて憲政会入りした。
とにかく信念と勇気の政治家であり、
歴代総理大臣を見てもトップクラスの勇気を持っている。
ある意味ではベンチャー企業に向いていた人材だったのかもしれない。

この男の功績だが、実は評価が真っ二つに分かれている。
第一次世界大戦時、
世界の先進国は金本位制度(紙幣とゴールドを交換するよ)を取りやめた。
この流れに乗って、日本も金本位制度を取りやめたのだが、
終戦後10年も経つと、そろそろ金本位制度を復活させようという流れになった。
しかしちょうど日本では関東大震災によって莫大な被害が出ており、
財政を逼迫していたので金本位制度に戻そうという声は上がらなかった。
そこでこの浜口は金本位制度を復活させて、
日本をグローバルスタンダートの流れに戻そうとたくらんだのである。
そして金本位制度を復活させるだけでなく、
「あえて旧価格で金本位制度を復活させる」という事を実現してしまった。

当時、金の価値は第一次世界大戦勃発前より高くなっていたため、
前と同じ比率で交換すると、割合的に日本は円高になってしまう。
こうなると国際的な競争力が落ちてしまうのだが、
どの時代にも円高政策が大好きなおじさんはいるのである。
もちろん浜口にも考えがあってのことだったのだろうが、
結果的にはアメリカの大恐慌とタイミングが完璧に重なってしまったため、
最悪の結果になってしまう。

ちなみに浜口も原と同じく東京駅で襲撃を受けて、
その傷が原因で亡くなってる。
特殊な菌を持った人だったらしいので、
今の医療技術であれば普通に助かったらしい。

当時、原暗札の後、総理大臣の警護は厳重になっていたのだが、
浜口は「一般人に迷惑が掛かってはいけない」として警備を薄くしていた。
そこを狙っての犯行であった。
これはやはり浜口の自業自得と言わざるを得ない。

なお、この時「総理が休むな!登院しろ!」と主張して
浜口の寿命を縮めたのが鳩山爺。
本当に鳩山爺は戦前はロクなことしないな……

14: 名無し 2016/12/01(木)00:44:46 ID:3Uu
6二 若槻礼次郎(立憲民政党)

歴代内閣で最も勉強ができる人材は誰か?と聞かれたら
>>1は迷わずにこのおじさんを選ぶ。
東京大学(帝国大学の前身)を史上最高得点で卒業した究極のエリートである。
官僚としても政党員としても非常に優秀であり、
事務仕事を任せたら神レベルであったらしい。

この男の天才ぷりを表すエピソードは、やはりロンドン海軍軍縮会議である。
海軍とは全く関係ないながら全権首席となり、
各国の海軍軍人相手に立派に交渉をした。
軍艦についての知識が全くないにも関わらずなぜそんなことができたのかというと、
「ロンドンに行くまでの間、船で勉強した」からだそうだ。
世界各国の軍艦のスペックをジェーン年間で調べ、
詳細な数字を覚え、交渉に向かったのである。

ただし、政治家としてはエリート特有の押しの弱さがあり、
イマイチ指導力を発揮できなかった印象である。
政治家としての最大の功績は、
「国難に当たって政敵の政策を支持したこと」である。
昭和恐慌を食い止めるための銀行の救済案を
枢密院に理不尽な理由で切られてしまい、立憲民政党内閣が崩壊する。
その後、似たような救済案を政敵である立憲政友会が出したところ、
枢密院はokを出してしまう。
すなわち、救済案とは別のところで枢密院に意地悪をされたのであった。
こんなことをされたらふつうは怒るのが人情で、
実際に政友会を許さないという声もあった。
しかし若槻は
「この難局にそんなことを言ってられない。ここは政友会を支持しよう」
と主張した。
まさしく「国士」である。
このような人物が、戦前の政党政治にいたことはいくら称賛してもしきれない。

現代の話になるが、大震災という国難に際して、
政敵からの協力を拒むような信じられない政党とは比べようがない。

なお、二度政権を担当するが、
どちらも前任者死亡によるピンチヒッターであり、
かつ瓦解理由は「恐慌」「満州事変」と
本人にはどうしようもない事情であったのは残念である。
地味に戦後まで生き残っている数少ない大正時代の総理経験者。

15: 名無し 2016/12/01(木)00:53:42
若槻は戦後アメリカから称えられてたよな確か

17: 名無し 2016/12/01(木)00:55:34 ID:3Uu
>>15
ロンドン軍縮会議でもかなり称賛されてたで

16: 名無し 2016/12/01(木)00:54:54 ID:3Uu
7左 田中義一(立憲政友会)

おらがおじさん。
ロシアでの名前は「ギイチ・ノブスケヴィチ・タナカ」。
坂の上の雲で広瀬武夫がやっていたことを、
陸軍でやっていたのがこの男である。
一人称が「オラ」であり、非常に親しみやすいおじさんである。
このおじさんは在郷軍人会を組織し、
退役軍人からの支持を立憲政友会にもたらすこととなった。

さて、このおじさんは比較的長期にわたって政権を担当できたわけだが、
理由は間違いなく「昭和恐慌を収めたから」であろう。
実は内容はほとんど高橋是清に任せっきりだったのだが、
とにかく国民からの支持を受けた。
ただ、昭和天皇に対するスタンスは
「まだ若すぎるんでオラが指導しなければ」という
上から目線スタンスであったため、昭和天皇に煙たがられた。
そういう事情もあり、
張作霖爆札事件においてなぁなぁの対応を見せる田中に対して、
昭和天皇は強い言葉で「辞任したらどうだ?」と言ってしまった。
これは田中にとって相当ショックだったらしく、即座に総理を辞任した。

この後すぐに心臓の病で亡くなってしまったあたり、
かなりのダメージだったのだろう。
一人称が「オラ」、心臓病、戦う人(軍人)。
どうしても山吹色の胴着が頭から離れないのは>>1だけであろうか?

「田中上奏文」という怪文書がある。
これは日本が中国大陸に侵略するべきだ、という旨を
田中義一から天皇に上申する文章なのだが、
今では真っ赤な偽物ということになっている。
しかし中国ではこの「田中上奏文」は史実ということになっており、
中国では悪い意味で有名人である。
中国人と歴史の話をするときは注意が必要な人物である。

なお政友会入りする際に持参金として100万円という大金を持ってきた。
これは機密費の横領だったのではないかと今でも議論になっている。
もちろん証拠はないけど
軍人が100万円なんて集められるわけないだろ!いい加減にしろ!
※なお原は遺書と一緒に前回の選挙資金の余りである100万円を残した模様

18: 名無し 2016/12/01(木)01:04:58 ID:3Uu
8捕 高橋是清(立憲政友会)

ダルマ宰相である。
禿げあがった頭に豊かなヒゲと柔和な笑顔。
wikiには総理大臣の一覧という項目があり、
そこには歴代総理大臣の顔写真一覧があるのだが、
明らかにこのおじさんだけ浮いている。
通常、政治家は原や加藤高明のような厳しい顔で
油断を見せない感じになるのだが、どうみても高橋はゆるゆるである。

箇条書きで高橋の功績をまとめておこう。
・渡米して騙されて奴隷になるが運よく帰ってきて東大の英語教師になる(16歳)
・開成高校の初代校長になり、数々の生徒を東大に送る
・ヒモやったり相場師やったりして何度も破産する
・なんやかんやで農商務省の役人に。
 日本の特許制度を斎藤実と加藤高明に助けてもらいながら作り上げる。
・山師になってペルーで騙されて帰ってくる。無一文に。
・なんやかんやで日銀の職員に。なぜか教え子と一緒に日銀本部の建物を作る。
 ※東京駅で有名な辰野金吾。
・なんやかんやで銀行員に。いろいろあって日露戦争の戦費調達(8億)して日本を救う。
・なんやかんやで大蔵大臣に就任。なんと七回も。
・なんやかんやで総理大臣に就任。たった7か月で瓦解するも政友会総裁に。
・引退したはずなのに大蔵大臣として昭和恐慌を無事に収めて日本を救う。
・引退したはずなのに大蔵大臣として
 加藤高明の金本位制度復活と取りやめて日本を救う(金輸出再禁止)
・引退したはずなのに大蔵大臣としてブロック経済を打ち破り、
 日本を世界最速で世界恐慌から救う。
・引退したはずなのに大蔵大臣として軍部と対立し、暗札されてしまう。

……なんだこのオッサン!

23: 名無し 2016/12/01(木)01:17:32 ID:3Uu
9投 犬養毅(立憲政友会)

憲政の神様。
少数政党を率いつづけた苦労人おじさん。
戦前日本の政治は、基本的に二大政党制だったんだけど、
犬養はそのどちらにも属さずに少数政党を率いた。
国民が日露戦争の講和条件に大きな不満がある中、
不完全ながら政府を支持したあたりは慧眼だった。
少数政党を率い続けることに付かれた犬養は、
政友会の誘いにほいほい乗って党首になってしまう。
これはかなり晩節を汚しように思えるが、
もっと汚したのは「統帥権干犯問題」である。
旧憲法下において、各大臣は首相の配下に置かれるわけではなく、
天皇に直接つながっていた。
そのため、例えば首相は陸軍や海軍の行うことに口出しができないという
暗黙ルールがあった。
先述のロンドン軍縮会議では、
若槻は対英米6.975割という好条件での譲歩を得ることができた。
艦これを知っている人には常識なのだろうが、
当時の日本の財布事情からして、この条件は破格と言っていいだろう。
経済規模で何倍も劣るはずの日本がこの程度の差で英米に食らいつけて、
しかも建艦競争に巻き込まれなくて済むのだから。
しかし事前には7割でと決まっていたこの条件に対して0.025割の誤差が生じている。
この実に細かい部分に対して食いついたのが海軍のアホどもである。
先述の通り、海軍には老害とアホしか残らなかったため、
この連中が騒ぎ出したのである。
もちろんそんなものは政府として無視すればよいのだが、
ここで鳩山爺と犬養が、
「これって統帥権干犯だよね?」と助け船を出してしまう。

いわゆる党利党略のためだけに海軍のアホどもを支持してしまったため、
後に大きな禍根を残すこととなってしまった。
結果、軍のやることに政府と議会は口を出してはいけないという空気を醸造し、
後の満州事変を誘発する結果となった。
これについては本人は悔やんでいたようである。

なお、Kanteiにて5・15事件で暗札されてしまう。
この事件は攻殻機動隊の個別の11人事件で引用されていた通り、
海軍将校たちに非常に甘い裁定が下されてしまった。
これ故、いわゆる「愛国無罪」的な雰囲気が醸造され、
陸軍でのクーデターおよびテロが横行することになってしまった。

この経緯を見て、
なぜか>>1は尖閣諸島のyoutube動画流出問題を思い出してしまう。
歴史は具体的に繰り返すというのは本当なのだなぁ。


39: 名無し 2016/12/01(木)01:37:47
>>23
犬養は少数政党基盤にしとるからその分裏工作ずいぶん仕掛けてるんだよなあ
まあそのへん森格とかいう達人がおったせいなんやが、
そいつと軍部がパイプ太くなりすぎて
「あれ、政党(とか犬養)いらなくね?」ってなったのがアカンのよなあ

40: 名無し 2016/12/01(木)01:41:08 ID:3Uu
>>39
森恪はよく名前間違えるンゴ……もう「ハラケイ」みたいに「モリカク」
でいいんじゃないの?

25: 名無し 2016/12/01(木)01:19:54
若槻ってほんまもんの神童やったらしいなあ

27: 名無し 2016/12/01(木)01:20:36 ID:3Uu
>>25
たぶんデスノートのキラぐらい頭ええで


32: 名無し 2016/12/01(木)01:25:33
是清「日本にも特許の仕組みがいるなぁ。せや、海外から仕入れたろ!」

是清「男の関係者とは問題なく仲良くなれたけど、
   実際に実務を担当しとる女性たちには
   なかなか受け入れてもらえないンゴ・・・」

女職員「社交ダンスがナウでヤングでイノセンス!」
コッレ「ダンス?・・・ええやん!」

女職員と同じレッスンスタジオで
100キロの巨体を踊らせる是清(踊り経験皆無)
踊りの腕が上がるとともに女性陣からの支持も集め、
結果男女関係なく人気者に
特許のやり方・考え方・法整備など、関係するもの全てを聞き出す

手口が漫画やんけ
とても明治大正期の日本男児とは思えないわ

33: 名無し 2016/12/01(木)01:26:25 ID:3Uu
>>32 
やる夫が高橋是清になるようです オススメやで

28: 名無し 2016/12/01(木)01:21:39
立憲政友会って今で言う何党や?

29: 名無し 2016/12/01(木)01:23:34 ID:3Uu
自民と思ってクレメンス

35: 名無し 2016/12/01(木)01:30:10
戦前の政党の系統が今まで残ってるのは
政友会・民政党→自民党
社会党(社会主義政党いろいろ)→社民党
共産党→共産党
の3つだけやな

36: 名無し 2016/12/01(木)01:34:01
>>35
共産党って戦前にもあったんか…

37: 名無し 2016/12/01(木)01:35:50
>>36
ええ…(困惑)

38: 名無し 2016/12/01(木)01:37:21 ID:3Uu
>>37
違法政党なんですがそれは……

41: 名無し 2016/12/01(木)01:41:10
>>38
いちおうメンバー的に継続性はあるからまあ多少はね


40: 名無し 2016/12/01(木)01:41:08 ID:3Uu
戦前日本の政党政治は結構複雑やが、
立憲政友会はずっとそのまんまやね。
憲政会と憲政党が紛らわしいンゴ……
政友会と政友本党もどうかと思うわ。
ってかこれは意図的にやってたわけやが。

ただ最終的には大政翼賛会に吸収されて終了。
戦後政治家は「政友会系」と「民政党系」に分かれてたわけでもないので、
消滅したと考えるべきなんやろうな。

47: 名無し 2016/12/01(木)09:05:19 ID:3Uu
暗札されたり病死したりして早死にする人多すぎぃ!

まともに天寿を全うしたのは山本権兵衛と若槻礼次郎くらいか?

大正時代の政治はほんと物騒やね。
ってかKanteiを含めて警備がザルすぎんよー。

48: 名無し 2016/12/01(木)10:36:11 ID:3Uu
なんか加藤高明が
クリーンナップのわりにショボいなぁと思われるとかなCので追加。

最大の功績は普通選挙法の制定。
若槻が苦労に苦労に苦労を重ねて貴族院を説得してやっとこぎつけた。
男子のみとはいえ、世界規模で見ても早い時期に普通選挙を実現したのは
まごうことなき偉業やで。
立憲民政党には本当に人物が集まった。
政友会は原の漸進主義によって
なぁなぁの寄り合い所帯みたいなところがあったんだが、
これに比べると民政党はガッツあるなぁと思う。
そして政友会はほんまに自民党のパッパみたいなもんやなぁ……

49: 名無し 2016/12/01(木)18:28:38 ID:3Uu
しかし清浦ニキはほんま可哀想や。
何度も組閣の可能性があったにもかかわらず寸前で瓦解。
ウナギの匂いがするが食べられないなんて「鰻香内閣」なんて言われた挙句、
当人に何ら落ち度のない理不尽な第二次護憲運動とかひどすぎぃ!

53: 名無し 2016/12/01(木)18:36:03
>>49
それを言うなら、実際に総理になれなかった宇垣一成の立場は…

63: 名無し 2016/12/02(金)21:01:52
加藤高明内閣は本当は2回大命降下を受けてるのに、
それが内閣改造扱いで再指名受けたこと自体がなかったことにされてる

本当なら今の安倍ちゃんは98代総理なのに

64: 名無し 2016/12/02(金)21:05:40 ID:ueD
>>63
わかるww
スレ名にもある通り、
「ハタカヤキカカ」と覚えた人には悩ましいンゴww
大命降下の回数で数えるべきやとワイも思うんやが、
「辞表は受け付けられなかった」という理屈で内閣改造扱いなんやね。
あれ、それ認めちゃうと昭和天皇の戦争責任認めちゃうハメになるんじゃ……

65: 名無し 2016/12/02(金)21:07:09
イッチは関係資料とか本とか読んどるん?

66: 名無し 2016/12/02(金)21:09:41 ID:ueD
うーん、好きになったきっかけは坂の上の雲で、
もっと古く言えばサクラ大戦なんやが、
それ以来なんとなく歴史ものを読むようになったンゴ。
「やる夫が高橋是清になるようです」や「東方昭和伝」と、
「歴代総理の通信簿」はワイのバイブルやね。
浪人中に日本史で歴代内閣を覚えとってほんまに良かったと思うわ

67: 名無し 2016/12/02(金)21:14:50 ID:ueD
ちな戦後日本史は「小説吉田学校」がおすすめンゴ。
あ、あとおそらく戦後日本史のバイブルに「疾風の勇人」が入ると思うンゴ。
「戦後の高橋是清」は間違いなく池田勇人やで。
そのうち池田の後輩のマッサンも出てこんかな……

吉田茂の胃が痛くなるような対米交渉や、岸の安保論争、
田中角栄の機転とか、デモクラシー時代に勝るとも劣らない面白さがあるンゴ。


68: 名無し 2016/12/02(金)21:16:44
宇治敏彦の首相列伝も面白い

69: 名無し 2016/12/02(金)21:17:23
原敬内閣時代の関東都督府分離は
後のこと考えると痛いなぁと思うわ
結果論やけど

71: 名無し 2016/12/02(金)21:18:18 ID:ueD
>>69
高橋是清一人に軍部批判を任せたのも結果論やが痛いンゴねぇ……

76: 名無し 2016/12/02(金)21:27:34
>>71
官僚出身の政治家と軍部の対立は痛すぎたなわ
あの時代誰が軍部批判しても止まらなかったやろうし

70: 名無し 2016/12/02(金)21:18:15
サクラ大戦で歴史好きになったイッチの痛さすき