1: 名無し 2017/10/28(土)00:11:24 ID:2DY
兄弟殺しが法令で定められていた
後には幽閉され舌を切り取り鼓膜を破られた宦官に世話される
3: 名無し 2017/10/28(土)00:12:45 ID:2DY
皇帝が死んだ後に最初に辿り着いた者が次の皇帝で他は皆殺し

4: 名無し 2017/10/28(土)00:13:32 ID:2DY
晋では世継ぎ以外の公子は国外追放
卿の嫡子を公族としていた

5: 名無し 2017/10/28(土)00:14:02 ID:2DY
日本では皇族を仏門に放り込んで子孫を残させないようにした

6: 名無し 2017/10/28(土)00:16:20
まあ家督争いで国が滅びる事も有ったんかもしれんしな

7: 名無し 2017/10/28(土)00:16:44 ID:2DY
女はいいけど男は碌な目にあわねえ

8: 名無し 2017/10/28(土)00:17:15 ID:2DY
スルタンが死に、後継者が決まると、
その後継者は彼の兄弟とその兄弟の男の子を殺すのが習いになっていた。

9: 名無し 2017/10/28(土)00:17:38 ID:2DY
メフメット3世というスルタンは即位ののち19人の兄弟を皆殺しにした。

10: 名無し 2017/10/28(土)00:18:48 ID:2DY
オスマン帝国では、前君主の死後に即位した王子は、
王位争いの対抗者となった兄弟たちを処刑する「兄弟殺し」の慣行
(のちに宮廷の一角に設けられた幽閉所(黄金の鳥籠)への軟禁に変更)
があったことが知られているが、
同じように前君主の余計な子孫を残さないために、
前皇帝の妊娠している側室たちは、生きたまま袋に詰められ、
ボスポラス海峡に沈められたと言われている。

11: 名無し 2017/10/28(土)00:19:26
女じゃ国を治めるのはかなり厳しいからな

12: 名無し 2017/10/28(土)00:19:42 ID:2DY
バヤジット1世がティムールの虜囚となって不慮の最期を遂げた後、
彼の遺児たちはオスマン領全土を舞台に殺し合いをしました。
最終勝者はメフメット1世ですが、その過程で、彼は全てのライバル
(兄弟)を殺してしまいました。この事件以降、新たな君主(スルタン)
が即位する際に、兄弟をみんな殺してしまうことが慣例となります。

13: 名無し 2017/10/28(土)00:21:43 ID:2DY
「兄弟殺し」という慣習が行われました。
スルタンが在命中は、各行政区に県知事として派遣され、自分の小政府を作り、
政務の経験を積みましたが、次期スルタンが即位すると、
地方の反乱政府となる恐れがあるので、全員殺害されたのです。

14: 名無し 2017/10/28(土)00:22:28 ID:2DY
オスマン帝国の君主は4代バヤズィト1世以来
キリスト教徒出身の女奴隷を母として生まれたものが多く
そもそも君主権が絶頂化して有力者との婚姻が不要となった15世紀以降には
ほとんど正規の結婚を行う君主はいなかった。

15: 名無し 2017/10/28(土)00:22:53
オスマン帝国は室町時代から続いてるんだな

16: 名無し 2017/10/28(土)00:23:20 ID:2DY
長いよね
クライシュ族でもないのにカリフを名乗ったり

17: 名無し 2017/10/28(土)00:23:59 ID:2DY
13世紀末にアナトリア半島北東部を支配した初代オスマン1世に始まり

18: 名無し 2017/10/28(土)00:25:15 ID:2DY
後継者争いによる帝国分割の危機を避けるため兄弟殺しの慣行が生まれる。
最初に兄弟を殺害した例として確実視されるのは3代ムラト1世であるが、
即位にあたって兄弟殺しを行ったのは4代バヤズィト1世である。
その死後息子たちの間で帝国が分割され内紛が起こったことから、
次第に兄弟殺しが帝国維持のためやむをえない行為と見なされるようになり始め、
コンスタンティノポリスの征服者として知られる7代メフメト2世は、
兄弟殺しを法令として定める。

19: 名無し 2017/10/28(土)00:25:49 ID:2DY
皇帝は皇子が皇位剥奪のために謀反を犯すという強迫観念にとらわれ、
トプカプ宮殿の後宮のもっとも奥、
北の角に「黄金の鳥かご」と呼ばれる一室を作り、
皇子たちを幽閉した。監視には秘密を守るために鼓膜に穴を開けられ、
舌を切られた宦官があたった。

21: 名無し 2017/10/28(土)00:26:05 ID:2DY
この黄金の鳥かご制度も世襲されることになり、
しばしば皇帝は皇位簒奪を恐れて黄金の鳥かごに幽閉した皇子たち
(皇位継承権を持つ皇帝の兄弟や子)を殺害した。

20: 名無し 2017/10/28(土)00:25:54
一人っ子が寂しいから自分をなだめる為に興味が湧いたのかな

22: 名無し 2017/10/28(土)00:26:19 ID:2DY
一人っ子が一番だよ

23: 名無し 2017/10/28(土)00:26:36 ID:2DY
時には、皇位継承者を殺害しすぎて
皇位継承が危ぶまれる事態まで発生したこともあった。

例えば第17代ムラト4世(在位1623年 - 1640年)が28歳で没したとき、
皇位継承者は人格的肉体的に問題があった皇弟イブラヒム
(第18代・在位1640年 - 1648年)1人しか残っていなかった。

24: 名無し 2017/10/28(土)00:27:52 ID:2DY
中国の晋もそうだけどオスマン帝国も実質的に君主が飾り物になっている
奴隷を母として生まれてずっと幽閉されていた皇子じゃねえ

25: 名無し 2017/10/28(土)00:28:15 ID:2DY
政治も大宰相が行うんじゃなあ

26: 名無し 2017/10/28(土)00:28:44 ID:2DY
カリフ制の廃止とともに
オスマン家の全成員はトルコからの国外退去を命ぜられ、
オスマン家の支配は完全に終焉した。

27: 名無し 2017/10/28(土)00:29:47 ID:2DY
バヤズィット・オスマン
オスマン家の第44代家長
ニューヨークの図書館に勤務

28: 名無し 2017/10/28(土)00:30:48 ID:2DY
エルトゥールル・オスマン
オスマン家の第43代家長
南米諸国で鉱山を経営するカナダ企業に入社

29: 名無し 2017/10/28(土)00:32:10 ID:2DY
オスマン帝国の内部の人々は
滅亡の時まで決して自国を「トルコ帝国」とは称さず
「オスマン家の崇高なる国家」「オスマン国家」などと称しており
オスマン帝国はトルコ民族の国家であると認識する者は
帝国の最末期までついに現れなかった。

30: 名無し 2017/10/28(土)00:33:34
セリムスレイマンあたりが最盛期?

49: 名無し 2017/10/28(土)00:44:51
>>30
軍事力で見るとそうかも

35: 名無し 2017/10/28(土)00:37:43 ID:2DY
>>30
伝説ではセリム1世がカリフを譲られたとか
まあ嘘なんだけど

54: 名無し 2017/10/28(土)00:51:18
>>35
その後セリム1世に幽閉させられてカリフは途絶えたよね

32: 名無し 2017/10/28(土)00:34:04 ID:2DY
スレイマンは有名だもんね
ソロモンのオスマン語読みらしい

42: 名無し 2017/10/28(土)00:41:31
>>32
へー、ミカエルとマイケルみたいなもんか

高校世界史の時には遊牧民族とイスラム王朝に苦労した思い出
なんとなく繋がりがわかってくると楽しくなるのだが

31: 名無し 2017/10/28(土)00:33:39 ID:2DY
君主号としてはスルタンよりもパーディシャーらしい

34: 名無し 2017/10/28(土)00:36:22 ID:2DY
どうでもいいけどクウェートは
海に出る部分の大半と石油の出る所を取ってイラクはムカつくだろうな

38: 名無し 2017/10/28(土)00:39:24
クウェートは後から出来たんならそうだな湾岸戦争だし

43: 名無し 2017/10/28(土)00:41:51 ID:2DY
no title

44: 名無し 2017/10/28(土)00:42:13 ID:2DY
このペルシャ湾に面した所の大半がクウェート

47: 名無し 2017/10/28(土)00:43:54
町があるのは川沿いなんだろうか、他は岩っぽい砂漠?

48: 名無し 2017/10/28(土)00:44:29 ID:2DY
海に面した部分がクウェート、それ以外は砂漠なのかな

36: 名無し 2017/10/28(土)00:38:28 ID:2DY
帝位継承者が1人しかいない時があったみたいだけど
絶えても歴史は変わらなかったかも

37: 名無し 2017/10/28(土)00:39:19 ID:2DY
トルコ国籍は欲しくないな
兵役があるから

40: 名無し 2017/10/28(土)00:40:18 ID:2DY
でもクウェート国籍よりもイラク国籍かな
まあ本来はどっちも嫌なんだけど

53: 名無し 2017/10/28(土)00:49:15 ID:2DY
1850年代のオスマン帝国の兵力
歩兵9万、騎兵1万6千
結構少ない

39: 名無し 2017/10/28(土)00:39:52 ID:2DY
トルコの猫は太っているらしい
食べ物は豊富
ナス料理が種類多いらしい

56: 名無し 2017/10/28(土)00:52:26 ID:2DY
諸スルタンのスルタン、諸君主のあかし、地上における神の影、
地中海と黒海、ルメリとアナドルとルームとカラマンとエルズルム
とディヤルバクルとクルディスタンとルーリスタンとイランと
ズルカドゥリエとダマスカスとハレプとエルサレムと全アラビアの
諸地方とバグダッドとバスラとアデンとイエメンの諸国土とタタール
とキプチャク平原の諸地方とブダとそれに属する諸地と、そしてまた
我らが剣をもって勝ち得た多くの諸国土の大王でありスルタンである
スルタン・セリム・シャー・ハンの子、スルタン・スレイマン・シャー

61: 名無し 2017/10/28(土)00:59:38
>>56って
オスマン帝国に関係した何かの宣言文なの?

63: 名無し 2017/10/28(土)01:02:44 ID:2DY
>>56
君主の称号というか名乗りというか

62: 名無し 2017/10/28(土)00:59:59
やはりか…詳しくなる原動力が見えてきた
ヨーロッパの古城を見ると親しみ深いものではない冷たさがある
そこが美しいとか人間は元来残酷なことする証拠のようだ

63: 名無し 2017/10/28(土)01:02:44 ID:2DY
>>62
お城って維持大変そうだけどいいよね
ヨーロッパよりオスマンの方が凄いらしい