87: 名無し 2016/12/20(火)17:22:08 ID: ID:GV8
1966年:ブラバムBT19・レプコ(ジャック・ブラバム)
59年と60年王者のジャック・ブラバムが自前のチーム作ってF1に参戦して
チャンピオン獲ったマシン
65年までは1500ccエンジンやったが、規則改正でこの年から一気に3000ccへ拡大
何度かチャンピオン獲ってたコヴェントリー・クライマックス社が
エンジン作るの辞めてしまって、
今まで贔屓にしていたイギリス系のチームはそらもう大変だったみたいやで
新しいもん作るっていうのはなかなか難しいもので、
各チーム苦戦する中レプコ社製のエンジン積んだブラバムは大当たり
速さと信頼性あるマシンでシーズン4勝して、
ジャックブラバムは通算3度目のチャンピオンや

規則改正すると「何か新しいことやったろ!」という人が出てきて面白いもんや
V8エンジンや直列4気筒を改良して使うチームや
新設計のV12を導入するチームもあるし、
変わり種はBRMのH型16気筒エンジンなんてのもあった
88名無し 2016/12/20(火)17:24:51 ID: ID:GV8
1967年:ブラバムBT24・レプコ(デニス・ハルム)
前年に引き続きブラバムチームのマシンがチャンピオンを獲得
ブラバムに乗るブラバムさんも頑張ったが、
チームメイトのハルムには一歩及ばずやった
ドライバー別の勝利数でいえば、
ロータスのジム・クラークが4勝と抜きんでていたんやけど、
結果を見る限り1位かリタイヤかみたいな両極端だったみたいや

アメリカのチームが優勝したり、日本のホンダが優勝したりはしたけど
基本的にはイギリス勢が独占
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89名無し 2016/12/20(火)17:27:05 ID: ID:GV8
1967年の出来事として取り上げなアカンのはDFVエンジンの登場や
4勝記録しながらもシリーズ3位に終わった
ジムクラーク(ロータス)が積んでいたエンジンが
新開発のコスワースDFVっていう後にF1史上最多勝利数を獲得する凄い代物やった

勝利数は何と155勝

1年辺り10戦から15戦くらいだった当時のF1で、
同じエンジンが155勝というのがいかに凄いか分かってもらえると思う
開発競争が凄まじいF1の世界において
1967年に投入されたエンジンが1983年まで優勝出来る性能を誇っていたのは
異例中の異例

レギュレーションの改正やその他開発競争で
83年を最後に優勝する事は無かったんやけど、
チューナー(エンジン担当のスペシャリスト)が自己流の改良施したり
色々改造しまくって、何だかんだで1991年までDFVの末裔は生き残ってた

F1での活躍はここで終わるんやけど
F1の一つ下のカテゴリーにF3000ってのがあるんや
F2っていう規定やったんだけどDFVエンジンを有効活用するって意味もあって
F3000規定に変わった
そこでDFVはまた大活躍して日本でも90年代中頃まではDFVが現役で走ってたらしいで
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108名無し 2016/12/20(火)23:14:12 ID: ID:GXb
>>89
このエンジンの強みは何だったんやろか?
>>108
バランスの良さと信頼性やろなぁ
設計者が有能だったって一言で済ますことも出来るけど
パワーがあって壊れないっていうエンジンはまさに理想のエンジン

最大パワーで言えば他の12気筒エンジンが勝っていたのかもしれんけど
昨日も書いたように部品点数増えるから重くなるし故障もしやすくなる

その点8気筒エンジンのコスワースは比較的軽量コンパクト
そんで沢山生産してみんなに売ってたから爆発的に普及したみたいや
>>109
なるほど
今までのエンジンよりさらに優れたバランスを実現したんか
1968年:ロータス49B・フォード(グラハム・ヒル)
上で紹介したフォードコスワースDFVエンジン無双の始まりや
DFV以外のエンジンで勝ったのはフェラーリV12の1勝のみ
その他はぜーんぶDFVエンジンユーザーが優勝

昨年チャンピオン獲り逃したジム・クラークは
今年こそチャンピオンと意気込んでの参戦やったが、
残念ながら第1戦に優勝した後に参加した他のレースで事故死してしまう

その代わりと言ってはあれやが、同じチームのヒルがチャンピオンを獲得や

他のチームもDFVエンジン使ってたんやけど、
ロータスは新しい技術を投入してきた
この技術も現代でも使われている発明の一つやね
空気を味方につける「ウィング」の登場や

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91名無し 2016/12/20(火)17:32:34 ID: ID:GV8
1968年はウィングによってダウンフォースという概念が導入された年でもある
ザックリいえば「下にマシンを押し付ける力」や

66年で書いた通りエンジンの排気量が1500ccから3000ccになって
大幅パワーアップしたンゴ
しかしパワーアップしたってタイヤが空回りしてたら意味ない
そのパワーをロスなく路面に伝えるためにはどうすればええんやろか?
タイヤメーカーは太くてグリップするタイヤを開発したりしたんやけど、
それだけじゃ足りん

「せや!飛行機の羽を逆さまにすれば下に行くやんけ!」

と言ったかどうかは分からんが、速度を上げれば上げるほど、
ウィングの上下に流れている空気の圧力差で下へ下へ(地面へ)
強い力で押し付けてくれる部品が開発された
それがウィングや
F1が最初ってわけでは無いんやけど、
当時は最先端技術で知っている人は少なかったし、
「そんな訳わからんパーツいらんわ」という考えもあった

ロータスはいち早くその技術を取り入れたんやね
シーズン中にも関わらず、ウィングはF1界では大流行や
最初はロータスだけだったのに、色んなチームが付けるようになった
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108名無し 2016/12/20(火)23:14:12 ID: ID:GXb
>>91
ウィング、初めは何のために作られたんやろ
ようこんなん思いつくなあ
>>108
ウィングの歴史ってなると飛行機の歴史になってしまう
流体力学はワイの専門ではないから詳しく説明できなくてすまんな

上に書いた通り理論的には「こうなるんちゃう?」ってのはあったんやろけど
車に自信ニキが飛行機にも精通してるかどうかはまた別の話

ワイが知る限りは60年代中頃にシャパラルっていうチームが
別のレースでウィングを導入してた
車に自信ニキが飛行機にも自信ニキやったんやろね

車を作るためには機械力学、熱力学、材料力学とかが必須なんやけど
自動車周辺の空気の流れを見る流体力学っていうのは
それほど重視されていなかった

厳密にいえば流体力学も重要ではあるけど、
「飛行機の羽を逆さにつけたろ」という
発想をすぐに出来る人っていうのはなかなかおらんやろなぁ
>>112
>>シャパラルっていうチームが別のレースでウィングを導入してた
車に自信ニキが飛行機にも自信ニキやったんやろね

革新的チームやね、ほんと日進月歩やな
そのチームはF1には参戦しなかったんか?
>>113
F1には出ていないはずや
シャパラルはアメリカのチーム(企業)やから活動拠点もアメリカやった
CAN-AMっていう排気量無制限の何でもありのレースだったりCARTっていう
F1に形が似ているフォーミュラレースに参戦してたりした

77年シーズンで説明するけど、
シャパラルの発想がF1に輸入された例をもう一個紹介する予定や
>>116
シャパラルはアメリカのチームだったんやね
排気量無制限、なんでもありのレースとはまた面白そうな・・・
なんでもありだからこその発想だったんかな
1969年:マトラMS10・フォード(ジャッキー・スチュワート)
昨年から参戦してちょくちょくええ感じの成績残してた
フランスチームのマトラが初のタイトルを獲得した年や
今まではイタリアやイギリスが多かったンゴねぇ

前年投入のウィングは引き続き大流行したんやけど、
「綺麗な空気当てるためにもっと高い位置に付けたろ!」
「走行中にウィング動かして調整したろ!」
というやりたい放題になった結果、ウィングが折れたり脱落する事故が多発

さすがにいかんでしょって事で途中で一旦禁止になったんや
後半に再び許可されるんやけど、
ウィングの面積や取り付ける高さが厳しく規定されて、
「危ないから動かしたらアカンで」というお達しが下った
走行中にウィングなどのパーツを動かしたらダメっていう規則は
現代のモータースポーツではほぼ例外なく全世界で適応されている共通ルールやね

規制前の写真と規制後の写真で違いが分かってもらえると思う
ウィング小さいから飛んでるって訳では無いけど随分簡素になったンゴ
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93名無し 2016/12/20(火)17:38:23 ID: ID:GV8
1970年:ロータス72・フォード(ヨッヘン・リント)
ロータスが70年途中に持ち込んだのが72と呼ばれる全く新しい形のマシンや
今までのマシンはラジエター(冷却装置)を鼻先に付けていた関係で、
葉巻型と呼ばれる形だった

車の一番前で風を受けることが出来るから良く冷えるという利点もあるんやが、
空気抵抗が大きいという欠点もあった
そこでロータスはラジエターを車体の左右に配置してやって、
一番風の抵抗を受けてしまう鼻先を尖らせることによって
空気抵抗を減らす工夫をしたんや

「ウェッジシェイプ」というスタイリングで、「くさび型」とも呼ばれる
横から見ると薄っぺらい三角形に見えてくさびに見える事からそう名付けられた

その他にも色々工夫している所あるんやけど割愛するで

シーズン中盤で4連勝するリントやったが、
残念ながらイタリアGP中の事故で亡くなってしまうんや
リント亡き後ライバルが追い上げるんやけど、
前半から中盤戦にかけて勝ちまくってたリントには届かず、
既に亡くなってはいるけどリントが70年のチャンピオンを獲得
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110名無し 2016/12/20(火)23:18:13 ID: ID:GXb
>>93
車体前部が横に広がったんやね

亡くなった人がチャンピオンとは悲しいなあ
せめてなくなる前にチャンピオンになれていたらよかったのに
1971年:タイレル003・フォード(ジャッキー・スチュワート)
69年にチャンピオンを獲得したスチュワートが2度目のタイトルを獲得
マトラでタイトルを1度獲っているスチュワートなんやけど、
ここも色々あってまぁその時もチームの中身はタイレルみたいなものや

マトラワークスとマトラセミワークス(タイレル)の2チームがあった
ワークス差し置いてセミワークスが69年チャンピオン獲ってしまったんやで

チーム代表のティレルおじさんが「ワイのオリジナルマシン作りたいンゴ!」
という事で出来上がったのがタイレル001で、
改良加えながら71年に003へと進化した個体や

ラジエターはまだまだオーソドックスな手法だったフロント配置なんやけど
「スポーツカーノーズ」っていう独特な鼻先が特徴

薄っぺらい方が空気抵抗減ってええんちゃうか?

というのが今までの流れやったんやけど、
「ノーズでタイヤ隠して空気抵抗減らしたろ!」
という設計思想の元にデザインされた
マシンの空気抵抗の50%がタイヤだって言うんやから隠したろの精神は納得やね

全部隠すのはNGなのでスポーツ(プロトタイプ)カーっぽい鼻先に仕上がった
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111名無し 2016/12/20(火)23:23:38 ID: ID:GXb
>>94
おお、以前よりますますかっこよくなってきた
今のマシンもワイのイメージではこんな感じ
このころから形が定まってきたんかな?
>>111
スポーツカーノーズっていうのは廃れた手法やから
現代の形になるのはもうちょっと先やね
表には見えんけど燃料タンクの位置も今のマシンとは違うんや
1972年:ロータス72D・フォード(エマーソン・フィッティパルディ)
70年チャンピオンのロータス72の進化型がチャンピオン取り返したで
BRMのV12エンジンやフェラーリの水平対向12気筒エンジンも1勝ずつ記録したが、
やっぱフォードコスワースDFVエンジンが強かった

タイトル争いは
スチュワート(タイレル)VSフィッティパルディ(ロータス)
の戦いやったんやけど、この年はロータスが勝った

ちなこのカラーリングは「JPS」っていうタバコメーカーのカラーリングや
60年代後半までは「ナショナルカラー」っていう
各国のイメージカラーにマシンを塗るのが風習で
・日本であれば白と赤の日の丸カラー
・イタリアはイタリアンレッド
・フランスであればフレンチブルー
・イギリスはブリティッシュグリーン
とかそんな感じで国ごとの色に従って塗られていたんやで

自動車に関連する企業以外のステッカー貼るのもOKになったから、
68年のロータスのような
「ゴールドリーフ」や「JPS」などのタバコメーカーも参入OKになったんや

2016年現在は子供に悪影響あるとかなんとかで規制されてたりするけど、
酒やタバコメーカーのカラーリングは今でもファンが多い

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96名無し 2016/12/20(火)17:50:20 ID: ID:GV8
1973年:タイレル006・フォード(ジャッキー・スチュワート)
71年チャンプのスチュワートが取り返したで
スタイリングは71年で紹介した003と似ているけども、
衝撃吸収するためのスペース作ってあげてクレメンスというお達しがあったから、
車体が横方向に少し太くなってる

スポーツカーノーズは受け継いでるけど、
ノーズ自体がウィングっぽい形状になって
何とかダウンフォース稼いだろという思惑が見て取れる

順調に行けばコンストラクターズ(メーカー)チャンピオンも
獲れたかもしれんのやけど、
最終戦でスチュワートと同じチームのフランソワ・セベールが事故死

チームは最終戦の参加を取りやめて撤退したから、
チームとしてはロータスがチャンピオンを獲った

以前から引退すると宣言していたスチュワートは宣言通りこの年をもって引退
69、71、73年と3度の王者に輝いたドライバーの最後のレースは
同僚の死という悲しい最後だったんやね
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97名無し 2016/12/20(火)17:52:24 ID: ID:GV8
1974年:マクラーレンM23・フォード(エマーソン・フィッティパルディ)
強豪チームのマクラーレンへ移籍したフィッティパルディが
再びチャンピオンに輝いたで

チャンピオンマシンだけを紹介するっていうスタンスやから
マクラーレンは登場してなかったけど、
以前から実力は折り紙付きやった

フェラーリ、タイレル、ブラバム、ロータスとの接戦やったが、
最終戦でフェラーリのレガッツォーニが
トラブルでリタイヤしたのでマクラーレンが初のチャンピオンという結果になった

ロータスは74年になっても70年モデルの72改良型を持ち込んでいた
新車はあったんやけど、失敗してしまったみたいやね
それでも旧型の改良版で3勝するのはすごE
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98名無し 2016/12/20(火)17:54:42 ID: ID:GV8
1975年:フェラーリ312T(ニキ・ラウダ)
フェラーリにとっては64年以来久々のチャンピオンで
ニキ・ラウダにとっては初のチャンピオン獲得や
エンジンで言えば、7年間チャンピオン獲り続けていたフォードDFVエンジンが
フェラーリの水平対向12気筒エンジンに敗北した年でもあった

シーズン当初は1970年型の312Bを改良しまくって
312B3とした型式を使っていたんやけど、
途中から新型の312Tを投入
最初はトラブルとかでリタイヤもあったけど、
その後は絶好調でチャンピオン獲得や

今更ではあるけどリアタイヤが段々巨大化してるのが目に見えて分かるンゴ
パワーでゴリ押しすればええやろ的な時代やね
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115名無し 2016/12/20(火)23:29:15 ID: ID:GXb
>>98
フェラーリ勝てない期間が長くて必死だったやろなあ
返り咲くのに10年以上かかったんか
1976年:マクラーレンM23・フォード(ジェームス・ハント)
74年にチャンピオン獲ったマクラーレンが76年に再び王者や
序盤はフェラーリのニキ・ラウダがええ感じでリードしてたんやけど、
レース中の事故で大やけどを負ってしまい途中欠場

それでもわずか2戦休んだだけで復帰という超人っぷりや

チャンピオン争いはラウダVSハントのまま最終へもつれ込む
舞台は初開催の日本の富士スピードウェイやった
諸事情で「グランプリ」の名称が使えなかったので
「F1世界選手権イン・ジャパン」という大会名称で開催された

大雨アンド大雨に加えて富士特有の霧が出てきてレース中止も提案されるほど
やったけど、チャンピオン争いもあるってことで決行された

ラウダは一周走っただけでレースを棄権してハントはだいぶ楽になったんやけど、
4位以内でゴールせなチャンピオンにはなられへん状況やった

途中タイヤの摩耗で順位落とすけど、タイヤ交換後に猛追して3位ゲット
悲願のワールドチャンピオン獲得っていう結末やった

76年は色々書きたいことがあるんやけど迷う
奇妙な6輪車も書きたいし富士を爆走した日本人についても書きたい
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100名無し 2016/12/20(火)20:10:36 ID: ID:GV8
1976年に登場したタイレルP34は絶対に外せないンゴ
見て分かる通りフロントタイヤが4輪、リアタイヤが2輪の合計6輪や
たまげたなぁという感想しか出てこない

71年の項目で書いた通り、タイヤの空気抵抗は無視できひん
何とかしてタイヤを隠したいけど、
グリップを沢山稼いでコーナーを曲がるためには
大きくて太いタイヤじゃないとアカン

大きくて太いタイヤつけたら空気抵抗増えてしまうやんけ!
というジレンマやね

そこで考えられたのがフロントタイヤが4輪という奇抜なレイアウト
空気抵抗減らすためにタイヤのサイズを小さくてノーズの後ろに隠す
タイヤが小さくなってグリップが減った分、
タイヤ増やして補ったろという考えや

こんなん上手くいくわけないやんと思ったら
1-2フィニッシュ飾って更にたまげたなぁ

色々あって77年には姿を消すんやけど、
他のチームも後追いのテスト段階では真似してたんやで

マーチやウィリアムズはリアタイヤを直列に並べた6輪車
フェラーリはトラックみたいに並列にタイヤを並べる方法とかあった

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101名無し 2016/12/20(火)21:52:42 ID: ID:GV8
1976年の日本グランプリについても触れておくで

長谷見正弘・星野一義・高原敬武・桑島正美の4名が挑戦した
それ以前にもF1に挑戦する日本人はおったが、決勝には進めなかったんや
桑島さんについては他の外国人ドライバーと交代して決勝には出られなかったが
長谷見・星野・高原の3名は予選を通過し決勝に出場できた

その中でも伝説として語り継がれるのが、コジマKE007を駆る長谷見正弘
コジマっていうのはそのまんま「小島」をカタカナにしたチームで、
主に日本でレーシングカーを作っていたがF1の経験なんて全くなかった

手探りでF1作っていきなり世界選手権に乗り込んだわけや
無謀とも言えるが「富士スピードウェイスペシャル」とも言える
1976年の日本グランプリだけに照準を合わせて設計したマシンやった

予選1回目でなんと4番手タイムをマーク
外国人勢からしたら東洋の訳わからんチームとドライバーが4位に入ったら
ビックリしたやろね

予選2回目で更なるタイムアップを目指してアタック開始
このままのペースならポールポジション行けるやん!
って所やったけども、最後の最後でマシンの一部が壊れて大クラッシュ

午前中のタイムが採用されて10位にはなれたが初出場で予選1位はとれんかった
ワークスチームであれば「スペアカー」っていう何かあったとき用に使う
予備のマシンがあるんやけど
プライベートチームのコジマはスペアカーを持っていなかった
幸い長谷見さんは無事やったけど、マシンが無ければ出場できん

普通だったら諦める所、驚いたことにほぼ最初からマシンを作り直してしまった
数か月かけて作るのが当たり前の所、
スタッフやスタッフ以外も寄ってたかって24時間体制で
作業して40時間でマシンを完成させるという恐ろしい行動力

勿論ある程度のスペアパーツを使ったんやろうけど、
モノコックっていう車体をアルミの板から作り直した時点で
修理というよりは新造といって差し支えないと思う

完成したマシンはまともにまっすぐも走れんかったそうやが、
それでも大混乱の大雨レースを
11位で完走した

タイレルを魔改造した星野一義も検討したけど、
タイヤが無くなってしまってリタイヤ
最上位は高原選手の9位やった

52号車の星野
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手作りでマシン作って決勝に進み、地元の利も生かし、
さらに壊れたマシンをほぼ一からたった40時間で作り直す
とんでもないチームやな
こんなチームが日本にあったんやね

>>120
試作されたその他チームのマシンも貼っておくで
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123名無し 2016/12/20(火)23:51:46 ID: ID:GXb
>>121
今度は後ろにタイヤ二つのマシーンが登場したんか
車体がほんと後ろにも伸びてるわ
一番左の写真の車、後ろにあるのは低くなったウィング?
>>123
テストはしたけど実戦には出なかったンゴ
この翌年か翌々年に「タイヤは4つじゃないとダメやで」っていう規則ができた
笑い話みたいな規則やけどそこまで規制しないと
タイヤ増やしまくる人が出てくるかもしれんからね
同じ理由で「空を飛んだらダメやで」っていう項目も存在する

左っていうと青い車かな?
見えてるのはウィングの翼端板っていうパーツやで
ウィングを構成する部品の一つや
この板があると空気の流れが左右に逃げずに効率的にダウンフォースを稼げる
>>125
なるほど
タイヤの個数にもすぐ後に規定ができるんやね
このままじゃキャタピラみたいな車が出てきてもおかしくないもんなあ
76年の日本グランプリでは触れなかったが、
「マキ」という日本のチームも参戦してるンゴ

76年以前にも参戦してたけど予選は突破できず・・・
この辺りも面白い話が多いんやけど収集つかなくなるから割愛させてもらったで
>>122
わかったで
でも日本チームもだんだん参加が増えてくるんかな
>>124
省略してたけど日本のホンダは60年代末に撤退済み
世界中を飛び回る日本チームが再び出てくるのはかなり先の話や
明日時間があれば77年から82年くらいまではやりたい
何で82年なんやっていうのはF1の規則が大きく改正された年だから

ダウンフォースという概念が過度に進化した結果、
マシンは驚くほど速くなるが、それだけ危険な事故が多発する時代へと突入や

ほなまた





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