1: 名無し 03/03/08 18:43
頼朝は戦死しました GAMEOVER
2名無し 03/03/08 18:46
おもしろいですね。戦術上かのうだったんですかね。 
兵力とか。
4名無し 03/03/14 16:08
屈強な蝦夷の兵も組み入れれば十分勝利可能。
7名無し 03/03/15 23:26
藤原泰衡との関係ビミョ―なとこでしょ。 
8名無し 03/03/15 23:45
義経では後白河院に勝てない。
9名無し 03/03/16 02:20
>>7 
泰衡が鎌倉と戦う!と決意したのなら、意外と義経との連携良くなるかも。 
頼朝に脅されてたから、義経殺しちゃっただけで、
もともと仲悪かったわけじゃないんでしょ? 

それより、奥州の兵は当時、戦の経験はどれだけあったのだろう。 
地方でのほほんと暮らしていただけなら、
源平合戦を勝ち抜いた東国武士には勝てそうにないのだが・・・。 

>>8 
そもそも、勝とうという気はなかったんじゃ。 
義経が目指したのは、平家がやっていた朝廷を頂点とした貴族的な政治だった、
という見方もあり。 
鎌倉に勝ったとしても、後白河法皇にいいように使われただろうけど、 
それはそれで本人幸せでしょ。
11名無し 03/03/16 05:41
奥州には当時十七万の騎兵がいたんでしょ?奥州十七万騎って言うじゃない。 
そのうち半分でも義経が率いてたら勝てるんじゃないの? 
補給とか大変かもしれないけど。藤原氏はなんで協力しなかったんだろう。
13名無し 03/03/16 07:07
>>11 
その17万の大軍があれば泰衡があんなにも惨めに敗走しないだろう。 
大体、当時の奥州にそれほど人口があったとも思えない。 
実際は2万から3万しか集まらなかったと聞いている。 
泰衡に勝ち目がないことを兵士たちが悟ったからにしては少なすぎると思う。 
動員人数が10万を超えることはまずないかと。 
しかも奥州藤原氏が奥羽全土を支配していたのではなく 
直接的に支配が及んだのは奥6郡とその周辺程度だろう。 
26名無し 03/03/17 09:26
>>13 
奥州藤原氏は中央貴族の荘園を除いて陸奥一国を一円支配していたと考えられている。 
他に出羽の仙北三郡も清原氏から引き継いでいた。
5名無し 03/03/14 16:17
いくら戦が上手くてもなぁ・・・。 
義経は最初のほうは勝つだろうけど、結局負けるだろ。 

6名無し 03/03/15 22:50
>>5 
根拠をお聞きしたい。
12名無し 03/03/16 07:02
>>6 
義経は謀略戦になると弱いだろう。戦略眼もあまりない。 
いくら戦術的に天才であっても戦略眼がなければ、最終的な勝利は厳しい。 
誰か軍師ともいえるようなブレーンがいなければ義経が頼朝を破るのは無理。 
15名無し 03/03/16 15:26
謀略戦、ということになると藤原基成なんかと太いパイプを作っておけば、 
朝廷勢力と鎌倉を挟撃するというシナリオも書けたかもしれん。 

無理か。 
16名無し 03/03/16 18:17
義経が実際に戦争うまいと仮定しても負けだな。 
顔がいいだけで宣伝車になっただけの男だろ? 
平家との戦いもあれだけ遠いい所から逆落とししても奇襲にならんし。 
義経て宦官びいきという言葉つくっただけだろ あいつ
22名無し 03/03/17 01:36
>>16 
俺が聞いた話では、 
一ノ谷ではまず範頼が平家を正面から攻め、 
(当然、正面からでは平家の集中砲火を受けるわけだから、
 範頼軍は苦戦するが、そこはふんばる) 
で、そうやって平家を正面に引きつけておいて、 
義経が鵯越を下って、背後から平家をたたく。 
平家はまさか第二陣が、それも背後から来るとは思ってないので混乱。 
それがいわゆる「鵯越の逆落とし」だという話。 
あと、今現在鵯越といわれている場所と、当時の鵯越は違うと聞いたんだが・・・。 

なんにせよ、一ノ谷の合戦は、義経と範頼の連携プレーの勝利だったわけだ。 
でもその後の義経の型破りぶり、範頼の普通っぷりを見ると、 
この作戦はやはり、義経が考えたんだろうなと思う。
23名無し 03/03/17 01:46
>>22 
馬術にすぐれた奥州軍を率いていたからこそ出来た事ぞ知れ。
17名無し 03/03/16 22:07
義経に戦略眼はなかっただろう。
そもそも安徳天皇と三種の神器の戦略的政治的価値を
全く理解していなかったからこそ頼朝の逆鱗に触れ、
それが最終的には対立に発展した訳だし。

もっとも天皇と神器を失ったことはむしろ頼朝にとって痛手で、
それが源氏の正当性を認めさせるのに7年もかける一因となった訳だが。 

だから義経に十分な兵力があったとして
局地戦で1勝2勝上げることはできたとしても、 
外交交渉や補給の面では圧倒的に頼朝の方が上手なので、
最終的にはやはり負けていたに違いない。
この辺は項羽と劉邦みたいな関係かな。
国力差や人材面では項羽の時以上に不利だが。
51名無し 03/11/19 17:36
結局、前述でもあるが政戦両略の欠如と 
武家勢力からの支持がほとんど無いのが義経の限界だと思われる。 

頼朝は武家政治を作るという理念があったが、 
義経は結局平家の後がまに座りたかっただけという気がしてならんよ。
60名無し 03/12/24 00:48
でも、もともとは平家の落ち武者を頼って、九州へ逃げるつもりだった訳で、北の奥州との挟み撃ちを狙ってたと思う。伊勢神宮に参拝したのも安徳天皇のためと言われてる
58名無し 03/12/18 20:14
東北人を何人連れてきても、関東の武士たちが木っ端微塵にするだけ。
67名無し 04/03/06 16:47
>>58 
南北朝の北畠顕家は、東北軍で二度に渡って鎌倉を蹂躙しましたが…