1: 名無し 02/09/08 22:15
織田信長の比叡山焼き討ちは「空前絶後の暴挙」と言われて
チョー有名なのに、それより数百年前、平清盛が行った
興福寺焼き討ちや東大寺焼き討ちは知ってるヒトがほとんど
いないのはナゼ?
平安時代の貴族政治を終わらせ、日宋貿易を始めるなど、
平清盛こそは織田信長・坂本竜馬をしのぐ大改革者と思うが。
5名無し 02/09/08 22:22
平家は負け組みだから・・・・ 
でも、厳島神社はよく出来てるね。
7名無し 02/09/08 22:35
蝶の家紋も無骨な武士っぽくなく・・・・ 
9名無し 02/09/08 22:39
清盛って天皇の子孫なんだよ。おまいら知ってた?

※平氏は桓武天皇の子孫
10名無し 02/09/08 22:41
しかも太政大臣になったんだって。えらかったんだよ。
11名無し 02/09/08 22:41
>>9
そんなのくさるほどいる
12名無し 02/09/08 22:41
その話は藤原不比等のまねっこさ。
16名無し 02/09/08 22:47
>藤原不比等のまねっこさ 
藤原不比等って、よくわかんないな。教えて
19名無し 02/09/08 22:51
>>16 
不比等って天智天皇かなんかのご落胤の噂があったような。 
それのことじゃない?
20名無し 02/09/08 22:52
>>16 
ご落胤説の話。 


落胤=父親に認知されない庶子
清盛は出世のスピードが異常であったため
白河天皇の子ではないかという説があります。

13名無し 02/09/08 22:43
天皇の子であることより、天皇のじさまになることの方が価値あり。
14名無し 02/09/08 22:44
2百数十年つづいた江戸幕府を終わらせた維新の志士たちも 
スゴいと思うが、5百数十年つづいた藤原摂関政治を 
ほとんど独力で終わらせた平清盛がさらにスゴいのは確かだ。
18名無し 02/09/08 22:51
>>14 
摂関家へのロイヤル・クーデターとしての院政を無視したのでは 
話が片手落ちだよ
23名無し 02/09/08 22:54
>>18 
平清盛と後白河法皇はワンセットで語られるべきだな。
25名無し 02/09/08 23:05
清盛よりもその親父や爺さんの方が偉いんじゃないの?
26名無し 02/09/09 00:38
爺さんの代からだな、平家が成り上がってきたのは。 
でも、清盛の前はたいしたことなかったんじゃないの?
29名無し 02/09/09 01:46
>>26 
やはり清盛の代、保元の乱以降の躍進が輝いてると思うが。 
まあ、上陸地点なくては戦いはできないので、都に居場所をつくるまでも 
重要だという観点なら、上の2代は重要だろうが、清盛ほどの輝きはないと思うぞ。 

祖父 正盛  中央ではほとんど知られない存在 
父  忠盛  やっと都で昇殿を許されるようになる 
以上が2人の活躍の概略だろ
32名無し 02/09/09 02:22
>>29 
正盛や忠盛は国司の爪牙
御願寺への成功を繰り返した 

※爪牙=家来
37名無し 02/09/09 02:43
忠盛が後白河からお下がりもらえるほどになってたから 
清盛は平清盛として生を受けたわけだろ 
でなかったら、他の氏族だったかもしれない
てことは、やっぱり正盛・忠盛の努力も大きいな
43名無し 02/09/09 23:42
東大寺の焼き討ちのときは、大仏殿も焼けて、大仏様が 
溶けちゃったんだよな。 
「菅原道真の怨霊」とかマジで言ってた迷信深い時代に、 
メチャクチャだよ。
46名無し 02/10/21 11:46
>>43 
重衡だね。 
平家物語とか読んでいると、知盛、重衡、教経などは武将としてのセンスも 
あったように見えるが、宗盛が総帥になったのが運の尽きだね。 
資盛なんかもけっこう萌えるよな
48名無し 02/11/09 18:54
平清盛は、改革者と言えるでしょうか? 
確かに武力と財力でのし上り、武家として初めて太政大臣になり、
また前代未聞のことも数々行いましたが、
所詮は公家社会の枠組みの中でのことであり、
「改革」と呼べるようなことはしたでしょうか? 

私の考えでは、 
 「武士が公家になった。」 
 「武家だった奴らが、政権を握った。」 
といったところですが。 

49名無し 02/11/09 19:22
>>48 
そこが源氏政権との違いですね。 
頼朝は、朝廷との距離のとり方が絶妙で、後白河の悪魔的策謀にも 
タメをはって負けなかったと思います。 

平氏政権は、蘇我氏政権・藤原氏政権の方が似てるんでないかな? 
ただ、海洋国家政権・貿易立国政権は、大きな可能性を感じさせますが。 
源氏は農業政権だったから。 
福原遷都は、新タイプ政権の模索か?
50名無し 02/11/09 19:28
>>49 
ナルホド。 
しかし結局、官位と閨閥に溺れてしまいましたね。 
頼朝はその危険を知っていたのでしょう。 
まあ、二十年も流人生活を続けていれば
考えもそこまで及ぶでしょうね。 

ところで「海洋国家」については、
鎌倉幕府は何故実践しなかったのでしょうかね? 
いくら農業主体とはいえ、三浦のような「海の豪族」もいたわけですし、
源平合戦で味方についた瀬戸内水軍などもいたのですから、
日宋貿易の富をみすみす捨てることも無いと思いますが。 

61名無し 02/12/03 19:33
>>50 
西国の器用な連中と違い、純朴な東国の田舎武士は銭カネの世界で溺れ死ぬと 
思ったんだよ。
62名無し 02/12/04 19:49
鎌倉殿の役目は
東国地方の土地・人民に対する武士の事実上の支配権を、
正当な権利者である国司や荘園領主に認めさせることでした。 

頼朝はこの困難な交渉に後半生を捧げており、
貿易による利潤獲得なんてことは考える暇もなかったのです。 

三浦氏が「海の豪族」だとしても、
せいぜい三浦半島沖で魚を獲り、自分達で消費していた程度では?
宋という国があること自体、彼らはほとんど知らなかったでしょう。 
都で生まれ育った清盛に比べ、情報面での劣位は歴然としています。 
65名無し 02/12/05 22:50
そもそも日宗貿易って別に清盛が始めた訳では無いんじゃない。
66名無し 02/12/05 22:52
>65 
後白河法皇と宋人を会わせたような国際性が良いのでは。
わざわざ港を修築して、経島を造らせたりした。
52名無し 02/11/21 00:25
改革者としてはやはり頼朝に軍配が上げるでしょうね。 
地頭置いたこと一つだけでも歴史上の大転換期。 
中央の政権争いでは無く、武家社会を創造したのですから。 
本人の人格には判官贔屓も手伝って低い評価を与えられていますが。
55名無し 02/12/03 11:50
信長が秀吉・家康の先がけとなった様に、
清盛も頼朝の先がけを成したと捉えればいいんじゃない 
57名無し 02/12/03 16:14
閨閥といったら頼朝も大姫を入内させようとしたのでは? 
58名無し 02/12/03 18:33
>>57 
そうだよ。
もっともその前に大姫は亡くなってしまっているけどね。
59名無し 02/12/03 18:51
大姫入内は、東国で独立しながら結局は武士階級を見下し、
貴族趣味を抜け出せなかった頼朝の限界です。 
その点、清盛のほうが野心丸見えで人間臭くて好きだね。
63名無し 02/12/05 18:39
清盛が平治の乱の数年後に根拠地を西国(例えば太宰府とか)に移していれば
平氏政権は存続したのでは?
64名無し 02/12/05 19:27
畿内は伝統的貴族、西国は平氏、東国は源氏、東北は奥州藤原氏
てな具合にそれぞれ割拠してたら面白かっただろうなあ。 
経済力で優位に立つ平氏政権は長持ちしたかもよ。
70名無し 02/12/09 21:28
家康が死ぬまでにほぼすべての難問を克服したように
清盛も対源氏・対寺社・対朝廷対策が出来ていれば
宗盛でも十分平氏政権を維持出来ただろう。
73名無し 02/12/16 22:25
>>70 
重盛が死ななかったら、どうよ?
75名無し 02/12/17 08:53
重盛は以外とカゲキだから逆に失敗する。
重盛派と宗盛派の内部分裂が起こる。
76名無し 02/12/17 11:54
重盛が死ななかったらということは、
彼が病弱ではなかったということになり、
そうすると彼の性格も変わってきてしまうと思われ予測不可能。
79名無し 02/12/30 21:52
やりすぎ革新勢力の阻止、戦乱終結を望む世論、実力者の不在。 
家康の長期政権樹立には時流が味方した。 

一方平家にはそれがない。
84名無し 03/01/27 10:58
たしかに時代を代表する人物ではあるが、
改革といっても福原遷都・日宋貿易・院政停止
(といっても高倉上皇が形式上行なっている)、
ぐらいで前例を越えることはしていない。
別に嫌いではないけど。