1: 名無し 2014/08/03(日) 17:41:21.13 ID:4qmYxFLX.net
現代の料理人がタイムスリップして、織田信長に仕えたという
「信長のシェフ」が大人気!!

これにちなんで、戦国時代の食文化を議論しよう!! 
2名無し 2014/08/04(月) 01:25:04.49 ID:JNCCpEnp.net
醤油とか味噌汁とかの歴史とか結構わかってないから面白い
3名無し 2014/08/04(月) 22:16:14.64 ID:GSIxqELX.net
鮑が贅沢品
4名無し 2014/08/05(火) 02:16:59.22 ID:3nCAdOE4.net
酒は濁り酒だったは常識かな
5名無し 2014/08/05(火) 17:59:29.09 ID:vO8lA4E0.net
家康は麦飯ばかり食べてた
6名無し 2014/08/06(水) 00:18:38.84 ID:gTgXFLXO.net
http://www.mirokuya.co.jp/syokubunka/bunka31.html 

日本人は日に三度の食事をする。毎回少ししか食べない。 
肉はわずかしか食べない。但し鶏は食べない。 
それは鶏は家に飼っているから食べないそうである。 

日本人が食べるのは米と豆とムンゴ 
(インド地方で木の実を言う)山芋と麦。 
また麦をどろどろに煮て食べるようである。 
日本人がパンを作るのを見なかった。 
米から作る酒と身分の別なく飲む酒があり、 
酩酎すると日本人はすぐに眠ってしまうので 
酔っぱらいは見たことがない。 
豆で作るチーズを食べる(豆腐)私は食べたことがないので 
其の味はしらない。
7名無し 2014/08/06(水) 00:21:35.14 ID:gTgXFLXO.net
http://blog.livedoor.jp/kenko856/archives/50642688.html 

『戦争絶ゆることなきを以て、地は物を産せざれども、 
本来甚だ豊沃(ほうよく)にして、僅かに耕作することにより、 
多量の米を得、即ち当国の主要な食料なり。 
 また麦、粟、大麦、空豆(そらまめ)、 
その他豆類数種、野菜は大根、蕪(かぶら)、茄子(なす)、 
ちしゃの実。また果物は梨、石榴(ざくろ)、 
栗などあれど甚だ少なし。 
肉は甚だ少なく、全国民は肉より魚類を好み、 
その量多く、また甚だ美味にして佳良なり。』 
   〔注.ちしゃ(原文は漢字)はサラダ菜類です〕 

 パードレ・ガスパル・ビレラはフランシスコ・ザビエルの後に 
活躍したポルトガル人の宣教師です。
8名無し 2014/08/06(水) 04:45:23.32 ID:AugAYfyf.net
この手のは宣教師の記録が大活躍だな
9名無し 2014/08/06(水) 21:12:54.12 ID:StrAilZg.net
芋茎の縄みたいな携帯口糧には興味がある
10名無し 2014/08/07(木) 15:17:07.41 ID:RkzM1N5M.net
あれ、どこかで日に3食の風習は江戸時代に入ってからと聞いた覚えが。 
戦国期は通常2食、戦争時3食+夜食ではなかったか。 

どのみち油が貴重品だったので炒め物、揚げ物が出来ない。 
この時点で現代人の口には合わないだろうね。 

思いつきで書くと家康が中ったといわれる鯛のテンプラ 
現代人は鯛の鮮度とか寄生虫に思考が行くけど、油が古かったのではと今思った。
11名無し 2014/08/08(金) 13:41:23.07 ID:3+rQ6dya.net
1日3食は応仁の乱以降 定着したのは江戸時代
12名無し 2014/08/09(土) 00:20:48.34 ID:nwfIH3Cr.net
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%81 

16世紀に朝鮮が日本から伝来した唐辛子を使ったことで、 
キムチは辛くなった
13名無し 2014/08/09(土) 15:04:08.68 ID:nwfIH3Cr.net
しかし日本料理は中国韓国の料理と全然違うな 

麻婆豆腐とかカニ玉とかエビチリとかビビンバとか北京ダックとか、 
全然日本に輸入されなかった
14名無し 2014/08/09(土) 15:49:00.04 ID:VrpheoOQ.net
かなり入ってきてはいるのだが、そのままでは使わないからな 
改良に改良を重ねて原型を留めなくなってくる 
そして、新しいもの好きだから他の地域のものも取り入れて 
戦国時代以降は欧米とその植民地の食文化も大量に入ってきた事で 
益々中国料理とはかけ離れた
15名無し 2014/08/10(日) 01:10:54.06 ID:hovubLBP.net
しかし仏教の戒めで4つ足は食べないというが、 
中国じゃ豚肉や牛肉は食べられていたと言う
25名無し 2014/08/15(金) 02:14:30.95 ID:QUnhFur7.net
>>15 
それでいう4つ足は牛と馬のことで豚は関係ない。 
日本では古来から牛や馬は神聖な動物ともされていたことや 
牛頭馬頭思想もあってそうなっていったんでは?とも言われている。 
なんで牛や馬以外は案外と食べられていたらしいよ。
26名無し 2014/08/15(金) 09:52:28.78 ID:D+zxlL16.net
明治初期の日本中の村の記録を読むと 
  人口 世帯 石高 牛頭数 馬頭数 
が記載されている。 
牛、馬は農機として裕福な農家だけがもてる財産だったみたいだから
食べてないと思うよ。
27名無し 2014/08/16(土) 07:07:22.60 ID:/jfnI7nE.net
別に禁止されていた訳ではないが、
やはり肉食はゲテモノ食いの様に見られて一般的ではなかったな 
地方では肉食忌避の風習が昭和40年代ぐらいまで残っていたし
18名無し 2014/08/11(月) 13:09:58.26 ID:ON1VFU+L.net
江戸時代の都市部では今と変わらないぐらい様々な料理が発展していたが 
戦国時代はよく分からない 
とりあえず、松茸とか鯛とかは昔から高級品であったようだが
19名無し 2014/08/13(水) 03:37:54.77 ID:OohdeqJC.net
>>18 
鯛を珍重するようになったのは江戸時代だな。戦国期の高級魚は鯉
30名無し 2014/08/16(土) 15:16:14.25 ID:kOVFLHqc.net
いろいろと戦国時代の小説を読んでいるが 
どれもこれも食い物といったら湯漬けしか出てこない 
あれでよく戦国武者はクソ重い甲冑背負って戦えたもんだ 
それとも夜は獣肉喰いまくってたのかな?
31名無し 2014/08/16(土) 17:50:07.51 ID:dYO4MtDk.net
>>30 
魚や鴨や鶴とかは割と食べてたみたいだけど 
ただ百姓や雑兵の類いは米に味噌や塩だけとか 
行商から購入した僅かな干物や漬物位しか口には出来なかった様だ
33名無し 2014/08/17(日) 04:14:53.41 ID:S+M53Loi.net
>>30 >>31 
米や味噌だけど、 
その量が半端じゃない。 

もちろん長期戦で足りなくなって来る事もあるけど、 
一日で玄米五合食うレベル。 
大豆自体が貴重だから雑兵は戦さでもなければ味噌は食えない。 
普段は塩汁、糠味噌汁。 
戦場では塩分、ミネラル初め消費される大量のエネルギーを 
大量の玄米と味噌で補給する。 
ついでに言うと、大河の官兵衛でも中国大返しで 
兵を走らせながら「味噌は必ず舐めよ」と絶叫してた。 
経験上熱中症やエネルギー補給に関して何が必要か熟知してる。 

すごーく大ざっぱに言うと、 
ほぼ百姓の雑兵は米、味噌食えなきゃ戦さなんてしない。
34名無し 2014/08/17(日) 19:47:01.40 ID:9i3r8aw5.net
>>33 
末端の兵達には一度に米を配給すると直ぐに酒(濁酒)にしてしまうから 
面倒でも一食分ずつ小分けして配れって言われてたけどな 
なので実際は米を大食い出来る機会は戦に勝った後だけだった 
多少餓えてる方が略奪にも身が入るしな
32名無し 2014/08/16(土) 18:24:16.56 ID:zDCn1JD6.net
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12114860462 

大坂夏の陣について 

「米五升、干鯛一枚、並びに糒樽、その外味噌、鰹節、香ノ物、
 右の通相応に持たせ参るべし。 
 此外は少も持参つかまつる間敷」(武辺咄聞書) 

「今度は手間もいるまじく候間、惣軍小荷駄も無用につかまけり、 
 三日の腰兵糧ばかりにて罷り出づべし」(大坂御陣覚書) 

前述した逸話を見ると
徳川家康は大坂夏の陣は短期決戦と踏んで出陣しているようです。
35名無し 2014/08/17(日) 21:47:50.00 ID:VLUFKBwO.net
>>32 
干鯛って美味しいのかな?聞いたことないがw 

夏の陣で干鯛食って豊臣を滅ぼしたから、 
翌年に鯛の天ぷらが当たったのか? 
すごい縁だなw
36名無し 2014/08/17(日) 22:03:55.97 ID:TrSz7JO7.net
タイは身が締まって脂が少ないから 
干物にすればカチカチになって
日が経っても酸化する脂が少なく保存が利くんだよ 

いま考えた説だけど
37名無し 2014/08/18(月) 00:31:03.14 ID:kYV8dANv.net
>>36 
それに近い事を海原雄山が言ってた。 

もちろん美食対決だから 
山岡さんがそれに近いの持って来て 
だから食えたモンじゃないってな
(実際は旨かった) 

ついでに言うと、大久保彦左衛門が病床の井伊直政を見舞った時に 
鰹節の欠片を持って行ったと言う逸話がある 

鰹節は栄養価の高い機能的な戦場食だったから 
実際に病気見舞いと 
ともに鰹節をしゃぶって戦場を駆け回った仲の懐旧と 
立身出世していいモン食い過ぎたんだろうと言う 
彦佐らしい皮肉もあったのでは。
38名無し 2014/08/18(月) 07:25:35.39 ID:t1Fi46Di.net
例の大名の弁当の逸話を見るに 
鯛より鮭の方が高級だったかもしれないな
39名無し 2014/08/18(月) 23:31:01.66 ID:kYV8dANv.net
産地が限定されてるって事もあるかな。 

鎌倉殿の好物ってのでも有名だけど 

豊臣秀吉が毛利輝元を歓待した時も 
地理的に毛利には珍しい鮭を使ったのは 
秀吉らしいやり方と言われてる
40名無し 2014/08/19(火) 07:34:55.42 ID:pw91Mj0H.net
今も昔も鮭は人気なんだな 
江戸中期には村上藩で放流が始まったし 
戦国時代にも佐竹家中で鮭を巡って
配下の額田氏と石神氏が戦になったという逸話もあるし 
相当に高価のものであったようだ
41名無し 2014/08/19(火) 12:43:34.63 ID:ja1NqZsR.net
>>40 
内陸までやって来る海の魚だから各地で珍重された様だな 
内陸に存在する鮭神社は昔はその地域まで鮭が遡上してきた証拠
42名無し 2014/08/20(水) 15:57:12.12 ID:xfcQpAaF.net
官兵衛
「吉川様のそのお命、この官兵衛にくだされえええ!!!」 
↓ 
鮭弁当を差し出す官兵衛 
↓ 
鮭弁当食べて体調悪化した吉川元春 

ぜひ大河でこの流れを
43名無し 2014/08/25(月) 22:45:01.49 ID:aZU5gYdW.net
結局鮭は出てこなかったな
44名無し 2014/08/29(金) 17:01:26.57 ID:lKDFZpT0.net
信長のシェフで、義昭にすっぽん料理を食べさせたのは面白かった 

義昭がこだわっていた年号の「元亀」へのあてつけだと思ってたのが
45名無し 2014/08/29(金) 19:40:33.93 ID:GbgsLNKG.net
大河の利家とまつで 
浅野長政がそうめんを食べるシーンがあったな 

当時のめんつゆとかどうだったんだろ
47名無し 2014/08/29(金) 22:27:10.12 ID:7t0m7ntB.net
>>45 
酢と塩だろうね
48名無し 2014/08/29(金) 23:58:49.58 ID:nkb4W7SD.net
煮貫きだろ
46名無し 2014/08/29(金) 21:11:56.44 ID:lKDFZpT0.net
ウィキペディア先生によると、 
奈良時代の長屋王の屋敷から出土した木簡に、 
そうめんの記載があるらしいが、 
室町時代から今のそうめんになったらしい 

結構歴史があるんですなあ
51名無し 2014/09/01(月) 07:17:03.87 ID:8Raj6Hj0.net
少なくとも室町時代には確認されているようだから
戦国時代にはあったろうな
52名無し 2014/09/03(水) 09:27:50.80 ID:tjRNVZyt.net
そもそも醤油が江戸時代中期からだろ 
戦国時代はにゅうめんみたいに味噌汁に入れて食べるのは有ったかも
50名無し 2014/08/31(日) 16:00:15.54 ID:o0XbFA8/.net
めんつゆ 
こんぶだしや鰹だしはずっと後なのか
54名無し 2014/09/04(木) 10:33:46.66 ID:/IvtprRM.net
>>50 
出汁はあった。 
すでに鰹節の原型はあったよ。 

ただ江戸時代の初めごろまでは、
醤油よりも味噌のほうがよく使われていた。 
そんなわけで水戸黄門が若いころ町の屋台でうどんを食べたり、
後に自分で打って家臣にふるまったときの汁は味噌ダレ。
53名無し 2014/09/03(水) 23:26:25.27 ID:+LSGJqJr.net
永正10年 
1513年
臥蛇島より種子島氏へカツオ節5連、
カツオ煎汁の小桶、綿18把(実際は9把)を上納。 

と言う記録が有るみたいだから、 
カツオ煎汁=カツオだし 

はあったんじゃないかな。
56名無し 2014/09/05(金) 00:56:23.05 ID:ocTeY7Rt.net
戦国時代なんて味噌味噌アンド味噌の頃 
とはいえ大豆の万能性には恐れ入る
57名無し 2014/09/05(金) 07:19:06.32 ID:49Jtgl6I.net
現代でも大豆の万能性には驚くよ 
最近は消滅に瀕しているけど
ご飯、味噌汁、納豆、焼き魚という定番朝食とか 
味噌汁は味噌(大豆)、豆腐(大豆)、油揚げ(大豆) 
納豆は納豆(大豆)、醤油(大豆) 
とか大豆だらけ 

大豆に大豆の具を入れて大豆の調味料で味付け 
日本人と言えば米だけど、実際は米と大豆と言うべきだな 
江戸時代には豆腐料理だけでも数百種類あったらしいが 
戦国時代にもそれなりにあっただろうね
58名無し 2014/09/05(金) 07:55:06.82 ID:7ox6pl5f.net
米と大豆製品があれば日本人は生きていけるな
60名無し 2014/09/06(土) 04:49:20.65 ID:c7etwC9X.net
実際味噌と玄米さえ食ってれば必要栄養素は摂取できるとか聞いた
62名無し 2014/09/06(土) 22:02:42.23 ID:Cmwt5x2E.net
正月に黒豆を食べる理由は
まめまめしくなるためにとかいうよね
63名無し 2014/09/07(日) 04:34:40.74 ID:WH222Ntd.net
大豆を腐らせた=納豆 
大豆を箱に納めて固めた=豆腐 
なのだが、どこかで名前が逆になった説があるよね
66名無し 2014/09/07(日) 17:40:58.63 ID:FT6x63qp.net
確かに、中華料理ではぷるぷるした状態を「腐」という。 
それでも中国の麻婆豆腐が存外カチッとしてるのは、
ご存知の方も多いと思う。
67名無し 2014/09/07(日) 17:50:13.89 ID:FT6x63qp.net
中国では、「腐」という字は腐敗菌で分解された
(つまり腐って危険な状態)ことを意味するんじゃなくて、 
単に柔らかいことを言っていたのかも。都の肉だし。 

「老」という字が
もともと年輪や経験を重ねて立派になったことを意味していたのが、 
日本では、いつしか機能が低下して
よれよれになったことを意味するようになったように。
68名無し 2014/10/05(日) 22:40:06.23 ID:ybJzdxl3.net
レストランじゃ豆腐と言わずに豆富というメニュー名になってきてるね
69名無し 2014/10/28(火) 06:57:50.91 ID:xdcoo2HP.net
醤油が無かった時代、刺し身はなんで食べていたんだろうか?
71名無し 2014/10/28(火) 17:51:54.68 ID:i0fPB//t.net
72名無し 2014/10/30(木) 03:38:33.23 ID:NVCwm5xb.net
塩かな? 

おむすびとかもどうせ具はなかっただろうし
塩くらいは振ってたのかな? 
個人的には味噌のおむすびが好きだけど
73名無し 2014/10/31(金) 02:19:35.76 ID:7couTZhp.net
安土桃山時代は取り敢えず味噌というイメージ
77名無し 2014/12/01(月) 20:46:20.86 ID:IUqGJzaW.net
時代は違うんだが
御用牙で刺身を塩汁みたいなのにつけて食う話があったな
78名無し 2014/12/01(月) 21:01:58.42 ID:N5JP6550.net
時々親戚から玄米が貰えるから
味噌つけて玄米だけ食べてみようかな。 
それだけでいいなら、家計的に助かる。 
ただ、頑張っても1日5合は食えん。 

戦国時代は何から何でも人力だから
戦のときでなくても今より運動量は多かっただろうけど
よく
5合も食べれたな。
79名無し 2014/12/02(火) 06:45:52.80 ID:QQ6O/w83.net
おかずが少ないと食べられるものだよ
80名無し 2014/12/02(火) 12:17:58.64 ID:lJVPFA+6.net
野菜も食わんとビタミンC不足で死ぬお
81名無し 2014/12/02(火) 12:58:55.81 ID:hbaxEtCz.net
植物性食品だけで飯食ってるとすぐ腹が減るから 
1日5合もいけそうな気がする
82名無し 2014/12/26(金) 10:22:21.63 ID:NcTIcz0p.net
庶民が鉄の包丁や鍋を持っていたのかな? 
貧乏人には錆びる金属包丁や鍋なんて維持するのも大変そう
83名無し 2014/12/26(金) 11:46:03.38 ID:SfJuMxRa.net
>>82 
室町時代には農具や包丁、鍋は
たたら製の鉄のものが一般的になってたらしいから
大変ってほどじゃないんじゃないかな? 
砥石もあっただろうし
84名無し 2014/12/26(金) 14:04:34.85 ID:XWwk4SsO.net
明の記録で、倭寇が好んで略奪していく物の一つとして鉄鍋が挙げられている。 
まだ国内の需要に対して供給は不足ぎみだったんだろう。
85名無し 2014/12/27(土) 10:47:52.40 ID:6J7Cy3nB.net
>>84 
鉄鍋は大きい物が好まれたらしいから大きい物が不足してたんじゃね? 
たたらの鉄で小型の物は広がってたけど
ふんだんに使った物は珍しかったんじゃね?
88名無し 2015/04/21(火) 09:48:08.87 ID:r5ltiz8u.net
なにか手軽にできる戦国料理の料理を作ってみたいな
90名無し 2015/04/22(水) 11:46:30.12 ID:JHqUEsxy.net
食材自体が変わってるから 
味を再現するのはなかなか難しいかもしれない
91名無し 2015/06/04(木) 18:47:31.54 ID:4a2AsVbv.net
戦国時代、農民や下級武士は
赤米や黒米、雑穀、麦飯あたりが主食だったという。 

そこで気になったんだが、
年貢として領主に収める米は、全部ジャポニカ米だったのか? 

薩摩藩は赤米まじりと聞いたことがあるが、
混合していたのか区別していたのかが気になる…… 

それとも、戦国時代で言う白米とは赤米とかを精米したものなのだろうか
93名無し 2015/08/20(木) 02:24:05.42 ID:22Xxluce.net
>>91 
病害虫対策の品種改良で白米系が残っていくことになるんだけど、
納めるのは赤黒白どれでも良かったらしいとどこかで見た 
ブレンドはさすがにせんだろうが
94名無し 2015/09/17(木) 23:42:37.46 ID:jGxaqNPi.net
米は食うものじゃなく納めるもの。あるいは売るものだからなあ 
戦国時代の庶民が米を食えるのは戦での兵糧の支給くらいだったらしいし
96名無し 2015/10/07(水) 21:57:07.31 ID:4B09/V4Y.net
庶民の口に日常で米が入るようになったのは江戸時代からだぞ 
平地に大規模な水田を作る技術が全国に広まり 
戦のない太平の世になって米余りの状況が発生し 
ようやく一般人が食えるようになった
97名無し 2015/10/22(木) 21:28:35.98 ID:+FUKstTh.net
ホントかどうかはわからないけど、
戦闘糧食には米が出るからそれ目当てに戦参加をする人もいたって話は聞くね。 
あと、それでどぶろく作っちゃうので困ったって話も。 
戦国時代の田んぼはほとんど湿田だったって話は聞いたことある。
98名無し 2015/11/21(土) 00:06:24.19 ID:c2GWyhbb.net
江戸時代前は陸稲がメインだったからね
100名無し 2015/12/22(火) 11:32:56.72 ID:Kau3oJF/.net
舶来もの好きの信長公が 
中華をスルーしてたのはなぜか?
101名無し 2015/12/22(火) 17:36:33.41 ID:G7kRm0rc.net
舶来物という印象が薄いからだろう
105名無し 2016/03/18(金) 20:03:37.14 ID:E6R+Tckk.net
グルメの代表格が政宗らしいけど
他にも美食家っていたのかな
110名無し 2016/05/04(水) 01:18:44.67 ID:tMVdOFJc.net
>>105 
今更だが細川幽斎は美食家で料理名人だったはず
111名無し 2016/05/04(水) 08:18:09.91 ID:vzUHUuRQ.net
忠興も食にはやかましかったそうだ 
細川家の場合は料理まで詳しかったから
台所方はやりにくかっただろうな
113名無し 2016/05/13(金) 02:30:36.47 ID:Q9LipY8s.net
忠興の場合
当時最高の教養人の一人で利休七哲にも数えられたぐらいだから
単なる食い道楽じゃなくて、茶道の延長のようなもんじゃないか
114名無し 2016/05/13(金) 03:12:42.09 ID:kt7LzU2e.net
細川勝元も鯉料理にうるさかったらしいし
一門の伝統みたいなものもあるんじゃないだろうか
115名無し 2016/05/13(金) 03:22:39.24 ID:/2jWRyCV.net
お茶席で出す料理ってのは飽くまでお客の為ってのもあるし
腹を満たす食事ではないってのが一方にあって
ふだんのおかずに不服いうってのは
武士にふさわしい態度とは言えないとかで
案外うまく折り合いはついてたんじゃないかな
116名無し 2016/05/13(金) 06:45:39.25 ID:5o5Wqus/.net
逆に飯にハエとか入ってても
素知らぬ顔で黙って食べた殿様もいたぐらいだしな 

騒ぎになると台所方は下手すれば腹を切るハメになるから
気を遣って不味かろうが虫が入ってようが黙って食べた 

家臣を大切にして文句言わずに黙って食べた大名と
口喧しく文句言って食文化を発展させた大名 
どちらが大名として優秀だったのか微妙なところだ
117名無し 2016/05/13(金) 16:02:28.85 ID:C2u/z6u+.net
倹約家で有名な鷹山さんでも現代から見ても 
結構な料理毎食喰ってたからな、殿様レベルに 
なると一般人の想像とは違う世界
118名無し 2016/05/13(金) 17:59:20.44 ID:1oRELBji.net
殿様の食う飯は 
黒い盆に米並べて一粒一粒選りすぐったりするんだよな
120名無し 2016/09/26(月) 02:44:55.91 ID:7tEJbZUo.net
敗走中に、殿様に食事を出したら
「カゴを担ぐ兵に食わせろ。殿は腹を切るだけだから飯などやるな」 
って言って、結局家来だけ食事をしたのはどこだっけ? 
あんなとこは食文化が発達しないだろう。
121名無し 2016/09/30(金) 18:34:30.36 ID:pKNa+RMn.net
関ケ原から逃げるときの薩摩っぽい
124名無し 2018/04/16(月) 19:28:37.92 ID:E3JjTMLL.net
>>120 
それって酷い話にも聞こえるが
切腹をする前には食事を取らないものだからな
128名無し 2019/05/09(木) 21:00:58.48 ID:d30aTNFX.net
担ぐやつに食わせてやれってのは真っ当な話に感じる 
そんな事をサラッと言えるってのは良い組織だったようにも感じる