2005年の議論です。
訳がわからないコメントもありますが
参考としてまとめています。
罵り合いや喧嘩をしている部分は
他の記事同様取り上げないようにしています。



1
: 名無し 05/03/17 09:41:52
出兵の準備は1591年の夏から始められ
肥前(佐賀県)の東松浦半島の突端に名護屋城を築き、
翌年早々に諸大名に出陣が命ぜられました。
1592年主に西日本の諸大名の軍勢15万8千人が海を渡り
徳川家康ら東国大名10万の予備軍も名護屋城に待機します。 
  
交戦当初は
朝鮮側の準備不足と日本軍の鉄砲の威力により快進撃を続けましたが
次第に戦線が北に延びるにしたがって
兵員、軍需品、食糧などの補給が困難になる一方
李舜臣の率いる朝鮮水軍に敗れ制海権を失い
和議が進められ一旦戦争は休止します(文禄の役) 

1596年「汝を封じて日本国王となす」
と書かれた明の国書に怒った秀吉は翌年再度出兵しましたが
朝鮮の厳しい冬の寒さと飢えに苦しめられ大苦戦となり
1598年秀吉の死亡により、遠征軍は引き上げました(慶長の役) 

2名無し 05/03/17 09:45:47
実際秀吉の天下統一後の海外大出兵。 
各社ゲームにイベントとしても歴史的な観点から 
導入は見送られている。 

今までなぜか語られることの少ない秀吉の朝鮮出兵の 
真実に迫りましょう。
4名無し 05/03/17 12:16:43
竹島と違って文禄・慶長の役 は普通に教科書に載っているが? 
タブー視するほど、タブーではないような。 
NHKでもたまに特集しているけどな。 

8名無し 05/03/17 13:43:25
碧蹄館の戦いは見所だな。
6名無し 05/03/17 13:02:31
純粋に李舜臣しか知らんからな。 
文禄・慶長の役後どうなったのかも知りたいね。 
名将と呼ばれるのは李舜臣だけ?
10名無し 05/03/17 13:51:21
>>6 
戦死したよ 

※慶長の役の講和後、約束を破って日本軍を攻撃し(露梁海戦)、戦死しました。
7名無し 05/03/17 13:39:49
まぁ李舜臣が日本にいればそっこー統一だったんだけどね 
日本の将は弱卒ばっかだし…
11名無し 05/03/17 13:51:46
李舜臣より強いヤツいる?
日本にw
13名無し 05/03/17 14:09:39
朝鮮で辛うじて名将と呼べるのが李舜臣だけってのは痛いな。 
しかも全歴史を通じて

日本にはこの戦いに限っただけでも
立花とか島津とか小早川とか一杯出てくるわけだが。
14名無し 05/03/17 14:16:57
>>13 
あの時代は戦乱を生き抜いた名将ばかりだったからね>日本軍 
明軍と戦ったのかな? 
15名無し 05/03/17 14:18:10
>>14 
おいおい、最後のはなんだ?
16名無し 05/03/17 14:19:36
>>15 
明から援軍が出たらしいから… 
17名無し 05/03/17 14:20:42
>>16 
戦ったに決まってんだろ。
19名無し 05/03/17 15:35:27
亀甲船も捏造と言う資料もあるらしい。 
実際亀甲船が実在したことついての信頼のおける確かな資料はない。 
李舜臣の偶像も実際の所、偶然が重なったもの。 
最後は周囲が止めるのも聞かず、撤退中の島津軍を奇襲しようとして 
島津義弘に撃ち殺される。 
20名無し 05/03/17 15:43:04
義弘GJ。さすが鬼。
23名無し 05/03/17 15:49:53
李舜臣は一応名将といってもいいかな。 
若干過大評価されすぎな感もあるけどな。 
どっかのスレで見たが楠正成や真田幸村と同タイプだな。 
戦術レベルでは名将だが戦略・政略などはダメ。 
しかも味方に足引っ張られまくり。 
そして庶民人気は異様に高い。
13名無し 05/03/17 14:09:39
朝鮮で辛うじて名将と呼べるのが李舜臣だけってのは痛いな。 
しかも全歴史を通じて、 
日本にはこの戦いに限っただけでも
立花とか島津とか小早川とか一杯出てくるわけだが。
28名無し 05/03/17 19:20:40
>>13
それはあんたの見解だろ?立花とか島津とか小早川とか 
李舜臣に負けてる時点で名将じゃねージャンw
33名無し 05/03/18 08:49:00
>>28 
李舜臣は島津に殺されたわけだが。 
島津に負けてる時点で名将じゃねージャンw


54名無し 2005/03/29(火) 16:09:16
韓国では小早川隆景が討ち死にしたことになってるらしいな。
翻訳掲示板に「李舜臣水軍は武田騎馬軍団をも滅ぼした」というデマを流したら
来年の教科書に載るんじゃねーか?
30名無し 05/03/17 22:14:58
朝鮮の武将で李舜臣以外誰か知ってる?
48名無し 2005/03/25(金) 01:37:30
>>30 
アンジョングン。伊藤博文を暗殺した。名将 

ペヨンジュン。日本のマダムを魅了した、名将。 
36名無し 2005/03/21(月) 20:59:15
思うんだけど
秀吉てば朝鮮から攻めるより台湾から行けばよかったんじゃない?
37名無し 2005/03/21(月) 22:09:42
その前に琉球がいるが。
44名無し 2005/03/23(水) 07:22:35
秀吉が天下統一した時にフィリピンと台湾に朝貢するよう使者を送ったが、 
台湾もフィリピンも島に何千何万という原始的な部族が村を作って
バラバラにやってたような状態で、 
とても支配して年貢が取れるような状態ではなかった。 

台湾の方はポルトガル人が基地を作ってたので彼らに問い合わせたが
彼らとて台湾を支配などしてなかったし、 
フィリピンに至ってはそういうものすらなかったので、
秀吉の送った使者は 
「書状を渡すに相応しい相手なし」として返ってきたという。 

日本国内ならすぐに領地にした土地を支配して
年貢が取れるシステムが整備されてるし、 
琉球の場合は支配者の琉球王朝を抑えれば、
そこから収奪すれば良かったのだが、 
台湾もフィリピンもそういう統一的な組織や支配者がいなかったので
無理なんだよね。 

全土に無数にいる部族を一つ一つ攻めて服従させたり、
滅亡させたりして、 
なおかつ日本国内のように年貢が取れるような体制を整えるには
どれだけの年月がかかるんだろうか。
45名無し 2005/03/23(水) 19:37:59
台湾を領土化するのではなく
基地を作って江南に攻め込むという案は?
46名無し 2005/03/23(水) 20:45:46
>台湾経由江南 
まず台湾がマラリアの危険地帯。 
はるか後年の台湾征伐でも風土病に苦しめられている。 
前線基地として大軍が駐留すれば戦わずして大損害は確実だろうね。 
53名無し 2005/03/29(火) 15:43:29
仮道入明をやめて、始めから朝鮮占領だけを狙ってたら成功してましたが何か? 

※仮道入明
明に攻め込むため、朝鮮に道案内させること
55名無し 2005/03/29(火) 18:45:31
始めから朝鮮占領狙ってたじゃん 
バカだな、こいつ 

仮道入明は小西行長なんかが言い出した言い訳
67名無し 黄天当立184/04/02(土) 12:25:52
秀吉は中国を攻めるつもりで朝鮮は最初からどうでもよかった。
中国までの道を通してくれないと言われて朝鮮を攻撃した。
朝鮮は日本だけじゃなく中国やモンゴルにも敗けてきたのに
何で日本だけを憎むのかねぇ、中国まで秀吉を通してれば恩賞もらえてたのにね
68名無し 黄天当立184/04/02(土) 12:47:55
ぶっちゃけ朝鮮が素直に道を空けて明入りしてたら
もっと悲惨な羽目になったと思うんだが・・・。
69名無し 黄天当立184年,2005/04/02(土) 23:00:54
2戦級の5万ほどの部隊にも
武将毎にバラバラに行軍する事しか出来ずに 
各個撃破されたしね。 

後に清軍を度々破った明の精鋭に20万くらいで迎撃されたら
皆殺しに遭ってたな。 
朝鮮のおかげで大恥かかずに済んだ。 
70名無し 黄天当立184年,2005/04/03(日) 00:32:25
>仮道入明 
それは小西行長が明への弁明に使っただけ 
文禄役後の明との和睦の際に、朝鮮を攻撃した理由として 
明への朝貢をしようとしたが、朝鮮に邪魔されたんで攻撃しますたってね 

秀吉は朝鮮に
(宗氏によって朝鮮は日本に従ってると秀吉は勘違いしてたので)
明攻めるから 
先導して明へ侵攻手伝えって言ったんだよ 
朝鮮は混乱
(本気か冗談かで混乱、政争も加わって冗談だと認定し、後の祭り)
127名無し 2005/06/23(木) 17:35:12
朝鮮出兵といえば九鬼嘉隆だろ
128名無し 2005/06/23(木) 17:38:29
島津義弘だよ。
129名無し 2005/06/23(木) 20:38:22
小早川秀秋の活躍
130名無し 2005/06/24(金) 13:59:19
小早川隆景も碧蹄館の戦いを指導指揮して
明と朝鮮の連合軍を大破している。
131名無し 2005/06/24(金) 21:00:22
小西行長なんか最大の見せ場の戦いなのにね
139名無し 2005/06/25(土) 06:02:54
加藤清正が一番活躍したんでねえの?
猛将だよん。
147名無し 2005/06/25(土) 19:00:35
朝鮮の民間伝承では
倭乱のときに小早川隆景が命を落としたことになっておる。 
隆景も間違いなく戦国末期を代表する名将であろうが、
義侠の志篤い朝鮮義民には敵わなかった。 

隆景は水戦にも長けていたようだが、相手が悪かった。 
朝鮮民族は歴史的にも亜細亜一の海運を誇っており、
瀬戸内海のような穏やかな海に慣れた日本水軍とは海戦能力が違った。 
だからこそ対馬、小西のように朝鮮の実力を知る者は、
朝鮮にはとうてい敵わないと観て、朝鮮侵略には反対の考えであった。 

そして何よりも、聖将、李舜臣。 
世界三大提督の一人であり、
旧日本海軍の驍将東郷平八郎をして
「私は李舜臣提督には遠く及ばない」とまで言わしめた。 
倭の島津義弘、黒田如水、加藤清正も一流の戦将であったが、
李舜臣の指揮能力は桁外れの超一流、正に神采であった。 
李舜臣の偉像は今もソウルの大地に悠然と聳え立っている。 

嗚呼、李舜臣、朝鮮の至宝。 
おお、朝鮮、神の住む半島よ。
149名無し 2005/06/26(日) 19:50:51
>>147 
黒田如水じゃなくて長政じゃないの。
148名無し 2005/06/26(日) 18:49:49
李舜臣以上に活躍した武将をあげてみようか?
150名無し 2005/06/26(日) 20:25:35
いいかげん李舜臣の信者にはウンザリ。 

・権慄 
主に全羅道で活躍した、陸戦における随一の名将。 
梨峙の会戦では、友軍の将が戦死する中で奮闘して小早川隆景を退け、 
豊臣軍の全羅道侵攻を頓挫させる。 
幸州では官民一体となり、寡兵ながらも、豊臣軍の宇喜多、石田、増田、大谷、 
小西、黒田、毛利、両小早川、吉川らの大軍を撃退。 

・郭再祐 
もともとは科挙を経た文人。豊臣軍の侵略に対し、義勇軍を率いて活躍。 
私財を投じて義勇軍を組織。戦力差に屈せず、奇襲、伏兵、偽兵などゲリラ 
戦術を駆使して豊臣軍の侵攻に抵抗。 
咸安、晋州では豊臣軍を痛撃。 

・鄭起竜 
俊敏な戦術を駆使し、加藤清正を退けた事もある不敗の将軍。 

・鄭文浮 
義勇軍を率いた将。 
咸鏡道を攻略して二王子を捕らえ、過酷な占領行政を布く加藤清正に対して 
義勇兵を率いて反抗。 
五割近い損失を与えて漢城まで駆逐する。 


・駱尚志、陳寅、解生 
いずれも明の将。 
度々、豊臣軍を撃破して侵攻を食い止め、時には豊臣方の将を窮地に陥れる。
151名無し 2005/06/26(日) 22:09:50
鄭文浮は直接清正と当たっていない。
規模の小さい残留部隊を攻撃しただけ。
160名無し 2005/06/28(火) 23:03:41
日露戦争で有名になった東郷平八郎元帥が、 
日本人的な謙譲で「私などより李舜臣の方が名将だ」
とお世辞を言ったとの逸話とも寓話とも取れないものがあるだけです。
それがなければ、 
李舜臣なんてただの卑怯者でしたよ。 

しかもこの『東郷元帥が誉めた』説は、 
詳細な調査によると事実ではなく、 
別の人間がそう言ったと噂されているのを、 
いつの間にか東郷元帥が言った史実にされてしまったとのことだ。 

もっと具体的には
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』に
“この艦隊が鎮海湾を出てゆくとき、水雷艇の一艇長が、 
「李舜臣提督の霊に祈った」
という記録が書いていたものがあったように筆者は記憶していたが、 
それがどの資料にあったのか容易にみつからなかった。”
と記述しているだけで、東郷平八郎自体とは全く関係無い。 

これらをさらに尾ヒレを付けて、
日本の海軍元帥を踏み台にして李舜臣の神格化するために、 
戦後のつい最近に朝鮮人が広めた単なる噂話である可能性が高いらしい。 

事実、作者の司馬遼太郎自身が
「韓国で広まっている噂は根拠の無い創作だ」とTVで証言している。 

要は
マリー=アントワネットの「食べ物がなければ菓子を……」 
平時忠の「平家でなければ……」
と似たような経緯である。 

李舜臣の死後は少しの期間だけは祀られていたらしいが、
すぐに忘れ去られて1707年以降は放置されていたらしい。 
それが再建されたのは、日本の統治時代になってからである。

しかも東亜日報という新聞が募金を募ってやっと行えたのであり、 
それまで粗末に扱われていたのは明白である 

161名無し 2005/06/28(火) 23:04:24
李が勝ってたのは文禄1年の最初の「1年間」だけ。 
文禄2年~3年になると
李舜臣得意のおびき出しに、 
日本軍も乗ってこなくなる。

手の内が完全に読まれた挙げ句、 
「慶長の役」では、2回とも日本軍の圧勝に終わった。 

熊川の海戦  
日本軍傍観(朝鮮軍撤退) 

慶長1年:巨済島の海戦
朝鮮軍の大敗北(*李舜臣左遷で不在) 
上陸した朝鮮の陸上部隊は島津軍によりほぼ全滅。 

慶長3年:露梁海峡   
明・朝鮮軍壊滅。李舜臣敗死。 
162名無し 2005/06/28(火) 23:04:58
おそらく、意外かもしれないが、 
「朝鮮の役」当時の資料をみてみると、
日本軍は敵に対して勇猛ではあったが、軍律は意外に厳しく、
民衆に対する一方的な狼藉は働いていない。
(加藤清正の告諭文、「西征日記」) 

朝鮮の一般民衆は
「苛政にあえいでおり、その塗炭から救うことを要する」
とさえ記している。

さらに「乱中雑録」には、
「群盗あり、 倭人と称し」云々とあり、
朝鮮でどさくさ紛れに「明兵」及び朝鮮人が狼藉を働いているとさえある。 

事実、朝鮮側の資料(「再造藩邦志」)にも、いかに朝鮮側が、
明兵の乱暴狼藉に苦慮していたの記録が残っている。
あまりにも酷いので、明兵の来援を請うのをためらったとある。 

天朝(=明のこと)に奏すといえど、
たとえ兵を出すも…必ず憑陵横暴侵藉の憂いあらん。
…「天兵」(=明兵のこと) の為に蹂躙せらるれば、
即ち更に足をつくる所無からん。 

「天朝」と呼んで頭が上がらなかったのだろうが、
中国にも激しく文句いった方がいいと思うぞ。 
163名無し 2005/06/28(火) 23:47:06
義兵活動の最盛期にあたる1593年1月時点では、 
朝鮮軍84,500人のうち、義兵は22,600人を占めていたとされている。 

義兵将のほとんどは両班(支配階級)であり、 
日本軍の圧政に耐えかねた民衆の決起ではなく、 
正規軍が崩壊状態にあったので、
国家によって上から組織したという側面が強い。 

慶長の役のときは、義兵はごく少数にとどまり、
ほとんど活躍は見られないが、 
これは軍事戦略を明軍に全面的に依存してしまったことによるものと思われる。 

民衆反乱については、
日本軍が南に撤退し日明の講和交渉が行われた期間に頻発した。 
中でも
1594年1月の宋儒真の乱
1596年7月の李夢鶴の乱は大規模なものであった。 

164名無し 2005/06/29(水) 00:15:29
>>160 
>要はマリー=アントワネットの「食べ物がなければ菓子を……」 
>や平時忠の「平家でなければ……」と似たような経緯である。 

ごもっとも。 
しかし寓話が時として、
真実以上に物事の核心を突いていることを忘れてはなるまい。 
「平家でなければ・・・・・・」の科白が有名であるのは、
例え時忠の言葉でなかったにせよ、
その時代の風潮を的確に顕しているからだろう。 

物語的な要素を省き、事実だけにするというならば、
「倭賊が敗退した」これは歴史的現実。 
倭乱(朝鮮出兵)を研究する日本側の史家ですら、
局所的な倭軍の勝利を挙げることはあっても、
大局的には倭軍の敗北であることは認めている。 

日本史の教科書、受験の歴史の設問でも、
「秀吉の日本軍は敗退した」の記述で統一されている。 
実際に図書館に行けば分かるだろう。
165名無し 2005/06/29(水) 00:56:30
明軍に敗退したんだろ
170名無し 2005/07/01(金) 00:02:53
日本側の大名クラスで戦死したのは、来島通総と、中川秀政か。 
それと、やはりというか病死した武将が多いな・・・。
169名無し 2005/06/30(木) 23:45:20
沙也可によって、日本の鉄砲の技術が流出・・・。
171名無し 2005/07/04(月) 06:42:48
>>169 
「沙成可」は日本人ではなく東シナ海の島人とも中国人とも言われる。 
少なくとも明治以前における朝鮮の文献では日本人に限定していない。 
朝鮮の出身でない人物が朝鮮に協力して倭軍を打ち破り、
その功により「金」姓を受けた、ってこった。 

日本人説を唱え始めたのは大正だったか昭和初期だったかだな。 
大体そのときは親日派による活動だったはずだが。 
まぁ朝鮮は後代になって家系を捏造するのが普通になったからな。 
先祖顕彰をするのに事実捏造をするという朝鮮人の性質はまったくもって不可解だ。 

朝鮮の役で活躍した義兵将も何人かは
朝鮮王朝上層部によって処刑されている奴がいるんだが、 
日本人に殺されたとかしているものもある。 

朝鮮の史書で謀反の疑いにより殺害された奴ですら、
なぜかその子孫と現地では「日本人によって」とされてる場合もある。 

あちらの国じゃ自分とこの国の歴史書すら見ないのか? 
もしくは閲覧できないのか? 
閲覧させない可能性があるってのも何だかなぁ。
173名無し 2005/07/04(月) 18:40:25
>少なくとも明治以前における朝鮮の文献では日本人に限定していない。 
オモクソ李朝実録に降倭と書いてるのだが? 

なぁ、李朝実録はいつから明治以降の史料になった訳?
174名無し 2005/07/04(月) 21:09:09
>>173 
「李朝実録」の何本? 
もしくは発行はどこ?
178名無し 2005/07/04(月) 22:11:36
>>173 
わるい。堂々と「沙也加降倭」とあった。見落としてたよスマン。 
それについては本当に謝る。正直すまんかった。 

非日本人説を書いたのはどうも以前に読んだ本が
沙也可日本人否定説を採用していたんだと思う。 

でだ。 
他にも「要叱其」(よしち)とか「沙古汝武」(さごうえもん)もいるわけだが、 
何で「沙也可」だけ苗字っつーか地名に比定されるのかは疑問なわけだ。 

「慕夏堂文集」では苗字が「沙」で名前が「也可」って書いてある。 
確かに「降倭」だから日本軍であったのには間違いないんだが、
日本人かどうかは疑わしいだろう。 

戦前の学者みたいに嫌韓・国粋の観念から
沙也可≠日本人と断じはしないが、怪しすぎ。

兵三千を率いて降るというのも百歩譲って許す。 
女直族との戦いで降倭を率いていたのも史書の通りだろう。 

だがそれだけで日本人と断定はできんよ。
子孫たちが日本人の末裔だと信じきっていてもな。 
降倭の中で沙也可だけがおかしすぎる。 
兵を率いる身分の武将なら対日交渉にも出てきてもよさそうだし。 
180名無し 2005/07/05(火) 01:27:05
>>178 
いえ、謝る必要はないですよ 
貴方の主張したい事から言えば
降倭=日本人という概念を捨てろって事なので 
確かに明治以後の史料には日本人と断定出来るものはないですね
(子孫のは除く、あれはちょっとなぁ) 
逆にこちらが納得しますた、申し訳ない 

>兵を率いる身分の武将なら対日交渉にも出てきてもよさそうだし。 
岡本越後守なんかは蔚山で降伏勧告伝えに来てるので、
沙也加も同じような役割与えられてもおかしくはないね 
ま、岡本越後守=沙也加だという人もいる様だが、
読んでみても根拠薄かったしなぁ 

三千率いての投降は確かに眉唾だし、
沙也加の子孫の家譜の、朝鮮への投降時期をっ朝鮮出兵初期とするのも 
かなりアヤスィ 
182名無し 2005/07/05(火) 11:07:56
うわさの耳塚鼻塚ってどうなの?
183名無し 2005/07/05(火) 11:11:31
首のかわりに耳とか鼻を削いだって話だからマジでしょ
184名無し 2005/07/05(火) 18:08:52
耳塚は京都かどっかにあって
確か江戸時代の朝鮮通信使も訪れてるはず。 
だた戦争時の耳殺ぎは確か中国や朝鮮でも行われてた気がする。 

それよりも朝鮮でこりゃひでえって思うのは、
罪人を連行するときに手に穴を開けて縄を通して数珠つなぎにするって奴だな。 
刀伊の入寇・応永の外寇・戦後直後とかに対馬人や日本人にしたやつ。 
あれがまかり通る国っつーのもスゴイわ。
185名無し 2005/07/05(火) 22:37:44
朝鮮の徳のレベルは世界的水準から見ても最高峰じゃ。 
正に「平和の民」と称するに相応しいと云えるじゃろう。 

じゃがただ単に大人しいだけの草食動物のような民族ではないぞ。 
その神々しい魂の奥底には、烈火の如き猛々しさを秘めておる。 

倭乱、第二次世界大戦、両大戦共に、
兵力では朝鮮よりも日本の方が勝っておった。 
しかし! 最終的に「勝利」したのは、我らが同胞、朝鮮である! 

朝鮮民族は外交、政治能力も傑出しておる! 
外交は現代でも「靖国カード」を持つ韓国が日本を圧倒しておる! 
政治力も凄い! 
戦後日本の奇跡的な復興は、在日朝鮮人の献身の賜物である! 
以上!!
187名無し 2005/07/06(水) 03:42:34
てか北朝鮮で朝鮮出兵の時代劇ドラマあったな 

たしか小早川隆景が一番の悪役にされてた気がする。 
んでその影響でか向こうの人ら日本人の姓の中では
小早川て名字が一番嫌いらしいよ 

188名無し 2005/07/06(水) 07:45:46
>>187 
ほっほっ。 
朝鮮の民間伝承では、小早川隆景は倭乱で戦死したことになっておるのじゃ。 
沈着な名将隆景も、朝鮮義民には敵わなかったようじゃの。 
イ・スンシン、まんせ~。 
朝鮮、さいこ~。
202名無し 2005/07/06(水) 23:51:52
李瞬臣は補給部隊ばかり襲ってただけでまともな戦闘なんてしてないんだが、 
なんでこんなに名将扱いされるのかが分からん。 
戦闘よりも大局を読み戦闘を避け
一番重要な補給部隊を狙った名将なら納得いくんだが。
204名無し 2005/07/07(木) 00:13:32
>>202 
補給は大事じゃ。 
第二次世界大戦で朝鮮に敗れた「補給だめ~な国」はどこだっけナ~?
206名無し 2005/07/07(木) 00:42:09
>>202 
正確に言うと、「沿岸に停泊中の船」 
日本が沿岸部に城を築き、防御・警戒態勢を強めると何も出来なくなった。
205名無し 2005/07/07(木) 00:22:17
李舜臣は普通に超名将だろ。 
「朝鮮人」の部下と上司を持ち、自らも「朝鮮人」ながら 
朝鮮の民衆と腐りきった王朝のために 
長年の戦乱で鍛えられた日本人を相手に
後世に名を残す位頑張ったんだぞ。 
208名無し 2005/07/07(木) 03:45:11
李舜臣の最大の失敗は、福島正則の防御する釜山城を攻撃したこと。 
そこで大敗北を喫して、水軍の再建に2年以上かかってしまう。
その間、 朝鮮南岸に日本軍が大量に城塞を築いたので、
李舜臣の艦隊は、殆ど 行動が取れなくなってしまった。
(朝鮮水軍には、日本軍の射程圏外を航行する能力が無かったため)
222名無し 2005/07/08(金) 20:46:12
新版学習漫画、世界の歴史7巻目の主題は、 
「チンギス=ハンと李舜臣」です。 

出版社:集英社 
著者名:斯波義信・監修/人見倫平・漫画 
判型/頁:菊判 /168頁 
定価:945円(税込) 
発売日:2002/11/01 

モンゴル高原に生まれたチンギス=ハンとその息子たちは
ヨーロッパにまでおよぶ史上最大の大帝国を築きます。 
さまざまな民族がまざりあい、東西文化の交流が盛んになるのです。 

そして李舜臣の輝かしい戦績は、
チンギス=ハンとその息子たちに匹敵するものでした。 
特に水戦においてはたった12隻で300隻余りの日本水軍の戦艦を葬り去りました。 

これはネルソン提督のトラファルガー海戦以上の兵力差です。 
李舜臣の生涯戦績23戦23勝不敗。 
チンギス=ハン、ナポレオンでさえ敗戦を経験しているのですから、
李舜臣は神采という他ありません。 

人徳者でもあった聖将李舜臣。 
その空前絶後の偉業を讃え
「世界三大提督の一人」と呼ばれています。
224名無し 2005/07/09(土) 02:50:23
>>222 
検索してみたらマジじゃん。 
「チンギス=ハンと李舜臣」って関連性皆無だろうに。 
なに考えてんだ?
226名無し 2005/07/09(土) 10:04:48
>そして李舜臣の輝かしい戦績は、
 チンギス=ハンとその息子たちに匹敵するものでした。 

ここで爆笑。 
片田舎の将が、世界最大の征服者と匹敵するのかよ。
232名無し 2005/07/09(土) 10:54:45
李舜臣は確かに名将だとは思うけど、ちょっと過大評価受けすぎな気がする
238名無し 2005/07/09(土) 11:18:57
名将というか、全ての分野で他に有名なのっている? 
文化人でも政治家でも
244名無し 2005/07/09(土) 12:02:39
金玉均っていなかった?
245名無し 2005/07/09(土) 13:35:47
金玉均は偉人だろ。 
日本の明治維新に習って革命を起こそうとした人だぞ。 
結果は失敗して最期は李朝の刺客に殺されたけどな。 
半島では今でも逆賊扱い。 
322名無し 2005/07/15(金) 17:57:05
李瞬臣がなにしたんだよ 
初めから日本軍の上陸を阻止したんなら凄いが
あとから補給をちょこちょこ邪魔しただけじゃん 
補給を絶つくらいなら大したことないじゃん

しかも引き揚げてる島津に討たれてるなんて糞だな。 
世界中の戦史の観点からすれば屁でもないし指揮能力で島津に劣ってるわな。
島津を討ちとればそりゃスゴいとみとめるがね 

てかあんなバカな戦死するような司令官は珍しい
朝鮮の英雄レベルてのはたかがしれてるな 


324名無し 2005/07/15(金) 19:13:32
なんか朝鮮のことが叩かれておるようじゃな。 
悲しい書き込みが多いわい。 
ワシは朝鮮はもちろん好きじゃが、日本のことも好きじゃぞ。 
小さい頃に日本人とセミを採りに行ったこともあるし、
河原の石を引っくり返してサワガニを見つけたこともある。 
今でも友達の半分は日本国籍じゃ。 
朝鮮のことをやたらに叩く輩は、まずは朝鮮人と接してみたらどうじゃ。 
隣国同士、仲良くしたいものじゃ。
326名無し 2005/07/15(金) 19:21:52
李舜臣のことを、「せこいゲリラ活動のみ」と評する向きもあるようじゃが、
それは違うぞい。 
当時の倭軍は大軍であり、圧倒的な火力を有し
(当時の欧州を遙かに凌駕していた)、
錬度も高かった(おそらく当時の世界最高峰)。 

そんな倭の精鋭に、寡兵、実戦経験に乏しい朝鮮軍が正面決戦出来るであろうか? 
李舜臣が倭の補給線の分断に全力を傾けたのは、
彼我の戦力差など状況を考えると至当な作戦といえる。 

日本は炎の燃え盛るように勇猛な民族じゃが、欠点がある。 
「補給の認識に乏しいこと」じゃ。 
その点に着目した李舜臣は炯眼と云えよう。 
石田三成と云う補給の魔術師がいなければ、
倭軍は壊滅的な打撃を受けたと思うぞ。
328名無し 2005/07/15(金) 19:37:16
>>326 
>「補給の認識に乏しいこと」じゃ 

晩年の耄碌した秀吉個人が、であって、日本人を一般化されても困る。 
用意周到な信長や家康なら、話はまた違っていただろう。
330名無し 2005/07/15(金) 19:48:20
>>326 
> 日本は炎の燃え盛るように勇猛な民族じゃが、欠点がある。 
> 「補給の認識に乏しいこと」じゃ。 

ダウト。 
補給に関しては大陸も大して変わんない。
332名無し 2005/07/15(金) 22:04:00
和平が済んで帰国しようとした秀吉軍に不意打ちを仕掛けるも、
反撃されて討ち取られてしまった迷将・李舜臣 

「人心怨叛し、倭と同心」「賊兵の数、半ばは我国人というが、然るか」 
「倭奴幾ばくもなし、半ばは叛民、極めて寒心すべし」
とまで言われる朝鮮人民の離反 

秀吉が死んでくれて良かったな、オイwww 

>当時の倭軍は大軍であり、圧倒的な火力を有し
 (当時の欧州を遙かに凌駕していた)、錬度も高かった 

海外遠征の経験が一度もなく、
武将同士は後に東軍・西軍にわかれて戦争するくらい不仲で 
武将の思惑もバラバラ(貿易による収益を狙う小西等は和平を望み、
大友家の二の舞を恐れる九州勢は戦果をあげたい) 

遠征軍としては下の下だと思うが。 
333名無し 2005/07/15(金) 22:15:46
和平は済んだと思い込んでるニワカ多いよな。 
よーく調べてみろ、なぜ徳川政権が明や朝鮮と和平交渉したのかを。 

明は明で、小西等と独断で停戦交渉を担当してたヤシが死んで、
和平交渉がまとまってた事すら知らず、 
朝鮮は朝鮮で、和睦に反対しようにも交渉の蚊帳の外で内容知らず、
明の天兵様に命ぜられるまま、追い討ち。 

明の全件代理と和平交渉したと日本側が思っただけで
相手は派遣軍の一司令官。 
これは文禄の役の時と同じなのよね。 

逆に日本も文禄の時は、窓口が3つも4つもあって、
明側は日本側がどうしたいのか掴めなかった。 
だから秀吉の条件提示が摩り替わって日本国王を望んでるとなったのだけど。
486名無し 2005/09/13(火) 18:42:19
あれほど大活躍した李舜臣を、
当時の朝鮮はなんで左遷したり、処刑しようとしたりしたの?
487名無し 2005/09/13(火) 21:10:28
国家の敵よりも政敵の方が憎くなるのは 
どこの国でもよくある話でしょ
489名無し 2005/09/14(水) 06:34:33
>>487 
小西行長も加藤清正を殺そうとしたしな。
490名無し 2005/09/14(水) 08:57:46
>>489 
結局は加藤が小西をやっちゃったね。
493名無し 2005/09/14(水) 23:16:54
小西が加藤を殺そうとして朝鮮側に加藤の行動を暴露。 
小西と加藤の仲が悪いことを知っていた朝鮮は、
李瞬臣に命じて加藤を殺そうとした。

しかし李瞬臣は判断を誤り、小西が謀略で、 
おびき出して討つつもりだと思い込み、
命令に逆らって加藤を討たず 
朝鮮への上陸をみすみす見逃してしまった。
その命令違反と作戦失敗の責任を問われて処罰。
496名無し 2005/09/15(木) 03:03:22
>>493 
小西行長は確かに2枚舌外交を展開したが、
あくまでもそれは明の沈維敬との交渉においての事。 

当時の朝鮮は完全に明の属国状態なので、
朝鮮相手に外交交渉なんてまるでないし、 
そもそもやるだけムダと言う物だ。 

慶長の役では、小西が第1軍、加藤が第2軍だったのだが
「おびきだそうとして」なんて初耳だし 
上で指摘されている通り、そもそも不可能だ。 

おおかた李瞬臣の威厳を取り繕うために後から考えた大嘘の1つだろう。 

例の「東郷元帥が李瞬臣を・・・云々」と同じで、低俗な作り話。
497名無し 2005/09/15(木) 03:16:12
文禄の役での最終的な和平合意は 

・日本は明の冊封を受けようと思った。 
・そのために明に行こうと思ったけど、朝鮮が邪魔するからしかたなく戦った。 
・だから冊封を受けさせてくれ。 

であった。 

明側もこれを納得しているが、これだと朝鮮側がまるで悪者呼ばわりですねw 
まあ、日本も中国も、それでよいと判断したわけでしょうw 
もちろん小西はこのような内容であることは、秀吉には伝えていない。 

で、こんな嘘はすぐにばれてしまい、第2次朝鮮討伐(慶長)が始まるのだが、 
その際に明側の外交官は皇帝に嘘をついた角で死刑になっている。 
だが、小西はお咎めなし。
498名無し 2005/09/15(木) 08:33:09
小西ってかなりの苦労人なんだな
関ヶ原で斬られちゃうし報われないやっちゃ。
501名無し 2005/09/15(木) 14:15:44
秀吉からの侵略を辛くも退けた明と朝鮮であったが、
その後にも平和は訪れなかった。 
1616年、女真族を統一させた愛新覚羅・ヌルハチは後金を建国。 
明との戦争が始まりますが、概ね後金側の優勢で推移していきます。
 

第二次討伐から29年後の1627年
攻撃を開始した後金の前に朝鮮軍は易々と大敗。 
以後、後金(後の清)の属国となり下がります。 

清の属国となった事を内外に示す為、
朝鮮の仁祖王は胡服を着て受降壇におもむき、 
土下座以上の屈辱的な礼法である
「三跪九叩頭」によって清の皇帝の前に礼拝させられます。 
御丁寧に清はこのときの様子を石碑として後世に残してくれており、
大清皇帝高徳碑として現在もソウル市内に存在しています。 

内容を要約すると
「無謀にも清に戦争を挑んだ朝鮮は、自業自得で崩壊し、大敗した。
 初めは朝鮮人を皆殺しにしてやるつもりだったが、
 朝鮮の王が泣いて許してくれと言うものだから、助けてやる事にした。」 
という、非常に屈辱的な内容です。(苦笑 
502名無し 2005/09/15(木) 14:16:31
またこのとき締結された和平交渉では 

・朝鮮は清に対し、臣としての例を尽くす事。 
・明の年号を廃止すること。明との交通を禁止する事。
 明から与えられた「朝鮮王」の印璽を清に渡す事。 
・清が明を攻撃する際には、求められた期日までに援軍を派遣する事。 
・朝鮮王の長男と次男、および大臣の子女を人質として清に送る事。 
・城の修復や拡張を行う場合には、事前に清の了解を得る事。 
・清に対して、黄金100両白銀1000両と二十余種の物品、
 などなどを毎年かかさず清に上納すること。 

等々の内容がずらずらと並んでいます。 
ちなみにこの時の「物品」にはあ妓生と宦官も含まれており、
要するに、朝鮮は毎年莫大な金と慰安婦を 
清に差し出すことによって、なんとか生存する事を許された。 

受降壇はその後「迎恩門」として建て直され、
歴代の朝鮮国王は清の勅使に対し、仁祖王と同じように 
「三跪九叩頭」を行わなければならなかった。 
「迎恩門」が破壊され、「独立門」が立てられるのは、1896年の事。 

日本がその力を再び大陸に伸ばし始めるまでの250年間、
朝鮮は清の属国として、喘ぎ続けるのでした。