1: 名無し 2009/01/17(土) 18:02:50
孔明一人では北伐は無理だったがホウトウが生きてたら長安は落ちてた
2: 名無し 2009/01/17(土) 18:06:47
孔明は後方を支援するタイプ
龐統は前線で戦うタイプ!
龐統は前線で戦うタイプ!
3: 名無し 2009/01/17(土) 18:09:31
そもそも孔明は前線で戦うようなタイプでは無い!
それだけ当時の蜀は人材難だったんだよな。
それだけ当時の蜀は人材難だったんだよな。
4: 名無し 2009/01/17(土) 18:12:20
法正も前線で戦うタイプ!
孔明の軍事能力については平凡
孔明の軍事能力については平凡
5: 名無し 2009/01/17(土) 18:21:09
ホウ統が戦死せずに長生きしたり、
徐庶がそのまま劉備に仕えていたりして、
軍事を他人に任せられる状況下であったならば、
孔明は政治に専念できたわけで、もっともっと
蜀の内政を充実させれていただろうし、
軍事と内政の両方に責任を持っていたために心労が重なり、
過労状態になり亡くなったと評価されています。
軍事面では戦場の前線で指揮を振るうよりも、
後方支援の方が才に見合っていたと評価されています。
(慎重すぎる部分が、このような評価につながっているのだと思います。)
徐庶がそのまま劉備に仕えていたりして、
軍事を他人に任せられる状況下であったならば、
孔明は政治に専念できたわけで、もっともっと
蜀の内政を充実させれていただろうし、
軍事と内政の両方に責任を持っていたために心労が重なり、
過労状態になり亡くなったと評価されています。
軍事面では戦場の前線で指揮を振るうよりも、
後方支援の方が才に見合っていたと評価されています。
(慎重すぎる部分が、このような評価につながっているのだと思います。)
6: 名無し 2009/01/17(土) 19:38:45
みんな定説に流されすぎだな。
蜀遠征の際に龐統が出向いて孔明が残ったのは、
孔明が出向くまでもなかったからだぞ。
チョウヒ・チョウウン・カンウも残ってただろ。
蜀遠征の際に龐統が出向いて孔明が残ったのは、
孔明が出向くまでもなかったからだぞ。
チョウヒ・チョウウン・カンウも残ってただろ。
8: 名無し 2009/01/17(土) 21:45:07
ホウ統より法正死のほうが痛すぎる
9: 名無し 2009/01/17(土) 21:56:41
法正・黄忠で魏の主力ズタズタにするくらいだからな。
惜しい、実に惜しい。
惜しい、実に惜しい。
13: 名無し 2009/01/18(日) 11:59:35
徐庶が残ってたら・・・
陳登とわかれずにいたら・・・
張任が親劉備派だったら(もしくは最初から存在してなかったら)・・・
陳登とわかれずにいたら・・・
張任が親劉備派だったら(もしくは最初から存在してなかったら)・・・
14: 名無し 2009/01/18(日) 17:16:29
陳羣を重用していたら・・・
荀彧をもっと早く迎えに行ってたら・・・
ホウ徳が健康で馬超たちと同行していたら・・・
呉が劉禅の拉致に成功していたら・・・
馬謖を副将にして王平を主将にしていたら・・・
荀彧をもっと早く迎えに行ってたら・・・
ホウ徳が健康で馬超たちと同行していたら・・・
呉が劉禅の拉致に成功していたら・・・
馬謖を副将にして王平を主将にしていたら・・・
15: 名無し 2009/01/18(日) 17:59:10
趙雲がバカ息子を途中で落としてたら・・・
赤壁で曹操をうまいこと捕まえていたら・・・
関羽・張飛が死んでも劉備ごもちついていたら・・・
赤壁で曹操をうまいこと捕まえていたら・・・
関羽・張飛が死んでも劉備ごもちついていたら・・・
17: 名無し 2009/01/18(日) 21:17:26
ホウ統は『人物評価・経学・策謀に優れ、魏でいうなら荀彧』
法正は『並外れた計画・術策を持ち、魏でいうなら程昱・郭嘉』
法正は『並外れた計画・術策を持ち、魏でいうなら程昱・郭嘉』
18: 名無し 2009/01/18(日) 21:36:58
孔明は魏でいうなら陳羣だな
19: 名無し 2009/01/18(日) 23:49:23
ホウトウってどういう功績残したっけ?
20: 名無し 2009/01/19(月) 00:57:44
連環の計
以上
以上
22: 名無し 2009/01/21(水) 20:21:10
孔明→人脈◎ 戦略△ 戦術○ 人材配置△
法正→人脈× 戦略◎ 戦術◎ 人材配置×
龐統→人脈× 戦略○ 戦術△ 人材配置◎
劉備→人脈△ 戦略△ 戦術○ 人材配置○
こんな感じか?
「私は人材を適材適所に配置することに優れてる」
ってホウトウが自分で言ってなかったっけ?
法正→人脈× 戦略◎ 戦術◎ 人材配置×
龐統→人脈× 戦略○ 戦術△ 人材配置◎
劉備→人脈△ 戦略△ 戦術○ 人材配置○
こんな感じか?
「私は人材を適材適所に配置することに優れてる」
ってホウトウが自分で言ってなかったっけ?
24: 名無し 2009/01/21(水) 20:28:17
>>22
正史基準で判断するなら
諸葛亮→人脈○ 戦略◎ 戦術○ 人材配置○
法正_→人脈× 戦略○ 戦術◎ 人材配置×
ホウ統→人脈○ 戦略○ 戦術○ 人材配置◎
劉備_→人脈◎ 戦略◎ 戦術○ 人材配置◎
だと思うよ
劉備の配下は全員劉備の人脈だしな
正史基準で判断するなら
諸葛亮→人脈○ 戦略◎ 戦術○ 人材配置○
法正_→人脈× 戦略○ 戦術◎ 人材配置×
ホウ統→人脈○ 戦略○ 戦術○ 人材配置◎
劉備_→人脈◎ 戦略◎ 戦術○ 人材配置◎
だと思うよ
劉備の配下は全員劉備の人脈だしな
25: 名無し 2009/01/22(木) 00:03:47
人脈は劉備より諸葛亮が上だろ
17: 名無し 2009/01/18(日) 21:17:26
ホウ統は『人物評価・経学・策謀に優れ、魏でいうなら荀彧』
法正は『並外れた計画・術策を持ち、魏でいうなら程昱・郭嘉』
法正は『並外れた計画・術策を持ち、魏でいうなら程昱・郭嘉』
27: 名無し 2009/01/22(木) 12:00:21
しかし実際に会ったわけでも殆ど実績が残ってるわけでもないのに、
陳寿はよく>>17みたいな評価が出来るよな。
陳寿はよく>>17みたいな評価が出来るよな。
28: 名無し 2009/01/22(木) 13:27:24
>>27
恐らく本当はもっと詳細な伝承、記録が蜀には残ってたんだろうけど
陳寿はそれらを採用することによる筆禍を恐れたんだろう
恐らく本当はもっと詳細な伝承、記録が蜀には残ってたんだろうけど
陳寿はそれらを採用することによる筆禍を恐れたんだろう
29: 名無し 2009/01/22(木) 17:16:24
>>28
そんなわけなかろ
あんなに面白みがないくらい記録重視で書かれてるのに
あれだけ蜀マンセーの陳寿がなんでわざわざ功績をぼかすのさ
そんなわけなかろ
あんなに面白みがないくらい記録重視で書かれてるのに
あれだけ蜀マンセーの陳寿がなんでわざわざ功績をぼかすのさ
30: 名無し 2009/01/22(木) 19:04:47
陳寿は散々ぼかしているが、それでも母国への思いが滲み出ているだけ
蜀書なんてマジで注釈抜きだと、国家レベルのことくらいしか書いてない
最後に季漢輔臣賛を書いた人物を立伝して強引に蜀への愛を表明してるが
蜀書なんてマジで注釈抜きだと、国家レベルのことくらいしか書いてない
最後に季漢輔臣賛を書いた人物を立伝して強引に蜀への愛を表明してるが
31: 名無し 2009/01/24(土) 02:40:42
結構勘違いしてる人いるけど
三国志の正史って勅撰じゃないからね
べつにぼかす必要なんてないから
ただ単に事実関係だけ抜き出そうとしたら
あまりにも記述が少なかったからああなっただけ
三国志の正史って勅撰じゃないからね
べつにぼかす必要なんてないから
ただ単に事実関係だけ抜き出そうとしたら
あまりにも記述が少なかったからああなっただけ
32: 名無し 2009/01/24(土) 11:29:24
>>31
ぼかす必要ないなら何で高貴郷侯の殺害を記さないかって事だ
ぼかす必要ないなら何で高貴郷侯の殺害を記さないかって事だ
33: 名無し 2009/02/06(金) 11:08:17
ホウ統はあそこでくたばるからこそいいのに。
34: 名無し 2009/02/08(日) 21:38:29
実績上げて早死にした人って、どうしても評価が甘くなるよね
35: 名無し 2009/02/08(日) 22:33:21
おっと、周瑜と孫策の悪口はそこまでだ
36: 名無し 2009/02/28(土) 11:30:04
戯志才と龐統には近いものを感じる
つまり、蜀の問題は、
ジュンイクに当たる人材を見出せなかったことにあり
つまり、蜀の問題は、
ジュンイクに当たる人材を見出せなかったことにあり
37: 名無し 2009/02/28(土) 17:41:51
>>36
荀彧みたいな人材めったにいるわけないだろ
蒋琬と費禕がいただけでも蜀にとってはめっけもの
徐庶は惜しかったけどな
荀彧みたいな人材めったにいるわけないだろ
蒋琬と費禕がいただけでも蜀にとってはめっけもの
徐庶は惜しかったけどな
50: 名無し 2009/07/10(金) 16:47:07
ホウ統は名前と道号で得してるよな。
そりゃたしかに優秀だったんだろうけど、実績はほとんど無いわけで。
そりゃたしかに優秀だったんだろうけど、実績はほとんど無いわけで。
54: 名無し 2009/09/08(火) 12:30:04
>>50
実績つーか軍功上げさせて譜代将軍と同格にしたかったってのもあるだろ
劉備は自分が軍率いるタイプで
献策程度にしか戦争では軍師を用いないけど
領地が広くなる状況で人材に苦労してた
関羽指揮下でビホウ太守とか・・・
ビホウは無能とは思わんが太守やらせるなら
益州の郡太守にしとけといいたいところ
実績つーか軍功上げさせて譜代将軍と同格にしたかったってのもあるだろ
劉備は自分が軍率いるタイプで
献策程度にしか戦争では軍師を用いないけど
領地が広くなる状況で人材に苦労してた
関羽指揮下でビホウ太守とか・・・
ビホウは無能とは思わんが太守やらせるなら
益州の郡太守にしとけといいたいところ
55: 名無し 2009/09/08(火) 20:26:11
糜芳は曹操から求められ、降った呉でも功績上げ、そして劉備の義弟。
糜芳の代わりなんているか?
ホウ統が生き残って代わりになっても
歴史が変わるか不明なほど詰んでるぞ。
糜芳の代わりなんているか?
ホウ統が生き残って代わりになっても
歴史が変わるか不明なほど詰んでるぞ。
56: 名無し 2009/09/08(火) 20:57:19
だから糜芳の才能は認めてるんだが。
劉備の目の届く所の太守ならきっちりやるだろ。
益州の治安維持には少ない兵数で効率よくだから
糜芳は劉備に褒められれば働くだろうが
関羽に脅されて働くわけもなく、
おまけに呉では功績あげても裏切り者と見下され自分より地位の
低い相手に道を譲ったりと結局屈辱を味わう生涯だぞ。
蜀でも高い地位は与えられてたから
関羽にかかわらない地に居ればと思うのは変か?
劉備の目の届く所の太守ならきっちりやるだろ。
益州の治安維持には少ない兵数で効率よくだから
糜芳は劉備に褒められれば働くだろうが
関羽に脅されて働くわけもなく、
おまけに呉では功績あげても裏切り者と見下され自分より地位の
低い相手に道を譲ったりと結局屈辱を味わう生涯だぞ。
蜀でも高い地位は与えられてたから
関羽にかかわらない地に居ればと思うのは変か?
57: 名無し 2009/09/08(火) 21:10:15
そもそもホウ統って入蜀の先陣部隊だし
生きててもそのまま益州統治に精を出して荊州失陥とは関係なかっただろうね
ホウ統が生きてれば荊州失陥免れたんじゃないかという話をよく聞くけど
生きててもそのまま益州統治に精を出して荊州失陥とは関係なかっただろうね
ホウ統が生きてれば荊州失陥免れたんじゃないかという話をよく聞くけど
58: 名無し 2009/09/08(火) 21:14:22
荊州閥の重鎮だし何らかの形で関わってきたとは思うが
59: 名無し 2009/09/08(火) 21:20:35
失陥を防げるくらい関ったかどうかは全くの未知数だろ
入蜀後の本隊と荊州統治組がどれだけ密な関係だったかよく分らないし
入蜀後の本隊と荊州統治組がどれだけ密な関係だったかよく分らないし
60: 名無し 2009/09/12(土) 06:42:00
劉備の戦力は荊州、益州を押さえるには不足
少ない戦力で上手く立ち回れるほど関羽は配慮してないが
関羽以上に抑止効果のある将軍はいなかった。
孫権存命で呉に主導権が確立されたままの状況であり、
淮南の戦線が膠着状態に陥れば
荊州を取りに動くのは必然
少ない戦力で上手く立ち回れるほど関羽は配慮してないが
関羽以上に抑止効果のある将軍はいなかった。
孫権存命で呉に主導権が確立されたままの状況であり、
淮南の戦線が膠着状態に陥れば
荊州を取りに動くのは必然
61: 名無し 2009/09/12(土) 08:08:27
で、戦争吹っかけられて自国が不利だと荊州全部返す
妹も返すとか言い出すんだよな
陸ソン様様なんだがあの最後はなんだ
妹も返すとか言い出すんだよな
陸ソン様様なんだがあの最後はなんだ
62: 名無し 2009/09/12(土) 09:14:20
>>61
演義の話しかね?
正史ではただ和睦申し込んだだけとしかわからんはずだが
演義の話しかね?
正史ではただ和睦申し込んだだけとしかわからんはずだが
68: 名無し 2009/09/18(金) 10:44:56
庖統が死ななければ
諸葛亮は援軍に行かずに荊州に残り
張飛と趙雲だけ援軍に行かせたんじゃないかな
演義的に考えるとそれで万全だな
諸葛亮は援軍に行かずに荊州に残り
張飛と趙雲だけ援軍に行かせたんじゃないかな
演義的に考えるとそれで万全だな
69: 名無し 2009/09/18(金) 12:43:33
>>68
生きてる間から諸葛亮はちゃんと益州入りしてるから関係ない
生きてる間から諸葛亮はちゃんと益州入りしてるから関係ない
70: 名無し 2009/09/18(金) 13:52:51
ホウ統がどこまでの人物かはサンプルが少ないのがね
前線での指揮を任された程だからそれなりの人物だとは思うけどね
漢中の後は長安を攻めたのか涼州を攻めたのかは気になるが
ホウ統が居ても攻めることはないかな
益州の安定が先だから攻めるに攻めれない
関羽を操縦できる人材が刑州に居ないのと
劉備に寿命の尽きた後の確執が凄そうだ
前線での指揮を任された程だからそれなりの人物だとは思うけどね
漢中の後は長安を攻めたのか涼州を攻めたのかは気になるが
ホウ統が居ても攻めることはないかな
益州の安定が先だから攻めるに攻めれない
関羽を操縦できる人材が刑州に居ないのと
劉備に寿命の尽きた後の確執が凄そうだ
72: 名無し 2009/09/25(金) 16:55:30
ホウ統が死ななかったとしよう
諸葛亮は荊州から離れたか否か?
結局益州での諸葛亮の仕事があったのであれば、
やはり関羽の独走は起こっていただろう。
ただしホウ統がブレインにつけば情況が好転したかもしれない。
諸葛亮が益州に移らなければ
新征服地である益州の支配体制の移行が順調にすすんだかどうかは未知数。
ただ関羽の独走自体が起こっていない可能性が生じる。
とはいえ、関羽独走が起こってしまえば、
まだ軍事面での実績のない諸葛亮が事態を好転させることができたかは不明。
かえってわやなことになったかもしれない。
諸葛亮は荊州から離れたか否か?
結局益州での諸葛亮の仕事があったのであれば、
やはり関羽の独走は起こっていただろう。
ただしホウ統がブレインにつけば情況が好転したかもしれない。
諸葛亮が益州に移らなければ
新征服地である益州の支配体制の移行が順調にすすんだかどうかは未知数。
ただ関羽の独走自体が起こっていない可能性が生じる。
とはいえ、関羽独走が起こってしまえば、
まだ軍事面での実績のない諸葛亮が事態を好転させることができたかは不明。
かえってわやなことになったかもしれない。
73: 名無し 2009/09/25(金) 20:08:23
関羽の下にいたら、傲岸さに愛想を尽かして士仁たち共々呉にあっさり
降伏していた可能性もないとはいえないわけでw
降伏していた可能性もないとはいえないわけでw
76: 名無し 2009/09/26(土) 20:30:34
諸葛亮と龐統が存命の場合、益州と荊州に各々を置く可能性は高い。
蜀の人材不足という問題もあるし、2人の声望の影響力も利用出来る。
では、荊州に龐統が配置された場合。
まず、関羽との関係が問題だろうが、龐統の人格を逸話から考察した場合、
鬱憤を溜めて裏切る性格とは思えない。
或いは、合肥の張遼や楽進達の様に公私を割り切った付き合いになるか。
いずれにせよ、関羽との気脈を保つ度量はある人物だと思う。
関羽・龐統の2人が上手く噛み合えば、呂蒙・陸遜にも対抗し得るか?
蜀の人材不足という問題もあるし、2人の声望の影響力も利用出来る。
では、荊州に龐統が配置された場合。
まず、関羽との関係が問題だろうが、龐統の人格を逸話から考察した場合、
鬱憤を溜めて裏切る性格とは思えない。
或いは、合肥の張遼や楽進達の様に公私を割り切った付き合いになるか。
いずれにせよ、関羽との気脈を保つ度量はある人物だと思う。
関羽・龐統の2人が上手く噛み合えば、呂蒙・陸遜にも対抗し得るか?
77: 名無し 2009/09/26(土) 20:36:06
正直無理だと思う。北上した時点で詰み。
呂蒙・陸遜のタッグは凶悪すぎる。
(それ以前に徐晃にやられて、仮にしのいでも26軍が控えていたわけだが)
呂蒙は自分が死ぬ前に南郡を取る気でいたしな。
呂蒙・陸遜のタッグは凶悪すぎる。
(それ以前に徐晃にやられて、仮にしのいでも26軍が控えていたわけだが)
呂蒙は自分が死ぬ前に南郡を取る気でいたしな。
78: 名無し 2009/09/26(土) 22:35:41
荊州陥落の最大の要因は、関羽の北上。
厳密に言えば、計略で身を引いた呂蒙に対する油断。
王甫の忠言に対しても、関羽の取った策は物見台の灯りで連絡をさせる程度。
本拠の守将に選んだのは、不仲の士仁達。
これらの要因を、龐統がスルーする気がしないんだが・・・・・
例えば、呂蒙の仮病に龐統が警戒したとする。
それでも、関羽は出陣の意思を固持したとする。
ここまでは、高い可能性で有り得ると思う。
で、龐統は相応の防備策を立てる事になるのも自然な流れだろう。
となると、呂蒙・陸遜の荊州攻めは、その策を崩せるかどうかが課題になる。
又、北上に龐統が同行するかどうかも大きな問題だろうな。
そうなると、守将に誰を選ぶか・・・・・・果たして、適当な人材がいるかどうか。
関羽単独の北上の場合、徐晃にやられるんだろうけど。
厳密に言えば、計略で身を引いた呂蒙に対する油断。
王甫の忠言に対しても、関羽の取った策は物見台の灯りで連絡をさせる程度。
本拠の守将に選んだのは、不仲の士仁達。
これらの要因を、龐統がスルーする気がしないんだが・・・・・
例えば、呂蒙の仮病に龐統が警戒したとする。
それでも、関羽は出陣の意思を固持したとする。
ここまでは、高い可能性で有り得ると思う。
で、龐統は相応の防備策を立てる事になるのも自然な流れだろう。
となると、呂蒙・陸遜の荊州攻めは、その策を崩せるかどうかが課題になる。
又、北上に龐統が同行するかどうかも大きな問題だろうな。
そうなると、守将に誰を選ぶか・・・・・・果たして、適当な人材がいるかどうか。
関羽単独の北上の場合、徐晃にやられるんだろうけど。
79: 名無し 2009/09/27(日) 00:10:31
関羽の北上に同行していたら麦城からの逃避行で戦死か捕縛。
同行しておらず、士仁たちを守将から外して篭城戦に持ち込んだとしても、
兵力差と将の能力差(呂蒙に対して、籠城の指揮を執るのは士仁たちだろうから。
龐統自身が兵を率いてどうかは未知数)から考えて、守り切るのは難しい。
結局はハンシュン同様降るかあくまでもそれを拒否して斬られるかじゃないかね。
関羽の北上を龐統が制止できるとも思えないしな。
唯一の可能性としては関羽が戻ってきて
広陵城の内外で呼応して呂蒙を挟撃できた場合だが、
みすみすそれをさせるほど呂蒙も間抜けではないだろう。
同行しておらず、士仁たちを守将から外して篭城戦に持ち込んだとしても、
兵力差と将の能力差(呂蒙に対して、籠城の指揮を執るのは士仁たちだろうから。
龐統自身が兵を率いてどうかは未知数)から考えて、守り切るのは難しい。
結局はハンシュン同様降るかあくまでもそれを拒否して斬られるかじゃないかね。
関羽の北上を龐統が制止できるとも思えないしな。
唯一の可能性としては関羽が戻ってきて
広陵城の内外で呼応して呂蒙を挟撃できた場合だが、
みすみすそれをさせるほど呂蒙も間抜けではないだろう。
80: 名無し 2009/09/27(日) 00:12:17
黄忠や馬超にすら嫉妬した関羽が
はたして益州で大手柄立てたホウ統の言うことをどれだけ聞くかな。
そもそも、曹操や孫権から一定の評価をされ
劉備の義弟の麋芳が降るしかない状況で、
はたしてホウ統も歴史の流れを変えれただろうか。
呉に降って今度は呉の益州侵攻の手助けするかもね。
はたして益州で大手柄立てたホウ統の言うことをどれだけ聞くかな。
そもそも、曹操や孫権から一定の評価をされ
劉備の義弟の麋芳が降るしかない状況で、
はたしてホウ統も歴史の流れを変えれただろうか。
呉に降って今度は呉の益州侵攻の手助けするかもね。
81: 名無し 2009/09/27(日) 02:34:48
関羽北上は鬼門だな。
後は、龐統が内外の勢力を上手くまとめて、
関羽をどこまでバックアップ出来るか・・・・
或いは、龐統が関羽北上に至るまでに、
どれだけ荊州勢力を充実させられるか。
人材含めて。
地元名士の生まれだから、それなりのコネや声望はあるだろうけど。
元は呉に仕えていたんだっけ?
なら、投降する可能性もありそうだし、投降しやすい感はあるなぁ。
後は、龐統が内外の勢力を上手くまとめて、
関羽をどこまでバックアップ出来るか・・・・
或いは、龐統が関羽北上に至るまでに、
どれだけ荊州勢力を充実させられるか。
人材含めて。
地元名士の生まれだから、それなりのコネや声望はあるだろうけど。
元は呉に仕えていたんだっけ?
なら、投降する可能性もありそうだし、投降しやすい感はあるなぁ。
82: 名無し 2009/09/27(日) 07:12:36
龐統は劉表→孫権→劉備の順に仕えてる。
上司や仕事内容にこだわりはなさそうだし
呉の人士との交流もあるから降る可能性は高いと思う。
幽州出身で初期から劉備に付き従っていた可能性が高い士仁と
徐州から付き従い劉備の義兄弟だった麋芳が降ったことを考えると
信頼できそうな人物ってほとんどいないんじゃないかな。
上司や仕事内容にこだわりはなさそうだし
呉の人士との交流もあるから降る可能性は高いと思う。
幽州出身で初期から劉備に付き従っていた可能性が高い士仁と
徐州から付き従い劉備の義兄弟だった麋芳が降ったことを考えると
信頼できそうな人物ってほとんどいないんじゃないかな。
83: 名無し 2009/09/27(日) 09:51:32
①徐晃軍が来る前に樊城を落とせる人材
or
②徐晃軍が近付いていると分かった時点で引いて荊州の守りを固められる人材
or
③孫権との仲の悪化を防げた人材
がいたら、その後の歴史が変わったかも知れない・・・
ホウ統が死ななかった場合、
ホウ統もしくはホウ統の代わりに荊州にいたかも知れない人材なら
どうなっていたか・・・
or
②徐晃軍が近付いていると分かった時点で引いて荊州の守りを固められる人材
or
③孫権との仲の悪化を防げた人材
がいたら、その後の歴史が変わったかも知れない・・・
ホウ統が死ななかった場合、
ホウ統もしくはホウ統の代わりに荊州にいたかも知れない人材なら
どうなっていたか・・・
85: 名無し 2009/09/27(日) 21:22:06
関羽北上時点じゃまだ詰んでない
劉備が漢中王を名乗った時点でウソでもいいから
「涼州取れそうだし、江陵をどうするか、公安どうしようか」
って話しを孫権に持ちかけて数ヶ月の間孫権の決断を停滞していればよかった
徐晃に関羽が粉砕されたのも孫権の裏切りあったればこそで、
孫権の決断を数ヶ月引き伸ばせるだけで
情勢は史実とは全く違うものになっていくだろう
劉備が漢中王を名乗った時点でウソでもいいから
「涼州取れそうだし、江陵をどうするか、公安どうしようか」
って話しを孫権に持ちかけて数ヶ月の間孫権の決断を停滞していればよかった
徐晃に関羽が粉砕されたのも孫権の裏切りあったればこそで、
孫権の決断を数ヶ月引き伸ばせるだけで
情勢は史実とは全く違うものになっていくだろう
86: 名無し 2009/09/27(日) 22:05:19
北上時点で詰んでるよ。
前年に呉は形式的にせよ降伏して、外交方針を転換している。
関羽が江陵を離れて北上して隙を見せた時点で終わり。
関羽が自重して動かなければまだどうにかなったかも知れないが、
見事なまでに呂蒙と陸遜の策に引っ掛かってしまった。
劉備が口先で孫権の決断を引き伸ばそうとしてどうなるものでもない。
南郡領有は呉の国是であり悲願だった。
個人的には快進撃して張遼と対峙する関羽とか見たかった気もするが、
ま、無理だろ。荊州士太夫との関係を含めてあれが関羽の限界だった。
前年に呉は形式的にせよ降伏して、外交方針を転換している。
関羽が江陵を離れて北上して隙を見せた時点で終わり。
関羽が自重して動かなければまだどうにかなったかも知れないが、
見事なまでに呂蒙と陸遜の策に引っ掛かってしまった。
劉備が口先で孫権の決断を引き伸ばそうとしてどうなるものでもない。
南郡領有は呉の国是であり悲願だった。
個人的には快進撃して張遼と対峙する関羽とか見たかった気もするが、
ま、無理だろ。荊州士太夫との関係を含めてあれが関羽の限界だった。
87: 名無し 2009/09/28(月) 11:13:20
孫権の裏切り、なんていってるのがそもそもおかしな話であって。
乱世をなんと心得ているのか。
関羽北上まで、軍事衝突こそ直前で回避し続けたいたものの、
亡き周王愈や、呂蒙、甘寧らにとって、
「天下二分」の策のためにも、呉の荊州奪取は悲願。
荊州が手薄なのをボオッとしてみているなんて、ありえないだろう。
袁紹や劉表が曹操の背後をつかなかったことが好機を逸したと誹りを受けている。
同じ論法なら、呉が動かないということこそ、ありえない。
そして、動く気満々なら、チャンスを逸する行動の遅れもありえない。
関羽が荊州の抑えで踏ん張っていたことが、呉の侵攻をためらわせていた大きな一因。
その関羽が北上した時点で呉が動かない可能性があるという見通しが、
あまりにも楽観的にすぎた、ということだろう。
どうしても、北上したければ、
関羽はやはり荊州の抑えで残して、ホウ統をオフェンスに使う、
そのほうがマシだろう。
ホウ統なら、荊州でも知られた名家の出だし、
士大夫層とも(少なくとも関羽よりは断然に)折り合いがいい。
侵攻能力が多少落ちるだろうが、そこはホウ統の脳漿と人脈に期待するしかない。
乱世をなんと心得ているのか。
関羽北上まで、軍事衝突こそ直前で回避し続けたいたものの、
亡き周王愈や、呂蒙、甘寧らにとって、
「天下二分」の策のためにも、呉の荊州奪取は悲願。
荊州が手薄なのをボオッとしてみているなんて、ありえないだろう。
袁紹や劉表が曹操の背後をつかなかったことが好機を逸したと誹りを受けている。
同じ論法なら、呉が動かないということこそ、ありえない。
そして、動く気満々なら、チャンスを逸する行動の遅れもありえない。
関羽が荊州の抑えで踏ん張っていたことが、呉の侵攻をためらわせていた大きな一因。
その関羽が北上した時点で呉が動かない可能性があるという見通しが、
あまりにも楽観的にすぎた、ということだろう。
どうしても、北上したければ、
関羽はやはり荊州の抑えで残して、ホウ統をオフェンスに使う、
そのほうがマシだろう。
ホウ統なら、荊州でも知られた名家の出だし、
士大夫層とも(少なくとも関羽よりは断然に)折り合いがいい。
侵攻能力が多少落ちるだろうが、そこはホウ統の脳漿と人脈に期待するしかない。
88: 名無し 2009/09/28(月) 12:09:48
そもそもホウトウってすごかったのか?
89: 名無し 2009/09/28(月) 12:17:37
それは未知数でしょ
所詮死人なんだから
ただ劉備の益州侵攻で残された僅かなエピソードから
生きてさえいれば、劉備陣営でなら、
活躍の機会は多かったんじゃないかと
ま、競争相手が少ない、ともいうけど、
数少ない使える人材の一角ではあったかと
所詮死人なんだから
ただ劉備の益州侵攻で残された僅かなエピソードから
生きてさえいれば、劉備陣営でなら、
活躍の機会は多かったんじゃないかと
ま、競争相手が少ない、ともいうけど、
数少ない使える人材の一角ではあったかと
91: 名無し 2009/09/28(月) 16:23:57
龐統が関羽の代わりとして、どこまで通用するかは疑問だが・・・・・
或いは、関羽よりも大きな成果を残すかも知れんな。
ただ、于禁の軍が水没したのは、天候の要素が大きい。
あの時期、あのタイミングで関羽が北上していなければ、
まともにやり合う事になっていた可能性も高い。
でも、関羽でさえ流矢で傷を受けてるんだから、龐統が行っても死ぬかなぁw
或いは、関羽よりも大きな成果を残すかも知れんな。
ただ、于禁の軍が水没したのは、天候の要素が大きい。
あの時期、あのタイミングで関羽が北上していなければ、
まともにやり合う事になっていた可能性も高い。
でも、関羽でさえ流矢で傷を受けてるんだから、龐統が行っても死ぬかなぁw
92: 名無し 2009/09/28(月) 17:13:44
首尾よく于禁を倒しても、徐晃と曹仁、そして26軍相手にはきつい。
龐統が戦闘指揮で関羽より上とは思えない以上、戦死か、
下手をすると魏の降虜に・・・
龐統が戦闘指揮で関羽より上とは思えない以上、戦死か、
下手をすると魏の降虜に・・・
93: 名無し 2009/09/28(月) 18:25:19
龐統が項羽とか桓温、劉裕、陳慶之並みの巨星ということが前提の議論だね
94: 名無し 2009/09/28(月) 20:00:32
>>87
過去に一度、軍事衝突の末とは言え割譲しているのだし、
交渉の場を持ちたいと言えば孫権だって一考するでしょ
劉備は漢中王を名乗ってからあまりにも呉に対しての手当てが欠けてるっぽいので
その手数増やしていたら時間を稼げる、と俺は思う
過去に一度、軍事衝突の末とは言え割譲しているのだし、
交渉の場を持ちたいと言えば孫権だって一考するでしょ
劉備は漢中王を名乗ってからあまりにも呉に対しての手当てが欠けてるっぽいので
その手数増やしていたら時間を稼げる、と俺は思う
95: 名無し 2009/09/28(月) 22:11:02
それは無理だろ。魯粛ももう死んでるんだし。
孫権だっていつまでも劉備の空手形に振り回されるバカじゃない。
孫権だっていつまでも劉備の空手形に振り回されるバカじゃない。
96: 名無し 2009/09/28(月) 23:01:27
>>95
実際、意味のある割譲交渉をして(涼州取ったらとかでなく、ね)
本当に譲る素振りさえ見せれば数ヶ月は稼げると思うけど
別に1年2年稼げってんじゃない
実際、意味のある割譲交渉をして(涼州取ったらとかでなく、ね)
本当に譲る素振りさえ見せれば数ヶ月は稼げると思うけど
別に1年2年稼げってんじゃない
97: 名無し 2009/09/29(火) 02:11:43
その数ヶ月が無理だ、といわれているんだぜ?
袁紹が理由つけて進軍を遅らせて好機を逸したのはもったいないと評価されてるだろ?
孫権が袁紹と同レベルの逸機を犯してくれる、という前提なら可能性はあるが、
孫権は劉備らの都合で荊州をほしがっているわけではない。
関羽が留守という呉にしてみれば絶好の機を狙うのが大前提なのに、
関羽が戻ってくる(戻るのが間に合う)なり、
荊州支配を万全にする時間を与えるリスクを犯してまで交渉する理由はない。
それが孫権にとってなにかメリットになるのか?ってこと。
戦って奪えるなら、埒が明かない交渉よりもそちらを取る。
損害を出さないのが目的じゃなく、
荊州をより確実に手に入れるのが目的なんだからな。
だから、荊州を留守番するのに、誰が一番適任かってコトになる。
本当は関羽の優先度第一の仕事なんだけど、
守備任務を軽んじたのか、北上しちまった。
そこで、もしホウ統が生きていればどうか?ということになるわけで。
袁紹が理由つけて進軍を遅らせて好機を逸したのはもったいないと評価されてるだろ?
孫権が袁紹と同レベルの逸機を犯してくれる、という前提なら可能性はあるが、
孫権は劉備らの都合で荊州をほしがっているわけではない。
関羽が留守という呉にしてみれば絶好の機を狙うのが大前提なのに、
関羽が戻ってくる(戻るのが間に合う)なり、
荊州支配を万全にする時間を与えるリスクを犯してまで交渉する理由はない。
それが孫権にとってなにかメリットになるのか?ってこと。
戦って奪えるなら、埒が明かない交渉よりもそちらを取る。
損害を出さないのが目的じゃなく、
荊州をより確実に手に入れるのが目的なんだからな。
だから、荊州を留守番するのに、誰が一番適任かってコトになる。
本当は関羽の優先度第一の仕事なんだけど、
守備任務を軽んじたのか、北上しちまった。
そこで、もしホウ統が生きていればどうか?ということになるわけで。
98: 名無し 2009/09/29(火) 12:21:27
絶対に無理とは思わんが少なくとも関羽更迭くらいはやらないと安心出来ないな
不信感ありすぎ
不信感ありすぎ
99: 名無し 2009/09/30(水) 13:00:45
ま、確かに関羽更迭したなら孫権も時間稼ぎに応じてくれるだろうね。
けれど、関羽更迭しちゃったら時間稼ぐ意味がない
けれど、関羽更迭しちゃったら時間稼ぐ意味がない
100: 名無し 2009/10/01(木) 02:05:33
>>97
もったいない?
袁紹は劉備の行動から僅か数ヶ月で曹操を追い込んでるのにか?
袁紹は出兵しなかった、なんてのは誤解でしかないぞ
もったいない?
袁紹は劉備の行動から僅か数ヶ月で曹操を追い込んでるのにか?
袁紹は出兵しなかった、なんてのは誤解でしかないぞ
101: 名無し 2009/10/01(木) 08:16:23
袁紹は運がなかっただけ。寿命も無かった
102: 名無し 2009/10/01(木) 16:28:41
運でどうにかされるほどゆるみきった圧勝ぶりだったんだろうな
中原統一が1年で成る所をひっくり返されたのは悲惨
中原統一が1年で成る所をひっくり返されたのは悲惨
103: 名無し 2009/10/01(木) 19:49:21
関羽更迭したらそれこそ呂蒙が大喜びで直後に攻めてきて終わりじゃね?
他の奴じゃ呂蒙の相手にならないだろ。
他の奴じゃ呂蒙の相手にならないだろ。
104: 名無し 2009/10/02(金) 00:13:05
確かに、関羽だからこそ呉と対峙し続けられたって感じもあるな。
しかし、関羽の場合、呉との外交関係なんて無いに等しいだろ。
龐統みたいな人間が外交役としていれば、かなり重宝したと思うんだ・・・・
しかし、関羽の場合、呉との外交関係なんて無いに等しいだろ。
龐統みたいな人間が外交役としていれば、かなり重宝したと思うんだ・・・・
105: 名無し 2009/10/02(金) 00:18:32
龐統が外交したとしても
呉に荊州(というか南郡)をあきらめさせるなんて不可能かと。
龐統が関羽北上を止められるとも思えんし。
呉に荊州(というか南郡)をあきらめさせるなんて不可能かと。
龐統が関羽北上を止められるとも思えんし。
106: 名無し 2009/10/02(金) 01:05:00
実際ホウトウが生きてたら
けいしゅう方面を任されていた可能性はあるが関羽が素直にホウトウに従うかな?
関羽から見たらホウトウの実積なんてほとんどないし
素直に徐庶を説得した方がまだましじゃないのか
けいしゅう方面を任されていた可能性はあるが関羽が素直にホウトウに従うかな?
関羽から見たらホウトウの実積なんてほとんどないし
素直に徐庶を説得した方がまだましじゃないのか
107: 名無し 2009/10/02(金) 02:29:48
>>106
可能性はないだろー
だったらハナっから劉備がホウ統を蜀入りに連れて行かないよ
可能性はないだろー
だったらハナっから劉備がホウ統を蜀入りに連れて行かないよ
108: 名無し 2009/10/02(金) 03:43:37
あの時点で必要なことは、
1:新領土である益州の法整備と統治体制の確立
2:漢中の確保
3-A:荊州の確保・関羽を抑えて専守防衛
3-B:荊州の確保・荊州より北方へ軍を進めつつ、呉の進軍を阻む
1と2は必須であり、史実で達成されたこと。
ifが介在する余地があるのは3で、
荊州から魏を攻めるか否かでA/Bのどちらかを取る。
さらに、3-Bのプランの場合、誰をどこで使うか
という問題も考えておきたい。
龐統の才覚が、軍事面に限定されたものか、
法整備や統治などの内政にも発揮されるかが、カギ。
新領である益州の法整備は、遅らせることはできない。
そのうえで、もし龐統に法整備の能力がなければ、
益州にとどまる理由は漢中・涼州攻めくらいだ
が、その方面には既に法正がいるし、
諸葛亮が益州の法整備を行うなら、
結局実地に赴くことになって荊州を離れてしまうだろう。
そうなる場合、龐統を荊州に戻したほうがいいだろう。
この場合、3-Aプランは龐統で可能かというのがまず一点、
そして、3-Bプランとなる場合に、
誰が呉に備えるかという点が、問われるだろう。
龐統が益州の法整備を手がけられるなら、
諸葛亮を荊州にとどめるという選択も出てくる。
すると、益州攻めの間、
関羽をそれなりにコントロールしたという実績がある諸葛亮が
A/Bどちらのプランを取るか。
・・・といったところじゃない?
1:新領土である益州の法整備と統治体制の確立
2:漢中の確保
3-A:荊州の確保・関羽を抑えて専守防衛
3-B:荊州の確保・荊州より北方へ軍を進めつつ、呉の進軍を阻む
1と2は必須であり、史実で達成されたこと。
ifが介在する余地があるのは3で、
荊州から魏を攻めるか否かでA/Bのどちらかを取る。
さらに、3-Bのプランの場合、誰をどこで使うか
という問題も考えておきたい。
龐統の才覚が、軍事面に限定されたものか、
法整備や統治などの内政にも発揮されるかが、カギ。
新領である益州の法整備は、遅らせることはできない。
そのうえで、もし龐統に法整備の能力がなければ、
益州にとどまる理由は漢中・涼州攻めくらいだ
が、その方面には既に法正がいるし、
諸葛亮が益州の法整備を行うなら、
結局実地に赴くことになって荊州を離れてしまうだろう。
そうなる場合、龐統を荊州に戻したほうがいいだろう。
この場合、3-Aプランは龐統で可能かというのがまず一点、
そして、3-Bプランとなる場合に、
誰が呉に備えるかという点が、問われるだろう。
龐統が益州の法整備を手がけられるなら、
諸葛亮を荊州にとどめるという選択も出てくる。
すると、益州攻めの間、
関羽をそれなりにコントロールしたという実績がある諸葛亮が
A/Bどちらのプランを取るか。
・・・といったところじゃない?
109: 名無し 2009/10/02(金) 12:19:40
>>108
諸葛亮は、漢中・荊州の2方面作戦での中原戦略だった気がするので、
荊州軍北上に至る可能性は高いだろう。
単に魏呉の防御線とすると、対魏戦線は漢中からのみになってしまう。
龐統は、恐らく人物評に優れた点からも、自身を含めて物事を客観的に
評価する力はあったと思う。
諸葛亮の政治能力が管仲に匹敵するとすれば、益州統治は諸葛亮の方が
適任と判断してもおかしくはない。
或いは、諸葛亮が軍事・外交よりも政治・・・・・又、兵站などの補給能力に
長けていると判断するかも知れない。
実際、史実でも諸葛亮の益州統治は成功している。
諸葛亮は、漢中・荊州の2方面作戦での中原戦略だった気がするので、
荊州軍北上に至る可能性は高いだろう。
単に魏呉の防御線とすると、対魏戦線は漢中からのみになってしまう。
龐統は、恐らく人物評に優れた点からも、自身を含めて物事を客観的に
評価する力はあったと思う。
諸葛亮の政治能力が管仲に匹敵するとすれば、益州統治は諸葛亮の方が
適任と判断してもおかしくはない。
或いは、諸葛亮が軍事・外交よりも政治・・・・・又、兵站などの補給能力に
長けていると判断するかも知れない。
実際、史実でも諸葛亮の益州統治は成功している。
110: 名無し 2009/10/02(金) 12:37:59
まず孫権討伐すべきだったなw
112: 名無し 2009/10/02(金) 13:05:22
呂蒙と陸遜相手に呉討伐って…2人とも防衛戦でも鬼なのに。
111: 名無し 2009/10/02(金) 12:38:06
中国の三国志演義のホウトウがブサイク過ぎ泣いた(´ω`)
孔明との差使いの差がひど過ぎw
孔明との差使いの差がひど過ぎw
113: 名無し 2009/10/02(金) 17:12:52
>>111
史書に見た目NGって書かれてるほどから相当悪いんじゃね?
史書に見た目NGって書かれてるほどから相当悪いんじゃね?
119: 名無し 2009/10/03(土) 08:11:26
龐統なら魯粛が孫権に引き合わせてるけど顔wってことで任官せず
魯粛が次に紹介したのが劉備で
劉備もなんだこの顔はと低い役職しか与えなかったが
魯粛の進言により面倒な仕事を与えてみた所見事にこなした
劉備は喜んで諸葛亮と同じ位に引き上げた
魯粛が次に紹介したのが劉備で
劉備もなんだこの顔はと低い役職しか与えなかったが
魯粛の進言により面倒な仕事を与えてみた所見事にこなした
劉備は喜んで諸葛亮と同じ位に引き上げた
120: 名無し 2009/10/04(日) 03:06:29
人相が悪いのか?ブサイクとかでなく。
121: 名無し 2009/10/04(日) 10:16:08
いや、悪人面とかではなくて
いわゆる「君子然」としたところが少しもなかったらしい。
昔からあの国ではそれなりの重職に就く人間は
押し出しが立派とか名家の出らしい気品や
鷹揚さとかの資質が求められた。
でないと部下が「この上役、大丈夫か?」と不安になる。
武将だったら仁王のように体格雄大、鬼瓦のような顔でも
「つ、強そう・・」とかえってプラス効果も
期待できるんだけどね。
いわゆる「君子然」としたところが少しもなかったらしい。
昔からあの国ではそれなりの重職に就く人間は
押し出しが立派とか名家の出らしい気品や
鷹揚さとかの資質が求められた。
でないと部下が「この上役、大丈夫か?」と不安になる。
武将だったら仁王のように体格雄大、鬼瓦のような顔でも
「つ、強そう・・」とかえってプラス効果も
期待できるんだけどね。
122: 名無し 2009/10/04(日) 18:29:19
水鏡に見出されるまでは容姿も達振る舞いも
トロそうでパッとしなかったんじゃなかったっけ、確か。
功を急ぐ辺りも、さち薄い人生を歩んできたような印象を受けたが。
トロそうでパッとしなかったんじゃなかったっけ、確か。
功を急ぐ辺りも、さち薄い人生を歩んできたような印象を受けたが。
123: 名無し 2009/10/04(日) 19:49:04
そういう意味では、水鏡先生に助けられた人物だよな。
おかげで、寿命は縮んだが。
おかげで、寿命は縮んだが。
124: 名無し 2009/10/04(日) 21:07:21
でも歴史に名を残した。
これだけでもすごいことだ
これだけでもすごいことだ
130: 名無し 2009/10/10(土) 10:29:04
龐統は呉に仕官する気はあった
魯粛に頼まれて孫権に会ったときの仕事は
シュウユの遺骸を届ける大任だったが孫権が任官を拒否
仕方なく魯粛は当時味方だった劉備に紹介
任官したが県令をさせられて罷免になった
これを聞いた魯粛は劉備への手紙の中で
「龐統は大役を与えてこその人物」と薦め
諸葛亮も取り成したので再び劉備に召し抱えられ、
諸葛亮と同じ役職である軍師中郎将に任命される。
よほど魯粛とはウマがあったようだ。
劉備は孫権に妹との結婚で会ったあと
孫権については大人の器でないと酷評しているのだが・・・
魯粛に頼まれて孫権に会ったときの仕事は
シュウユの遺骸を届ける大任だったが孫権が任官を拒否
仕方なく魯粛は当時味方だった劉備に紹介
任官したが県令をさせられて罷免になった
これを聞いた魯粛は劉備への手紙の中で
「龐統は大役を与えてこその人物」と薦め
諸葛亮も取り成したので再び劉備に召し抱えられ、
諸葛亮と同じ役職である軍師中郎将に任命される。
よほど魯粛とはウマがあったようだ。
劉備は孫権に妹との結婚で会ったあと
孫権については大人の器でないと酷評しているのだが・・・
131: 名無し 2009/10/10(土) 17:32:20
漢中
劉備、馬超、黄忠、趙雲、魏延、法正
益州
劉禅、張飛、糜竺、糜芳、陳グン、張松
荊州(中央)
諸葛亮、陳珪、陳登
荊州(北伐)
関羽、関平、徐庶、馬良、ホウ徳
荊州(対呉)
劉封、ホウ統、士仁
上庸
張任、孟達
その他は史実に従う
それでもこんな感じで実現していたら…
実現していたらきっと何とかしてくれる…!!
劉備、馬超、黄忠、趙雲、魏延、法正
益州
劉禅、張飛、糜竺、糜芳、陳グン、張松
荊州(中央)
諸葛亮、陳珪、陳登
荊州(北伐)
関羽、関平、徐庶、馬良、ホウ徳
荊州(対呉)
劉封、ホウ統、士仁
上庸
張任、孟達
その他は史実に従う
それでもこんな感じで実現していたら…
実現していたらきっと何とかしてくれる…!!
136: 名無し 2009/10/10(土) 19:29:33
>>131
ホウ徳や陳羣がいるのが涙ぐましいなw
ホウ徳や陳羣がいるのが涙ぐましいなw
132: 名無し 2009/10/10(土) 17:39:19
荊州の対呉メンツひどすぎ。
相手は呂蒙と陸遜だぞ?
相手は呂蒙と陸遜だぞ?
133: 名無し 2009/10/10(土) 18:27:25
>>132
対呉はあくまでも戦わないこと、寝返らないことが主眼だす。
そして最悪の事態(呉の侵攻)でも少しでも時間を稼ぐことだす。
対呉はあくまでも戦わないこと、寝返らないことが主眼だす。
そして最悪の事態(呉の侵攻)でも少しでも時間を稼ぐことだす。
135: 名無し 2009/10/10(土) 19:01:51
対呉なら龐統たちはむしろ寝返りやすい面々なんだが…
138: 名無し 2009/10/10(土) 20:22:35
>>135
劉封の頭には、はなから寝返りの選択肢はないだす。
史実でも素直に成都に戻るくらいだすから。
逆にちゃんと情勢を把握し戦略を立てられる頭脳(ホウ統)があれば
優秀な武将だす。
劉封の頭には、はなから寝返りの選択肢はないだす。
史実でも素直に成都に戻るくらいだすから。
逆にちゃんと情勢を把握し戦略を立てられる頭脳(ホウ統)があれば
優秀な武将だす。
134: 名無し 2009/10/10(土) 18:41:00
呂蒙と陸遜相手じゃ誰が相手でも勝ち目ないよ
田舎者相手に流れ矢(笑)で死んでるような奴じゃ尚更
田舎者相手に流れ矢(笑)で死んでるような奴じゃ尚更
138: 名無し 2009/10/10(土) 20:22:35
>>134
鳳雛と呼ばれるだけの実力があることを前提とすれば
ホウ統がいれば呂蒙の仮病も見抜けるはずで
そうなれば呉との開戦がまず延びるはずなのだす。
鳳雛と呼ばれるだけの実力があることを前提とすれば
ホウ統がいれば呂蒙の仮病も見抜けるはずで
そうなれば呉との開戦がまず延びるはずなのだす。
139: 名無し 2009/10/10(土) 22:14:19
呂蒙はまるきりの仮病ではない。
彼はもともと病がちだったのでそれが重くなったと称した。
そこまで見抜くのはだれでも無理だろう。むろん龐統でも。
自分の病すら策に使うのが呂蒙の凄み。
彼はもともと病がちだったのでそれが重くなったと称した。
そこまで見抜くのはだれでも無理だろう。むろん龐統でも。
自分の病すら策に使うのが呂蒙の凄み。
140: 名無し 2009/10/11(日) 01:05:49
っていうかさ、ホウ統が生き残ってる前提で法正は抜擢されるのか?
確かに蜀入りの功績は大きいし、本人の才覚もあるだろうが
蜀入りに劉備の新規参謀として抜擢されたばかりのホウ統がいるんだし
先にこっち使うだろう。周りに認めさせるにしても、実績にしても
確かに蜀入りの功績は大きいし、本人の才覚もあるだろうが
蜀入りに劉備の新規参謀として抜擢されたばかりのホウ統がいるんだし
先にこっち使うだろう。周りに認めさせるにしても、実績にしても
141: 名無し 2009/10/11(日) 02:53:13
215年に魯粛と呂蒙に侵攻されたさいも、
荊州に関羽がいて劉備も援軍に駆けつけれる状況で
長沙・桂陽・零陵が奪われている。
また、呉は荊州の所有権を主張してるが、
そもそも荊州の所有権は劉備の同盟者である劉表の子の劉琦にあり、
劉琦の死後、荊州牧になった劉備にある。
呉が主張できる理由は
劉備が涼州を手に入れたら荊州の全領地を返しますって言葉のせい。
正面から侵攻されても防げる可能性は低く、
政治的にも呉の侵攻に正当性があるかのようになってしまっている。
ぶっちゃけ魯粛のせい。
ホウ統がいるなら呉に使者に行って
そのまま呉の張鉱のように呉の劉備派の人間として
孫権助けるのがいいのではないだろうか。
呉が北に侵攻するさいも
蜀から劉封・趙雲・麋芳を使い捨てられるの覚悟で
援軍として派遣して呉の勢力拡大助ける。
劉封・趙雲・麋芳は将軍としても有能で裏切る可能性が低い。
裏切っても呉の劉備派と活動してくれそうだから。
一番の問題は劉備が孫権をなめてる事。
関羽もなめてたし、後の歴史を知らない限りは呉に譲歩する気はないかもしれない。
荊州に関羽がいて劉備も援軍に駆けつけれる状況で
長沙・桂陽・零陵が奪われている。
また、呉は荊州の所有権を主張してるが、
そもそも荊州の所有権は劉備の同盟者である劉表の子の劉琦にあり、
劉琦の死後、荊州牧になった劉備にある。
呉が主張できる理由は
劉備が涼州を手に入れたら荊州の全領地を返しますって言葉のせい。
正面から侵攻されても防げる可能性は低く、
政治的にも呉の侵攻に正当性があるかのようになってしまっている。
ぶっちゃけ魯粛のせい。
ホウ統がいるなら呉に使者に行って
そのまま呉の張鉱のように呉の劉備派の人間として
孫権助けるのがいいのではないだろうか。
呉が北に侵攻するさいも
蜀から劉封・趙雲・麋芳を使い捨てられるの覚悟で
援軍として派遣して呉の勢力拡大助ける。
劉封・趙雲・麋芳は将軍としても有能で裏切る可能性が低い。
裏切っても呉の劉備派と活動してくれそうだから。
一番の問題は劉備が孫権をなめてる事。
関羽もなめてたし、後の歴史を知らない限りは呉に譲歩する気はないかもしれない。
142: 名無し 2009/10/11(日) 07:31:50
周ユにはびびってただろうけど孫権以下はなめてたんだろうな
諸葛亮の隆中対もそんな感じだし
諸葛亮の隆中対もそんな感じだし
143: 名無し 2009/10/11(日) 19:40:36
年齢的なものもあったんじゃないか。
諸葛亮は若かったにせよ劉備や関羽は
孫権や呂蒙、陸遜とは一回り以上離れているしな。
しょせんは若造だとあなどっていたのかもしれん。
諸葛亮は若かったにせよ劉備や関羽は
孫権や呂蒙、陸遜とは一回り以上離れているしな。
しょせんは若造だとあなどっていたのかもしれん。
144: 名無し 2009/10/11(日) 20:06:10
逆だろ。
もう夷陵の頃には、体がついていってない感じだ。
関羽自信、「わしも歳をとったもんだ」と泣き言言ってるくらいだし
もう夷陵の頃には、体がついていってない感じだ。
関羽自信、「わしも歳をとったもんだ」と泣き言言ってるくらいだし
145: 名無し 2009/10/13(火) 10:19:00
樊城を落とせてたらな~ それでも厳しいかな
146: 名無し 2009/10/13(火) 13:47:58
麦城が樊城になるだけだな。
147: 名無し 2009/10/14(水) 20:14:21
荊州で両面作戦をやらかすことだけは避けなければならない。
かつ、
呉の生命線は長江の防衛ラインなので、
「いつかは」荊州は確実に獲りにくる。
つまり荊州からの北上という戦略自体が非常にリスキーということ。
安全策としては、関羽に北上させず専守防衛に徹せさせることが望ましい。
それでもなおリスクを犯して荊州からの北上を成功させるには、
呉による荊州侵攻を断念させる何かが必要。
外交的手段ないしは取引により荊州侵攻の意欲を失わせるか、
戦術的に決定的な優位を見せ付けて勝ち目がないと断念させるか。
それがかなわなければ両面作戦となるわけで、
江東方面に対する防御体勢を整えて凌ぐしかない。
とはいえ、もはや取引云々ではどうにもならない段階というか、
そもそも劉備陣営が孫権の本気度を大きく見誤っている以上、
取引をして譲歩してでも孫権にこらえてもらわなければいけないという
危機意識が劉備陣営にない。
大体その「いつか」がまさにこの時なんだから、
交渉が成功するというか交渉そのものに応じてもらえる見込みが、ない。
荊州失陥の最大の要因を、手際のよい速攻を許したこと、
つまり呉の侵攻のリスクを軽視して備えが甘かったことに求めるならば、
ホウ統が生きていた場合の役割の第一は、
そのリスクをあらかじめ警告してもう少し呉方面への防衛体制を強化させる、
ということにある。
具体的には、荊州の戦力の割り振りの見直しであり、
あるいは益州方面からの増援
(必然的に、征服して間もない益州方面の統治に負担はかかる)
をやりくりしてもらうようにすること。
もちろんそれで荊州を守りきれるとは限らないが、
呉の急襲に対していくらかでも有効な抵抗
(最低限時間稼ぎ程度でも)ができれば、
北方の関羽が戦線を再構築する余裕も出てくるので、
多少は見込みが出てくる、かもしれない。
かつ、
呉の生命線は長江の防衛ラインなので、
「いつかは」荊州は確実に獲りにくる。
つまり荊州からの北上という戦略自体が非常にリスキーということ。
安全策としては、関羽に北上させず専守防衛に徹せさせることが望ましい。
それでもなおリスクを犯して荊州からの北上を成功させるには、
呉による荊州侵攻を断念させる何かが必要。
外交的手段ないしは取引により荊州侵攻の意欲を失わせるか、
戦術的に決定的な優位を見せ付けて勝ち目がないと断念させるか。
それがかなわなければ両面作戦となるわけで、
江東方面に対する防御体勢を整えて凌ぐしかない。
とはいえ、もはや取引云々ではどうにもならない段階というか、
そもそも劉備陣営が孫権の本気度を大きく見誤っている以上、
取引をして譲歩してでも孫権にこらえてもらわなければいけないという
危機意識が劉備陣営にない。
大体その「いつか」がまさにこの時なんだから、
交渉が成功するというか交渉そのものに応じてもらえる見込みが、ない。
荊州失陥の最大の要因を、手際のよい速攻を許したこと、
つまり呉の侵攻のリスクを軽視して備えが甘かったことに求めるならば、
ホウ統が生きていた場合の役割の第一は、
そのリスクをあらかじめ警告してもう少し呉方面への防衛体制を強化させる、
ということにある。
具体的には、荊州の戦力の割り振りの見直しであり、
あるいは益州方面からの増援
(必然的に、征服して間もない益州方面の統治に負担はかかる)
をやりくりしてもらうようにすること。
もちろんそれで荊州を守りきれるとは限らないが、
呉の急襲に対していくらかでも有効な抵抗
(最低限時間稼ぎ程度でも)ができれば、
北方の関羽が戦線を再構築する余裕も出てくるので、
多少は見込みが出てくる、かもしれない。
148: 名無し 2009/10/14(水) 21:35:26
しかし関羽がその意見を聞き入れるとは思えない。
彼も呉をなめきっているから。
彼も呉をなめきっているから。
150: 名無し 2009/10/15(木) 00:35:10
魏の援軍が来る前に襄陽だけでも落ちていたら、
長江を天然の堀として関羽も戦力を温存したまま防衛に専念でき、
呉に進出を躊躇わせて益州からの援軍を待つ猶予を稼げた・・・
かもしれない・・・
長江を天然の堀として関羽も戦力を温存したまま防衛に専念でき、
呉に進出を躊躇わせて益州からの援軍を待つ猶予を稼げた・・・
かもしれない・・・
154: 名無し 2009/10/15(木) 12:14:59
どうせ荊州取られるんだったら、
蜀入りした時に全郡を呉にくれてやって、同盟結べば良かったね。
それなら呉も誠意を感じて、春秋の晋と宋みたいに
長期に渡る信頼関係を築けたかも知れない。
そうなれば東側の心配は無くなるし、
関羽や馬良のような優秀な人材を失う事もなく、
魏とももう少しいい勝負が出来たかも知れん。
蜀入りした時に全郡を呉にくれてやって、同盟結べば良かったね。
それなら呉も誠意を感じて、春秋の晋と宋みたいに
長期に渡る信頼関係を築けたかも知れない。
そうなれば東側の心配は無くなるし、
関羽や馬良のような優秀な人材を失う事もなく、
魏とももう少しいい勝負が出来たかも知れん。
155: 名無し 2009/10/15(木) 20:53:49
関羽や馬良や諸葛亮その他大勢が大反対するだけ
いくら劉備でもそこまでして士大夫の支持を得られるだろうか
いくら劉備でもそこまでして士大夫の支持を得られるだろうか
156: 名無し 2009/10/15(木) 23:44:13
しかし、劉備軍側で能動的に出来ることで一番実現可能なのが
荊州撤退なんだよな。
少なくとも曹仁撃破や呉撃退よりは・・・。
もし荊州陥落や夷陵で失った人材と兵が
諸葛亮の第一次北伐で存続していたら歴史は変わっていたかも知れない・・・。
その時は呉とももっと友好的で連携行動もずっと上手くいっていたかも・・・。
荊州撤退なんだよな。
少なくとも曹仁撃破や呉撃退よりは・・・。
もし荊州陥落や夷陵で失った人材と兵が
諸葛亮の第一次北伐で存続していたら歴史は変わっていたかも知れない・・・。
その時は呉とももっと友好的で連携行動もずっと上手くいっていたかも・・・。
157: 名無し 2009/10/16(金) 00:14:08
まあ、その辺は結果を知ってる後世の人間だから言える事であって、
実際にはかなり無理があるでしょ。他の人間が納得するとは思えない。
劉備も荊州の名士層は取り込んでおきたいだろうし。
実際にはかなり無理があるでしょ。他の人間が納得するとは思えない。
劉備も荊州の名士層は取り込んでおきたいだろうし。
158: 名無し 2009/10/16(金) 00:23:05
>>156
実力相応に利口な選択なんだろうが、
理屈と感情は別物だから部下の求心力を維持出来ないだろう
呉蜀の仲たがいは必然なんじゃないかな
どっかで折り合いつける切っ掛けが夷陵の負けと関羽、劉備の死というだけで
これが夷陵の勝ちや陸遜、孫権の死だった可能性もある
蜀の理想としては呉を併呑するか
徹底的に去勢して揚州をおいしく頂くまで
しっかり専守防衛だけさせておくような状況
実力相応に利口な選択なんだろうが、
理屈と感情は別物だから部下の求心力を維持出来ないだろう
呉蜀の仲たがいは必然なんじゃないかな
どっかで折り合いつける切っ掛けが夷陵の負けと関羽、劉備の死というだけで
これが夷陵の勝ちや陸遜、孫権の死だった可能性もある
蜀の理想としては呉を併呑するか
徹底的に去勢して揚州をおいしく頂くまで
しっかり専守防衛だけさせておくような状況
159: 名無し 2009/10/16(金) 00:27:17
>>158
呉の紛争中に張飛も死んでるね
これは自業自得なのかもわからんが
呉の紛争中に張飛も死んでるね
これは自業自得なのかもわからんが
161: 名無し 2009/10/16(金) 16:01:33
劉備が孫権を騙して蜀を取ったって事を忘れてる
劉備の発言が無ければ、呉は蜀を攻めてた訳だし、
蜀入りの時点で呉との関係は相当険悪なものになってたんじゃなかろうか
だから荊州返したくらいで、信頼関係が結べるとはとても思えないんだが…
劉備の発言が無ければ、呉は蜀を攻めてた訳だし、
蜀入りの時点で呉との関係は相当険悪なものになってたんじゃなかろうか
だから荊州返したくらいで、信頼関係が結べるとはとても思えないんだが…
162: 名無し 2009/10/16(金) 17:41:00
呉の立場では
長江を防衛ラインにするなら
最終的には益州まで確保しなければ意味がない
(現に、呉を下した晋軍の進軍ルートは益州荊州から長江を下るルートだった)
荊州を呉に「返還」して和を乞うのは、
鶏を狼に与えて羊の番を頼むようなもの
どうして同盟をうまく維持できるだろうか
また、益州からの北上は険しい山岳に、
江東および江南からの北上は広い大河に阻まれる
劉備にとっても孫権にとっても
中原を目指すのに比較的進軍がたやすいのが荊州である
荊州こそが攻防の要だった
むしろいかなる犠牲を払ってでも守り抜かなければならない
(あるいは奪い取る必要がある)
長江を防衛ラインにするなら
最終的には益州まで確保しなければ意味がない
(現に、呉を下した晋軍の進軍ルートは益州荊州から長江を下るルートだった)
荊州を呉に「返還」して和を乞うのは、
鶏を狼に与えて羊の番を頼むようなもの
どうして同盟をうまく維持できるだろうか
また、益州からの北上は険しい山岳に、
江東および江南からの北上は広い大河に阻まれる
劉備にとっても孫権にとっても
中原を目指すのに比較的進軍がたやすいのが荊州である
荊州こそが攻防の要だった
むしろいかなる犠牲を払ってでも守り抜かなければならない
(あるいは奪い取る必要がある)
164: 名無し 2009/10/17(土) 21:22:45
周瑜の策では呉は蜀を攻める計画だったが、周瑜があぼーんして計画は中止
劉備の発言が無くても、当時の孫権に蜀を攻める気は無かった
でも劉備が約束破って蜀取ったので、
孫権は労せずして荊州攻める口実得たのでメシウマ
こういう事でしょうか
劉備の発言が無くても、当時の孫権に蜀を攻める気は無かった
でも劉備が約束破って蜀取ったので、
孫権は労せずして荊州攻める口実得たのでメシウマ
こういう事でしょうか
165: 名無し 2009/10/17(土) 22:46:13
だいたい赤壁前後の劉備と孫権の関係が今ひとつわかりにくいなぁ
166: 名無し 2009/10/18(日) 10:52:25
孫権→地方軍閥。正式な地位は会稽太守でしかないが故劉表と同等の軍事力
劉備→29歳時に左将軍、豫州牧に任命されており家臣も全国区の知名度。
だが曹操にやぶれ故劉表の下位同盟者。軍勢2万根拠地無し
劉備→29歳時に左将軍、豫州牧に任命されており家臣も全国区の知名度。
だが曹操にやぶれ故劉表の下位同盟者。軍勢2万根拠地無し
167: 名無し 2009/10/18(日) 17:50:29
魏側からみれば「孫権?知らん」ってところ
168: 名無し 2009/10/19(月) 00:33:55
いや、そういう基本情報レベルのことじゃなくて
劉備と孫権の「同盟」とはなんであったのかということだろ?
独立した勢力同士の対等な同盟だったのか、
吸収合併的なものであったのか、
それとも同盟とまではいえないような
せいぜい共同戦線程度の協力関係に過ぎなかったのか
確かにそのアタリの解釈は結構いろんな説はあるっぽいけどね
ホウ統の移籍のいきさつや赤壁後の荊州統治体勢、
周ユの益州攻めや関羽や張飛を戦力として勘定した戦略からして
どうも吸収合併だったような気がする
劉備と孫権の「同盟」とはなんであったのかということだろ?
独立した勢力同士の対等な同盟だったのか、
吸収合併的なものであったのか、
それとも同盟とまではいえないような
せいぜい共同戦線程度の協力関係に過ぎなかったのか
確かにそのアタリの解釈は結構いろんな説はあるっぽいけどね
ホウ統の移籍のいきさつや赤壁後の荊州統治体勢、
周ユの益州攻めや関羽や張飛を戦力として勘定した戦略からして
どうも吸収合併だったような気がする
169: 名無し 2009/10/19(月) 11:16:41
>>168
劉備は人の下についたことは何度もあるが
常に自己の勢力は別に持ってたから吸収するのは無理だろ
赤壁自体正史みても
孫権は出てこないし、呉の大将は二人居るし、
呉軍に劉備に対する命令権なかったし、魏は劉備に負けたって書いてるし
軍としては赤壁時の劉備軍と呉軍は対等といっていい。
シュウユだけに任されてたなら
劉備軍に「依頼」という形で命令できたかもしれんが
呉軍自体がまとまってないからそんな状況じゃなかった。
劉備は人の下についたことは何度もあるが
常に自己の勢力は別に持ってたから吸収するのは無理だろ
赤壁自体正史みても
孫権は出てこないし、呉の大将は二人居るし、
呉軍に劉備に対する命令権なかったし、魏は劉備に負けたって書いてるし
軍としては赤壁時の劉備軍と呉軍は対等といっていい。
シュウユだけに任されてたなら
劉備軍に「依頼」という形で命令できたかもしれんが
呉軍自体がまとまってないからそんな状況じゃなかった。
171: 名無し 2010/02/18(木) 03:27:14
赤壁の勝利の後に劉備が孫権に
「荊州を都督したいと求め、魯粛一人が劉備に貸して曹操に備えるように進めた」
記述が魯粛の伝にあるな。
単刀赴会の魯粛の強気な発言からも、
荊州の領有問題に関しては呉にかなりの分が見て取れる。
「涼州が手に入れば荊州を返しましょう」という発言もそのまま取れば
荊州は借りているだけで領有権は呉に在るということを認める発言だし。
「荊州を都督したいと求め、魯粛一人が劉備に貸して曹操に備えるように進めた」
記述が魯粛の伝にあるな。
単刀赴会の魯粛の強気な発言からも、
荊州の領有問題に関しては呉にかなりの分が見て取れる。
「涼州が手に入れば荊州を返しましょう」という発言もそのまま取れば
荊州は借りているだけで領有権は呉に在るということを認める発言だし。
160: 名無し 2009/10/16(金) 14:11:13
関羽は士大夫嫌いだったらしいが、外見で割り食って出世の遅れた龐統なら、
案外嫌われないかも知れないな。
孫権に仕官断られた事を根に持っていれば、対呉でも関羽と意識が共有可。
さらに、龐統の人物評が的確な才能であれば、蜀陣営の孫権に対する甘さを
指摘する大きな役割も担えるだろう。
この人、関羽と北上したりするよりも、荊州本拠で権謀術数を操ってる方が
良い気がするな・・・・・流矢もあるが、客観的・大局的に戦局を捉える能力は
結構高いと思うので。
魯粛が推挙した理由として、そういう戦略性の高さがあると推測してみる。
魯粛自身が希代の戦略家なので、同種の龐統を計る物差しは的確だと思う。
軍事に長けているとして、龐統は戦の実績も無く、説得力に欠ける気が。
案外嫌われないかも知れないな。
孫権に仕官断られた事を根に持っていれば、対呉でも関羽と意識が共有可。
さらに、龐統の人物評が的確な才能であれば、蜀陣営の孫権に対する甘さを
指摘する大きな役割も担えるだろう。
この人、関羽と北上したりするよりも、荊州本拠で権謀術数を操ってる方が
良い気がするな・・・・・流矢もあるが、客観的・大局的に戦局を捉える能力は
結構高いと思うので。
魯粛が推挙した理由として、そういう戦略性の高さがあると推測してみる。
魯粛自身が希代の戦略家なので、同種の龐統を計る物差しは的確だと思う。
軍事に長けているとして、龐統は戦の実績も無く、説得力に欠ける気が。
175: 名無し 2010/03/08(月) 07:14:56
>>160
それ以前にホウトウは劉備に高く買われて
孔明と同じ地位を与えられてたから関羽も邪険には出来ないだろう。
フシジンやビホウとは扱われかたが違う。
後ホウトウはせっかく高く買われているのに
劉備にたいしても歯に衣を着せぬ言い方するし、
関羽に対しても言いたいことがあれば何でも言うだろう。
それ以前にホウトウは劉備に高く買われて
孔明と同じ地位を与えられてたから関羽も邪険には出来ないだろう。
フシジンやビホウとは扱われかたが違う。
後ホウトウはせっかく高く買われているのに
劉備にたいしても歯に衣を着せぬ言い方するし、
関羽に対しても言いたいことがあれば何でも言うだろう。
178: 名無し 2010/03/08(月) 11:04:35
>>175
無理。
ホウ統がなんとかできるのなら潘濬がしてる。
むしろ潘濬クラスがいてもどうにもならないのが関羽。
無理。
ホウ統がなんとかできるのなら潘濬がしてる。
むしろ潘濬クラスがいてもどうにもならないのが関羽。
197: 名無し 2010/03/08(月) 21:35:23
>>178
ホウ統は軍師中郎将として
劉備直営軍の指揮を分担していたと考えられる幹部だから
死亡時点で潘濬より下ってことはないな
ホウ統は軍師中郎将として
劉備直営軍の指揮を分担していたと考えられる幹部だから
死亡時点で潘濬より下ってことはないな
181: 名無し 2010/03/08(月) 11:42:03
>>178
潘濬ってそんなにすごいの?
なんか業績あったっけ?
潘濬ってそんなにすごいの?
なんか業績あったっけ?
183: 名無し 2010/03/08(月) 12:00:24
>>181
ホウ統が魯粛と諸葛亮に推挙されてやっと冶中従事になったが
ホウ統が魯粛と諸葛亮に推挙されてやっと冶中従事になったが
それより前に冶中従事になってるな。
185: 名無し 2010/03/08(月) 12:37:01
>>183
ホウ統は流浪の人だったから
最初はその真価に気がつかなかった劉備が県令にしたのも無理はない
推挙でいきなり治中従事になった事がむしろ非凡
それ以前から官職にあったものは比較的高位にいられるだろう
黄忠はそれまでのキャリアで張飛よりもずっと早く将軍位にいるけど
黄忠>>>>>>>張飛なんて事にはならないだろう
ホウ統は流浪の人だったから
最初はその真価に気がつかなかった劉備が県令にしたのも無理はない
推挙でいきなり治中従事になった事がむしろ非凡
それ以前から官職にあったものは比較的高位にいられるだろう
黄忠はそれまでのキャリアで張飛よりもずっと早く将軍位にいるけど
黄忠>>>>>>>張飛なんて事にはならないだろう
186: 名無し 2010/03/08(月) 14:09:45
>>185
>ホウ統は流浪の人
ああ、ごめん演義の話か。
正史なら名声が高く、人が集まってくるほどだし。
>ホウ統は流浪の人
ああ、ごめん演義の話か。
正史なら名声が高く、人が集まってくるほどだし。
189: 名無し 2010/03/08(月) 16:23:56
>>186
正史でも無位無官だったよ
名声の事は別にいってないし
少なくとも長年官位にあったキャリアを持つ人じゃない
正史でも無位無官だったよ
名声の事は別にいってないし
少なくとも長年官位にあったキャリアを持つ人じゃない
198: 名無し 2010/03/08(月) 21:45:11
>>189
史実のホウ統は南郡太守周瑜の功曹。
簡単にいうと「地元代表官吏ナンバーワン」
南郡が劉備の支配化に入ったので
そのままスライドして荊州牧に所属し、従事兼耒陽令となる。
つまり側近の地位を確保したまま県の行政長官になるという厚遇ぶり。
劉備はホウ統の実務処理能力に期待したと考えられる。
しかし、ホウ統は県令のような煩瑣な統治実務に向いた人間ではなく、
行政理論・戦略理論に秀でた
人間だったので治績が上がらず免官となった。
そこで諸葛亮や魯粛が慌てて
「それは適材適所じゃないっすよ」と、従事のポストに戻した、という流れ。
ちなみに治中・別駕などの従事は秩百石。県令は秩六百石。
史実のホウ統は南郡太守周瑜の功曹。
簡単にいうと「地元代表官吏ナンバーワン」
南郡が劉備の支配化に入ったので
そのままスライドして荊州牧に所属し、従事兼耒陽令となる。
つまり側近の地位を確保したまま県の行政長官になるという厚遇ぶり。
劉備はホウ統の実務処理能力に期待したと考えられる。
しかし、ホウ統は県令のような煩瑣な統治実務に向いた人間ではなく、
行政理論・戦略理論に秀でた
人間だったので治績が上がらず免官となった。
そこで諸葛亮や魯粛が慌てて
「それは適材適所じゃないっすよ」と、従事のポストに戻した、という流れ。
ちなみに治中・別駕などの従事は秩百石。県令は秩六百石。
235: 名無し 2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN ID:rgEiPrLl!.net
でも演義読んでて、孔明と並び称される軍師の割には一体
どこが凄かったのか分からない内に退場、って感じはあるな
どこが凄かったのか分からない内に退場、って感じはあるな
コメント
コメント一覧 (3)
ゲームだとすごい強いんだけど、ほんとにそれだけの能力があったんだろうか
管理人:歴史好き
が
しました
関羽が死んで荊州が落ちたあたりで魏の勝ち確になって急激に冷めるわ。
呉も自分たちの論理に基づいて行動したんだろうが水差し野郎としか思えない。
管理人:歴史好き
が
しました
管理人:歴史好き
が
しました
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