1868年明治時代

倒幕に活躍した元薩摩藩・長州藩の人間が中心となった明治政府は

明治政府の基本方針を示したものとして、五箇条のご誓文を出した。

そして、
土地と人民を政府に返還させる版籍奉還
藩を廃止して府や県を置く廃藩置県を実施する。

また、
士農工商の身分を廃止する四民平等
「えた」「ひにん」の身分を廃止する解放令を出すなど改革を行った。


新しい身分制度として
 天皇一族は皇族大名・公家は華族
   武士は士族百姓・町人は平民とした。

 

欧米列強の強さを目の当たりにした日本は、
欧米に追いつくため3つの富国強兵政策をとった。

①地券を発行し地価の3%を税として現金で治める地租改正(のちに2.5%)
②義務教育を柱とする学制
③20歳になった男子は兵隊になる徴兵令

 

 

また近代産業を育てる殖産興業にも力を入れた。
官営の模範工場として群馬県に富岡製糸場をつくり。
新橋・横浜間に鉄道が開通した(1872年)

北海道には開拓使を置き、屯田兵が開発を行った。

このような明治初期に行われたさまざまな改革を明治維新という。


明治時代になると
欧米の文化(太陽暦・洋服・肉食・ランプ・レンガ・馬車・ガス灯)
日本に入ってきた 。これを文明開化という。


外国との交流
「近隣諸国との関係」

1871年
中国(清)と日清修好条規

1875年
ロシアと樺太千島交換条約

1875年
江華島事件をきっかけに朝鮮と日朝修好条規(日本有利の不平等条約)

1879年
琉球を沖縄県とした(琉球処分

1871年
明治政府は条約改正のために岩倉使節団をアメリカ・ヨーロッパに派遣する。

条約改正の交渉は失敗するものの、欧米の進んだ制度を直に学び、
それが日本の近代化に活かされていく。
※岩倉使節団には津田梅子が最年少8歳で同行した。


1873年
西郷隆盛
板垣退助は朝鮮に武力で開国をせまる征韓論を主張。

しかし大久保利通などに反対され2人は政府を去る(明治六年の政変)。

1877年
特権を奪われ不満を持っていた武士は西郷を中心に西南戦争を起こすが失敗。

 

1874年
板垣は武力に頼らない運動を始める。
当時は倒幕に活躍した旧薩摩藩・長州藩の人間が政府の役職を独占し、
政治を行っていた(藩閥政治)。そのため国民に参政権がなかった。
板垣は国会の開設などを求めて民撰議院の設立建白書を政府に提出する。

 

その後、高知県に立志社という団体をつくり、国民の参政権を確立するため自由民権運動を始めた。
大阪では国会期成同盟が結成されるなど、運動は全国に広まった。

これらの運動により、政府は国会を開くことに同意した。
国会が開かれることが決定した後、板垣退助自由党を、大隈重信立憲改進党を結成。

 

1885年
政府は国会の建設前に内閣を設立初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任した。

1889年

伊藤はドイツ(プロイセン)の憲法を学び大日本帝国憲法をつくった

↑ドイツは君主権が強く、天皇大権を目指す日本にとって都合が良かったから

※プロイセン=ドイツの前の名前   ※君主=王や皇帝のこと

 

1890年
第一回帝国議会(今の国会)が開かれる。
これは選挙で選ばれた議員からなる衆議院皇族・華族からなる貴族院との二院制であった。
しかし衆議院の選挙権が与えられたのは
直接国税を15円以上おさめる25歳以上の男子で、
人口に対する割合は1.1%でしかなかった。

 

1890年
親への孝行や法を重んじることの大切さを説く教育勅語が発布された。

 

日本は鹿鳴館を建てるなど欧化政策(日本が欧米と同様に近代国家であると示そうとした政策)
を進め、着々と力をつけつつあったが、欧米に対抗するには外交面での力が足りなかった。
しかし、イギリス人船長が日本人乗客を見殺しにしたノルマントン号事件を契機に、
領事裁判権を廃止する世論が高まった。

1894年
陸奥宗光はイギリスと交渉し領事裁判権を撤廃することに成功した。

1911年
関税自主権小村寿太郎がアメリカと交渉し回復する

 

日本の産業革命は、
日清戦争前後に軽工業(主に紡績業=糸づくり)を中心に起こった。
1901年
日清戦争の賠償金により九州に八幡製鉄所を建設し
重工業(鉄工業のこと)が
発達していく。
また、三井・三菱・住友・安田などが財閥に成長していった。

 

このころ足尾銅山鉱毒事件が起こる。
鉱毒で渡良瀬川下流(栃木県)が農業不能になった件について、
田中正造が国会議員として政府を追及した。

 

1894日清戦争・1904日露戦争・1914第一次世界大戦

1894年
朝鮮でおきた甲午農民戦争(東学党の乱)を鎮圧するため、日本と清は朝鮮に出兵。

これを機に日清戦争が勃発する。日本が勝利し、下関条約が結ばれた。

日本は遼東半島台湾を得る。また賠償金2億両(当時の3億円)をもらった。
1895年
フランス・ロシア・ドイツによる三国干渉により
遼東半島は中国に返還

 

日清戦争により“眠れる獅子”と恐れられた清の実力が明らかとなり(=清は弱い)。
欧米列強は中国に進出を始める。
※列強=強い国々のこと 
 イギリス・フランス・ロシア
・アメリカ
 ドイツ・イタリア・オーストリア   
第一次世界大戦後、オーストリアが外れ、日本が入る
 
 

1900年
中国では欧米勢力を追い出そうとする義和団事件が起こる

これを日本・ロシアが中心の列強の連合軍が鎮圧。
ロシアはその後も中国に軍隊を残し、朝鮮を狙っていた。
1902年

ロシアの南下を警戒したイギリスは日本と同盟を結ぶ(日英同盟)。

 

1904年
世界最強国イギリスと同盟を結んだ日本はロシアとの戦いを決意。
日露戦争が勃発する。 

※詩人の与謝野晶子は日露戦争に出兵した弟を心配し、
 「君死にたまふことなかれ」という詩を詠んだ。

日本は東郷平八郎が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破るなど、
大国ロシアを相手に戦争を優位に進め、アメリカの仲介でポーツマス条約を結んだ。
この条約で日本は、南満州鉄道の利権や、樺太の南半分などを得た。

しかし、賠償金はもらえなかったため日本国民の不満がわきおこり、

暴動に発展した(日比谷焼打ち事件)。

 

1910年
ロシアの影響力を朝鮮から追い出した日本は朝鮮を日本の一部にする(韓国併合

1911年&1912年
日本に留学していた孫文が中国に帰り、
清政府を打倒(辛亥革命)し、中華民国を建国する。

 

1914年 第一次世界大戦
ヨーロッパの火薬庫”と言われ、紛争が絶えないバルカン半島で、

オーストリア皇太子がセルビアの少年に暗殺されるというサラエボ事件が勃発。

 

ドイツ・オーストリアの同盟国側とイギリス・フランス・ロシアの連合国側が
戦争を始める。イタリア・日本・アメリカは連合国側に加わり、ドイツは降伏。


1919年
ドイツはパリ講和会議で結ばれたベルサイユ条約で植民地を全て失い、
多額の賠償金を要求される。

 

1917年
ロシアは終戦前にロシア革命が起こったため、戦争の継続が難しくなり、単独で
ドイツと仲直り。その後、レーニンの指導のもと世界最初の社会主義政府ができた。

 

1918年~1922年
社会主義革命の影響が広まるのを恐れた
日本、アメリカ、イギリス、フランスはシベリア出兵でこれに干渉。
ロシアはこれを撃退し、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立する。

 

1920年
ヨーロッパでは2度と戦争が起きないよう、

アメリカのウィルソン大統領の提案に基づき国際連盟が誕生する

ただ、アメリカ・ソ連・ドイツが参加していなかったため、組織としては弱かった。

※提案したウィルソン大統領のアメリカは、アメリカ議会の反対で不参加

 

戦勝国のアメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリアは
ワシントン会議で平和のため海軍の軍縮を決定。
敗れたドイツでは平和国家を目指し、人権を尊重した内容であるワイマール憲法が発布される。

 

第一次世界大戦中、欧米列強の関心がアジアから薄れたのを機に日本は中国に二十一か条の要求
(山東省のドイツ権益を日本に譲る、南満州鉄道の租借期限延長など)をつきつけ一部を認めさせた。

 

中国では、
パリ講和会議で中国の山東省ドイツ権益が日本に引き継がれることが決まった
ことに対し
反日運動(五・四運動)が起こる。


朝鮮では
民衆が「独立万歳」を叫び行進するなどの三・一独立運動が起こった。

 

インドでは
ガンディーネルーがイギリスに対し非暴力・不服従運動を起こした。

大正デモクラシー

1910年
天皇の暗殺を企てたと多くの社会主義者が逮捕され
処刑される(大逆事件)。

 

1918年
シベリア出兵による米の値上がりを予測した商人が米を買い占め、
米価がはね上がった。これに対し米の安売りを求める運動が富山県で始まり、
それが全国に広まった(米騒動)。

米騒動で内閣が倒れると、平民出身の立憲政友会総裁の原敬が首相となり、
立憲政友会の党員が大半の大臣となる本格的な政党内閣が成立した。

 

1923年
関東大震災が起こった。

第一次世界大戦前後、一部の政治家が権力を独占し民衆の意見を無視する態度を
取り始めたので尾崎行雄らが護憲運動(憲法に基づいた民主的な政治を要求する運動)がおこす。
これにともない吉野作造民本主義(民衆が中心の政治)を主張し、
普通選挙を求める運動が広まった。それにより、

1925年
25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法が成立。

同時に治安維持法で社会主義(共産主義)に対する取り締まりも強化された。


このころ労働者による労働運動
農村でも小作料(地主に払う金)の引き下げを求める小作争議が発生。
また部落(江戸時代から差別されていた地域)の解放を求め全国水平社が結成され
平塚らいてう青鞜社をつくり女性の地位向上に活躍するなど、
社会運動が活発に起こった。

このような大正時代の民主化を求める動き・風潮を大正デモクラシーという。
※民主化=国民が政治に参加すること

 

世界恐慌

1929年
第一次世界大戦でボロボロになったヨーロッパに対し、アメリカはたいした被害が
なかったので、資本主義世界の超大国となっていた。そのアメリカ経済の中心地
ニューヨークで株価が大暴落。
アメリカが一気に不況になる。
不況は世界中の資本主義国に広がり、世界中
の国々が不景気になった(世界恐慌)。

 

アメリカは
ダム建設などの公共事業を増やすニューディール政策で失業者を助け、
経済を立て直した。

 

イギリス・フランスは
植民地を多く持っていたため、本国と植民地との間の協力を密接にして(逆に外国
とは関わらない)経済を立て直した。このような経済体制をブロック経済という。

 

ソ連は
社会主義なので関係ない。スターリン5か年計画で経済成長。

日本・ドイツ・イタリアは
植民地を多く持たなかったので、植民地獲得に向けて軍備を拡大しようとした。

 

イタリアではムッソリーニ率いるファシスト党エチオピアを侵略

ドイツではヒトラー率いるナチス党が周辺諸国を侵略。

 

1931満州事変→1933国連脱退→1937日中戦争

1929年
アメリカから起こった世界恐慌の影響で、日本も不況に陥った(昭和恐慌)。


1930年
日本はロンドン軍縮会議に参加し、国民の負担を減らすため軍縮を決定。

→これに対し軍部の不満が爆発し軍部が暴走していく。

 

1931年
中国の柳条湖で満州鉄道を爆破し(柳条湖事件)、満州を占領(満州事変)。

1932年
満州国を建国皇帝は溥儀五・一五事件で首相犬養毅を暗殺した。

 

1933年
国際連盟はリットン調査団の報告に基づき、日本の満州国建国を認めず、

満州からの撤退を要求。反発した日本は国際連盟を脱退、孤立してしまう。

 

1936年
二・二六事件(首相官邸・警視庁をおそう)がおこり軍部が政治的発言力を強める。

 

1937年
北京郊外の盧溝橋で中国軍と銃撃戦を起こし(盧溝橋事件)、日中戦争が始まる。

日本は短期の決着を予想していたが、中国民衆による抗日民族統一戦線

中国に対するアメリカ・ソ連などの支援により戦争は泥沼化。

 

1938年
日本は国家総動員法を発布し、戦争だけに全力を注ぐようになる。

 

1940年
すべての国民が一致して戦争に協力する体制をつくるため大政翼賛会を結成。

 

日本領の朝鮮などでは名前を日本風に変える創氏改名が行われた。

 

1939年第二次世界大戦→1941年太平洋戦争

1939年
ヒトラーに率いられたドイツはソ連と独ソ不可侵条約(お互いに攻め込まないという条約)を結び
右隣のポーランドに侵攻する。これに対しイギリス・フランスはドイツに宣戦布告。
第二次世界大戦が始まった。


1940年
日本・ドイツ・イタリアは日独伊三国軍事同盟を結び結束を強化した。

 

1941年
日本は北方ではソ連と日ソ中立条約を結び安全を確保。
石油を求めて東南アジアに勢力を伸ばすためフランス領のインドシナ南部に軍を進める。
アメリカはこのような日本の行動を警戒し、日本に対する石油の輸出を禁止。
中国からの即時撤退、三国同盟の事実上の破棄などを求める「ハル・ノート」を日本につきつける。
これは日本にとって到底受け入れられるものではなく、日本はアメリカとの戦争を決意する。

 

1941年
日本はハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった。

初めは有利に戦争を進めた日本だったが、次第に苦戦に陥る。

 

1943年
東京で大東亜会議が開かれ、人種差別の撤廃などをうたった大東亜共同宣言が採択された。
その後、日本はアジアから欧米の勢力を排除し、アジア人だけで栄えようとする
大東亜共栄圏」を唱えた。

 

第二次世界大戦でアメリカはイタリア・ドイツ・日本を圧倒。
1943年にイタリアが1945年5月にはドイツが降伏。

残すは日本のみとなり、東京・大阪などの大都市が空襲されるようになったため、
都市の子供達は地方に集団疎開した。日本の敗北は時間の問題となり、

アメリカ・イギリス・ソ連は戦後処理について話し合った(ヤルタ会談)。

 

1945年6月
アメリカはついに沖縄に上陸し激しい戦闘が行われた(沖縄戦)。

 

1945年8月8日
ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し

日本の満州や朝鮮、南樺太、千島列島に侵攻した。

 

1945年8月6日→8月9日→8月15日
広島・長崎へ原子爆弾が投下され、日本は降伏を決意。
連合国(アメリカ・イギリス・ソ連・中国)の出したポツダム宣言を受諾
無条件降伏した


戦後改革と冷戦、日本の高度経済成長

戦後日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に統治される。
→最高司令官はマッカーサー

GHQは日本を民主主義国家にするために、様々な改革を行った。

 

・戦前の軍国主義を経済的に支えたとして財閥が解体される。

・また、教育基本法で小・中学校を義務教育とし

男女普通選挙で、20歳以上全ての男女に選挙権が与えられた。

・農村では農地改革が行われ、地主から土地を奪い、小作人に農地が与えられた。
 その結果、多くの自作農が生まれた。

 ※小作人=地主から土地を借り農作業する農民。地主に小作料を払う
  自作農=自分の土地を持つ農民。

 

1946年
民主化へ向けて日本国憲法がつくられた。
戦前に神とされていた天皇は「日本国の象徴」とされた。

 

日本軍は解体させられ、軍人や政治家は
極東国際軍事裁判(東京裁判)にかけられ裁かれた。


1945年10月
2度の世界大戦が起きたことを反省し、
世界の平和を維持するために国際連合がつくられた。

 

重要なことを決定する安全保障理事会の常任理事国は
アメリカ・イギリス・フランス・中国・ソ連
これらの国は拒否権を持つ

※拒否権=たとえ1カ国でも拒否権を発動すれば、議題を否決できるという権利
 

「超大国」として大きな力を持っていたアメリカとソ連は次第に対立するようになる
世界の国々は資本主義アメリカ側(北大西洋条約機構:NATO
と社会主義ソ連側(ワルシャワ条約機構)に分かれてにらみ合うようになった。
このような資本主義と社会主義の対立は「冷たい戦争(冷戦)」といわれた。

 
冷戦下において

1949年
ドイツが東西に分裂し(東ドイツと西ドイツ)


1950年
朝鮮戦争(朝鮮民主主義人民共和国v.s.大韓民国)


1965年
ベトナム戦争(北ベトナムv.s.南ベトナム)が起こった。

※カッコ内の対立は(左が社会主義側、右が資本主義側)

 

1949年
中国では社会主義の中華人民共和国が成立(リーダーは毛沢東)。


1950年
朝鮮戦争が勃発すると、アメリカは日本をソ連・中国といった社会主義に対する
強い資本主義国として日本を復興させようとした。
警察予備隊がつくられ、後にそれが強化され自衛隊となった。


1951年
日本は首相吉田茂がアメリカなど48カ国とサンフランシスコ平和条約を結び、
国際的に独立を果たす(これまではGHQに占領されていた)。

同時に日米安全保障条約を結び、アメリカ軍の日本駐留を認めた。

 

1956年
日本はソ連と仲直り(日ソ共同宣言)し、国際連合に加盟する。

※日本の国際連合加盟に対し、安全保障理事会でソ連が拒否権を発動していたため
 加盟できなかったが、これにより加盟することができた。

 

戦後、日本は20年近くにわたって高度経済成長が続き、
一躍、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった。
しかし、急激な経済発展により公害が発生するなど問題も生じた。
         公害と原因

 水俣病(熊本&新潟):メチル水銀      

イタイイタイ病(富山):カドミウム

四日市ぜんそく(三重):亜硫酸ガス
     
1967年
公害対策基本法が制定され
1971年
環境庁が発足した

 

 

1964年
東京オリンピックが開かれ、同時に東海道新幹線が開通した。

1970年
万国博覧会が大阪で開かれた。

1972年
沖縄がアメリカから日本に復帰した。

 

1973年
第4次中東戦争が原因で石油価格が急上昇石油危機

世界経済が混乱した。日本も影響を受け、高度経済成長はストップする。

 

1965年
韓国と日韓基本条約を結び


中国とは
1972年
日中共同声明で国交を回復
1978年
日中平和友好条約を結んだ。

 

石油危機の後、日本は技術革新により国際競争力が世界1位になるなど繁栄した。
1990年前後にはバブル経済で好調だったものの、バブルは崩壊。
長期の不景気から抜け出せずにいる。

 

1990年
東西ドイツが統一(ベルリンの壁崩壊)

1991年
ソ連が解体、冷戦は終結した。