55: 無名武将@お腹せっぷく 2010/02/15(月) 20:42:51
東萊(出身の)王彌の家は世に二千石たりてきており,彌は學術勇略を有し,騎射を善くしたため,青州の人は之を謂うに「飛豹」とした。然して任俠を喜んでいたため,處士であった陳留の(人)董養が見えて而して之に謂って曰く
「君は亂を好み禍ちを楽しんでおりますが,若し天下に事が有れば,士大夫に作れないことでしょう。」

劉淵は王彌と友となり善くしていたため,謂って稱えて曰く
「王、李とは郷曲を以って見え知っている,こと毎に相稱え薦めあってきた。適足為吾患耳。」
因って歔欷して涕を流した。

齊王の司馬攸は之を聞くと,帝に於いて言って曰く
「陛下には劉淵を除かずにおりますが,臣は并州が久しく安んずることを得ないと恐れます。」

王渾曰く
「大晉は方(まさ)に信を以ってして殊俗を懐けてきたものだ,奈何(いか)でか無形之疑いを以って人の侍子を殺すというのか?それで何で徳度を弘められようか!」

帝曰く
「渾の言や是なり。」
劉豹が卒すに会い,淵を以って代わりとし左部帥と為した。


四月,大赦した。部曲督以下の質任を除くこととした。呉の桂林太守である修允が卒し,其の部曲は應じて分けられ諸將に給されることになった。

督將の郭馬、何典、王族等は舊軍で世を累ねてきており,離別することを楽しまず,呉主が廣州の戸口の實を料ろうとしてきたことに会って,郭馬等は民心が不安になったのに因って,衆を聚めて廣州督の虞授を攻殺し,郭馬は自らを都督交、廣二州諸軍事と號すと,何典を使て蒼梧を攻めさせ,王族をして始興を攻めさせた。


八月,呉は軍師の張悌を以って丞相と為し,牛渚都督の何植を司徒と為し,執金吾の滕修を司空と為した。未だ拜さぬうちに,更めて滕修を以って廣州牧と為して,萬人を帥して東道に従い郭馬を討たせることとした。郭馬は南海太守の劉略を殺し,廣州刺史の徐旗を逐いだした。

呉主は又た徐陵督の陶浚を遣わして七千人を將いさせると,西道に従い交州牧の陶璜と共に郭馬を撃たせることとした。呉には鬼目菜が有り,工人である黄耇の家に生じた買菜というものが有り,工人である呉平の家に生じた。

東觀では圖書を案じて,鬼目と名づけられているのは曰く芝草のことで,買菜とは曰く平慮草のことである。呉主は黄耇を以って侍芝郎と為し,呉平を平慮郎と為し,皆銀印青緩とした。

呉主は群臣を宴にまねく毎に,鹹(みな)沉醉せ令めた。又た黄門郎十人を置いて司過と為し,宴の罷わりし之後に,各おの其の闕失を奏上させ,迕視や謬言など,余すところなく挙げさせた。大なるは即ち刑戮を加え,小なるは記録して罪と為し,或いは人面を剝がし,或いは人の眼を鑿った。是に由って上下は心を離し,為に力を盡くそうとするもの莫くなったのである。

56無名武将@お腹せっぷく 2010/02/15(月) 20:54:18
益州刺史の王濬が上疏して曰く
「孫皓は荒淫凶逆でありますから,宜しく速やかに征伐すべきです,若し一旦あって孫皓が死んでしまい,更めて賢主が立ってしまえば,則ち敵を強めることになります。
臣は船を作すこと七年,日ごと朽ち敗れているもの(舟)が有ります

臣は年七十となり,死に亡ぶまで日が無くなっております。せっかく揃っている三つの条件が一たび乖れ離れになってしまえば,則ち圖ること難しくなりましょう。誠に願わくば陛下には事機を失われること無きように。」 

帝は是に於いて呉を伐せんと決意した。安東將軍の王渾が表して孫皓が北上せんと欲しているため,邊戍は皆戒嚴しましょうとの表をするに会い,朝廷は乃ち更めて議して明くる年出師することとした。王濬の參軍であった何攀は使いを奉じて洛中に在った,
上疏して稱うるに
「孫皓は必ずや敢えて出ないことでしょうが,宜しく戒嚴に因って,其の易きを掩い取るべきです。」
 
杜預は上表して曰く
「閏月より以來,賊は但だたんに下に嚴しくするよう敕令すのみでして,兵の上ること無くなっております。理勢を以ってして之を推しはかりますなら,賊之窮計は,力が兩つを完うせざるため,必ずや夏口以東を保って以って視息を延べんとすることでしょう,多くの兵に縁って西上し,其の國都を空しくすることなど無いでありましょう。

而して陛下には(多数の意見を)聽くこと過ぎております,便じて用って(他者の意見に意を)委ねて大計を棄てられてしまえば,敵を縱にして患いが生ずことになります,誠に惜しむ可きです。向使舉而有敗,勿舉可也。

今事為之制,務從完牢,若し或いは成ること有れば,則ち太平之基を開くこととなりましょうし,成らずとも日月之間(時間)を費やし損なうに過ぎぬのですから,何をか惜しんで而して一つも之を試みようとしないのですか!

當に後年を須つべき若かれば,天の時にしろ人の事にしろ,常に如かることを得ざるものです,臣が恐れますのは其れが更まって難しくなってしまうことです。今や萬安之舉を有し,傾敗之慮りも無いからには,臣の心は實に了としておりまして,暖昧之見を以ってして自ら後累を取ることなど敢えてせざることです,惟だただ陛下には之を察せられんことを。」

旬月しても未だ報ぜられなかったため,杜預は復たも上表して曰く
「羊祜は朝臣に於いて博く謀ることを先ずせず,而して密かに陛下と共に此の計を施してきました,それ故に益すます朝臣を令て異同之議を多くせしめているのです。

しかしながら凡そ事というものは當に利害を以って相校ずべきもの,今此の舉之利は十に八、九を有すのに,而して其の害は一、二であります,止めれば功を無くすに於くだけとなりましょう。 

必ずや朝臣を使て破敗之形ありと言わせましょうが,それも亦た得る可からざることです(それらの意見を採用してはならないのです),直ちに計を是としても(その計 
謀は)己から出たものでなく,功あろうとも(その功績は)その身に在らざるものであ 
るゆえ,各おの其の前言之失を恥じ而して之を固守せんとして(破敗之形ありと言 
わせて)いるわけです。

自頃(ちかごろ)は朝廷の事は大も小も無く,異意が鋒起しております,人心は同じからざるものと雖も,亦た由って恩を恃みにし後の患いを慮らず,故に輕がるしく相同異しあっているのでございます。

秋より已來,討賊之形は頗る露わとなりましたから,今若し中止すれば,孫皓は或いは怖れて而して生きなんことを計りましょう,都を武昌へ徙し,更めて江南の諸城を完璧に修繕させ,其の居民を遠ざけてしまいましょう,そうなれば城は攻むる可からざることとなって,野には掠める所とて無くなりますから,則ち明年之計も或いは及ぼす所とて無くなりますぞ。」 
57無名武将@お腹せっぷく 2010/02/15(月) 21:00:03
帝は方(まさ)に張華と棋を圍んでいた,杜預の表が至るに適うと
張華は推枰斂手して曰く
「陛下は聖武であらせられ,國は富みて兵は強壮であります,呉主は淫虐にして,
賢能を誅殺しております。當に今之を討つべくば,勞せずして而して定む可きことでしょう,願わくば以って疑いを為すこと勿らんことを!」

帝は乃ち之を許した。そこで張華を以って度支尚書と為すと,運漕について量計させた。賈充、荀勖、馮紞が之を爭ってきたため,帝は大いに怒った,そこで賈充は冠を免いで謝罪した。
 
僕射であった山濤は退くと而して人に告げて曰く
「自ら聖人に非ざれば,外寧んずれば必ずや内憂が有ろう,今呉を釋してやって外懼と為しておくことが,豈に算に非ざることといえようか!」 


十一月,大舉して呉を伐すると,鎮軍將軍である琅邪王の司馬[人由]を遣わして塗中に出させ,安東將軍の王渾には江西に出させ,建威將軍の王戎には武昌に出させ,平南將軍の胡奮には夏口に出させ,鎮南大將軍の杜預には江陵に出させ,龍驤將軍の王濬、巴東監軍である魯國の唐彬には巴、蜀から下らせた,東西凡そ二十餘萬。賈充に命じて使持節、假黄鉞、大都督と為し,冠軍將軍の楊濟を以って之に副とさせた。賈充は固より伐呉の不利を陳べ,且つ自ら衰え老いたため,元帥之任に堪えないと言ってきた。

詔に曰く
「君が若し行かないなら,吾が便じて自ら出よう。」
そこで賈充は已むを得ず,乃ち節鉞を受けると,中軍を将いて南して襄陽に駐屯し,諸軍に節度を為すことになった。 

馬隆は西へむかい温水を渡ると,樹機能等は衆數萬を以って険阻に據って之を拒んだ。隆は山路が狹隘であることを以って,乃ち扁箱車を作り,木屋を為すと,車上に於いて施し,轉戰して而して前へすすみ,行くこと千餘里,殺傷したもの甚だ衆ねかった。馬隆が西へむかってから,音問が斷絶したため,朝廷は之を憂い,或るものは謂わく已に沒したとした。
後に馬隆の使いが夜に到ると,帝は掌を撫でて歡笑し,朝廷を問詰め,
群臣を召して謂って曰く
「若し諸卿の言に従っていたら,涼州を無くしていたわい。」
乃ち詔をくだして馬隆に節を假すと,拜して宣威將軍とした。馬隆が武威に至ると,鮮卑の大人である猝跋韓且萬能等が萬餘落を帥して來たり降った。十二月,馬隆は樹機能と大いに戰い,之を斬りすて,涼州は遂に平げられた。
58無名武将@お腹せっぷく 2010/02/15(月) 21:11:13
詔がくだされて朝臣に以って政の損益を問うたところ,
司徒の左長史である傅鹹が上書して,以為らく
「公も私も不足しているのは,設けられた官が太いに多かるに由ります。舊の都督は四つが有りましたが,今や監軍を並べてみると乃ち十より盈れております;禹の分けたりし九州は,今の刺史幾向一倍;戸口は漢に比べて十分之一となっていますのに,而して置かれた郡縣は更めて多くなっております。

虚しく軍府を立てては,動くこと百たび數えること有るというのに,而して宿衛を益すことなど無く;五等の諸侯は坐したまま(働きもしないのに)官屬を置いております。諸所の廩給は,皆百姓より出されたものです。此れぞ其の困乏となる所以なのです。當今の急務とは,官を並べて労役を息つかせ,上下とも農に務める而已に在るのです。」 

傅鹹は,傅玄之子である。
時に又た州、郡、縣の吏を半ばに省き以って農功に赴かせることが議論され
中書監の荀勖は以って為すに
「吏を省くは官を省くに如かず,官を省くは事を省みるに如かず,その省事は心を清めるに如かざるものです。昔蕭、曹が漢朝の宰相たると,其の清靜を戴いたため,民が以って壹に寧んじたことが,所謂清心というものなのです。

浮ついた説を抑え,文案を簡素にし,細苛(細かな苛め)を略し,小さな過失を宥(ゆる)し,常(法)を變えることを好んで以って利益を徼えとろうとする者が有れば,必ず其の誅を行うこととするのが,所謂省事というものです。以って九寺は尚書に並べおき,蘭台は三府に付けるが,所謂省官というものです。

若し直ちに大例を作して,凡そ天下之吏は皆其の半ばを減じますならば,恐らく文武の衆官,郡國の職業は,その劇しさ易しさは同じからざることとなりましょうから,以って一概に之を施す可きでありません。若し曠闕が有れば,皆更め復すを須つこととし,或いは激務であって而して滋繁(次第に繁雑な務め)となるのであれば,重ねざる可きでないといたしましょう。」 

59無名武将@お腹せっぷく 2010/02/15(月) 21:14:40
ここまで晉紀2。 

それじゃ晉紀3の訳を始めるのだ。






「資治通鑑」の名言に学ぶ
荒井桂
致知出版社
2018-06-29