31: 無名武将@お腹せっぷく 2010/02/12(金) 20:10:05
初め,万彧は忠清之士を選んで以って近職を補わせるのを請うた,呉主は大司農の樓玄を以って宮の為に鎮に下し,殿中の事を主(つかさど)らせた。
樓玄は身を正して衆を帥し,法を奉って而して行い,對に応じては切直であったため,呉主は浸されて悅ばなかった。
中書令にして領太子太傅の賀邵は上疏して諫めて曰く
「近頃の年より以来,朝の序列は紛らわしく錯じりあい,真偽は相貿まりあって,忠良は排され墜とされ,信(まこと)の臣は害を被っております。以って正士が地方で摧かれているのに而して庸臣は苟媚するを是とするなら,意に先んじて指図を承り,各おの時の趣くことを希うこととなりましょう。
人は反理之評を執り,士は詭道之論を吐き,遂に清流を使て濁りに変じさせ,忠臣に舌を結ばせてしまうことでしょう。陛下は九天之上に処し,百里之室に隠れ,言は風靡に出て,令は景從に行われております。
寵媚之臣に親しみ洽わせておりまして,日ごと聞くは順意之辭,ですが將に謂わく此の輩が實に賢なれば而して天下は已にして平げられておりましょう。臣が聞きますには興國之君は其の過ちを聞くを楽しみとし,荒亂之主は其の譽めるを聞くを楽しむものです。其の過ちを聞けば過ちは日ごと消えてゆき而して福が臻(いた)るもので,其の譽を聞けば譽が日ごと損なわれて而して禍ちが至ることになるのです。
陛下は刑法を厳しくして以って直辭を禁じ,善士を黜退させて以って諫めの口に逆らい,酒を杯について次つぎに造しております,その死生が保たれざるため,仕えている者は退くを以ってして幸いと為し,居る者は出るを以ってして福と為しております。
これは誠に洪緒を保ち光らせ,天道王化を熙隆させる所以に非ざることでございます。何定は本もと僕隸の小人でして,身は行いも能(力)も無かるのに,而して陛下は其の佞媚(佞りや媚び)を愛でられ,以って威福を假しあたえられました。夫れ小人は求められ入れば,必ずや奸利を進めるものです。定間者忘興事役,江邊より戍兵を徴発して以って麋鹿を驅せさせ,老弱は饑え凍え,大も小も怨み歎いております。
《傳》に曰く
『國之興らんとするや也,民を視ること赤子の如く;其の亡びなんとするや,民を以って草芥と為さしむ。』今法禁は苛(むご)きに轉じ,賦調は益すます繁く,中官、近臣の所在では事を興こし,而して長吏は罪を畏れ,苦民は辦を求めています。
是れ人の力を以ってしては堪えられず,家戸は離散し,呼嗟之聲は,和気を感傷しています。今や國には一年之儲さえ無く,家には經月之蓄えさえ無いというのに,而るに後宮之中で食に坐す者は萬有餘人となっております。又た,北の敵が注目しており,わが國の盛衰を伺っております。
長江之限りは,久しく恃む可からざるもの,苟しくも我らが守ること能わざるなら,一葦も杭とす可きです也。願わくば陛下には基(もとい)を豊かにし本(もと)を強められ,情を割かちて道に従われますよう,なれば則ち成、康之治も興こり,聖祖之祚も隆ぶることでしょう!」
呉主は深く之を恨んだ。
樓玄は身を正して衆を帥し,法を奉って而して行い,對に応じては切直であったため,呉主は浸されて悅ばなかった。
中書令にして領太子太傅の賀邵は上疏して諫めて曰く
「近頃の年より以来,朝の序列は紛らわしく錯じりあい,真偽は相貿まりあって,忠良は排され墜とされ,信(まこと)の臣は害を被っております。以って正士が地方で摧かれているのに而して庸臣は苟媚するを是とするなら,意に先んじて指図を承り,各おの時の趣くことを希うこととなりましょう。
人は反理之評を執り,士は詭道之論を吐き,遂に清流を使て濁りに変じさせ,忠臣に舌を結ばせてしまうことでしょう。陛下は九天之上に処し,百里之室に隠れ,言は風靡に出て,令は景從に行われております。
寵媚之臣に親しみ洽わせておりまして,日ごと聞くは順意之辭,ですが將に謂わく此の輩が實に賢なれば而して天下は已にして平げられておりましょう。臣が聞きますには興國之君は其の過ちを聞くを楽しみとし,荒亂之主は其の譽めるを聞くを楽しむものです。其の過ちを聞けば過ちは日ごと消えてゆき而して福が臻(いた)るもので,其の譽を聞けば譽が日ごと損なわれて而して禍ちが至ることになるのです。
陛下は刑法を厳しくして以って直辭を禁じ,善士を黜退させて以って諫めの口に逆らい,酒を杯について次つぎに造しております,その死生が保たれざるため,仕えている者は退くを以ってして幸いと為し,居る者は出るを以ってして福と為しております。
これは誠に洪緒を保ち光らせ,天道王化を熙隆させる所以に非ざることでございます。何定は本もと僕隸の小人でして,身は行いも能(力)も無かるのに,而して陛下は其の佞媚(佞りや媚び)を愛でられ,以って威福を假しあたえられました。夫れ小人は求められ入れば,必ずや奸利を進めるものです。定間者忘興事役,江邊より戍兵を徴発して以って麋鹿を驅せさせ,老弱は饑え凍え,大も小も怨み歎いております。
《傳》に曰く
『國之興らんとするや也,民を視ること赤子の如く;其の亡びなんとするや,民を以って草芥と為さしむ。』今法禁は苛(むご)きに轉じ,賦調は益すます繁く,中官、近臣の所在では事を興こし,而して長吏は罪を畏れ,苦民は辦を求めています。
是れ人の力を以ってしては堪えられず,家戸は離散し,呼嗟之聲は,和気を感傷しています。今や國には一年之儲さえ無く,家には經月之蓄えさえ無いというのに,而るに後宮之中で食に坐す者は萬有餘人となっております。又た,北の敵が注目しており,わが國の盛衰を伺っております。
長江之限りは,久しく恃む可からざるもの,苟しくも我らが守ること能わざるなら,一葦も杭とす可きです也。願わくば陛下には基(もとい)を豊かにし本(もと)を強められ,情を割かちて道に従われますよう,なれば則ち成、康之治も興こり,聖祖之祚も隆ぶることでしょう!」
呉主は深く之を恨んだ。
32: 無名武将@お腹せっぷく 2010/02/12(金) 20:16:10
是に於いて左右は共に樓玄、賀邵を誣して相逢っているとし,駐まっては共に耳語大笑し,政事を謗り訕しているから,俱に詰責を被らせるべきであるとした。玄を送って廣州に付け,邵は原して復職させた。
既にして而して復た玄を交趾に徙すこととし,竟に之を殺した。之を久しくして,何定の奸穢なることが發覚して聞こえることとなり,亦た誅に伏したのである。
羊祜は江陵より帰ると,德信を修めることに務めて以って呉人を懷けようとした。兵を交わす毎に,日を刻んで戰を方じ,掩襲之計を為さなかった。將帥で譎計を進めることを欲す者が有ると,輒ち醇酒を以て飲ませ,言うこと得られないように使た。
羊祜は出軍して呉の境に行くと,谷(穀物)を刈りとって糧と為し,皆侵した所を計って,絹を送って之を償った。衆を江、沔に会めて遊獵する毎に,常に晉地に止まった。若し禽獸が先ず呉人に傷つけられる所と為っていて而して晉兵が得し所と為った者は,皆之を送り還した。
是に於いて呉の邊境の人は皆悅び服すことになった。羊祜は陸抗と境を対していたが,命を使て常に通じさせていた。陸抗が羊祜に酒を遣わしたが,羊祜は之を飲んで疑わなかった;陸抗が疾んで,羊祜に薬を求めてきたところ,羊祜は以って藥を成して之に與え,陸抗は即ち之を服した。
人は多くが陸抗を諌めたが,陸抗曰く
「豈に人に鴆を盛る羊叔子で有ろうか!」
陸抗は其の邊戍(辺境の兵たち)に告げて曰く
「彼らは德を為すことを専らにし,我らは暴を為すことを専らにしている,是れでは戰わずして而して自ら服してしまうことになる。各おの界を保ち分かつのみとし,細利を求めること無いように。」
呉主は二境が交わり和していると聞き,以って陸抗に詰めよった
陸抗曰く
「一邑一郷とて以って信義を無くす可からざるものです,況んや大國においてをや!臣が此れに如かざるなら,正しくに是れ其の徳を彰らかにしてしまい,羊祜を傷なうところなど無くなりましょう。」
既にして而して復た玄を交趾に徙すこととし,竟に之を殺した。之を久しくして,何定の奸穢なることが發覚して聞こえることとなり,亦た誅に伏したのである。
羊祜は江陵より帰ると,德信を修めることに務めて以って呉人を懷けようとした。兵を交わす毎に,日を刻んで戰を方じ,掩襲之計を為さなかった。將帥で譎計を進めることを欲す者が有ると,輒ち醇酒を以て飲ませ,言うこと得られないように使た。
羊祜は出軍して呉の境に行くと,谷(穀物)を刈りとって糧と為し,皆侵した所を計って,絹を送って之を償った。衆を江、沔に会めて遊獵する毎に,常に晉地に止まった。若し禽獸が先ず呉人に傷つけられる所と為っていて而して晉兵が得し所と為った者は,皆之を送り還した。
是に於いて呉の邊境の人は皆悅び服すことになった。羊祜は陸抗と境を対していたが,命を使て常に通じさせていた。陸抗が羊祜に酒を遣わしたが,羊祜は之を飲んで疑わなかった;陸抗が疾んで,羊祜に薬を求めてきたところ,羊祜は以って藥を成して之に與え,陸抗は即ち之を服した。
人は多くが陸抗を諌めたが,陸抗曰く
「豈に人に鴆を盛る羊叔子で有ろうか!」
陸抗は其の邊戍(辺境の兵たち)に告げて曰く
「彼らは德を為すことを専らにし,我らは暴を為すことを専らにしている,是れでは戰わずして而して自ら服してしまうことになる。各おの界を保ち分かつのみとし,細利を求めること無いように。」
呉主は二境が交わり和していると聞き,以って陸抗に詰めよった
陸抗曰く
「一邑一郷とて以って信義を無くす可からざるものです,況んや大國においてをや!臣が此れに如かざるなら,正しくに是れ其の徳を彰らかにしてしまい,羊祜を傷なうところなど無くなりましょう。」
33: 無名武将@お腹せっぷく 2010/02/12(金) 20:24:02
呉主は諸將之謀を用い,數(たびた)び晉の邊境を侵し盜んだ。
陸抗は上疏して曰く
「昔夏に多罪有れば而して殷湯は師を用い,紂が淫虐を作せば而して周武が鉞を授けました。苟くも其の時無かりせば,大聖を復すと雖も,亦た宜しく威を養い自らを保つべきなのでございます,輕がるしく動く可きでありません。
今農に力めて國を富ますことにも,官を審らかにして能に任せることにも,黜陟を明らかにして,刑賞を慎むことにも,諸司に訓示するに德を以ってし,百姓を慰撫するに仁を以ってすることにも務めず,而して諸將の徇名を聴きいれて,兵を窮させ武を黷し,動した費が萬計ともなって,士卒が調瘁し,寇が衰えを為さざることとなっているのに而して我らは已にして大いに病んでおります。
今帝王之資を争わんとしているのに而して十百之利に蒙昧であるなど,此れ人臣之奸便というもので,國家之良策に非ざることですぞ!昔齊、魯は三たび戰い,魯人は克つこと再びしたものの,而して踵を旋さぬうちに亡びました。何にか則ってでしょうか?大小之勢いが異なっていたからです。況んや今師の克ち獲た所は,不補所喪(喪いし所を補っているといえましょうか)哉?」呉主は從わなかった。
羊祜は中朝の權貴に結び附こうとしなかったため,荀勖、馮紞之徒は皆之を惡んだ。從甥の王衍は嘗て羊祜に詣でて陳事し,その辭は甚だ清辯であった。しかし羊祜は之を然らずとしたため,王衍は衣を拂って去った。
羊祜は賓客を顧みて謂って曰く
「王夷甫は方(まさ)に當たるに盛名を以ってして大位に処すべきかたであろう,然りながら衆俗を敗れしめ王化を傷つけるのは,必ずや此の人であろう。」
江陵を攻めるに及び,羊祜は軍法を以って將に王戎を斬りすてようとした。
王衍は王戎の從弟であったため,故に二人は皆之を憾(うら)み
言論の多くが羊祜を毀し,時の人は之が為に語って曰く
「二王は當に國たるべきであるのに,(つまらぬことをいう)羊公は德が無い。」
陸抗は上疏して曰く
「昔夏に多罪有れば而して殷湯は師を用い,紂が淫虐を作せば而して周武が鉞を授けました。苟くも其の時無かりせば,大聖を復すと雖も,亦た宜しく威を養い自らを保つべきなのでございます,輕がるしく動く可きでありません。
今農に力めて國を富ますことにも,官を審らかにして能に任せることにも,黜陟を明らかにして,刑賞を慎むことにも,諸司に訓示するに德を以ってし,百姓を慰撫するに仁を以ってすることにも務めず,而して諸將の徇名を聴きいれて,兵を窮させ武を黷し,動した費が萬計ともなって,士卒が調瘁し,寇が衰えを為さざることとなっているのに而して我らは已にして大いに病んでおります。
今帝王之資を争わんとしているのに而して十百之利に蒙昧であるなど,此れ人臣之奸便というもので,國家之良策に非ざることですぞ!昔齊、魯は三たび戰い,魯人は克つこと再びしたものの,而して踵を旋さぬうちに亡びました。何にか則ってでしょうか?大小之勢いが異なっていたからです。況んや今師の克ち獲た所は,不補所喪(喪いし所を補っているといえましょうか)哉?」呉主は從わなかった。
羊祜は中朝の權貴に結び附こうとしなかったため,荀勖、馮紞之徒は皆之を惡んだ。從甥の王衍は嘗て羊祜に詣でて陳事し,その辭は甚だ清辯であった。しかし羊祜は之を然らずとしたため,王衍は衣を拂って去った。
羊祜は賓客を顧みて謂って曰く
「王夷甫は方(まさ)に當たるに盛名を以ってして大位に処すべきかたであろう,然りながら衆俗を敗れしめ王化を傷つけるのは,必ずや此の人であろう。」
江陵を攻めるに及び,羊祜は軍法を以って將に王戎を斬りすてようとした。
王衍は王戎の從弟であったため,故に二人は皆之を憾(うら)み
言論の多くが羊祜を毀し,時の人は之が為に語って曰く
「二王は當に國たるべきであるのに,(つまらぬことをいう)羊公は德が無い。」
34: 無名武将@お腹せっぷく 2010/02/12(金) 20:27:08
272年終了で晉紀1終わり。今日はここまで。
35: 無名武将@お腹せっぷく 2010/02/12(金) 22:52:44
ユー! 晉紀の最後までやっちゃいなよ。
36: 無名武将@お腹せっぷく 2010/02/13(土) 19:34:59
残念ながらそこまでのモチベーションは無いのです。
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