391: 無名武将@お腹せっぷく 04/09/24 01:35:57
俺らがこうすりゃ、あーすりゃいってるが
当時、魏随一の天才達が集まって決めたのなら 
ここで言われていることより、それが正しかったのでは

399無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 00:07:10
蜀は、山国で攻めるのには難しい地形だったから。
呉は富強で長江があり、 
有能な人材もたくさんいたからなかなか滅ぼせませんでした。
400魏延の中の人 04/09/28 00:08:47
「呉は富強で有能な人材もたくさん」とは吉川に影響されてるな
403無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 18:43:25
正史の記述でも、何人かの伝に似た発言があったぞ 
有能な人材もたくさん、とは言って無いけど‥
404無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 22:22:14
だけどそれなりにはいたとちゃうか。陸抗、丁奉、張布とか
430無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 17:49:34
あとは、まあ蜀は姜維。
呉には陸抗という名将がいたからか
401無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 11:29:34
まあそんなところだろな。
402無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 18:36:33
滅ぼせなかったんでしょ。陸抗ときょういが頑張っていて
405無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 23:00:11
しかし、蜀漢末期は姜維、夏侯覇といった元魏の武将が奮戦 
していたなんて、何か複雑だね。夏侯覇なんて魏の王族なのにね。 
魏延が存命していても、難しかったかな…

司馬懿の対呉政策ってあまり聞いたことがないが…
どんなやつだったのだろうね。
406無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 23:08:22
夏候覇の奮戦?
407無名武将@お腹せっぷく 04/09/28 23:17:03
奮戦というか主力では。それを言うと王平も元魏の武将になるが。
408無名武将@お腹せっぷく 04/09/29 00:09:16
夏候覇って戦ったけ?
409無名武将@お腹せっぷく 04/09/29 04:31:58
夏候覇はすぐ死んだ気がする
410無名武将@お腹せっぷく 04/09/29 08:22:08
すぐには死んでないよ。蜀の滅亡の前年に死んだ。
411無名武将@お腹せっぷく 04/09/29 11:12:52
どうでもいいけど、夏候じゃなくて夏侯な
414無名武将@お腹せっぷく 04/09/29 22:32:45
260、261年に関羽やら趙雲やらに諡号が追贈されたとき、 
その時夏侯覇は既に諡号を送られていたということだから、 
夏侯覇が死んだのは250年代のうち、ってことでしょ。
415414 04/09/29 22:51:46
夏侯覇が死んだのは250年代中だと推定されるけど 
それ以上は特定のしようがなくて、しかし少なくとも 
「蜀の滅亡の前年」ではないよね、ということで。
416無名武将@お腹せっぷく 04/09/30 01:03:18
夏侯淵の息子→司馬氏に逆らい蜀に亡命 
       後主の縁戚でのほほんと暮らして死亡 
       蜀に下ったので、演義では大活躍
 
諸葛誕の息子→司馬氏に逆らい呉に亡命 
       特に特別扱いは受けないまま死亡 
       ところが息子は東晋の丞相にまで出世
417無名武将@お腹せっぷく 04/09/30 17:36:55
夏侯覇は良く頑張ったよ。
418無名武将@お腹せっぷく 04/09/30 23:30:56
255年に姜維と出征したと明記されてるから、この頃は存命してたんだろうね。 
で、259年に張翼、廖化が左右の車騎将軍に昇進してるから、
この頃には亡くなっていたんだろう。 
夏侯覇の死去年はおおよそ、256年~259年の間でないかな。
423無名武将@お腹せっぷく 04/10/03 15:14:29
安定状態に入ると、国力も上がり周到に防衛の準備が可能になるから 
小国といえども征服するのは中々難しいと思われ。
424無名武将@お腹せっぷく 04/10/03 17:49:00
そうそう。
425無名武将@お腹せっぷく 04/10/03 18:16:39
魏が漢中取った時、成都まで攻撃すればまたちょっと違ってたかも 
あの時まだ蜀はそれ程まとまってなかったし
426無名武将@お腹せっぷく 04/10/03 23:03:46
呉が丁度攻撃してきたからね。そのまま攻めていれば攻め落とせただろうね。
427無名武将@お腹せっぷく 04/10/03 23:31:22
呉は領土拡張目指さなくても、守りに徹するだけで充分やっていけたからな。 
滅びたのは単に君主のダメさ加減につけこまれただけだろう。 
蜀は魏にとって、単に山間部のうざい山賊でしかない。 
ほっといてもジリ貧になると見られてたのだろうな。
428無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 09:31:00
魏にしても、容易に両国を滅ぼせるほどの国力はないもの。 

とにかくこの時代(の戦争)は食料の生産と蓄積と確保が全て。 
戦争継続に費やされる食料の必要量たるや、とんでもないものなんだよ。 

わかりやすい目安をあげると、たとえば10万の軍勢が動員された場合、 
一日に消費される穀物の量は、日本の米俵で換算すれば実に1000石にも相当する。 
現代の単位で換算するなら、なんと150トンだよ。それも”たった一日に”。 

そうなると、それを運搬する人手と家畜も膨大な数になり、
それらにも食料は支給しなければならない。 

戦争というものが如何に膨大な消費を生むか、
ということは凄まじいまでに国力を傾注させる一大事業。 
「済河論」をひくまでもなく、魏ですら食料増産に必死だったわけなんだから。 

ときおり兵站への意識が希薄な意見を見かけるけど、もう少し目をむけるべき。
429無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 16:00:08
10万人で1,000石ということは、100人当たり1石の計算。 
1人当たりにして、1升消費だが純粋に歩兵の食い扶持だとすると多いよね。
しっかり食わせるといっても1日5合位だろう。
 
運搬や騎馬として使う牛馬の飼料とかも計算に入ってるとは思うが 
単純に米として兵自身に背負わせた場合、
1日か精々2日位の行軍が限界というところかな? 

負担の大きさとしては、土地生産性も労働生産性も江戸期の日本 
よりもずっと低かったろうしねぇ。
431無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 17:52:32
江戸初期とは同じくらい。
432無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 18:14:33
東晋があれだけ続いた所を見る限り、 
華北=魏にとっても呉・蜀両方を相手にするのは 
国力の差程には簡単ではなかったのだろうな。
434無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 21:16:33
東晋とその後の劉宋を比べると 
明らかに後者の方が屈強なのに、侵略回数でいえば東晋の方が少なく 
北方諸国からも大事にされていたという事実 

東晋の「中華の正統王朝」っていうのは意外と大きいのかも知れない
(まぁ、色々事情があったんだろうが)
435無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 22:43:09
大事にされてたいうより、北方で抗争をやっていて東晋を攻めるどころ 
じゃなかったから。東晋の時代に北方諸国を統一したのは前秦だけだし、 
統一したら、すぐに東晋に攻めこんだし、
437無名武将@お腹せっぷく 04/10/04 23:59:14
戸籍人口が10分の1にまで減ってるのに 
統一の美名のためにド田舎の呉蜀まで相手する必要はないだろ 
まず生産体制の再建と、流民や賎民対策だよ
438無名武将@お腹せっぷく 04/10/05 03:51:39
魏にとっちゃ、蜀はイラネ。 
だが呉は欲しいって感じだったんだろうな。
439無名武将@お腹せっぷく 04/10/05 06:57:39
じゃ、何で先に蜀から制圧したんだ? 
いらないなら攻め込む必要ないだろ?
441無名武将@お腹せっぷく 04/10/05 12:30:16
ネタだと思いたいけど、魏との友好ないし従属的な関係を望めるのは蜀ではなく呉。 

なにより大きいのは、
巴蜀を得られれば長江上流域を扼せるうえに、軍船の建造も容易になる。 
王濬が大規模な軍船を建造した事はよく知られるところ。 

それまで魏は、荊州での支配領域の制約上、長江北岸からの侵攻にほぼ限定され、 
それが呉にとっては防衛に利を齎していたのは紛れもない事実。 
280年の呉滅亡には、晋軍が長江上流から水軍で侵攻できた事が利点になってる。 

つまり蜀を討滅させれば、それでなくとも積極攻勢の姿勢に乏しい呉の脅威は薄れる。 
たしかに蜀は魏からみれば地方の一軍閥程度かもしれないけど、
地勢の観点でいえば蜀の重要性を見誤ってるよ。
448無名武将@お腹せっぷく 04/10/06 01:31:00
蜀取り→南朝取りが基本なのは後の歴史を見れば分かること 
いきなり本命に当たるのはアホのすること 
城攻めだって、水を絶やすなり、兵糧責めするなりしてから本丸を攻めるだろ? 
蜀と呉はそれこそ「唇と歯」なのだから 

呉はもっと早く蜀を助けるか、奪うかしなければならなかった。 
でもトーガイが蜀を落とすのが早すぎたし、
羅憲が想像以上に大した人物だったのが呉にとっては誤算 
もっとも呉を責めるよりはトーガイと羅憲を誉めるべきだが
503無名武将@お腹せっぷく 04/10/11 18:03:49
呉は国土の広さの割りに人いなかったみたいだしな。 
孫堅、孫権がしきりに荊州を欲しがったわけは要するに 
畑耕す労働力が欲しかった訳で。 
江夏の人狩りは有名。 

蜀は田舎。人がいるにも耕す所がない。 
実際にあんな小さな国土に90万人もいたらしいからなぁ。 
劉備が分捕るまでは大きな戦争もなかった事で。 

504無名武将@お腹せっぷく 04/10/11 18:19:26
四川盆地は、かなり広くて肥沃、しかも水利にも恵まれてますが‥
508無名武将@お腹せっぷく 04/10/11 19:11:53
成都の物産能力は高い。取る価値はある。 
527無名武将@お腹せっぷく 04/10/19 08:27:26
蜀は、がっちり守られたら攻め落とすには、至難の技である。
529無名武将@お腹せっぷく 04/10/25 08:49:00
山奥にあるからね
530無名武将@お腹せっぷく 04/10/25 09:13:16
こんなもん、「うまみがない」の一言だよな。 

蜀には峻険な山、呉には大河が要害になっていて攻めにくい → コスト高 
かといって占領しても異文化、産業少ない、使える土地少ない → ベネフィット少 

そもそも当時の識者の間では、「蜀は腐らせ、呉は乱せばよろしい」と 
気長に攻略する方針で一致していた。極端な臣は辺境の異民族扱いだよ。 
「出てきたら叩けばよろしい」とモグラ扱い。 

昔から蜀とか呉は武を用いる地にあらずといって、
外交的に威圧して懐柔するのがベストというのが当然だったんだよ。
537533 04/10/26 00:12:51
確かに巴蜀は殖産能力は高い地だが、
それを充分に上回る中原十州を手にしてる魏には関係ない

戦乱時に中原の生産力が落ちて相対的に蜀の価値が上がるんだけど、
安定したときにどうしても蜀じゃなきゃ出来ない産業などない 
538無名武将@お腹せっぷく 04/10/26 00:36:48
「貨幣の中国古代史」という本の受け売りだが
魏の領内には銅産地がほとんどないらしい。 

一方、蜀は銅などの鉱物資源が豊富で劉備が鋳造させた銅貨「直百五銖」が発掘されたり魏や呉の地域の遺跡から蜀銭が発掘されたりするんだとさ。
563無名武将@お腹せっぷく 04/12/16 08:59:32
蜀も呉も君主が皇帝を名乗っている以上 
いつかは滅ぼさなければならない相手だろう 
間違っても共存できる相手ではない

421無名武将@お腹せっぷく 04/10/02 21:28:15
散々既出だろうけど、 
蜀を攻めれば呉が動き、呉を攻めれば蜀が動く上に、
どちらも要害に守られているしな。 

滅ぼせなかったというか、滅ぼすことは出来てもリスクが大きすぎたんだろ。 
蜀が滅んだのも、滅んだ当時は蜀も呉も屋台骨が腐ってきたから 
蜀が攻められても迅速な対応が出来なかったからだし。








貨幣の中国古代史 (朝日選書)
山田 勝芳
朝日新聞社
2000-09




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2015-12-18