1: 1 03/11/28 19:58
滅ぼさなかったのか、滅ぼせなかったのか。

21 03/11/28 19:58
外征には莫大な金が掛かるから止めたのかな
21無名武将@お腹せっぷく 03/11/28 21:04
曹爽が実権握ってた時期があったからな
22無名武将@お腹せっぷく 03/11/28 21:06
天下3分の計の賜物!!!! 

蜀は山でめんどい上に獲るメリットも大して無いド田舎だからじゃねーの
26無名武将@お腹せっぷく 03/11/29 13:02
22の後半に同意 
蜀攻めなんか金かかるだけで大した利がない。
27無名武将@お腹せっぷく 03/11/29 13:33
蜀を制すれば長江上流を扼せるうえ、軍船の建造も容易になる。 
魏が呉を伐つ際に、長江がどれだけ桎梏になっていたか御存知ない? 

それはそうとして……実際問題、魏は数値上のうえでは呉蜀を圧倒してる 
ようにもみえるけど、現実には魏も内情ではそれほど余裕がなかったと 
考える方が妥当に思える。 

後漢末の混乱で人口も生産力も激減した中原が三国の鼎立で漸く復興 
した矢先、って時代だろうし、人口分布の面で江南一帯は増加してるし。 
それに曹丕、曹叡の時代に大規模な遠征を試みようとしても、大抵は 
現実的な認識を弁えた人物の上奏による諌止が目につく。 

高堂隆は自分が好きな人物だけど、彼の上奏文には具体的な数字が 
(誇張・縮小はあるだろうけども)記されていて、実に興味深い。
31無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 03:51
中国できちっと米の取れる地域は呉に押さえられてるからね。 
その意味では、魏だって広いから単純に国力あるとは言えない。 
ただ人口となると俄然魏は強い。 
呉の人狩り失敗は有名。 
いろんな要素を考えうるよね。
36無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 10:14
三国時代の呉の農業力は、まだ低かったんじゃないかな。 
江南の開発が進んで大穀倉地帯となり、 
「江浙熟すれば天下足る」と言われるのは宋代以降。 

魏は黄土高原を背景にした、麦の栽培が盛んだったはず。
32無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 04:42
呉にしろ蜀にしろ、国が滅んだ時は中央の腐敗や国力の疲弊があった。 
それまでは険阻な地形や長江に阻まれていた。それだけ地の利の存在が 
大きかったんだろう。魏は一度蜀討伐を行ったが、長雨で撤退したし。 

スレ違いだが、蜀や呉の国力低下や腐敗が三国の統一の要因として決して小さくは 
ないのに、司馬炎は実力だと勘違いして中国全土統一後の政治を怠ったんだろうか。
34無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 04:50
逆に、城壁に囲まれて生きてると研鑚を怠るようになるのかもしれませんね。 
39 03/11/30 11:42
曹操は屯田制を開発したらしいけどあれはどうなの?
43無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 12:39
三国の魏は屯田制を実施した。 
屯田制は国家が耕作者の集団をおいて官有地を耕作させる制度で、 
軍屯と民屯がある。軍屯はおもに辺境の軍隊が食糧を自給するために、 
兵士とその家族が耕作する方法であり、民屯は農民に官有地を耕作させる方法である。 

魏の曹操は一般の農民をまねいて耕作させ、収穫の5~6割を納めさせた。 
これは魏の有力な財源となり、魏の経済力を増大させた。 

おそらく、戦乱で逃散した農民を呼び戻して、 
納税させる意図があったんじゃないかな。
54無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 16:53
屯田って韓浩が言い出したんじゃなかったっけ?
64無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 21:11
棗祇の方が先だったんでないか?
67無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 01:42
人口&生産力について一言 
確かに魏の誰かが「魏は九州を支配してるが、その人口は後漢末の一州にも満たず…」 
とか言ってたはずだけど、この数字は鵜呑みにできないよん。 

古代→中世に移行する際には、 
どこの国でも各豪族が「荘園」を増やしてって、 
そこで働く「賤民」って新たな階級が生まれてるから。 
んで、支配組織はこの状況を把握する術を持たず。 
だから、晋書の人口統計をそのまま信じちゃいけません
68無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 02:00
そのとおり。だから逆に言えば、魏晋の調査能力=支配力は後漢当時の 
(最低で)10分の1程度まで落ち込んでいた、と解釈すべきですな。
69無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 10:26
じゃあ、呉の支配力は後漢当時の数十分の一程度だったんだろうか。 
魏や蜀にくらべ、呉の支配力は著しく低かったそうなんで。
73無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 12:51
魏の背後との関係はどうだったんですかね?
表面上和解してても匈奴の連中がおとなしく従ってるとは思えないし。
74無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 13:26
北方民族は混乱期に強力に力を発揮するのであって、
魏ほどになれば国内に安定が始まっているので部族ごとの独立性が高く戦略という思想の薄い彼らは逆らっても個別に撃破されてしまう 
無論防備の兵が必要不可欠ではあるが、
目に見える形で軍があれば大きな反乱は少ない筈
75司馬+黒シャツ隊 ◆SIBAlB/q2k 03/12/01 16:10
南匈奴は既に内乱連発の国力弱まりまくりんぐの上に、 
魏による五部分割という泣きっ面に蜂の状態だったから 
当時はとても魏に対抗できる状態ではありませんでした。 
その窮乏っぷりは匈奴の民が漢人の小作農や奴隷になるほどだったそうで。 

鮮卑は檀石槐生存時は当時の北方騎馬民族最強の勢力を誇っていましたが、 
檀石槐死後に一気に分裂、弱体化。 

そんな中、軻比能の率いる部族の勢力が徐々に強力になって、 
魏にとってある程度の脅威となるほどまでになってきますが、 
(実際、諸葛亮が北伐の際に軻比能との共同作戦を採るほど) 
田豫、牽招、王雄らによって巧みに封じ込められ、 
しまいにゃ王雄の刺客に暗殺喰らって軻比能あぼーん。 

烏桓も降伏後でも骨進のように反発するのもいましたが、 
これも田豫らによって抑えられ、結局烏桓復興はならずといったところ。 
8173 03/12/02 01:02
なるほど、ありがとうございます 匈奴もかなり弱ってた(魏にやられた)んですね
84無名武将@お腹せっぷく 03/12/04 01:01
うーん…異民族連中が「弱体化」してたという言い方はちょと違うかもですよ。 
前漢時代の匈奴がクソミソに強かったのは、
単に破壊と略脱を目的としてた純粋な野蛮人だったから。 

軍事力な脅威でなくても 
農耕などの中国の文明を受け入れながら、 
辺境で独立勢力として力を蓄えつつあったと言った方がいいかもですね。
 
定住を始めた彼らを「小作農へと堕ちてしまった」と断じてしまうのは一面的かも。 
現に彼らは、1世紀後に、略奪でなく占領を目的として一斉に中原になだれこんで、 
中国の北半分を自分のものにしてしまうわけですから、 
取るもの取って帰ってった昔の匈奴よりもずっと恐るべき成果をあげたわけで。
86司馬+黒シャツ隊 ◆SIBAlB/q2k 03/12/04 03:26
おおまかには>>75に書いたとおりです…。 

南匈奴についてもう少し話すと、 
南匈奴は鮮卑の侵攻による北匈奴部民が南匈奴地域へ流入し、 
それによる南匈奴組と移住組の内部対立、南匈奴単于の後漢への傀儡化などによって 
日逐王逢侯の乱、句竜王斯車紐の乱など内乱が頻発し国力は失われ、 
その内乱も後漢兵、烏桓兵などの支援を得てようやく鎮圧できたという有様。 

さらに、部民による羌渠単于の殺害、さらにその後任として単于になった於夫羅まで 
匈奴部民に南匈奴の地から追いやられてしまうなど、
組織としての破綻まで見せる始末。 

まあこの辺の事情は東方書店から出ている『匈奴』沢田勲 著 
辺りが分かりやすく書かれていると思います。



 そういった専門本などで匈奴の歴史を概観していただければ、 
匈奴の内情はどのように推移していったか、どのように弱体化したか、 
などがお分かりいただけると思いますので…。 

あと、定住=小作農ではなくて、経済的に自立できず、小作農や奴隷に 
身を落とすしかなかった人もいたほど窮乏していた、という意味合いですので…。
58無名武将@お腹せっぷく 03/11/30 17:49
むしろ蜀と呉が手をぬいて、魏を生かしといてやった。
76無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 20:35
そうでしょうな 
どっちかが本気でやったら残った片方が漁夫の利で 
まんま二虎競食の計ですから
77無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 20:37
戦国期の秦VS六国みたいなもんですか。
80無名武将@お腹せっぷく 03/12/01 22:38
魏がめたくそ強いからこそ、弱者同士が争って傷つけあえば 
ますます魏にやられる可能性が高いということ
104無名武将@お腹せっぷく 03/12/13 13:48
所詮江南は未開人がすむ辺境地帯。 
よほどの好機でもない限り中原の復興のほうを優先するべきでござる
105無名武将@お腹せっぷく 03/12/13 16:04
呉にとってみれば、合肥城が移転したのは痛かっただろう。 
水路による利点が薄れた分、呉の兵站にも影響を及ぼしたろうし、 
長期の対陣に及べば後退も難しくなるはず。 
孫権自身、満寵や田豫に痛い目にあわされてるくらいだし。 

さらに魏は、荊州の陸軍と水軍の駐屯地も移転させてる。 
陸水それぞれ宛と宣池だったのを、より呉との前線に近い南方の 
新野と三州口に移してるし、江夏の政庁も呉領である夏口により 
近い地に移してるんだな。 

このあたり、地勢ってものの重要さがよくわかるんだけど、合肥城 
以外は諸葛亮が歿してからの軍事政策で、暫く蜀が鳴りを潜める分、 
呉は北伐がいままで以上に難しくなったと実感しただろうな。 
128無名武将@お腹せっぷく 04/02/07 11:52
魏は曹操死んだ後外に積極的に打って出るって時勢じゃなかったからだろ 
司馬氏は外より内を手に入れる必要があったしね。 
内側をほぼ掌握しきってから蜀→呉とほぼ規定通りで。


94無名武将@お腹せっぷく 03/12/08 17:56
要は本当の意味で傑出した人物が登場しなかったから 
統一出来きなかったんでしょ。 

まあ、そういう時代だったからこそ英雄とか豪傑が 
登場する事が出来たんだと思うけどね。 

日本を例に例えれば戦国時代が正にその典型かな。
140無名武将@お腹せっぷく 04/02/07 19:41
何かの本に傑出した人間が出なかったから統一できなかっと書いてあったな。 
曹操がたいした人間じゃなかったと著者は言いたかったのか。 
それとも孔明はじめ曹操に拮抗する人材が統一を阻めたと見るべきなのか。
141無名武将@お腹せっぷく 04/02/07 20:26
かなり傑出した人材だと思うけどなぁ 
諸葛亮なぞたった数年で国家を立て直すとか政治手腕は偉人クラスだが 

政治家としては天才だったヒトラーとてドイツを泥沼状態から救うのに四年かかったし
181無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:16
魏では、司馬懿暗殺計画は全く無かったのですか?
182無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:18

王凌が反乱計画を

183無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:22
それは、孔明が死ぬ前ですか? 
それとも、孔明が死んだあとですか?
184無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:25
諸葛亮死後 
というか諸葛亮いた頃は司馬懿はまだ暗殺されるような立場じゃあないし
185無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:27
なぜ?
186無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:36
司馬懿が最高権力者になるのは、諸葛亮を防いで、 
公孫淵を破って、明帝がくたばって、 
曹爽から実権を奪った後。 

諸葛亮の時代の司馬懿は「対雍・涼州方面軍の総司令」であって、 
魏としては殺さないといけないような理由は無いじゃん。 
むしろ忠実な司令官って感じなんじゃない? 

諸葛亮も呉も同様に暗殺する理由はない。別のヤツが代わりに司令官になるだけだし。
187無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:46
司馬懿って、孔明北伐前に普通に疑われて失脚しかかってなかったっけ?
やっぱり危険人物と思われてたんじゃない?
物語では孔明と馬稷の計略になってたけど。
188無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:51
実は左遷じゃなくて呉と戦ってただけ。
189無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:56
正史では、そうだったね
190無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 22:59
演義にしたって疑われて左遷はされても、いきなり殺せないって。 
司馬懿は曹操みたいに実権握っていた訳じゃないんだから、あの時点では。
191無名武将@お腹せっぷく 04/02/10 23:01
というよりも、「暗殺する利益が無い」ってとこかな。 
曹操は暗殺しか排除する方法が無かったから暗殺計画が出てきたけど、 
司馬懿は左遷すれば良かったんだし。
192無名武将@お腹せっぷく 04/02/11 10:24
司馬懿を警戒していたのは曹操であって、曹丕・曹叡は重用してるよ。 
曹操の死後、司馬懿は順調・順当に昇進していってるし、対呉戦線では 
積極策も多く採ってて、それがまた魏帝からの信用を重ねてるし。 

実際、司馬懿が警戒に値する人物としてみられるようになったのって、 
曹叡の死後からと思う。 
といっても、後に叛乱を起こした毋丘倹なんかは司馬懿を称揚してて、 
弾劾したのは司馬師ただひとりだったりするから、司馬懿の処世の妙味が 
覗えるきもする。
231無名武将@お腹せっぷく 04/02/19 19:36
曹操や司馬懿や鄧艾が蜀の軍勢を率いても、魏の侵攻を防げなかった?
232無名武将@お腹せっぷく 04/02/19 19:42
姜維でも防げたと思うよ。 
クーデター成功させて劉備のように独裁政権化できれば。 
即応性の問題がなくなるから。 
逆にそれができなければ姜維の地位に曹操が居ても無理。 
先に皇帝の方が降伏しちゃうんだし。
233無名武将@お腹せっぷく 04/02/19 19:45
あの時点で、もし曹操が蜀の皇帝だったら?
234無名武将@お腹せっぷく 04/02/19 19:53
その場合は曹操を頂点とする体制が取られるので行けそうな気がする。
236無名武将@お腹せっぷく 04/02/19 22:51
でも、もう、どのみち駄目でしょ。 
中華の歴史をみても、蜀の地だけで天下を取った例はない
(中華史上最大の動乱期の五代十国の王建ですら、一人じゃ諦めてる)。 

例外といえば、漢祖・劉邦だが、成都に依らず漢中にいて常に中原を見てた上、
期間も短いし、中原に支持者(味方)も多くいた。 

他に基盤を持ってる上で、天賦の地・ショクを取るのが正しい在り方であって、
戦国時代の秦や、南北朝時代の西魏~周がその事を証明している。 

曹操であっても、独立王朝の維持は可能でも
(っても、あの地で二代以上持った試しがないが)中原進出は無理だろうし、結局ジリ貧











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2009-04-10