1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/03(土) 23:55:50 ID:CHJwzLBs0
なんか春秋時代って日本の中世(平安末期~安土桃山)に似ている
気がしますが?
2名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/04(日) 15:57:25 ID:0qadWPfZ0
呉越の時代劇、中国で多いけど、 
呉越の抗争はやっぱり人気のある歴史分野なのかな。
3名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/04(日) 20:16:52 ID:MJgHOuXu0
呉越春秋は三国志演義に匹敵する人気だよ
8名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 22:08:53 ID:cacXiJ4Y0
頭脳のハンレイ 
感情のゴシショ 
ゴシショは中国でも人気物の一人
4名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 15:59:41 ID:3XMnymf40
呉と越って、今の蘇州と紹興だし、かなり近いな。
5名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 21:08:15 ID:rLMEKwiG0
呉越同舟とは、そこから来ている 
両方とも喧嘩して溺死しちゃうけど
7名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 00:22:57 ID:iW2T6XsU0
確か呉楚越あたりの国で 
庶民の桑の葉の取り合いから戦争にまでエスカレートしたケースがあった気がする
11名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 23:05:15 ID:3L4oO4az0
それは呉と楚だな
6奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/07(水) 23:12:49 ID:yz9jZmTH0
実際は隣町どうしの喧嘩レベルなんだろうな。
9名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 23:30:40 ID:O4XqRUOO0
さすがに隣町とまではいかないだろうけど、 
日本の戦国大名ぐらいの規模の争いだったかもね。
10名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 22:52:09 ID:ALS7pAzLO
夫差は覇者にもなってるからね。
戦国時代とは地理的にも兵力的にも違うから比べようがない。
スケールが違いすぎる。
12名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 23:15:07 ID:ALS7pAzLO
呉楚の戦いは伍子胥の父兄、太子の無念の死に対する
費無忌、楚王への復讐でもあったな…
13名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/10(土) 00:51:55 ID:RMDfrmcq0
この時代の英雄はみんな悲惨な末路だな 
讒言と裏切りばっか
14名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/15(木) 20:45:59 ID:10nuf/iv0
孫武なんかは政争に巻き込まれる前に引退したから伍子胥とかと違い、 
穏やかな最後だったとみたいだね。
15名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/15(木) 20:59:25 ID:E/efF/uc0
孫武は司馬遷から300年前の人物
呉が滅んでしまったので、既に伝説的人物だったと思われる。
17名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/01(木) 20:29:39 ID:dZ+sevbf0
越はコウセンの後の詳細がなぞだよね
19名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/01(木) 22:04:45 ID:9Ru7dqTq0
養由基最強
20名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 07:55:30 ID:GHa/Ww0b0
一人の力で国ががらっと変わるよなこの時代は 
諸侯もぽっと出の人間をいきなり重用するし 
なんか後世の時代よりもロマンを感じる
21名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 21:22:53 ID:6a+RMHg20
春秋五覇の時代は、混乱期に入って100年程。 
ちょうど日本の天下人の時代に似ている希ガス
24名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 19:02:02 ID:G6R7SqMM0
周王朝が朝廷みたいなもんかw
25名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/16(月) 23:46:20 ID:0nlyQ7GH0
足利将軍家に近いんじゃないかな。
26名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/22(日) 11:47:06 ID:PUJBkvJ00
周王朝は、財政的にはかなり窮乏していたのかな。 
それとも諸侯から寄付がたくさんあった? 
慎ましやかな生活なら大した出費はいらんか。
27名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/23(月) 14:59:24 ID:MgAZPbUWO
東周の首都洛邑は戦国時代には大商業都市だったので
春秋時代んときでもそんなに財政が圧迫されることはなかったんじゃないかな 
ただ食糧はよく貧窮になって何度か諸侯に援助してもらっている
29名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/23(月) 22:07:58 ID:x1s0c/UO0
形式的ではあったが、周代は周王朝のために諸侯が定期的に集まって 
会同をおこなうしきたりは存在した。 
困窮してれば援助をしたり人をだしたりはしたんだろうね。 
礼記あたりにも書かれてたはず。
30名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/17(木) 20:49:52 ID:sQfGr5rN0
もし援助したら、見返りに官位と言うか称号のようなものを与えたりしたのかな?
31名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/18(金) 05:56:51 ID:vthmNTbPO
衛の武候が周の東遷をたすけたおりに武公に昇格した
36名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/06(金) 12:49:28 ID:yTSrrfpBO
尊王の晋が王を名乗っている呉と結ぶのに晋国内では異論は無かったのだろうか?
37名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/06(金) 13:09:00 ID:AiN795lk0
対外的には王号を称さずに子爵で通してたんじゃないの? 
後に黄池の会で晋と呉が盟主の座を争ったとき、 
晋の言い分は「俺の方が爵位が上」だったし。
39名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/09(月) 21:06:17 ID:pSm7owdv0
俺は、斎の桓公から楚の荘王までの五覇の時代が好きだな
40名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/11(水) 07:48:43 ID:TuKF6NpC0
どんな所ですか?
41名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/12(木) 20:45:02 ID:fUOURYVy0
何となく日本や欧州の中世に似ている気がするところ
52名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/03(水) 20:33:49 ID:iDueLupA0
春秋時代の傾国の美女というと、 
息姫、夏姫、西施の3人かな? 
まあ、西周が亡んで春秋が始まるきっかけとなった 
褒女似が一番の傾国の美女だと思うが
60名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/19(土) 23:41:32 ID:Y9Bv0q3uO
日本の戦国時代と、中国の春秋~戦国初期が似てるのは、 
両者とも下剋上の世の中だからだな。 
桓公の最後なんて哀れスグル… 

俺は、趙襄子と豫譲の絡みが好きだ。 
士は己を知る者の為に死ぬ、…カッケーゎ…。 

あと笵蠡と西施は実は恋仲で、呉を滅ぼした後、
戦を捨てて二人仲睦まじく幸せに暮らしたというエピローグは、
たとえ作り話であっても素敵だなと俺の中にいる乙女がウットリするんだ
61名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/21(月) 19:45:18 ID:gNjYRX2C0
豫譲は実は趙武の身代わりになって死んだ子供の家の子孫だった 
だから執拗に趙襄子をつけ狙った 
「士は己を知る者の為に死す」とは、真の目的を隠すための詭弁にすぎない
74名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/13(月) 22:37:20 ID:E6qgWMHo0
春秋の五覇 

鄭 荘公 
斉 桓公 
秦 穆公 
晋 文公 
楚 荘王 

出典は俺
75名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/25(土) 23:48:07 ID:JYbl1SeW0
春秋五覇 

斉の桓公(在位紀元前685年 - 紀元前643年) 
秦の穆公(在位紀元前659年 - 紀元前621年) 
宋の襄公(在位紀元前651年 - 紀元前637年) 
晋の文公(在位紀元前636年 - 紀元前628年) 
楚の荘王(在位紀元前614年 - 紀元前591年) 

出典は孟子 

76名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/18(月) 01:04:44.00 ID:Dz3O5gRW0
斉桓公、晋文公、楚荘王は一致 
性善説の孟子はそこに宋襄公と秦穆公を
性悪説の荀子はそこに呉闔閭と越勾践を くわえて五覇 

性格出るな
77名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/27(水) 11:58:39.33 ID:l9hz586W0
宋襄公は会盟の主催者ってだけで覇を唱えたと言えない。会盟も成功せず。 
秦穆公は勢力を大きく広げたが、楚や晋と比べて優位だったとも言いがたい。 
呉闔閭の頃はまだ中原進出しておらず、覇者とは言えない。会盟も? 

覇権の推移は 

斉桓→晋文(城濮の戦い)→楚荘(?の戦い)→晋厲(?陵の戦い)→和平(弭兵の会)
86名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/31(火) 00:07:45.78 ID:GQcYq4KgO
勾践って名君なの?
87名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/31(火) 00:26:46.47 ID:avnejP430
ハンレイによれば、つらい時代を家臣と励ましあって耐え忍ぶ事は出来るけど
羽振りが良くなると疑り深くなって功臣も信じない人物。
88名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/31(火) 02:42:10.47 ID:/AgSqvaQ0
名君ではないだろw 
会稽では范蠡の諫めも聞かずに滅亡寸前、呉滅亡後は范蠡に逃げられ文鍾は粛清 
結局政軍の両輪失ってそこで終わってしまった
89名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/01(水) 05:08:19.10 ID:optPllWq0
夫差もそういうとこあるから似た者同士だよな
95名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/02(木) 10:13:59.95 ID:DhAhhzjJ0
夫差って孫武に逃げられて伍子胥は粛清して 
句践は范蠡に逃げられ文鍾は粛清して 

似た者同士だよね
97名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/02(木) 15:34:21.28 ID:4i6SmbH/0
孫武に逃げられてたって根拠はあるの? 
あなたが立てた仮説なら否定をする気はないですけど
98名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/02(木) 22:35:59.94 ID:g0mGDQve0
孫武が春秋左氏伝に登場しないのかが不思議だ
102名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/03(金) 01:27:23.68 ID:kQaTi/st0
伍子胥も遠ざけられたし孫武も一緒に煙たがられたかな
103名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/03(金) 02:15:52.21 ID:8WmbjLph0
というか、ハンレイの離間策とされるんじゃね。
104名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/03(金) 17:38:40.80 ID:+yhax6Oc0
句践の粛清は劉邦と似たようなものだろ 
張良がさっさと引退したのもハンレイに似てる
105名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/03(金) 20:36:11.06 ID:glHar8uE0
呉は越に滅ぼされ越は楚に滅ぼされ楚は秦に滅ぼされ
110名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/05(日) 02:46:21.19 ID:c8yH5Ksl0
伯嚭って史記じゃ処刑になるけど、左氏伝じゃ生き残って越に仕えてるんだよなあ
111名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/09(木) 13:01:50.28 ID:2b3hIFrAO
それだと伍子胥を陥れて自分はのうのうと 
生き延びたってことになってしまうな
112名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/09(木) 13:11:45.95 ID:qLTReC5e0
この手のある意味内通者は滅亡後に殺されるパターンが多いような気はする 
ただなんで左伝で生き残ってるのに史記で処刑扱いなんだろうね 
成立年代からして司馬遷は左伝を見てないわけがないのに
113名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/09(木) 14:38:32.45 ID:GsuQqvru0
左氏伝の成立には異説が多かった気がする 
史記の前に完成してたと断言はできない、とか
106名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/04(土) 05:19:19.10 ID:bP0Ya6dS0
范蠡って元から越の人間なのか 
なんか他国からの亡命者みたいな雰囲気があるんだよね 
やっぱ范とつくから晋出身だろうか
107名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/04(土) 07:09:38.35 ID:Jix6HF230
范蠡に習ったっぽいのは范雎と張良かな 
さっさと権力手放して悠々自適だもんなぁ
109名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/05(日) 02:24:23.41 ID:efaAwHhb0
まぁ一番かっこいいのは陳平みたいに最後まで頑張った奴だけどね
108名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/05(日) 00:28:15.42 ID:+p5X7EwFO
范蠡や張良みたいな引き際ってかっこいいな
114名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/11(土) 11:31:28.93 ID:gnXfL3ib0
既出と思うけど、伍子胥とかの先例からしっかり学んで行動したはず 
それに加えて権力欲が薄かったんだろう。やるべき仕事が 
終わったらそそくさと引退(范雎は復讐済んでるし)
116名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/12(日) 01:08:47.57 ID:JqJAS1IKO
張良はともかく、范雎は無欲というよりも引退するしか道はなかったんじゃないかな。 


秦の法では完全に処罰されるところを昭襄王の温情で不問にされてるわけで、 
それでもそのまま宰相でいる事は自身の後難は勿論の事、国家の為にもならない。 

処罰なしで引退することは、
昭襄王の気持ちを汲みつつも保身と国事を考慮した苦慮の結果じゃないだろうか。
117名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/18(土) 00:09:28.12 ID:6RXxrpOT0
張良は引退後も呂后に相談を求められたりしてるし、 
完全に引退はできなかったように感じる。
119名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/20(月) 19:58:23.15 ID:y/+fFwUs0
斉桓公のエピソードがやっぱり一番面白いな 
だいぶ脚色されてるだろうけど
 
120名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/21(火) 17:39:19.69 ID:FXJegAbe0
斉桓公は劉禅と比較されることが多いな 
名臣に補佐されていた間は名君でいられたが 
名臣の死後は目も当てられない
121名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/21(火) 18:41:29.01 ID:WK0Jehw80
さすがに劉禅と比べるのはかわいそうだろ 
自分を殺そうとした管仲を宰相にし、自身で軍を率いて戦に明け暮れた君主だぞ 
劉禅なんて劉備と諸葛亮が用意してくれた物に頼りきっただけ
122名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/21(火) 19:55:55.20 ID:YexCjN8U0
桓公は度量が広い 
確かに管仲が死んだ途端に国は傾いたけどね 
能力のある臣を登用するという部分からして
この時代の君主には結構ハードルが高いわけでさ 
まぁ管仲が生きている内に後継者を準備できなかったという点では不幸だったね
123名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/21(火) 20:02:47.38 ID:gzSHSzN00
司馬ちゃんはべつに桓公を讃えたかったわけじゃないだろ 

NOマンの意見を取り入れる事が肝要、 
という教訓のイソップを書いたわけだ 

124名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/22(水) 00:40:04.47 ID:IPQmg5nV0
管仲が後事を託した隰朋がいるんだが。 
まぁ彼も管仲死後にすぐ死んだんだけどね。 

隰朋が生きていれば桓公の名声に傷がつく事はなかっただろうな。
126名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/27(月) 21:07:45.20 ID:hBNITT3L0
管仲より先に死んでれば桓公も名君でいられたのに
127名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/27(月) 22:56:15.40 ID:DuqPUKiU0
そしたら蛆が湧くまで葬式出してもらえないなんて事も無かったのに。
128名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/06(火) 05:39:47.99 ID:HqmwA0wXi
伍子胥は激情家だったからこそ歴史に名を残した気がする 
分別くさい伍子胥だったら、楚への復讐なんてできなかったろうし 


133名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/07(水) 19:09:19.18 ID:Y0rFNSFd0
普通は平王と費無忌が死んだ時点で復讐なんてやめるよな
134名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/07(水) 19:22:53.78 ID:nbSCXeIDi
うん、以後の伍子胥は行き場のない怒りをぶちまけてる印象。 
でもその辺が魅力の一部でもあるというか。
128名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/06(火) 05:39:47.99 ID:HqmwA0wXi
長平の戦い、趙の孝成王が流言に引っかかって趙括を起用した風に 
書かれてるけど、宮中の主戦派・講和派みたいな構図ってなかったの? 
戦うにしても、趙側はどんな着地点を目指していたんだろう
129名無しさん@お腹いっぱい 2012/03/06(火) 20:22:18.05 ID:3xgbTvqN0
主戦派は平原君、講和派は藺相如。 
ただ、この当時藺相如が病に倒れてて、
それで平原君への歯止めがなくなってしまった。 
そしてあの始末。
130名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/06(火) 21:33:45.06 ID:UU6RDhRE0
個人的に上党を取って秦と戦った事は悪いとは思わないけどな 
天下統一を目指す秦とはいづれ戦わなければならない運命だったわけだし 
問題は廉頗を更迭して趙括を総大将にした事 
あれがなければ、趙は上党を手にいれて万々歳だった 
131名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/06(火) 22:08:42.49 ID:+AkG+jXoi
なるほど 

虞卿列伝の始めの方を読んで、趙は魏や楚との連携を 
模索してたのかなーという印象もあったり
132名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/06(火) 23:27:21.32 ID:6z+Hulew0
范ショと白起が秦の高位にいるかぎり、趙の将兵はかなり危険だと思う。 
もちろん秦と国境接してる国はみな叩かれてるが、
上党関連で秦の恨みの矛先が趙に向いてる状態だから、
いずれ苦しい持久戦になる気がする 

たらればっぽい話になるけど、
早々に白起を失脚させるのが一番の上策だったんじゃないかな。まあ、長平で絶体絶命に追い込まれたからこそ、蘇代(だったよね)を送りこむという死に物狂いの策略が生まれたんだろうけど。時すでに遅し>45万人の戦死 

>>131 
和氏の璧がそれだという見方もあるね>楚と仲良くする 
135名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/08(木) 02:52:32.20 ID:yum4/Kpt0
平原君って本当に糞の役にも立たねーなwww 
戦国四君でこいつだけしょーもねーエピソードばっかだしwww
136名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/08(木) 11:55:12.73 ID:geSSBzLl0
伍子胥と范蠡って対照的な軍師だなと思う 
不器用な生き方しかできない伍子胥も何をやっても成功できる范蠡も二人とも魅力的
137名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/09(金) 22:35:51.19 ID:zXtuToC60
伍子胥は費無忌の讒言で父と兄を殺され、自分も伯ヒの讒言で殺されるんだよな。 
奸臣に振り回された人生だ。
138奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2012/03/09(金) 23:00:18.82 ID:dsQVTdEx0
それは伍子胥が主人公だからという物語。
139名無しさん@お腹いっぱい 2012/03/09(金) 23:51:27.20 ID:VMe3LlRQ0
奇しくもその奸臣達は誅殺されてるのが何とも。 
これも伍子胥の呪いか?
141名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/13(火) 22:09:08.12 ID:nXwFJwXb0
単に因果応報だな。 
伍奢も伍子胥も不器用な生き方しかできない。
115名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/11(土) 12:40:20.98 ID:woP+CFqC0
伍子胥は激情家だからあの最後はしょうがない
140名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/10(土) 01:01:07.20 ID:hhhIEFAr0
伍子胥で思い出したが孫武が辞職したのっていつ頃なんだろうな?
142名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/18(日) 11:40:43.86 ID:DUEPoo4PO
孔子は子孫含めて過大評価
143名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/18(日) 17:13:28.35 ID:8sBYd0M6i
そうかな? 
あの時代に、国家の後ろ盾もなく弟子を連れて諸国行脚しただけでも 
並はずれたバイタリティがあると思うんだが。
144名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/18(日) 17:27:55.70 ID:PZab+6AF0
歴史に残るような名宰相に「孔子は無能」って烙印押されてる訳で 
今で言う哲学者みたいなもんで詭弁だったんでしょ
145名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/19(月) 04:08:50.94 ID:dR3ubATB0
孔子は政治家としてもそこそこな業績は残している(儒者の捏造の可能性もあるが) 
だから全くの無能って事はないと思う 
ただ全部任せると王莽みたいになる可能性がありそう
146名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/19(月) 10:57:21.75 ID:zdC+MC+x0
孔子って今で言えばマイケル・サンデルみたいなもんでしょ 
熱狂的な支持者もいるけど殆どの人は
「ただの言葉遊びで世の中の役に立たない」って見抜いてる
147名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/20(火) 00:32:02.77 ID:mrkfZORV0
孔子は国をちゃんと治めた業績あるから無能はないと思うぞ。 
過大評価させてる原因は後世の儒家だと思われ。 
というか儒家を批判するために孔子を使ったかもねw
148名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/20(火) 13:14:22.78 ID:zgHvKqMF0
孔子って他の諸子百家と議論するというより儒家の中で討論してただけ 
というイメージが付きまとうんだが 
イエスマンに囲まれて社会的地位を失うような激しい討論にさらされてないような
149名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/20(火) 17:18:09.11 ID:E11LbxNH0
仕方ないじゃないか。
諸子百家の大部分は孔子より後の時代だ。
孔子の少し後に墨子が出て、非儒と言って儒家を批判した。
他は墨子より更に後から来て孔子も墨子もひとまとめにして批判した。 

管子とか孔子より前の人もいるけど、
それらの人は孔子が生まれる前に死んでるから議論も出来ないし。
150名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/21(水) 05:17:29.23 ID:BNNZY3AN0
孔子がいなければ戦国時代の諸子百家はなかったかもな 
孔子のおかげで身分の低い人間でも学問を学ぶ事ができるようになった
151名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/25(日) 16:41:31.77 ID:aNAaaGtAO
権力構造が大夫、士へと下に降りてきているのがこの時代で、 
それにともなって学問の敷居も下がっているわけだから、孔子は関係ないだろ。 

むしろそれに反して身分による秩序を礼だなんだといって説いたのが孔子。
152名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/01(日) 20:33:36.73 ID:SOBjFe/x0
周朝の「姫」姓って秦が統一する頃には 
ほとんど登場しなくなったな
153名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/02(月) 01:21:52.70 ID:pHkwgO230
史記などの文献を信じれば始皇帝(秦王政)に刺客を送った燕が姫姓だった。
154名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/02(月) 03:50:38.85 ID:7/Go8KtlO
あと韓の公族の韓非、張良とか。 
魏も姫姓だけど信陵君死んでからは楚漢期までこれといった人物は出てないね。 

秦の人材で姫姓と断言出来るのは確かにいないな。 
大分遡って商鞅ぐらいか。 
さすが法治国家、血胤なんて何も関係ない。
169名無しさん@お腹いっぱい。 2012/05/31(木) 07:59:28.49 ID:bUElnK5U0
孔子が当時の王に受け入れられなかったのは当然だと思う。 
儒教は帝王学ではない、王以下、下々のあるべき姿を説いたもの。 
礼儀正しくてよい人だと言われても、結局何も成すことが出来ない。 
王が死ねばすべてが終わる、非道でも勝てば官軍、後から歴史は 
塗り替えられる。史家が当時危険な仕事だったのもそのせいだろう。 
(現代の史家はマスコミ、しかし大半が長いものに巻かれている・・) 
立場によって支持する思想は違うのだろう。 

ちなみに一神教を本気で信じこまされている人々は最下層に属する哀れな盲目。 
祈る暇があったら隣人や家族に手を差し伸べれば、と思う。 
202名無しさん@お腹いっぱい。 2014/02/16(日) 20:41:32.42 ID:k2fo7Ols0
呉越といえば仲の悪いもの同士の代名詞だけど 
かつてのアメリカとソ連みたいなものかな
203名無しさん@お腹いっぱい。 2014/02/17(月) 04:00:00.48 ID:v+IC9HPI0
呉越同舟をたとえるならオバマとクリントン(嫁)みたいな感じだろうな
204名無しさん@お腹いっぱい。 2014/03/04(火) 22:42:44.54 ID:FCTkGpqW0
なんか21世紀のアメリカは春秋時代末期の呉と似ている気がするな 
呉王夫差は覇者の威厳を見せつけようとして度々出兵して国力を疲弊させ 
アメリカも超大国の威厳を保つために世界各地に軍事介入している所とかそっくり





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